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16:黒衣の未亡人
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…え?私、もしかして、生きてちゃマズかった?
フランシーヌ様の鬼気迫る質問に、私は目を瞬かせた。フランシーヌ様は私の戸惑いに構わず、私の体を揺さぶりながら喚くように答える。
「あなたが噛まれたのは、ワイトじゃないわ!ワイトは例外なく灰色!漆黒は、黒衣の未亡人!不死王に次いで恐ろしい、この世に三体しかいない魂喰らい!そんなのに噛まれたら、誰だって即死するわ!私だって無理!カサンドラ姉様だって、きっと一日持たない!だいたい、あなた、いつ噛まれたのよ!?」
「えっと、かれこれ4年前…」
「4年んんんんんんっ!?」
フランシーヌ様が眦を上げ、歯を剥く。フランシーヌ様、怖い怖い怖い!
「あなた!そんな傷を4年も放っておいたのっ!?」
「あ、いえ、放ってないですよ。ちゃんと毎日薬塗っていましたから」
「薬って何をっ!?」
「塩」
「塩ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
フランシーヌ様の顔が真っ赤になり、頬を膨らませて私を睨みつけた。だからフランシーヌ様、怖いって!
「あなたねぇ!魂喰らいの瘴気が塩で祓えたら、聖女なんて要らないわよっ!そんなの塗っても、何の意味もないわっ!」
「い、いえ、そんな事ないですよ?以前は右肩真っ黒でしたけど、ここまで痣が引きましたから」
「嘘ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
フランシーヌ様の顎がガクンと下がり、あんぐりと口を開けて固まっている。せ、聖女の威厳が…。
と思っていたら、フランシーヌ様が再起動した。
「…そ、そうだっ!それで黒衣の未亡人は、どうしたの!?あなたを襲った後、何処行ったの!?」
「え?…噛まれた時に、相討ちで倒しちゃいましたけど…」
「倒したぁぁぁぁぁぁぁっ!?どどど、どうやって!?」
「えっと、この短剣でプスっと」
私はそう答えながら腰の後ろに括り付けられた短剣を左手で引き抜き、逆手のままフランシーヌ様の前に差し出す。私は短剣を凝視するフランシーヌ様に、由来を説明した。
「祖母の形見です。アンデッド特効が付いていたみたいで、一撃でした」
「ちょ、ちょっと見せてくれるかしら?」
「ええ、どうぞ」
私は左手の上で短剣を回転させ、フランシーヌ様に柄を差し出す。フランシーヌ様は短剣を受け取ると小物入れから片眼鏡を取り出し、右目に掛けながらブツブツと呟いた。
「本当に魂喰らいを一撃なら、神器級だわね…」
椅子に腰を下ろし、テーブルに置いた短剣をまじまじと観察するフランシーヌ様の様子を、私と旦那様達の四人が見守る。すると前屈みになってテーブルの上に身を乗り出していたフランシーヌ様の体がピクリと跳ね、そのまま動きを止めた。
「リュシーさん…」
やがてフランシーヌ様が頭を上げ、私へと振り返る。その顔には、驚愕の表情が張り付いていた。
「…これ、只の短剣よ…?」
「…え?でも、確かにこの短剣で…」
「リュシーさん!」
目の前で起きた出来事を否定され、反論しようとした私の言葉を、フランシーヌ様が遮った。彼女は身を乗り出して私の左手を取ると、私の目を真っすぐに見つめ、興奮しながら訴えた。
「違うのっ!リュシーさん、あなたを疑っているわけじゃないの!あなた、自力で魂喰らいを倒しているのよ!私でも倒せない、この国で唯一カサンドラ姉様だけが対抗できる魂喰らいを、しかも一撃で!その上、私の浄化魔法でも手に負えない瘴気に生身で抵抗し、只の塩で治しているのよっ!?
――― 断言する!あなた、私以上に聖女の力があるわっ!」
「…え?で、でも、私、只の平民ですよ?両親だって単なる商人だったし、聖気なんて使えるわけが…」
興奮気味のフランシーヌ様に詰め寄られ、私はしどろもどろで答えた。魔法や聖気といった力はほとんどが先祖から受け継がれるもので、確かに突然変異で発現する事もあるが、大抵微弱なものに留まる。聖女クラスとなると先祖に優秀な治癒師が居るはずだが、私は両親からそんな話を聞いた事がなかった。私は戸惑いを覚えながらフランシーヌ様を宥めていると、横から第三者の声が割り込んだ。
「――― ネリー・オランド」
「…え?」
顔を上げると、旦那様が立ち上がったまま、私の顔を見つめていた。その、普段は穏やかな瞳に決意の光を湛え、綺麗に切り揃えられた口髭が震えている。
「…君の、祖母の名だ。君のお祖母さんは30年以上前、この国で唯一のS級ハンターだった。死に瀕した私の傷を回復させるほどの、優秀な治癒師だったよ…」
そう答えた旦那様は右手を上げ、テーブルの上に置かれた短剣を指し示す。
「…その短剣は、君のお祖母さんの、『触媒』だ」
「…旦那様は…祖母を、ご存知なのですか…?」
「ああ」
父母からも名前しか聞いた事のなかった祖母の存在が突然目の前に現れ、私は声を震わせる。旦那様は一つ静かに頷くと、フランシーヌ様に目を向けた。
「君のお祖母さんの話は、また後にしよう。…今は、君の治療が先だ」
「そうよ!その通りよ!」
旦那様の言葉にフランシーヌ様が答え、後ろを向いてテーブルの上の短剣へと飛び付いた。彼女は短剣を掴んで私へと振り返ると、短剣を両手の上に載せて差し出す。
「私は、神聖魔法を発動させる時に錫杖を使うの。カサンドラ姉様も、長い錫杖を常に手にしているわ。魔術師も聖職者も同じ。皆何かしらの『触媒』を通じて、魔法を発動させているの。
あなたの『触媒』はきっと、この短剣なのよ。私には、黒衣の未亡人の瘴気は浄化できない。だけど、あなたが『触媒』を使えば、きっと浄化できる。
…リュシーさん。あなたの傷は、あなた自身で治しなさい!」
「…じ、自分で治せって言われても、どうやって魔法を発動させればいいのか、私にはとんと…」
私はフランシーヌ様の言葉に困惑しながら、彼女の手から短剣を受け取る。私は祖母と一度も会った事がないし、祖母がどうやって魔法を発動させていたかも知らない。私が短剣を左手で掴んだまま、助けを求めフランシーヌ様に目を向けると、彼女は秀麗な眉を下げ、申し訳なさそうに答えた。
「…こればっかりは、発動に必要な祝詞を、自分で見つけ出すしかないのよ。とりあえず、私や多くの聖職者が唱えている≪聖浄≫の祝詞を試してみましょうか。まず、患部に触媒を添えて…」
「ちょ、ちょっと見えないんですけど、どの辺りですか?」
「もうちょっと左…あ、ちょっと下…」
「こ、この辺かな?…痛っ」
私はフランシーヌ様の指示に従い鎖骨付近に短剣の刃を添えようとするが、視界から外れて目標が定まらない。フランシーヌ様が手を添えていた事もあって力加減を誤り、思わず鎖骨の傷に短剣を突き刺してしまう。
じゅぅぅぅ。
途端、右肩に灼けるような痛みが走り、私は思わす顔を顰め、悲鳴を上げた。
「うっ!?うああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「っ!?リュシーさん、傷がっ!」
「う、うぅぅぅ…え?」
短剣を肩から離し、痛みに顔を顰めながら顔を上げると、フランシーヌ様が両手で口を押さえながら、目を見開いている。フランシーヌ様の視線に釣られて右肩に目を向けると、視界の下端から白煙が立ち昇っているのが見えた。首を引き、何とか傷口を視界に納めようとする私に、フランシーヌ様の質問が飛んだ。
「…リュシーさん、今、何か唱えた?」
「え?いえ、何も」
「…嘘でしょ…魔法付与装身具もなしに無詠唱だなんて、ありえない…」
フランシーヌ様の呆然とした言葉が部屋の中を漂うが、私は右肩の様子が気になって仕方ない。すると突然私は後ろから左肩を掴まれて引かれ、気づけば椅子の上に腰を下ろしていた。視界に影が差し、顔を上げると、坊ちゃんの横顔が間近に浮かび上がる。
「…坊ちゃん?」
「…突き刺した場所を中心に浄化が進み、黒い痣の中に白い穴が空いている。このまま続ければ、全て剥がせそうだ」
坊ちゃんが背後から身を乗り出し、肩越しに私の傷口を覗き込んでいた。その、マリアンヌ様の血を色濃く受け継ぎつつも、そこはかとなく旦那様の面影を見せる坊ちゃんの横顔に、私はしばしの間見惚れる。
…坊ちゃん、色っぽくなったなぁ…。
すると、坊ちゃんは少しだけ顔を動かし、横目で私の目を見た。
「うぇっ!?」
やべ、変な声出ちゃった。私はずっと坊ちゃんの横顔を見つめていた事に今更気づき、仰け反ってしまう。私は自分の慌てぶりに内心で動揺しながら、顔を赤らめ、しどろもどろで尋ねた。
「なっ!?ななな、何でしょう!?」
「――― なぁ。俺にも、手伝わせてくれないか?」
「…え?」
私が仰け反ったまま目を瞬かせると、坊ちゃんは視線を戻し、傷口を見つめながら唇を噛む。
「…この傷は、俺が付けたようなものだ。何の役にも立たない俺だけど、少しでもお前の力になりたい。傷の位置は、俺が教える。だから、頼む。…手伝わせてくれ」
「坊ちゃん…」
坊ちゃん、意地っ張りだからなぁ…。
私は、私と視線を合わせようとせず、背後から傷口を見下ろしたまま思い詰める坊ちゃんの横顔をまじまじと眺めた。こうなったら、坊ちゃんはてこでも動かない。私は諦めたように溜息をつき、短剣を逆手に持って右肩の前に掲げる。すると、私の左肩に坊ちゃんの左手が添えられ、背後から伸びてきた坊ちゃんの右手が、短剣を持つ私の左手を包み込んだ。私は小っ恥ずかしさと嬉しさで体温を上げ、思わず坊ちゃんの耳元に顔を寄せると、からかうように甘く囁いた。
「それじゃ、お願いしますね?」
「任せとけ」
坊ちゃん、声が上ずってますよ?私も人の事、言えないけど。
自分のやらかした行為を思い出して顔が赤くなり、マリアンヌ様の生暖かい視線を頬に受けながら、私と坊ちゃんの二人の短剣が右肩へと近づき、切っ先が傷口に触れる。
じゅぅぅぅぅ。
「うぁ、あっ!ああああああああああああっ!」
「リュシー!?」
「リュシーさん、しっかり!」
私の悲鳴を聞いたマリアンヌ様とフランシーヌ様が身を乗り出し、心配そうな面持ちで私を見守る。しかし、私はそんな事に気づきもせず、ただただ右肩から全身へと駆け巡る激痛に悲鳴を上げた。短剣を引き抜こうとしても、左手はがっちりと固定され、動かせない。体を引こうとしても左肩を押さえつけられ、逃げられない。私は椅子に座り、左手で持った短剣を右肩に突き刺したまま身を捩り、喚き続けた。
ぅぅぅぅぅ…ぅ…。
「ああああああぁあぁぁあぁぁぁっ!…あぁぁ…ぁ…」
「リュシー、しっかりなさい!」
「…リュシーさん、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
やがて右肩から流れていた肉の焼けるような音が途絶えると、肩の痛みが急速に引いて行く。坊ちゃんの手によって短剣の切っ先が右肩から離れると、私は椅子に座ったままがっくりと項垂れ、荒い呼吸を繰り返した。マリアンヌ様とフランシーヌ様が身を乗り出し、旦那様が立ち尽くしたまま唇を噛んでいるのにも気づかず、私は喘ぐように深呼吸を続け、肺に酸素を送り込んでいく。耳元で坊ちゃんの声が聞こえた。
「歯形が一つ消滅した。残りは11箇所。…どうする?明日にするか?」
「はぁ、はぁ、はぁ…だ、大丈夫です。もう少し息を整えたら…」
「分かった」
「リュシー、無理しなくて好いからね?」
目を閉じ、ひたすら息を整える私の暗黒の世界に、坊ちゃんとマリアンヌ様の声が木霊する。私は二人の声に曖昧に答えながら覚悟を決め、最後に大きく息を吸い込むと背筋を伸ばした。
「…行きます」
じゅぅぅぅぅ。
「あっ!?あああああああああああぁっ!」
***
「…これで最後だ。行くぞ」
じゅぅぅぅぅ。
「あぁあああっ!ああ…ああぁあぁぁぁ…」
「女神よ、儚き者に命の水を恵み、生きる力を分け与え給え。≪生命力回復≫」
永遠に思われた痛みは、けれど、実際は1時間ちょっとだと思う。私は椅子に座ったまま、ただひたすら坊ちゃんの誘いに身を任せ、短剣で右肩を刺し続けた。すでに私の悲鳴は力を失い喘ぐように尾を引き、フランシーヌ様はひたすら私に生命力を注ぎ込む。
ぅぅぅぅぅ…ぅ…。
「あああぁぁ…ぁあ…ぁぁ…」
「…終わった」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
坊ちゃんの言葉に答える余裕もなく、私は椅子の上で崩れ落ち、がっくりと項垂れたまま荒い呼吸を繰り返した。左手が坊ちゃんの拘束から逃れ、肘掛けの上に落ちる。形見の短剣が掌から零れ、絨毯に突き刺さった。
「…リュシー。顔を上げてくれるかしら?」
…え?
暗黒の世界に女性の声が漂い、私は背もたれに体を預けるように身を起こし、薄っすらと目を開けた。いつもより視野の狭い、霞がかった世界にマリアンヌ様の顔が浮かび上がる。
マリアンヌ様はにこやかな笑顔を浮かべていたけど、その目は真っ赤で、頬には化粧の流れた筋が幾つも残っていた。マリアンヌ様が眉間に皴を寄せ、瞼を震わせながら、精一杯笑っている。
「ほら、見てご覧なさい。染み一つ残ってないわ…とっても綺麗よ…」
「…ぁ…」
マリアンヌ様の笑顔の隣には鏡があって、そこには椅子に座る私の姿が映し出されていた。その姿は力なく、髪の毛はボサボサで衣服も乱れていたけれど、露わになった右肩には染み一つなく、薄っすらと赤みを帯びた白い平原が広がっていた。私は、鏡に映るだらしない自分と、それを取り囲んで笑顔を浮かべる旦那様達の姿をぼんやりと眺める。
「…ぁ…りが…と…」
私が言い切らないうちに体が上空に浮き上がり、私は誰かによって横抱きに抱えられた。力なく傾いた頭が固い胸板に当たり、馴染み深い男性の匂いが鼻腔をくすぐる。
…この匂いは…坊ちゃん…かな…。
暗闇の中でアタリをつけた私は意識を手放し、心地良い浮遊感の中で深い眠りへと落ちていった。
フランシーヌ様の鬼気迫る質問に、私は目を瞬かせた。フランシーヌ様は私の戸惑いに構わず、私の体を揺さぶりながら喚くように答える。
「あなたが噛まれたのは、ワイトじゃないわ!ワイトは例外なく灰色!漆黒は、黒衣の未亡人!不死王に次いで恐ろしい、この世に三体しかいない魂喰らい!そんなのに噛まれたら、誰だって即死するわ!私だって無理!カサンドラ姉様だって、きっと一日持たない!だいたい、あなた、いつ噛まれたのよ!?」
「えっと、かれこれ4年前…」
「4年んんんんんんっ!?」
フランシーヌ様が眦を上げ、歯を剥く。フランシーヌ様、怖い怖い怖い!
「あなた!そんな傷を4年も放っておいたのっ!?」
「あ、いえ、放ってないですよ。ちゃんと毎日薬塗っていましたから」
「薬って何をっ!?」
「塩」
「塩ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
フランシーヌ様の顔が真っ赤になり、頬を膨らませて私を睨みつけた。だからフランシーヌ様、怖いって!
「あなたねぇ!魂喰らいの瘴気が塩で祓えたら、聖女なんて要らないわよっ!そんなの塗っても、何の意味もないわっ!」
「い、いえ、そんな事ないですよ?以前は右肩真っ黒でしたけど、ここまで痣が引きましたから」
「嘘ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
フランシーヌ様の顎がガクンと下がり、あんぐりと口を開けて固まっている。せ、聖女の威厳が…。
と思っていたら、フランシーヌ様が再起動した。
「…そ、そうだっ!それで黒衣の未亡人は、どうしたの!?あなたを襲った後、何処行ったの!?」
「え?…噛まれた時に、相討ちで倒しちゃいましたけど…」
「倒したぁぁぁぁぁぁぁっ!?どどど、どうやって!?」
「えっと、この短剣でプスっと」
私はそう答えながら腰の後ろに括り付けられた短剣を左手で引き抜き、逆手のままフランシーヌ様の前に差し出す。私は短剣を凝視するフランシーヌ様に、由来を説明した。
「祖母の形見です。アンデッド特効が付いていたみたいで、一撃でした」
「ちょ、ちょっと見せてくれるかしら?」
「ええ、どうぞ」
私は左手の上で短剣を回転させ、フランシーヌ様に柄を差し出す。フランシーヌ様は短剣を受け取ると小物入れから片眼鏡を取り出し、右目に掛けながらブツブツと呟いた。
「本当に魂喰らいを一撃なら、神器級だわね…」
椅子に腰を下ろし、テーブルに置いた短剣をまじまじと観察するフランシーヌ様の様子を、私と旦那様達の四人が見守る。すると前屈みになってテーブルの上に身を乗り出していたフランシーヌ様の体がピクリと跳ね、そのまま動きを止めた。
「リュシーさん…」
やがてフランシーヌ様が頭を上げ、私へと振り返る。その顔には、驚愕の表情が張り付いていた。
「…これ、只の短剣よ…?」
「…え?でも、確かにこの短剣で…」
「リュシーさん!」
目の前で起きた出来事を否定され、反論しようとした私の言葉を、フランシーヌ様が遮った。彼女は身を乗り出して私の左手を取ると、私の目を真っすぐに見つめ、興奮しながら訴えた。
「違うのっ!リュシーさん、あなたを疑っているわけじゃないの!あなた、自力で魂喰らいを倒しているのよ!私でも倒せない、この国で唯一カサンドラ姉様だけが対抗できる魂喰らいを、しかも一撃で!その上、私の浄化魔法でも手に負えない瘴気に生身で抵抗し、只の塩で治しているのよっ!?
――― 断言する!あなた、私以上に聖女の力があるわっ!」
「…え?で、でも、私、只の平民ですよ?両親だって単なる商人だったし、聖気なんて使えるわけが…」
興奮気味のフランシーヌ様に詰め寄られ、私はしどろもどろで答えた。魔法や聖気といった力はほとんどが先祖から受け継がれるもので、確かに突然変異で発現する事もあるが、大抵微弱なものに留まる。聖女クラスとなると先祖に優秀な治癒師が居るはずだが、私は両親からそんな話を聞いた事がなかった。私は戸惑いを覚えながらフランシーヌ様を宥めていると、横から第三者の声が割り込んだ。
「――― ネリー・オランド」
「…え?」
顔を上げると、旦那様が立ち上がったまま、私の顔を見つめていた。その、普段は穏やかな瞳に決意の光を湛え、綺麗に切り揃えられた口髭が震えている。
「…君の、祖母の名だ。君のお祖母さんは30年以上前、この国で唯一のS級ハンターだった。死に瀕した私の傷を回復させるほどの、優秀な治癒師だったよ…」
そう答えた旦那様は右手を上げ、テーブルの上に置かれた短剣を指し示す。
「…その短剣は、君のお祖母さんの、『触媒』だ」
「…旦那様は…祖母を、ご存知なのですか…?」
「ああ」
父母からも名前しか聞いた事のなかった祖母の存在が突然目の前に現れ、私は声を震わせる。旦那様は一つ静かに頷くと、フランシーヌ様に目を向けた。
「君のお祖母さんの話は、また後にしよう。…今は、君の治療が先だ」
「そうよ!その通りよ!」
旦那様の言葉にフランシーヌ様が答え、後ろを向いてテーブルの上の短剣へと飛び付いた。彼女は短剣を掴んで私へと振り返ると、短剣を両手の上に載せて差し出す。
「私は、神聖魔法を発動させる時に錫杖を使うの。カサンドラ姉様も、長い錫杖を常に手にしているわ。魔術師も聖職者も同じ。皆何かしらの『触媒』を通じて、魔法を発動させているの。
あなたの『触媒』はきっと、この短剣なのよ。私には、黒衣の未亡人の瘴気は浄化できない。だけど、あなたが『触媒』を使えば、きっと浄化できる。
…リュシーさん。あなたの傷は、あなた自身で治しなさい!」
「…じ、自分で治せって言われても、どうやって魔法を発動させればいいのか、私にはとんと…」
私はフランシーヌ様の言葉に困惑しながら、彼女の手から短剣を受け取る。私は祖母と一度も会った事がないし、祖母がどうやって魔法を発動させていたかも知らない。私が短剣を左手で掴んだまま、助けを求めフランシーヌ様に目を向けると、彼女は秀麗な眉を下げ、申し訳なさそうに答えた。
「…こればっかりは、発動に必要な祝詞を、自分で見つけ出すしかないのよ。とりあえず、私や多くの聖職者が唱えている≪聖浄≫の祝詞を試してみましょうか。まず、患部に触媒を添えて…」
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「もうちょっと左…あ、ちょっと下…」
「こ、この辺かな?…痛っ」
私はフランシーヌ様の指示に従い鎖骨付近に短剣の刃を添えようとするが、視界から外れて目標が定まらない。フランシーヌ様が手を添えていた事もあって力加減を誤り、思わず鎖骨の傷に短剣を突き刺してしまう。
じゅぅぅぅ。
途端、右肩に灼けるような痛みが走り、私は思わす顔を顰め、悲鳴を上げた。
「うっ!?うああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「っ!?リュシーさん、傷がっ!」
「う、うぅぅぅ…え?」
短剣を肩から離し、痛みに顔を顰めながら顔を上げると、フランシーヌ様が両手で口を押さえながら、目を見開いている。フランシーヌ様の視線に釣られて右肩に目を向けると、視界の下端から白煙が立ち昇っているのが見えた。首を引き、何とか傷口を視界に納めようとする私に、フランシーヌ様の質問が飛んだ。
「…リュシーさん、今、何か唱えた?」
「え?いえ、何も」
「…嘘でしょ…魔法付与装身具もなしに無詠唱だなんて、ありえない…」
フランシーヌ様の呆然とした言葉が部屋の中を漂うが、私は右肩の様子が気になって仕方ない。すると突然私は後ろから左肩を掴まれて引かれ、気づけば椅子の上に腰を下ろしていた。視界に影が差し、顔を上げると、坊ちゃんの横顔が間近に浮かび上がる。
「…坊ちゃん?」
「…突き刺した場所を中心に浄化が進み、黒い痣の中に白い穴が空いている。このまま続ければ、全て剥がせそうだ」
坊ちゃんが背後から身を乗り出し、肩越しに私の傷口を覗き込んでいた。その、マリアンヌ様の血を色濃く受け継ぎつつも、そこはかとなく旦那様の面影を見せる坊ちゃんの横顔に、私はしばしの間見惚れる。
…坊ちゃん、色っぽくなったなぁ…。
すると、坊ちゃんは少しだけ顔を動かし、横目で私の目を見た。
「うぇっ!?」
やべ、変な声出ちゃった。私はずっと坊ちゃんの横顔を見つめていた事に今更気づき、仰け反ってしまう。私は自分の慌てぶりに内心で動揺しながら、顔を赤らめ、しどろもどろで尋ねた。
「なっ!?ななな、何でしょう!?」
「――― なぁ。俺にも、手伝わせてくれないか?」
「…え?」
私が仰け反ったまま目を瞬かせると、坊ちゃんは視線を戻し、傷口を見つめながら唇を噛む。
「…この傷は、俺が付けたようなものだ。何の役にも立たない俺だけど、少しでもお前の力になりたい。傷の位置は、俺が教える。だから、頼む。…手伝わせてくれ」
「坊ちゃん…」
坊ちゃん、意地っ張りだからなぁ…。
私は、私と視線を合わせようとせず、背後から傷口を見下ろしたまま思い詰める坊ちゃんの横顔をまじまじと眺めた。こうなったら、坊ちゃんはてこでも動かない。私は諦めたように溜息をつき、短剣を逆手に持って右肩の前に掲げる。すると、私の左肩に坊ちゃんの左手が添えられ、背後から伸びてきた坊ちゃんの右手が、短剣を持つ私の左手を包み込んだ。私は小っ恥ずかしさと嬉しさで体温を上げ、思わず坊ちゃんの耳元に顔を寄せると、からかうように甘く囁いた。
「それじゃ、お願いしますね?」
「任せとけ」
坊ちゃん、声が上ずってますよ?私も人の事、言えないけど。
自分のやらかした行為を思い出して顔が赤くなり、マリアンヌ様の生暖かい視線を頬に受けながら、私と坊ちゃんの二人の短剣が右肩へと近づき、切っ先が傷口に触れる。
じゅぅぅぅぅ。
「うぁ、あっ!ああああああああああああっ!」
「リュシー!?」
「リュシーさん、しっかり!」
私の悲鳴を聞いたマリアンヌ様とフランシーヌ様が身を乗り出し、心配そうな面持ちで私を見守る。しかし、私はそんな事に気づきもせず、ただただ右肩から全身へと駆け巡る激痛に悲鳴を上げた。短剣を引き抜こうとしても、左手はがっちりと固定され、動かせない。体を引こうとしても左肩を押さえつけられ、逃げられない。私は椅子に座り、左手で持った短剣を右肩に突き刺したまま身を捩り、喚き続けた。
ぅぅぅぅぅ…ぅ…。
「ああああああぁあぁぁあぁぁぁっ!…あぁぁ…ぁ…」
「リュシー、しっかりなさい!」
「…リュシーさん、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
やがて右肩から流れていた肉の焼けるような音が途絶えると、肩の痛みが急速に引いて行く。坊ちゃんの手によって短剣の切っ先が右肩から離れると、私は椅子に座ったままがっくりと項垂れ、荒い呼吸を繰り返した。マリアンヌ様とフランシーヌ様が身を乗り出し、旦那様が立ち尽くしたまま唇を噛んでいるのにも気づかず、私は喘ぐように深呼吸を続け、肺に酸素を送り込んでいく。耳元で坊ちゃんの声が聞こえた。
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「はぁ、はぁ、はぁ…だ、大丈夫です。もう少し息を整えたら…」
「分かった」
「リュシー、無理しなくて好いからね?」
目を閉じ、ひたすら息を整える私の暗黒の世界に、坊ちゃんとマリアンヌ様の声が木霊する。私は二人の声に曖昧に答えながら覚悟を決め、最後に大きく息を吸い込むと背筋を伸ばした。
「…行きます」
じゅぅぅぅぅ。
「あっ!?あああああああああああぁっ!」
***
「…これで最後だ。行くぞ」
じゅぅぅぅぅ。
「あぁあああっ!ああ…ああぁあぁぁぁ…」
「女神よ、儚き者に命の水を恵み、生きる力を分け与え給え。≪生命力回復≫」
永遠に思われた痛みは、けれど、実際は1時間ちょっとだと思う。私は椅子に座ったまま、ただひたすら坊ちゃんの誘いに身を任せ、短剣で右肩を刺し続けた。すでに私の悲鳴は力を失い喘ぐように尾を引き、フランシーヌ様はひたすら私に生命力を注ぎ込む。
ぅぅぅぅぅ…ぅ…。
「あああぁぁ…ぁあ…ぁぁ…」
「…終わった」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
坊ちゃんの言葉に答える余裕もなく、私は椅子の上で崩れ落ち、がっくりと項垂れたまま荒い呼吸を繰り返した。左手が坊ちゃんの拘束から逃れ、肘掛けの上に落ちる。形見の短剣が掌から零れ、絨毯に突き刺さった。
「…リュシー。顔を上げてくれるかしら?」
…え?
暗黒の世界に女性の声が漂い、私は背もたれに体を預けるように身を起こし、薄っすらと目を開けた。いつもより視野の狭い、霞がかった世界にマリアンヌ様の顔が浮かび上がる。
マリアンヌ様はにこやかな笑顔を浮かべていたけど、その目は真っ赤で、頬には化粧の流れた筋が幾つも残っていた。マリアンヌ様が眉間に皴を寄せ、瞼を震わせながら、精一杯笑っている。
「ほら、見てご覧なさい。染み一つ残ってないわ…とっても綺麗よ…」
「…ぁ…」
マリアンヌ様の笑顔の隣には鏡があって、そこには椅子に座る私の姿が映し出されていた。その姿は力なく、髪の毛はボサボサで衣服も乱れていたけれど、露わになった右肩には染み一つなく、薄っすらと赤みを帯びた白い平原が広がっていた。私は、鏡に映るだらしない自分と、それを取り囲んで笑顔を浮かべる旦那様達の姿をぼんやりと眺める。
「…ぁ…りが…と…」
私が言い切らないうちに体が上空に浮き上がり、私は誰かによって横抱きに抱えられた。力なく傾いた頭が固い胸板に当たり、馴染み深い男性の匂いが鼻腔をくすぐる。
…この匂いは…坊ちゃん…かな…。
暗闇の中でアタリをつけた私は意識を手放し、心地良い浮遊感の中で深い眠りへと落ちていった。
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