蒼き樹海の案内人

蒼月よる

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第10話 薬師の少女

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第十話 薬師の少女

 ミラに出会ったのは、棘背蜥蜴の討伐依頼の最中だった。
 灰枝の東の樹海中層に、棘背蜥蜴が縄張りを作っているという報告があった。鉄牌向けの依頼だけれど、カイが「俺が一緒なら問題ない」とナタリアを説得して受けた。
 棘背蜥蜴は、背中に静電気を帯びた棘を持つ中型の魔獣だ。危険度C。棘を飛ばして攻撃する。鱗は断熱性に優れた防具素材として高値で取引される。尾肉は白身で上品な味わいの珍味——と、カイが説明してくれた。
「素材も肉も美味い。倒せれば一石二鳥だ」
 樹海の中層を進みながら、流視で周囲を探る。粒の密度が高い。縁とは比べものにならない。空気が光の粉で満たされているような感覚で、目の奥にじんわりとした圧がかかる。

 棘背蜥蜴を見つけたのは、岩場の近くだった。
 ——だが、見つけたのは蜥蜴だけではなかった。
「カイさん、蜥蜴の手前に人がいる」
「人?」
「一人。光の密度は——低い。村人と同じくらい。武器は……よく分からないけど、小さいものを持ってる」
 急いで近づくと、声が聞こえた。
「——っ、来ないで! ほら、しっ! しっ!」
 女の声だった。若い。
 茂みを抜けると、開けた岩場に出た。そこに——少女がいた。
 茶色い髪を無造作にまとめた、小柄な少女。肩から大きな革鞄を下げていて、手には短いナイフを握っている。その前に、棘背蜥蜴がいた。体長は人の背丈ほど。蒼灰色の鱗に覆われた体で、背中の棘が帯電して青白い火花を散らしている。
 少女が蜥蜴に追い詰められていた。
「やべえ、あの棘が来る——ユーリ、棘の動きは読めるか!」
「棘の周りに粒が集まってる。帯電してるのは背中の右側——三本、飛んでくる!」
 カイが走った。
 蜥蜴が棘を飛ばした。三本の青白い棘が空気を裂いて飛ぶ。カイが剣で二本を叩き落とし、三本目を体を捻って避けた。
「おい嬢ちゃん、伏せろ!」
 少女が地面に突っ伏した。カイがその上を飛び越えて、蜥蜴に切りかかる。剣が鱗に当たって火花が散った。硬い。装甲猪の殻ほどではないが、普通の剣では弾かれる。
「鱗の下だ! 脇腹に隙間がある! 粒がそこだけ薄い!」
 僕の声に、カイが即座に反応した。脇腹の鱗の隙間に剣を突き立てる。蜥蜴が悲鳴を上げて体をくねらせた。棘が無差別に飛び散る。カイが転がって避け、もう一撃。
 蜥蜴が倒れた。

「はー……助かった」
 少女が地面から起き上がった。膝が砂利で擦りむけていて、頬に泥がついている。でも、大きな怪我はないようだ。
「大丈夫?」
 僕が手を差し出すと、少女がその手を掴んで立ち上がった。握力が強い。
「うん、大丈夫。ありがとう。——あ、ちょっと手を見せて」
「え?」
 少女が僕の手を取って、ひっくり返した。掌を見ている。
「棘の破片が飛んでない? 帯電した棘の破片が刺さると痺れるから」
「僕は離れてたから大丈夫だと思う」
「ならいいけど。——あなたたちは冒険者?」
「うん。灰枝のギルドの。僕はユーリ。あっちがカイさん」
 カイが蜥蜴の体から剣を引き抜きながら手を振った。
「よう。お前、一人で何してたんだ。こんな場所で」
「薬草を採ってたの。この辺りに生える蒼花草が欲しくて。——そしたら蜥蜴に出くわしちゃって」
「薬草? お前、薬師か」
「見習いだけどね。ミラっていいます」
 ミラ。少女はそう名乗って、砂利を払った。

 ミラは不思議な子だった。
 蜥蜴に追い詰められていたのに、助けてもらった直後から、もう蜥蜴の素材に興味を示している。
「あ、この棘鱗、すごく状態がいいね。帯電能力が残ってるのは珍しいよ。——あ、ここの毒腺、薬の材料になるんだ。取ってもいい?」
「好きにしていいぜ。お前を助けた縁だ。素材の一部はやるよ」
「ほんと? ありがとう!」
 ミラが蜥蜴の体に取りついて、手際よく毒腺を摘出した。その手つきが慣れている。薬師の手だ。
「この毒腺は煎じると鎮痛剤になるの。棘の痺れにも効くし、頭痛にも。あと、蜥蜴の尾肉って食べたことある?」
「ない」
「美味しいんだよ! 白身で淡白で、蒸すと鶏肉みたいになるの。火を通せば毒は抜けるから安全だよ」
 カイが僕を見た。僕もカイを見た。同じことを考えていた。この子、面白い。

 ミラが尾肉を切り分けてくれた。
 野営用の魔石コンロで、葉っぱに包んで蒸し焼きにする。ミラが鞄から取り出した香草を散らすと、肉の臭みが消えて、いい香りになった。
「この香草は臭み消しに最高なの。蒼花草の近くに生えてるから、一緒に採ってきた」
 蒸し上がった尾肉を食べた。
「——美味しい」
 驚いた。本当に鶏肉みたいだ。淡白で上品な味わいで、香草の風味が引き立てている。村では食べたことのない味だ。
「でしょ? 下処理さえちゃんとすれば、魔獣の肉って美味しいんだよ。血抜きと加熱が大事。あと、香草の使い方。みんな塩焼きばっかりするけど、もったいないなあって思ってて」
「お前、料理もできるのか」
 カイが感心したように言った。
「師匠に教わったの。薬師はね、薬を作るのと料理を作るのは似てるんだよ。素材を見分けて、組み合わせて、火加減を調整する。やってることは同じ」
 ミラが笑った。明るい笑顔だ。さっきまで蜥蜴に追い詰められていたとは思えない。
「ユーリくんの目って、素材の品質まで分かるの?」
「え? さっき僕が何か言った?」
「蜥蜴の脇腹の隙間を教えてたでしょ。あれ、普通は見えないよ。光の粒って言ってたけど——魔素が見えるの?」
「……うん。まあ」
「すごい。それって、薬草の品質も分かる? 魔素が多い薬草のほうが薬効が高いんだけど——」
「たぶん分かると思う。粒の密度で」
 ミラの目がきらきらと輝いた。
「ずるい。私もその目が欲しいなあ」

 食事の後、ミラの治癒魔法を見せてもらった。
 カイの手の甲に小さな擦り傷があったのを、ミラが手をかざして治した。掌から淡い緑色の光が漏れて、傷口がゆっくりと塞がっていく。
 僕の目には、ミラの手から粒が流れ出して、カイの傷口に集まっていくのが見えた。粒が傷を覆い、細胞を修復している——ように見えた。柔らかくて、優しい光だった。
「ミラさんの魔法、きれいだね」
「え? 見えるの?」
「うん。緑色の光の粒が、傷口に集まっていくのが見える。柔らかい光」
「……変なの。自分では何も見えないのに」
 ミラの治癒魔法は弱い。大きな怪我は治せないし、長時間使うと疲れる。でも、切り傷や打撲程度なら治せる。薬と組み合わせれば、パーティの回復役として機能する。
「あなたたち、パーティは二人?」
「ああ。元は四人だったが、二人は帰った。今は俺とユーリだけだ」
「……もし良かったら、しばらく一緒に行動しない? 私、一人で樹海に入るのはちょっと——今日みたいなことがあるし」
 カイが僕を見た。
「ユーリ、どう思う」
「いいと思う。回復役がいると安心だし、ミラさんの薬草知識は素材回収にも役立つと思う。あと——」
「あと?」
「……料理が美味しかった」
 ミラが吹き出した。カイも笑った。
「よし、決まりだ。ミラ、しばらく一緒にやろう。分配は三等分。異論はあるか」
「ないよ。よろしくね、二人とも」
 ミラが手を差し出した。僕とカイがそれぞれ握った。

 その夜、食堂で三人で食事をした。
 ミラが「蒼苔スープに香草を入れてもらえませんか」と厨房に頼み込んで、いつもとは全然違う味のスープが出てきた。苦みの角が取れて、まろやかで、飲みやすい。
「すごい。同じスープなのに」
「香草一つで変わるんだよ。食事って大事でしょ? 美味しいもの食べないと、体も心も元気にならないよ」
 ミラが蒼酒を飲みながら、ふいに遠い目をした。
「私ね、小さい頃は別の集落にいたの。でも——いろいろあって、一人になった。師匠に拾ってもらって、薬草のことを教わって。師匠が死んでからは、一人であちこち回ってる」
「……いろいろって?」
「ん——まあ、いつか話すよ。今日は楽しい日だから、暗い話はなし」
 ミラが笑った。明るい笑顔の奥に、一瞬だけ影が見えた気がした。
 でも、それ以上は聞かなかった。聞いてほしくないことは、聞かないほうがいい。それくらいは、僕にも分かる。
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