1 / 7
第1話 追放技師
しおりを挟む
九十九。
赤い目盛りが、視界のど真ん中で止まった。
地下実験区画。人の背丈より大きい接続輪の前で、技師たちが固定具を締めている。青白い回路が壁を走り、床の下から唸りが上がる。
その全部より、俺には数字のほうがはっきり見えた。
「接続開始まで十秒」
上官の声。誰も手を止めない。
俺は一歩踏み出した。
「止めてください。補助回路が生きたままです。このまま繋げば閾値を超えます」
数人が俺を見る。厄介ごとを持ち込む顔に向ける目だ。
上官は手元の板を閉じ、平坦に言った。
「またそれか、ジン。赤い幻覚は報告書に不要だ」
「幻覚じゃありません。南塔のときも同じ数字で」
「南塔はお前の判断遅れだ。責任転嫁はやめろ」
言い切りだった。議論を許さない声。
「接続開始」
梃子が倒される。接続輪の内側で白い火花が弾けた。
空気が焼ける匂い。
数字は九十九のまま、点滅に変わる。
「遮断しろ!」
叫びながら、俺は自分で緊急遮断棒へ飛びついた。誰かの手が遅れて重なり、棒が叩き込まれる。
光が一瞬だけ爆ぜ、窓がびりびりと震えた。
それで止まった。紙一枚分だけ、死ななかった。
沈黙。
最初に口を開いたのは、やっぱり上官だった。
「記録。接続失敗。原因は補助技師ジンの指揮系統逸脱」
笑いそうになって、笑えなかった。
九十九の点滅だけが、ゆっくり消えていく。
追放はその日の夕方に決まった。
軍情報部遺物管理局。所属抹消。装備返納。再任用なし。
理由は「規律違反と作業妨害」。命令書は三行。
返ってきたのは、私物の工具箱だけだった。
削れたレンチ、壊れた測定針、焦げた手袋。積んだ年数の割に、やけに軽い。
港町アルヴァスへ着いたのは三日後の夕方だった。
潮と魚煙の匂い。石畳の隙間の塩。港は賑わっていたが、外縁の通りは古い倉庫と欠けた壁ばかりだ。
金は少ない。宿代を払えば、二週間で底が見える。
「泊まるなら先払いだよ」
通り角の食堂で、腕を組んだ女が言った。日に焼けた肌、作業用の革手袋。
「一番安い部屋は」
「二階の物置。雨漏りはする。文句は受け付けない」
銀貨を置いて鍵を受け取った瞬間、店の外で子どもの悲鳴が上がる。
「ラウラ姉ちゃん! また止まった!」
女――ラウラが舌打ちして飛び出し、俺もつられて外へ出た。
通り端の共同井戸。古い遺物ポンプの継ぎ目から、白い蒸気が細く噴いている。
その上に赤い目盛りが浮かんだ。
九十六。
周りには子どもが三人、桶を抱えて立っていた。
このままなら数字は上がる。遺物が裂ける。最初に巻き込まれるのは、近くの小さい身体だ。
「離れろ!」
工具箱を地面に置き、側板をこじ開ける。中はひどい。腐食した補助線に、素人の銅線を無理やり継いである。
「あんた、何してんの!」
ラウラの声に、目を上げず返した。
「今止める。水が要るんだろ」
焼けた線を切る。予備導線へ交換。圧縮弁を半回転戻し、冷却路を開く。主軸接点を磨いて固定。
指先が震える。怖さじゃない。数字の圧だ。
九十六。九十。八十。六十。
十七。
取っ手を押した。
金属筒が短く唸り、澄んだ水が勢いよく落ちる。桶が一気に満ちる音。子どもの歓声。
「……動いた」
ラウラが呟く。俺はその場に座り込み、息を吐いた。
赤い目盛りは十二。安全域。
「あんた、技師?」
「元、だ」
「元でもいい。外縁、壊れた遺物だらけで困ってる」
濡れた手の子どもが袖を引く。
「おじさん、灯りも直せる?」
言い返す気力はなかった。
代わりに、濡れた鉄板と塩で白くなった継ぎ目を見る。雑な修理跡。見れば見るほど仕事がある。
「金は取るぞ」
子どもはけろっと笑った。
「水が出るなら、みんな払うよ!」
夜、雨漏りする物置部屋で工具箱を並べる。
レンチ三本、測定針一本、絶縁布少し、銅線は残りわずか。
足りないものだらけだが、ゼロじゃない。
窓の外では、さっき直したポンプに列ができていた。老人、母親、漁帰りの男。
水が出るたび、小さな笑い声が起こる。
軍の実験区画で聞いた拍手とは別の音だ。
数字を上げるためじゃない。生きるための音。
木箱の上に紙を広げ、震える手で書く。
潮目工房(仮)。
遺物修理・生活道具改修・危険度診断。
書き終えたところで、階下からラウラの声が飛んだ。
「ジン! 明日、港の灯り見て! 夜の入港が詰まって死人が出る!」
俺は短く返す。
「朝一で行く」
紙の端に追記した。
先払い、必須。
同じ夜、港の反対側で黒衣の男が封蝋文書を開いた。
回収対象。
追放技師ジン。
識別特記事項――危険閾値の視認能力あり。
赤い目盛りが、視界のど真ん中で止まった。
地下実験区画。人の背丈より大きい接続輪の前で、技師たちが固定具を締めている。青白い回路が壁を走り、床の下から唸りが上がる。
その全部より、俺には数字のほうがはっきり見えた。
「接続開始まで十秒」
上官の声。誰も手を止めない。
俺は一歩踏み出した。
「止めてください。補助回路が生きたままです。このまま繋げば閾値を超えます」
数人が俺を見る。厄介ごとを持ち込む顔に向ける目だ。
上官は手元の板を閉じ、平坦に言った。
「またそれか、ジン。赤い幻覚は報告書に不要だ」
「幻覚じゃありません。南塔のときも同じ数字で」
「南塔はお前の判断遅れだ。責任転嫁はやめろ」
言い切りだった。議論を許さない声。
「接続開始」
梃子が倒される。接続輪の内側で白い火花が弾けた。
空気が焼ける匂い。
数字は九十九のまま、点滅に変わる。
「遮断しろ!」
叫びながら、俺は自分で緊急遮断棒へ飛びついた。誰かの手が遅れて重なり、棒が叩き込まれる。
光が一瞬だけ爆ぜ、窓がびりびりと震えた。
それで止まった。紙一枚分だけ、死ななかった。
沈黙。
最初に口を開いたのは、やっぱり上官だった。
「記録。接続失敗。原因は補助技師ジンの指揮系統逸脱」
笑いそうになって、笑えなかった。
九十九の点滅だけが、ゆっくり消えていく。
追放はその日の夕方に決まった。
軍情報部遺物管理局。所属抹消。装備返納。再任用なし。
理由は「規律違反と作業妨害」。命令書は三行。
返ってきたのは、私物の工具箱だけだった。
削れたレンチ、壊れた測定針、焦げた手袋。積んだ年数の割に、やけに軽い。
港町アルヴァスへ着いたのは三日後の夕方だった。
潮と魚煙の匂い。石畳の隙間の塩。港は賑わっていたが、外縁の通りは古い倉庫と欠けた壁ばかりだ。
金は少ない。宿代を払えば、二週間で底が見える。
「泊まるなら先払いだよ」
通り角の食堂で、腕を組んだ女が言った。日に焼けた肌、作業用の革手袋。
「一番安い部屋は」
「二階の物置。雨漏りはする。文句は受け付けない」
銀貨を置いて鍵を受け取った瞬間、店の外で子どもの悲鳴が上がる。
「ラウラ姉ちゃん! また止まった!」
女――ラウラが舌打ちして飛び出し、俺もつられて外へ出た。
通り端の共同井戸。古い遺物ポンプの継ぎ目から、白い蒸気が細く噴いている。
その上に赤い目盛りが浮かんだ。
九十六。
周りには子どもが三人、桶を抱えて立っていた。
このままなら数字は上がる。遺物が裂ける。最初に巻き込まれるのは、近くの小さい身体だ。
「離れろ!」
工具箱を地面に置き、側板をこじ開ける。中はひどい。腐食した補助線に、素人の銅線を無理やり継いである。
「あんた、何してんの!」
ラウラの声に、目を上げず返した。
「今止める。水が要るんだろ」
焼けた線を切る。予備導線へ交換。圧縮弁を半回転戻し、冷却路を開く。主軸接点を磨いて固定。
指先が震える。怖さじゃない。数字の圧だ。
九十六。九十。八十。六十。
十七。
取っ手を押した。
金属筒が短く唸り、澄んだ水が勢いよく落ちる。桶が一気に満ちる音。子どもの歓声。
「……動いた」
ラウラが呟く。俺はその場に座り込み、息を吐いた。
赤い目盛りは十二。安全域。
「あんた、技師?」
「元、だ」
「元でもいい。外縁、壊れた遺物だらけで困ってる」
濡れた手の子どもが袖を引く。
「おじさん、灯りも直せる?」
言い返す気力はなかった。
代わりに、濡れた鉄板と塩で白くなった継ぎ目を見る。雑な修理跡。見れば見るほど仕事がある。
「金は取るぞ」
子どもはけろっと笑った。
「水が出るなら、みんな払うよ!」
夜、雨漏りする物置部屋で工具箱を並べる。
レンチ三本、測定針一本、絶縁布少し、銅線は残りわずか。
足りないものだらけだが、ゼロじゃない。
窓の外では、さっき直したポンプに列ができていた。老人、母親、漁帰りの男。
水が出るたび、小さな笑い声が起こる。
軍の実験区画で聞いた拍手とは別の音だ。
数字を上げるためじゃない。生きるための音。
木箱の上に紙を広げ、震える手で書く。
潮目工房(仮)。
遺物修理・生活道具改修・危険度診断。
書き終えたところで、階下からラウラの声が飛んだ。
「ジン! 明日、港の灯り見て! 夜の入港が詰まって死人が出る!」
俺は短く返す。
「朝一で行く」
紙の端に追記した。
先払い、必須。
同じ夜、港の反対側で黒衣の男が封蝋文書を開いた。
回収対象。
追放技師ジン。
識別特記事項――危険閾値の視認能力あり。
0
あなたにおすすめの小説
後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます
なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた
きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました!
「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」
魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。
魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。
信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。
悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。
かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。
※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
結界師、パーティ追放されたら五秒でざまぁ
七辻ゆゆ
ファンタジー
「こっちは上を目指してんだよ! 遊びじゃねえんだ!」
「ってわけでな、おまえとはここでお別れだ。ついてくんなよ、邪魔だから」
「ま、まってくださ……!」
「誰が待つかよバーーーーーカ!」
「そっちは危な……っあ」
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる