失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第14章 想像できない未来に向けて

255:道中記(1)

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 中原暦6626年ロザリアの第1月。瓦礫の山と化し、未だ燻り続けるヴェルツブルグから遠く離れたラディナ湖西岸の森には、雨上がりの湿った空気が流れ込み、雨露を含んだ緑が重苦しい雰囲気を漂わせていた。

 晴れていれば軽やかな小鳥の囀りが響き渡り、生命いのち溢れる樹々の合間を清々しい新緑の香りが風に乗って駆け巡っているはずの森は死んだように静まり返り、滲み出る霧によって色を失い、不吉な水墨画を浮かび上がらせている。

 その重く沈んだ森の中に一つの集団が、息を潜めていた。その数、約1,200。彼らは全身茶色の毛に覆われ、2mに届くその体は堅い筋肉に覆われ、巨大な棍棒や大剣を軽々と抱えている。

 ハヌマーン。

 ガリエル様によって生を受け、遥か太古の彼方にサーリア様より賜った御恩に報いるべく、ロザリアと未来永劫の戦いを繰り広げる、忠義に溢れる猛き勇士達。

 その彼らが、今、かつてないほど怯え、南から押し寄せる恐怖を前にして、歯を鳴らしながら必死に踏み止まろうとしていた。1,200の集団は、敵に構えるのではなく、南から吹きすさぶ寒さから身を守ろうとするかのように同胞達と身を寄せ合い、霧と藪で白と黒に彩られた南を凝視する。

「…〇×……△…&&………$…」
「……△…$%…#〇……▽…」

 地面が微かに揺れ、霧の向こうで乾いた音が鳴り響いて、同胞達の悲鳴や断末魔が漂って来る。その声が聞こえるたびに、集団を形作るハヌマーン達の呼吸は乱れ、全身を覆う毛の下で気持ちの悪い汗が次々と流れ出た。

「〇△&& 〇□+@# □$$△×\! &〇□%$〇# サーリア〇$ &+△ ##〇◇& ×△\\ 〇#$!?」

 落ち着かんか、貴様ら!そんな事で、サーリア様をお救いできると思っているのか!?

 ほとんど恐慌寸前の集団の中で、一頭のハヌマーンが同胞達を叱咤し、必死に士気を高めようとしていた。



 森の族長。ハヌマーンの中で、聖者に次ぐ戦巧者。

 勇猛さでは氷の部族に一歩を譲るが、森の中であれば、彼に率いられた森の部族は無類の強さを発揮する。残念ながら今彼の手元に居る者達は森の部族の男達ではなく、敗残の寄せ集めでしかないが、この森は彼の故郷に広がる森に近い。同胞達が恐怖に打ち勝ち、彼の采配に従ってくれれば、きっと勝利の目はある。彼は汗に塗れ震えの止まらない拳を必死に握り締め、藪の陰に身を潜め、次第に激しさを増す地響きと禍々しい音に抗う。

 やがて霧の向こうに黒い巨大な影が浮かび上がり、歴戦の戦士であるはずの男達が浮足立つ。大きさだけであれば、彼らが引き攣れて来たロックドラゴンの半分にも満たない。だがその恐ろしさは、ロックドラゴンの比ではなかった。森の族長は、最早悲鳴とも言える雄叫びを発し、震えながら巨大な影に向かって腕を振り下ろした。

「□× □×○○# \\△〇! *△〇#%% ロザリア △×&& @+〇!」

 と、突撃しろ!ロザリアにブレスを吐かせるな!

 だが彼の悲鳴は、間に合わなかった。



 未だ霧の向こうにいる巨大な影から無数の凶虫が飛び出し、同胞達へと次々に襲い掛かる。堅い殻を持つ凶虫は、まるで突風の様に同胞達の許へと押し寄せ、彼らの逞しい体に自らを捻じ込み、瞬く間に穴を開けていく。多くの同胞達が生きたまま凶虫に体を喰われて悲鳴を上げ、彼らの悲鳴が瞬く間に集団を覆い尽くして、ハヌマーンの戦意を根こそぎ刈り取ってしまう。

 そこに、ロザリアのブレスが襲い掛かった。

 霧の中から現れた槍の様な細長いブレスが白い煙を引きながら集団の中央へと飛び込んで轟音と爆炎を噴き上げると、大勢のハヌマーンが体を引き千切られ、炎に包まれながら宙を舞う。そして、ついに霧の中からロザリアの巨体が躍り出て、恐怖に駆られ壊乱するハヌマーン達を弄ぶかのように周囲を駆け回り、逃げ遅れた同胞達を次々と轢き潰していく。

「ロ、ロザリア…!」
「〇×%% △\\〇□$$ ×%△ □##&&!」

 もはや戦意を喪失し、一目散に北へと逃げ出す同胞達に揉まれながら、森の族長は絶望的な呻き声を上げ、迫り来るロザリアの姿を見つめる。ロザリアの上から身を乗り出した「獣人」が、呆然とする彼に金属質の棒を向け、彼の許に無数の凶虫が押し寄せて来た。

「サ、サーリア〇$…!」



 ***

「…しかし、キリがないな…」

 ボクサーの上部ハッチから身を乗り出したシモンが、弾倉交換を終えたカービンを構えながら呟く。絶え間ない弾幕で銃身が過熱し、すでにカービン本体も3丁目だ。シモンは激しく振動するボクサーの上でトリガーを引き、南へ逃れようとするハヌマーンの背中に無数の赤い花が咲く。

 隣のハッチから身を乗り出した柊也が、予備弾倉を手渡しながら、声を掛けた。

「シモン、ほどほどでいいぞ。すでに連中は戦意を喪失している。それに我々三人で全滅させようというのは、土台無理な話だ」
「それはわかっているんだが、こうも周りに群がられると、どうにも落ち着かなくてな」

 群がっていると言っても、ボクサーに襲い掛かって来ているわけではない。ボクサーがハヌマーンを追い回し、次々と轢き殺しているが故に、ボクサーの進行方向から逃れようと左右に飛び出しているだけだ。

 セレーネが操縦するボクサーは蛇行を繰り返し、ハヌマーンを追い立てながらラディナ湖西岸を北上して行く。ボクサーの通り過ぎた跡には、そこかしこにハヌマーンの死体が転がり、血肉に彩られた太い轍が地面にどす黒い赤線を引く。

 ラディナ湖西岸で繰り広げられる阿鼻叫喚は留まるところを知らず、ハヌマーンにとっての地獄は未だ終わりを見せていなかった。



「うへぇ、こりゃ酷い。ちょっとやそっとじゃ、落ちないぞ、コレ」

 森が途切れ、次第に周囲が赤みを帯びる草原の中で、柊也がバケツを掲げ、ボクサーの前面に水をぶちまけながら辟易する。ボクサーの前面には一面どす黒い血糊と肉片がこびりつき、タイヤの溝には血塗れの長い毛が絡まっている。ボクサーの上でカービンを抱え周囲を警戒しているセレーネが、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません、トウヤさん。至る所にハヌマーンが居て、避けようがなかったですから」
「仕方ないさ。カービンだけではこの数は斃し切れないし、北に追い立てるよう指示したのは俺だしな」

 セレーネの言葉に、柊也は空になったバケツを片っ端から脇に放り投げながら答える。その柊也の後ろで周囲を警戒するシモンが、宙を舞うバケツを眺めながらリクエストした。

「トウヤ、今晩は、おにくにしよう」
「お前、この血糊を見て食欲が湧くのかよ…」
「うん」

 柊也は腰を叩いて背中を伸ばしながら振り返り、左右に勢い良く振られるシモンの尻尾を見て、呆れた声を上げる。この世界に召喚されてからすでに3年が経過し、その間戦いに明け暮れた柊也も血に対する耐性ができていたが、流石に食欲に直結するほど割り切れてはいなかった。だが、意外な事にセレーネがシモンの意見に賛同する。

「あ、いいですね、シモンさん。私、久しぶりに羊が食べたいです!」
「セレーネ、お前もか…」

 セレーネの言葉に柊也はげんなりするが、この世界のエルフは遊牧民族であり、動物の解体に慣れている。単なる柊也の先入観の問題だった。



 ***

 という事でこの日の夕食はジンギスカンとなり、一行は周囲をストーンウォールで囲ったボクサーの上にちゃぶ台を置き、仲良くジンギスカン鍋をつついている。シモンは脇にカービンを置き、時折生肉を摘まみつつ周囲を警戒していた。セレーネが焼けたラム肉に岩塩をまぶしながら、柊也に尋ねる。

「ミカさん達、元気にやっていますかね?」
「…まあ、何とか上手くやっているんじゃないかな?」

 セレーネの問いに、柊也がご飯をかき込みながら答える。

「あの大通りでほとんどのハヌマーンを堰き止め、ヴェルツブルグの外に追い立てる事ができた。ロックドラゴンも片っ端から仕留めた。古城も『ロザリアの槍』が使えるし、オズワルドさんとゲルダさんが脇を固めている。きっとレティシア様が上手く立ち回り、生き残った人達と協力して態勢を整えているはずだ」
「きっと、そうですよね!今度会った時には、もっとゆっくりと、一緒に美味しいものを食べたいですね!」

 柊也の何ら根拠のない楽観論にセレーネは嬉しそうに賛同すると、艶やかな口を目いっぱい開けてラム肉を頬張る。その無邪気な姿に柊也は頬を綻ばせながら頷き、キムチを口に放り込んだ。

 口で言うほど楽ではないはずだ。王城は炎に包まれ、王家が生きているかどうかも怪しい。しかも、王家が生きていたらいたで美香の婚姻問題が再燃し、王家との確執が生じる。どちらに転んでも修羅場しかない。

 でも、彼らとならきっと上手く行く。

 僅か4日の付き合いだったが、柊也はレティシア、オズワルド、ゲルダの顔を思い出し、確信する。彼らならきっと、死ぬまで美香の傍らに立ち、命を賭して彼女を支えてくれるであろう。

 …古城、好い仲間に出会えて、良かったな。

 柊也は烏龍茶を口に含みながら顔を上げ、草原に広がる満天の星空を眺めていた。
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