失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第1章 召喚

3:謁見

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 オークで拵えられた重厚な執務机の上で、3本の指が音もなく交互に跳ねる。その動きはお世辞にもリズミカルとは言えず、むしろぎこちなさを感じるのは、その手が持ち主の利き腕ではないからだ。また、持ち主にもリズミカルに動かそうとする意志が感じられない。

 教会にあてがわれた部屋の中で、柊也は執務椅子に座り、ぼんやりと窓の外を眺める。日はすでに高く上り、日差しは柊也の所まで届かない。

 この世界に召喚されて今日で4日目。しかし柊也はまだ、心の整理ができないままでいた。



 ***

 小一時間、同じ姿勢で机を小突いていた柊也だが、扉が二度ノックされるのを聞くと、指を止め、扉に顔を向ける。

「どうぞ」

 意識して声を出したから、違和感はないはずだ。

「先輩、入っていいですか?」

 ドアノブの脇から美香が顔を出す。

「ああ、もちろん」

 努めて明るく返事をした柊也だったが、部屋に入った美香の姿を見て、思わず本心から感嘆の声を漏らした。

「へぇ…すごいな、似合っているじゃないか」
「えへへへ、そうでしょ?眼福ものでしょ?」
「眼福って、おまえな…」

 肩から袖口にかけて緩やかな曲線を描く白のブラウスの上に紺のニットベストを羽織り、同じ紺のロングスカートを履いた美香が、オヤジめいた発言をしながら、両手を広げターンを決める。袖口の白とスカートの紺が、綺麗な円を描いた。袖口に施された赤と黄色の刺繍と、胸元を飾る色とりどりの天然石が、華を添えている。

「修道女さんが用意してくれたんですよ。いよいよ明日、謁見ですからね」
「そうか、もう明日か」

 そう。明日、エーデルシュタイン国王 ヘンリック2世への謁見が予定されているのだ。

「本物の王様なんて、早々会えるものじゃないですからね。やっぱ映画みたいに美丈夫か、またはサンタクロースみたいな髭してるんですかね?」

 両手を組んで天井を見上げ、他人が聞けば不敬罪に問われかねない発言をする美香を見て、柊也は呆れたようにため息をつく。そして内心で、もう一度ため息をついた。

 ――ああ、やっぱり気を遣わせているな。

 4日。突然右腕を奪われ、これまでの生活を失った男にとっては、あまりにも短すぎる時間。美香はそれを知っているからこそ、彼女らしからぬ軽薄な行動をして、柊也の気を紛らわせていた。

 そして柊也はそれに気づいているからこそ、美香の前で取り乱しはしない。これまでの生活を失ったのは、美香も同じだ。2歳年下の、頭一つ背の低い女の子に対する、柊也の見栄だった。

「…先輩」

 美香が両手を組んだまま、柊也に顔を向ける。柊也はそこに、これまでの軽薄さが一切感じられない、真剣な眼差しを見つける。

「…私、フランチェスコさんの話に乗ってみようかと思います」
「…そうか」
「フランチェスコさんの話が正しいのかどうか、私にはわかりません。ただ、彼が私にできると言った事は、事実だろうと考えています。
 この世界がどうなっているのか、まだ私達には全くわかっていません。であれば、今私ができる事をする事で知識を得て、その積み重ねでこの世界を知る。それから次の事を考えたいと思います」
「そうか」
「ただ私、頭悪いんですよ。馬鹿なんで。考えるの苦手なんです。だから先輩、私の代わりにいろいろ考えてくれませんか?先輩、読書好きで雑学とかよく知ってましたよね?こういう時、幅広く物事を知っていると、思考が柔軟になりますから。私に色々教えて下さい」
「そうだな。おまえ、どちらかというと、脳筋だもんな」
「酷いっ!こんな可愛い女の子を捕まえて。先輩はまず、デリカシーってものを覚えた方がいいですね」

 嘘つけ。政治学科なんてハナから眠くなるような学科に入る人間が、頭悪いわけがない。柊也は内心で悪態をつく。

 これも美香の気遣い。利き腕を失い、何の能力も得られなかった柊也に対し、居場所を提示したのだ。参謀。智者。二人がこの世界で生きていくための役割分担。

 それに美香の考えは、行動の制限された現時点では最適に近い、というかそれ以外に手がない。最善手を指すためには、まず地固めと情報収集。決定的な行動は、その後で考える。

 膨れっ面のままクルクル回転する美香を見ながら、柊也はそう結論付け、彼女の提案に乗る事にした。



 ***

 ところどころに配された灯りが、バロック様式の石柱を淡く染め上げる。意図的に抑えられた照明が、謁見場の荘重さを一層引き立てていた。

 両側に立ち並ぶ多数の貴族、騎士が見守る中、二人はゆっくりとした歩みで玉座の前に進む。階段下まで進むと片膝を折り、首を垂れた。

「畏まらずともよい。そなたらは余の臣下ではないのだからな」

 頭上からややかすれ気味の声が降り注ぎ、柊也は顔を上げる。

「恐れ入ります。不肖の身でありながら陛下の拝謁を賜り、恐悦至極に存じます」

 いくら本人から寛大な言葉を得たとしても、礼を欠くわけにはいかない。ここは、いうなれば「虎穴」。今は得るべき「虎児」がいない以上、無傷で引き上げる事を最優先に考える。

 エーデルシュタイン第63代国王 ヘンリック2世は52歳と聞いていたが、見た目は60を越えているように見える。最近は病いに伏せる事も多く、それが影響を及ぼしているようだ。

 玉座に坐するヘンリック2世の両脇には、王太子リヒャルト、第2王子クリストフが、一段控えて並び立つ。30歳と28歳の兄弟は、体調を崩しがちのヘンリック2世を補佐し、昨今は国王に代わり政務を執る事も多い。

「猊下からお話を伺っておろうが、現在人族は、エルフ、獣人達とともにロザリア様の下に糾合し、ガリエルとの激しい戦いのさなかにある。二人は、ロザリア様の覚えを得てこの世界に召喚された、我々の希望だ。是非その力を我々にお貸し願いたい。さすれば、必ずやガリエルの息の根を止め、この世界に平和をもたらす事ができるであろう。そのためには、我が国も助力を惜しまないつもりだ」
「過分なご高配を賜り、光栄に存じます。今はまだ、この地に降り立ってから日も浅い若輩者でしかございませんが、ご厚情の暁には必ずや恩義に報いるべく、活躍をいたしましょう」
「期待しておるぞ」

 こうして二人は、王家の庇護の下、知識と力を蓄える時間を確保した。
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