記憶球

らい。

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A

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学校を出て15分ほど歩いただろうか、少し前から察してはいたが、自宅の場所はまた記憶に存在しなかったため、自分は何とかAに不自然に見られない程度にAの斜め後ろを歩き、他愛もない会話を続けながら、自宅を目指した。
しばらく歩いた後、やけに古びたアパートの前でAの足は止まった。
それにしても古いな。今にも倒壊しそうだ。
「なぁ、咲太」
ギシギシと鳴る階段を上がり、203と書かれたドアの前でAは口を開いた。
「お前、4人家族だよな?」
分からないけど、多分そうなのだろう。
自分は「うん、そうだけど」と返すとAは申し訳なさそうにこう言った。
「お前ん家、貧乏すぎね?」
どストレートに言うな。
そこまではっきり言われると何も言い返せないじゃないか。
「その、悪気があって言ってるんじゃなくてな、昔からの付き合いとして言いたいんだが、良くも悪くも変わってないなお前」
親しき仲にも礼儀ありという言葉を知らないのだろうかこいつは。
「うん、そうやね」
多少の苛立ちを覚えたのもあって適当にそう返し、自分はバックの中から鍵を見つけ、変に固い鍵穴を力づくで開けた。途中変な音がしたがこういうのは気にしたら負けだ。
ゆっくりとドアを開け中へ入ろうとすると、外の陽気な空気とは違い、むしろ少し肌寒さを感じた。
「相変わらずなんもねぇな」
「悪かったな」
嫌な顔をしてそう答えたあと、自分達は中へと入り、小さな机を挟んで畳の上に腰を下ろした。
何となく辺りを見渡してみると部屋の中はまさに質素そのもので、ただでさえ小さな部屋が2つに仕切られており、本当に4人家族なのか自分でも疑ってしまうほど、家電含め最低限の物しか無かった。

そういえば、ここに来るまで話さなかったが、Aは何をしに自分の家に来たのだろうか。
「さて、やるか」
そんな自分の疑問を跳ね除けるかのようにAはバッグの中から数学の参考書らしきものを机に叩きつけるようにバァンと出した。
「やるって?」
「え、宿題」
「宿題?」
「うん、宿題」
なんだ、この急激にIQが低下したかのような会話は。それに言われてみれば、宿題が出されたような気がしなくもないのだが。
「もしかして忘れたか」
「うん、学校に置きっぱなしだ」
「なにやってんだよ、あんだけ言ったのに」
Aは呆れたように、しかし少し笑ってそう言った。
「明日の1時間目だぞ、数学」
「そうだったっけ」
「……ったく、そもそもあの先生、顔はいいんだけど性格がきついよな。普通3時間も授業があって宿題を出すか?俺なら絶対に考えられないね」
「まぁまぁ、そう言ってやるなよ」
「なんだお前、先生かくまう気か」
「いや、そういうわけじゃ」
「ははーん、さてはお前」
Aは不敵な笑みを浮かべる。
「なんだよ」
「惚れただろ」
だからなんですぐそうなるんだよ。
「いいえ全く」
「強がんなって」
ちょっとしつこいなこいつ。
「本当になんとも思ってないから」
「なんとも思ってないやつはなんとも思ってないなんて言わないんだぞ」
いったいお前は何を期待してるんだ。
それになんだ、このすごいデジャブ感は。
「いい加減だりぃって」
少し気だるそうに、かつ憤りを感じさせるために低いトーンで自分がそう言うと、Aは悪い悪いと軽く両手を合わせた。
「てか、お前こそ気になる人いないのかよ」
その後しばらく間があって、ふと自分はAにこう尋ねていた。
自分にあれだけしつこく聞いてきたのだから聞き返されても答えないわけにはいかないだろう。
それにAは背が高くて顔もそこそこ整っている。多分将来モデルになっててもおかしくないくらいスタイルがいい。
反して自分は背丈は決して高い方ではなく顔もフツメンとやらを極めている。
なんだか我ながら悲しくなってくるな。よし、あんま考えないことにしよう。
「いねぇよ」
Aは少し俯いて、ボソッとそう言った。
その目にはまるで昔何かあったような、でもそれは決して人には言えないことがあったような、そんな気がした。

結局、数学の宿題は全く手につかないまま、雑談を続けているうちに外も暗くなってきてしまい、Aは自宅へと帰っていった。

そしてAと入れ替わるように、母親が帰ってきた。
見た目にして30代後半くらいだろうか、年齢と季節に見合った服装の母親の横には、5歳児程の幼稚園の服を着た小さな女の子もいた。
恐らく妹なのだろう。
「おかえり」
「ただいま、お腹すいたでしょ」
「うん、めっちゃ」
「ちょいまち」
そう言って母はちゃっちゃかと料理の支度を始め、ちょうど出来上がる頃に年季の入ったスーツ姿の父親が帰ってきた。
「あなた、おかえり」
「あぁ」
父はそれだけ言うと、ジャケットとネクタイだけを脱いで、食卓を囲んだ。晩御飯はトンカツだった。

妹のご飯の面倒を見ながら食事をする母親、仕事で疲れているのだろうか、やけに口数が少ない父親、他愛もない話を続ける自分。

なんだ、至って普通に幸せな家庭じゃないか。
お金は無いかもしれないが、自分にとっては十分すぎるくらいこの空間が幸せに感じた。
その日はそのままお風呂に入って、自分も疲れていたのだろうか、すぐ眠りについてしまった。

「咲太ー!いつまで寝てるのー!」
そんな大きな声で言わなくてもほぼ隣にいるんだから聞こえてるって。
眠い目を擦りつつ布団から体を起こすと、すでに机には朝食が並べられていた。
「ほら、さっさと食べちゃって」
「またトースト?」
気づけばそう口を開いていた。
なぜだかは分からないが自分はこの母親のトーストがここ数日の間ずっと、朝食として出て来ている覚えがあった。
「嫌なら食べなくていいのよ」
後で私が食べるから、と続ける母親。
しかしそうは言われても腹は減っているため、嫌々ながらもトーストを口に運ぶ。
するとまた母は口を開き、
「それに仕方ないでしょ、隣の竹林たけばやしさんからたくさん食パン貰ったんだから。なんならおかわりしてもいいのよ?」
どんだけ貰ったんだよ。
数日かけても食べきれないほどのパンを与えてくるとは、ある意味一種の嫌がらせなのではないのだろうか。
そんなことを考えていると、ある疑問が頭に浮かんだ。
「そういえば、なんでトーストなの?」
「どういうこと?」
キョトンとした顔をしつつ、自分と同じようにトーストを口に運ぶ母親。
「例えばサンドイッチとか、フレンチトーストとか作れば飽きずに済むのになって」
「あんた、分かってないね」
「なにが?」
呆れたような、しかし嘲笑うかのような表情の母親はただ一言だけこう言った。

「愛よ」

「は?」
意味が分からなかった。
「愛よ」
いや聞こえなかったんじゃなくて。
「私のトーストには、愛が詰まっているから」
「説明されても分かんないから、あとトーストの愛ってなんだよ」
「言葉通りの意味よ」
「ドヤ顔で答えるな、当たり前のように言うな」
なんなんだこの人は。
朝からすごい疲労感だ。
「あ、今こいつ面倒くさって思ったでしょ」
「別に」
「じゃあなんでそんな食べるスピードが早くなるのよ」
「行ってきまーす」
ちょっと咲太、と聞こえてくる母の言葉を無視して、ドアノブに手をかけた瞬間、
「行ってらっしゃい」
優しい口調でそう言う母に自分は、「うん」とだけ答え、自宅を後にした。
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