失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第4章 北伐

60:天からの厄災

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 ロザリアの第4月2日、セント=ヌーヴェル北伐軍は、集合地点に定められた湿原の北西に姿を現した。

 回廊を抜けた後の森の中は魔物が蔓延り、北伐軍は何度も魔物の襲撃を受ける。ただ、その多くはガルムやバシリスクであり、数もそう多くないため、北伐軍はほとんど損害を受けずに進軍をする事ができた。途中、千人規模のリザードマンの集落にぶつかったのが最大の障害だったが、北伐軍は25,000を数えていたため、時間のロスと100名規模の死傷者が出ただけで、壊滅に追い込む事に成功した。

 こうして湿原に姿を現した北伐軍だったが、ここで意図しない遭遇戦に見舞われる。

「\\×□&!」
「うおおおおおおおおおおおっ!」
「〇□××\ $$%〇!」
「くそぉ!ハヌマーンどもめ、死ね!死にやがれ!」

 人語とハヌマーンの言葉が飛び交い、双方の怒声と悲鳴が上がる中、北伐軍司令官のルイス・サムエル・デ・メンドーサが歯ぎしりをした。

「くそ、ハヌマーンどもめ、こんな所まで進出しているとは…」

 ここ15年の間に想定していた以上にハヌマーンが南下していたのと、密林の中でエルフ達の索敵が鈍り、ハヌマーンの接近に気づかず東進していた北伐軍は、西進してきた1万に近いハヌマーン軍との出会い頭の戦いに突入せざるを得なかった。

「@& $$=++□#!」
「%%〇 #$!」

 乱戦になると、耐久力に勝るハヌマーンに利が出てくる。森の中での乱戦になったため、陣形の再編が難しく、エルフ達は人族の海に紛れる形で、馬上から攻撃を仕掛けていた。



 チコは馬上で矢をつがえると、ハヌマーンの群れへと射込む。チコの放った矢は、友軍に襲い掛かろうとしていたハヌマーンの鳩尾に突き立ち、ハヌマーンは棍棒を振り上げたまま仰け反り、絶命する。セレーネに比べれば腕は劣るものの、弓はエルフのお家芸であり、しかもチコは強弓の使い手だった。彼は弓を振り上げ、仲間達に発破をかける。

「セルピェンの勇者達よ!今こそ、奮起せよ!サーリア様の御加護をもってすれば、ハヌマーンごとき、何するものぞ!ガリエルの眷属どもに、エルフの力を見せつけろ!」
「「「おお!」」」

 チコの声にセルピェンのエルフ達は士気を上げ、ある者は剣で、ある者は弓をもって人族達と肩を並べ、ハヌマーンへと向かって行った。



 ミゲルは戦いの序盤で早々に馬を降り、ハヌマーンへと走り出した。利発な彼の馬は彼の意を酌み、後方へと下がる。ミゲルの得物は剣だ。馬上からだと斬りにくいだけでなく、小回りが利かず、馬が標的になるだけだった。

 標準的なエルフの体格を持つミゲルは純粋な膂力で言えば人族にやや劣るが、その分鋭敏な感覚と洗練された体捌き、俊敏性にフルに使い、ハヌマーンの攻撃を躱す。そしてすれ違いざまに剣を滑らせ、腕や足を切り落としていった。

「てめぇら、大雑把すぎるんだよ。もう少し頭を使え」

 前のめりに襲い掛かってくるハヌマーンの首を、すれ違いざまに斬り落としながら、ミゲルは独り言ちる。彼は戦いに集中しすぎて後方の仲間を見るのを忘れているが、ラトンのエルフ達は前線に踏みとどまって奮迅するミゲルの姿を見て心を奮い立たせ、意気盛んにハヌマーンに戦いを挑んでいった。



「ちょっと、一体何匹いるのよ、もおぉぉぉぉぉぉっ!」

 馬上で涙目になりながらもセレーネは次の矢をつがえ、ハヌマーンへと放つ。セレーネの矢はハヌマーンの目に吸い込まれ、また1頭仰け反り、呻き声を上げた。

 セレーネは女性という事もあり、彼女の放つ矢は貫通力に劣る。そのため彼女はひたすらハヌマーンの目を射抜いているのだが、混戦にも関わらず彼女の矢は精緻を極め、これまで18射中16射を命中させていた。しかも残りの2射も目を射抜かなかったというだけであり、しっかりと頭部には命中させている。

「ああっ!もう、矢が無くなっちゃう!誰か、矢を貸して!」

 矢を借りても放ったら返せなくなるのは火を見るよりも明らかだが、彼女は気づかず、辺りを見渡して手を伸ばす。その空気を無視したあどけなさと彼女が持つエルフの中でも抜きん出た美貌は、戦いの中で場違いな華を振り撒き、その場にいた人族は慌てて自分が持っていた予備の矢を、セレーネに渡した。

「ありがと!助かったわ!」

 自分の顔が持つ破壊力を知らないセレーネは愛想良く笑顔を振り撒き、人族を上気させる。それを遠目に見たティグリのお目付け役は、深いため息をついた。セレーネはそれに気づかず、矢をつがえる。人族の矢だったため感覚が狂い、彼女の放った矢は初めて目標を外したが、すぐに修正して次射はしっかりと命中させた。

 何だかんだ言って彼女が射抜いたハヌマーンの数は20頭を超え、ティグリのエルフの中でも断トツとなる。それに気づいているティグリのエルフ達は、自分達のリーダーのちぐはぐな姿に頬を綻ばせ、そして自らを奮い立たせるのだった。



「報告します。ハヌマーンの攻撃が止まりました。中央の第1、第2兵団、及び両翼のハンター達、いずれもその場に踏み留まっております」
「そうか、とりあえずは一安心だな」

 司令官のルイスは報告を聞いて頷き、胸を撫でおろす。乱戦の中で消耗戦になる事だけは避けたかった。出会い頭に戦いが始まったため、少なくない損害は出ているだろうが、戦況が膠着すればこちらの指揮が整い、戦いをリードする事ができる。ここからが、司令官の腕の見せ所だ。ルイスは大きく息を吸い、声を張り上げる。

「さて、ここからが本番だ。皆の者、気を緩めるでないぞ!」



 ***

 南の掃き掃除が終わった彼は、上空を旋回し、北西へと向かう。西からも嫌な臭いが流れてきており、荘園の主は、庭の手入れにてんてこ舞いだった。

 やがて彼は、鬱蒼と茂る森の中から漂う臭いの元を見つけた。樹々に遮られて姿は見えないが、この下にいるようだ。臭いは複数入り混じっていて、血の匂いも混ざっている。その臭いの一つに、彼は心当たりがあった。北の毛むくじゃらが来ているな。彼の荘園への無粋な侵入者である事に変わりはないが、彼にとっては肉が旨い分、毛むくじゃらの方がマシだった。一方、殻付きは食べるところがない。どうやら毛むくじゃらと殻付きがいがみ合っているようだが、とりあえず自分は殻付きを片付けよう。その後、ゆっくりと毛むくじゃらを平らげればいい。そう結論付けた彼は、臭いを頼りに殻付きの位置にアタリをつける。そして低空を飛行しながら大きく口を開くと、眼下の森の中にブレスを掃射し、左旋回しながらそのまま引き摺って行った。そして一度大きく旋回し、今度は殻付きの後方から縦断する様にブレスを掃射する。彼の鼻に届く数々の臭いに、新たに肉と木の焼ける臭いが加わってきた。



 ***

「何だ!?何なんだ、あれは…!」

 ハヌマーンと切り結びながら、背後に上がった悲鳴と狼狽の正体を知ろうと、ミゲルは後ろを振り返ろうとするが、左を向いたところで首が止まってしまう。彼の視線の先には北伐軍を焼き払いながら遠ざかる、太い炎の柱が垣間見えた。その炎の柱が通り過ぎた後には、火達磨となった人や馬が彷徨い歩いており、やがてハヌマーンの群れに押し潰される様に埋もれ、消えていった。

「チコ殿…」

 また1頭、ハヌマーンの首を斬り飛ばしながらミゲルは左側を向き、呆然と呟く。先ほどまで遠目に見えていた馬上のチコの姿はすでになく、辺りには長く赤黒いカーペットと、燃え上がる樹木と人馬だけが残されていた。

「…くそ!」

 ハヌマーンの振り下ろされた剣を避けざまに斬り飛ばし、ミゲルは声を張り上げる。

「人族の戦士達よ!戦いつつ、ゆっくりと後退しろ!中央、左翼が破られている!後退して側面に回り込まれるのを防ぐんだ!ラトンの勇士は、人族の後退を弓で支援しろ!」

 ミゲルの指示は人族に対する越権行為であったが、混乱していた人族は秩序を取り戻し、指示に従ってハヌマーンの攻撃を受け止めつつゆっくりと後退する。また一本、軍の中央を縦断する様に炎の柱が通り過ぎるが、右翼はそれに関わらず目先の対処に集中した。人族に襲い掛かるハヌマーン達を、ラトンのエルフ達が馬上から矢を射かけ、追撃を食い止める。ミゲルもハヌマーンの死体を量産しながらゆっくりと後退し、そのまま右翼は危機的状況にも関わらず秩序だった遅滞戦術を維持し続けた。



「…え、ちょっと待って。嘘でしょ…?」

 目の前に広がる惨状を前に、セレーネは呆然と呟く。

 譲り受けた矢も撃ち尽くし、周囲にたかる相手がいなくなったセレーネは一旦矢を取りに後退し前線に戻ってきたところだったが、その彼女の目の前を1本の太い炎の柱が右から左へと走り抜ける。その柱の下では、ティグリのエルフ達や人族達が真っ黒に染め上げられ、柱が通り抜けた後は自ら火を噴き上げながら、皆踊りまわる。そして、そのあと襲い掛かるハヌマーン達に踏み潰されていった。

 目の前一帯で同じ光景が繰り広げられ、やがて視界全体が茶色い毛の塊で埋め尽くされる。炎を乗り越え、燃え上がる人馬を踏み倒して、ハヌマーンが迫ってきたのだ。セレーネとの間にはまだ何人もの人族やエルフ達が残っているが、まるで津波の前にそびえる岩礁の様に見え、到底食い止められるものではない。

「ちょっと、やだぁぁぁぁぁぁ!来ないでぇぇぇぇぇぇ!」

 再び涙目になりながらもセレーネは矢をつがえ、次々にハヌマーンの目を射抜いていく。人族やエルフ達も、自分や仲間が生き延びるために、必死に抵抗を続けている。

「え…!?」

 突然セレーネの視界が斜めになり、直後にセレーネは馬から投げ出された。直前にセレーネの視界に映ったのは、愛馬の首の右側に突き立つ鉄の槍だった。

 投げ出されたセレーネは幸いにも無傷で着地に成功するが、右を向いた彼女は、顔色を恐怖の色に染め上げる。中央を突破したハヌマーンの集団から、3頭のハヌマーンが飛び出しセレーネへと向かっている。

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!来ないで!私、無害だから!美味しくないから!」

 自分の発言を踏みにじるかの様にセレーネは最も近いハヌマーンに近矢を放ち、喉元を射抜く。1頭はもんどりを打って倒れたが、残りの2頭に向かって矢をつがえる余裕はなく、セレーネは反対方向に逃げ出す他になかった。

「やだぁぁぁぁぁぁぁぁ!こっち来ないでぇぇぇぇぇぇ!」

 セレーネは目前に迫った命の危険から逃れようと、泣き叫びながら北伐軍から離れ、独り北へと駆け出す。その叫び声に釣られる様に、人々の岩礁を踏み潰したハヌマーン達が100頭ほど方向転換してセレーネの後を追う。

 セレーネにとって絶望的な鬼ごっこが、ここに開始された。



「な、何が起こった!?状況を報告しろ!」

 前後で湧き上がる阿鼻叫喚にルイスは混乱し、ただ声を荒げ情報を求める。やがて彼の元に、数々の凶報が齎された。

「報告します!突如上空から飛来した魔物がファイアブレスを掃射!前衛中央から左翼にかけて一掃されました!中央及び左翼は崩壊、ハヌマーンが押し寄せています!」
「後方もブレスの掃射を受け、輜重の7割を喪失!継戦不能な推移に陥りました!」
「中央も右側を掠める様に損害が出ています!」
「右翼は戦線を維持し、遅滞戦術を継続中。中央も司令部手前で何とか食い止めています!」

 報告を受けたルイスは愕然としながらも、自身の責務を全うしようと、悪化の一途を辿る戦況に抗う。

「中央!戦闘を継続しつつ、右翼と連携して、南西方向へ後退する!輜重は護衛を付けて、南西へと退避させろ!右翼の指揮官は無事か!?」
「右翼指揮官の生死不明!現在はエルフ、ラトン族のミゲル殿が指揮しています!」
「追認する!ミゲル殿に伝令。中央と連携して南西方向への後退を指示せよ!」
「畏まりました!」

 ひとまずの崩壊を防ぎ、伝令の走り去る姿を見たルイスは、唇を噛む。

「無念。我が身命を賭し、人族の栄光を賭けた戦いが、こうも惨めな形で終わるとは…。しかし、何だ?何に襲われたのだ…?」

 こうしてルイス率いるセント=ヌーヴェル北伐軍は、一転して長く苦しい退却戦を強いられる事になった。
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