辺境伯令嬢、せっかくの王宮なのでクモを探そうと思います。

三ツ矢凪

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第一章 キシダグモは紅茶の上を泳ぐのか

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 オズワルドがケイト・マルーン辺境伯令嬢と遭遇したのは1時間ほど前の出来事だ。
 正々堂々クモを観察してる、と宣言したケイトはオズワルドのため息をどのように解釈したのか「あちらのクモはハナクモと言いまして、カニグモのお仲間なんですけども」やら「かなり小型のクモですけど、第二足と第三足だけが身体よりも長く生えてるのが大層愛らしくて。しかし長い脚を非常に器用に扱えるからこそ高低差がある花から花への移動も難なくこなしてしまうのではないか、とわたくしは考えておりまして」と鉄砲水のようにクモ談義を浴びせてきた。そんなケイトに正直怖気ついたというのが、オズワルドの感想だ。
 今までオズワルドにとって貴族令嬢とは気位が高いようで全然大したことない複雑な身分ゆえに遠巻きにされるか、近衛騎士という立場も相まって絡みにくい印象を与えるらしいこの外見に怯えられるかのどちらかだったので、むしろ目の前にいてもほぼ相手にされてないような状況は初めてだったのだ。
 これは相手も辺境伯令嬢という、はっきり言って田舎者だからこそ成せる技なのだろうか、とオズワルドが失礼なことを考えながらケイトの談義を聞き流していると、中庭中にぼーん、ぼーんと鐘の音が響いた。
 王宮で働くオズワルドには聞き慣れた音。つまり定刻を知らせる鐘の音である。それ即ち、国王陛下の到着も間も無くであることを示している。
 今度はハナグモの体色は葉に溶け込む為の擬態を目的としてるのではないか、と自論を展開し続けるケイトにオズワルドが黙って左手を差し出すと、そこは流石上流階級のお嬢様とでもいうべきか、反射に近いスピードでケイトはオズワルドの手に右手を乗せた。
「マルーン嬢。興味深いお話ありがたく存じますが、間も無く陛下のご到着でございます。急ぎ会場にお届けしますので、どうか道に迷っていらっしゃったということで、ここは一つ」
「……っ! むしろありがたいお申し出ありがとうございます! ほら、ケイティ様からもお礼を!」
 やはり頭の回転が良く非常に善良な少年がケイトを軽くせっつくと、ケイトは「はて?」と小首をかしげる。
 大きなハットで影になった顔の中で、サファイヤの瞳だけが光を返してるのはどういう原理なんだろうか、とオズワルドが思考を飛ばす中「でも、ワイズリー様」と薄く唇を開く。
「この生垣の道を戻るんでしたら、狭過ぎてエスコートは難しいのではなくて?」
「……その通りですね。とっとと行きましょうか」
 ケイトとオズワルドはどちらからともなく手を離すと、1番小柄な従者の少年を先頭に、3人カサカサとカニのように横歩きで精一杯急がなくてはいけなくなったのだ。

***

「……ふふふ、そっか。随分おもしろいご令嬢がいたもんだね」
「……おもしろい?」
 オズワルドから一連の出来事の報告を受けた男は、椅子に足を組んで座った姿勢のまま眩い上質なシルクの手袋で口許を抑え、喉を鳴らして笑っている。その斜め後ろに控えるように立っているオズワルドは呆れたように男の言葉を繰り返した。
 彼の首に巻かれたクラヴァットの中央には大振りのイエローダイヤモンドのブローチが陽を反射して光っている。台座にはリアヴェール王国を象徴する国章が掘り込まれており、それはつまり彼がこの国において最も身分が高い、王族の一員であることを示していた。
「急ぎでお耳に入れるまでもない、と思っていたのですが」
 判断を誤りましたでしょうか、と言外に伝えると目の前の男は軽く肩をすくめて見せる。
「流石にこの場で何か起きたら、王族の責任ひいては陛下の責任になっちゃうからね。例え主賓といえど、僕が気を配るに越したことはないでしょ。それにとても興味深い話が聞けて、僕は満足してるよ。君に遠慮がない御令嬢がいるなんて、とか」
「はあ」
 オズワルドが気の抜けた返事を返すと、肩の高さで切り揃えられた髪が揺れてオズワルドを仰ぎ見る。オレンジの瞳が狐のように弧を描いたのを見て、オズワルドは相変わらず悪趣味な人だ、と鼻を鳴らした。
 カニ歩きで会場まで戻ってきた一行はタッチの差くらいで陛下の到着には間に合ったのだが、どうやらそれを彼に見られていたらしい。カゼボに呼び出されるなり「随分遠くまで遊びに行っていたみたいだね?」などと言われれば、オズワルドには洗いざらい報告する以外の選択肢はない。

 なぜならこの趣味の悪い男こそが、レアヴェール王国の王太子その人だからだ。名をクラーク王太子と呼ぶ。オズワルドの直属の雇用主でもある。
 レアヴェール王国では貴族はみんな家名があり、それを親に名付けられたファーストネームと合わせて名乗るのが通例だが、王族のみ代々父方と母方の姓を全てミドルネームとして受け継いでいく。その為、王族の一員である彼も当然ながら非常に長ったらしいフルネームがあるのだが、それでは何をするにも不便な為、王族に対してのみファーストネームに敬称をつけて呼ぶのか慣例化している。
 クラークは非常に見目麗しい男だ。トレードマークとも言うべきプラチナブロンドは王国内で右に出るものはいないと評される美しさで、クセもなく真っ直ぐ肩に落ちる髪はいつも綺麗に整えられている。瞳の中をよく見ると放射線状に線のように走るオレンジの虹彩もまるで花が咲いたようと評されているし、白く光る肌には傷一つなくきめ細やかで、まるで発光しているようにも見える。
 どこをとっても一級の芸術品のようと称される我が国自慢の王太子だが、幼少期から彼の側近に指名されていた兄の付き添いでよく「可愛がられていた」オズワルドにしてみれば、どこか根性が曲がっている食えない男である。

 クラークが座っているのは薔薇園にカゼボに設置された席の中でも一際大きな円形テーブルだった。文字通り、お見合いの場として用意されたここは王太子用の椅子とそれを正面から囲むように配置された4つの椅子の合計5席が用意されており、少し離れた位置には第二王子殿下用のテーブルも同様の配置で用意されている。
 国王陛下の挨拶と共に開会したお茶会(という名のお見合い)は、この席に順に令嬢たちを数人ずつ呼び出して入れ替わり立ち替わりで交流していくというスタイルをとっていた。オズワルドは警備がメインなので定位置に突っ立って眺めていただけだが、まるで試験を受けてるかのような緊張感溢れる空気でお茶どころではないグループも少なくない。

 そして現在はクラークと3組のご令嬢の交流が終了したところで、一時休戦中といったところだ。その休憩時間にクラークは指先一つでオズワルドを呼び出し、カニ歩きの真相を喋らされていた。
 少し離れたところで未だ歓談中の第二王子のテーブルはどうやら話題が盛り上がっていらっしゃるらしい。こちらにまで声が届く様子を悔しそうに見つめていたかと思うと、今度はこちらを意識しているのか遠巻きながらチラチラ視線を送ってくる令嬢の多さに辟易としながら、オズワルドは姿勢を正すと後ろ手を組んだ。
 王太子付きの近衛騎士は別小隊であるのに報告と称してわざわざオズワルドをこの場で呼び出したのも、おそらくクラーク殿下なりの可愛がり方なのだろう、とオズワルドは思う。会場警備で突っ立っていただけの男が実は王太子に近い立場の人間だと、衆人環視の場で示すことが目的らしい。実際、彼の雇用主はオズワルドに「持ち場に戻れ」とも言わず、満足げにティーカップを傾けている。
「いい機会だからオズワルドも嫁ぎ先を見つけたらいいさ」と先日軽口を叩いていたのもあながち冗談ではなかったらしい。が、別段一代限りの騎士爵に何の不満もないオズワルドには余計なお世話でしかない。
 大体これはクラークのお見合いなのだからまずは自分のことを考えるべきだろう。とオズワルドは考えて、いやこの方にそういう繊細さはないだろうな、とすぐに思い直す。
 クラークは根性こそ曲がっているが、彼の策略も思慮も行動理念も全てリアヴェール国の為でしかなく、それ以外の理由は決して存在しないからだ。極論彼にしてみればこのお見合いだって、単純に「国の為に」1番迎え入れるのに相応しい相手を確認する為の作業でしかないのだろう。だからこそ第二王子やオズワルドなど、他者におせっかいをかいてる余裕があるのだ。
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