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第三章
53.祝いの席は落ち着いた設ける。だから、ひとまずこれ
しおりを挟むこれまで出場したどのピアノコンクールだって聞きに来るのはこっそり。朝、家を出るタイミングが合えば、「車に乗っていくかい?」と伺いがちに聞いてくれて、音楽学校の前で降ろしてくれたこともあった。
「おはよう。そして、私は行くよ。でも、その前に」
ロレンツォは食堂脇にあるパントリールームへと入り、すぐ出てきた。
首の細い黒い瓶を持っている。ワインボトルだろうか。
「これ」
朝っぱらから酒?と思っていると、
「誕生日だろう、今日」
「あ、そっか。コンクールのことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた」
十八歳の誕生日。
イタリアでは大人として認められる重要な年だ。
男はスーツ、女はドレスでめかしこんで、親戚や友人を呼んで盛大に祝い事をする。
でも、自分には無関係のこと。
親しい友人はいないし、誕生日はロレンツォが定めた。
本当の生年月日は分からないのだ。
「祝ってやりたいが、少し仕事が立て込んでいてね」
「別にいいよ。俺、ピアノの練習しなきゃだし」
「君が優勝するだろうさ。今回は、練習量も熱量も桁違いのようだし」
何気ない感想に、ぎくりとする。
そう。このコンクールは絶対に負けられないのだ。
父親は、息子は世界一の称号が欲しいだけだと思ってくれていたらいいのだけれど。
これ以上深読みされては、息子の方は大いに困る。
「祝いの席は落ち着いた設ける。だから、ひとまずこれ」
ロレンツォが差し出してきたワインボトルを受け取ると、ラベルには飾り文字で『アンジェロ・ディ・メディチ』と名前が描かれていた。
製作年は八年前。
ロレンツォと一緒に暮らし始めた年だった。
「あ……。ありがとう」
「いや、何」
ロレンツォがふっと顔をそらす。
この男なりに、アンジェロが成人するのを楽しみにしていてくれたらしい。
心がじわりとする。
この館に来た頃、自分は毎日生きるか死ぬかの状態で、ロレンツォは仕事をそっちのけで看病してくれた。
幾分か回復すると退屈を覚えたアンジェロに、ロレンツォは隣室の扉を開け放してピアノを弾いてくれた。同じ曲ばかり繰り返し。後から聞いたら、その曲しか弾けなかったらしい。
世間から見たら、きっとロレンツォはいい父親なのだと思う。
敵うものがいない美術鑑定士で、資産家。
ほうぼうへの寄付も惜しまず、ユーモアだってある。
でも、自分は完全には信じきれないのだ、この男ことを。
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