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第七章

133.あああああああ!記憶を封印してえ

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 ぬるま湯のようなベットの中にいた。

  ちょっと高い体温のせいだ。

 だが、頭はもう痛くない。身体は少しだるいが、熱は間もなく引いていきそうだ。

 夢の中で、名前も知らないピアノ曲が流れていた。

 これ、アンジェロが弾くコンクールの課題曲かな?

 ところどころ弾き間違えている。

 動画で観た彼とは別人が弾いているかのような下手くそぶりだった。

 サライは、上半身を起こす。

 押し寄せてくる後悔に、


「死にてえ」


と呻く。


「僕、発熱にまかせてアンジェロに嫌なことを」


 あと、自分にとってはどうでもいい関係の男にも、盛大に絡んでいったような気がする。

「あああああああ!記憶を封印してえ」

 ナイトテーブルの上に置かれてあるのはノート型パソコン。

 その手前には、自分の名前入りの記念ワイン。


「じいちゃん。僕のも用意してれたんだな。知らなかった」


 過去に浸りそうになって、さっと起き上がった。


「汗臭い」


 着替えは足元に置かれてあった。

  DEEP LOVE FIRENZE(フィレンツェ)とプリントされたTシャツだ。


「誰が用意した?悪意を感じるんだが」


 客室の奥には立派なバスタブとシャワーブースがついていて、汗をさっぱり流してから、携帯を確認する。

『十二使徒で一番偉いヨハネさん』からメッセージが届いている。

 こちらが寝込んでいる隙に携帯を勝手にいじって登録したらしい。

『よう。ゲロ吐き王。目覚めたか』からメッセージは始まっている。

 続いて、意味不明な指示。


「二階の南側突き当りの部屋に寄った後、今度は今いる部屋の右隣の部屋に来い?」


 両方とも入ったことの無い部屋だ。

 そちらに向かうと、ベットサイドに置いた椅子に腰掛けているワイシャツ姿の背中が見えた。


 ―――うわっ。今、最も会いたくない奴。


 その奥には、瞼に楕円の傷がある青い衣の男。

 天界から降臨したかのように輝いている。

 彼はベットに座っていて大人しくレオの手当を受けていた。血の染みた包帯がナイトテーブルに置かれてある。


「それ、アンジェロのムンディだろ?誰がこんなことを」


 レオが振り向かずに言う。


「この部屋のことは、ヨハネに聞いたのか?」

「ああ。目覚めたらこの部屋に迎えって」

「余計なことを」

「誰に襲われたんだ?僕が寝ている間に襲撃があったのか?」

「そもそも、これは、アンジェロのムンディではない」

「だって、ロンドンで出してたじゃないか。僕とアンジェロとヨハネは、そいつと一緒に帰って来たんだぞ。飛行機にも乗った」


 レオが新しい包帯を青い衣の男に巻き直す。


「これは、お前が顕現させた」

「顕現?何だって?」

「お前が出した、という意味だ」


 レオが椅子から腰を上げ、床に立てかけられていた粗末な木の額をサライに突きつけてくる。


 見覚えのある複数の穴は、たぶん自分がダーツの矢で突き刺したもの。絵の背景は真っ黒。何も描かれていない。


「ここから出てきたって言いたいのか?それも僕が出した??」

「さっきからそう言っている」

「でも、あの絵は何が描かれているのか分からないほど汚れていたぜ?」


 今、部屋にいる青い衣の男は神々しいほど輝いている。


「お前の家から盗み出した誰かが、ご丁寧に洗浄までしてここに持ってきてくれたようだ。そして、お前がムンディを出すタイミングを見計らって、両瞼を斬った」

「それってユディトだろ?」

「マテリアに絵の洗浄などという高度な技術があるとは思えん」

「つまり、ここで第三者の登場ってことかよ」
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