福岡県某市――順に辿ると、誰かが消える。

アイスホカロン

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case2 B区――紗耶 彼女が目撃した"取り残された記憶"

第二章 地図の陰に潜むもの|黒岬駅前の線路跡

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 この本は、福岡県のとある政令指定都市で起こった奇妙な記録である。

 中学生の少女・紗耶は、誰も知らない“街の影”を目撃した。
 夜に現れては消える交差点、再開発で姿を消した駅前の線路跡、
 黒鉄バスの幽霊――。
 それらは、都市の変化の裏で忘れられた“過去の事故”の残響だった。

 紗耶が見ているのは恐怖ではない。
 “取り残された記憶”そのものだ。
 都市が忘れようとした痕跡が形を持ち、彼女の前に現れ続けている。

 本書は、その断片的な記録を一冊にまとめたものである。
 読み進めるほどに、“忘れられたはずの記憶”が
 あなたの背後にも寄り添ってくるかもしれない。


 あの“交差点事件”以来、紗耶は変わった。
 不穏な風の揺れ方、影の伸び方、聞こえるはずのない足音――。
 街のわずかな歪みが、肌に触れるほど敏感に感じられるようになってしまった。

 その夜、塾帰りの紗耶は黒岬駅前に立っていた。
 夜の空気は乾いているのに、どこか水のような匂いが混じっている。
 再開発工事を終えた駅前には新しい舗装が広がり、
 タクシー乗り場にだけ人影がぽつりぽつりと並んでいた。

 スマホを片手に紗耶は何気なく、足元を見る。
 ……そこで――“”を見つけた。

 古びた鉄の線。
 錆びついた、線路だった。

 (あれ、……ここ、線路なんてなかったはず……)
 紗耶は震える手でスマホのライトを向けた。
 照準の合わない光を当てると、線路はすぐ手前で途切れている。
 ……だがライトを消すと、暗闇の奥へ
 ――ずっと延びて見える。

 ……まるで、紗耶を導くために。

 その時。
 ――ガタン……
 ……ゴトン……
 ……ガタン……ゴトン……
 ありえない音が、湿った空気を震わせた。
 撤去された線路の上を、列車がゆっくり通り過ぎる時の音だ。

 次第に音が近づいてくる。
 ――ガタン……ゴトン……
 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……
 ……ガタン、ガタン、ガタン……ゴトン……

 速さが変わっていく。
 音は、紗耶の心臓の鼓動と、ぴたりと重なっていく。

 悪寒が小さき背骨を這い上がる。
 一歩、後ずさると――

 風が
 乾いた夜風のはずなのに、冷気は湿り気を帯びており、
 顔に貼りつくように吹きつけてくる。

 刹那、線路の先が波のように揺れ、
 その闇の奥から“無人列車”がゆっくり躯を現した。
 ライトも点かない暗い車体。
 窓は黒い鏡のように周囲の光だけ反射して、中は一切見えない。

 ……だが、不意に一両だけ――ぱちん、と明かりが灯った。
 (……誰かが……乗っている……?)

 暗闇の車内を、紗耶は見てしまった。
 ……運転席に、黒い影がひとつ。
 顔はすべて影に沈み、……輪郭さえ定かではない。

 ただ、腕がゆっくり――
 ゆっくりと動く。
 ――おいで。
 そう言うように。

 手の動きが、紗耶の肩越しに空気を引っ張る。
 紗耶は声にならない悲鳴を漏らし、必死に線路から離れようとする。

 だがその瞬間、足元から音が爆発するように響いた。
 ――ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン!!!

 消えたはずの線路の上で、列車が“加速”してくる。
 迫る。近づく。……追いついてくる!
 ――ガタンガタンガタンガタンガタンッ!!

 もうすぐ背中に触れそうなほど、音が膨れ上がる。
 紗耶は反射的に走りだした。

 次の瞬間――

 ……列車も、線路も、音さえも、霧のように跡形もなく消えた。
 「大丈夫? こんな時間に女の子が一人で……」
 制服姿の警備員が駆け寄ってきた。

 紗耶は震える声で「線路を見た」「列車が来た」と訴えた。
 警備員はしばらく上から紗耶を見つめ、ぽつりと言った。

 「……君で、だよ」
 その言葉は、紗耶の背中を冷酷に貫くには十分過ぎた。
 警備員は、紗耶の肩に手を置くでもなく、
 ただじっと、暗がりの中でこちらを見つめている。
 街灯の明かりが顔の半分しか照らしていない。

 「二人目って……どういう……」
 勇気を振り絞って問いかけると、
 ……警備員はゆっくりと視線を線路の消えたはずの場所へ向けた。
 そこには何もない。
 だが――彼は何かようだった。

 「……この再開発の前にね……脱線事故があったんだよ」
 低く、湿った声だった。
 まるで昔話を語る老人のように、ゆっくりと噛みしめて話す。
 ……だが、彼の顔は若い。
 年齢に、声が合っていない。

 「責任を感じた運転手が、……姿を消した。
  昼間は誰も見ない。だけど……」
 警備員は言葉を切り、紗耶の足元を見た。
 紗耶が気づかないうちに、濡れていた。

 「夜になると……“巡回”に戻ってくるらしい」
 声が、近い。
 ……いつのまにか距離が縮まっていた。
 紗耶は一歩、後ずさる。

 警備員は続ける。
 「線路がなくても、走る場所は覚えているんだ。
  ああいう人は、降りられないからね。
  ……から」
 仕事――?

 言った瞬間、警備員は自分の胸元を指で軽く叩いた。
 制服のロゴのあたりだ。
 だが、そこは影になって見えない。
 会社名も、刺繍も、何かのマークも、読み取れなかった。

 「そういえば……最初に見た人はどうなったんですか?」
 紗耶が恐る恐る尋ねると、警備員は笑った。
 ……笑ったはずなのに、口が動いていなかった。

 「さぁ……どうなったかな」
 紗耶を再び冷酷に貫く。
 彼はまるでをしているようで、
 しかし、どこかようでもあった。

 「でもね……」
 警備員の声が、急に耳元に落ちてきた。

 「その人も……君と同じことを言っていたよ。
  『線路が見える』って。
  『列車の音がついてくる』って」

 紗耶は呼吸を止めた。
 先程までの轟音が、耳の奥でまだ鳴っている。

 ――ガタン……ゴトン……
 微かに、何かが遠くで軋んだ。

 紗耶が振り向くと、……警備員はもうそこにいなかった。
 足音も、去っていく気配も、
 …………影すらも残っていない。
 まるで最初から存在しなかったかのように。

 紗耶は凍りついたまま、ゆっくりと背後の闇を見る。
 耳の奥で、列車の音がまた響いた。
 ――ガタン……
 ……ゴトン……
 あのは、警備員よりも、ずっと前から紗耶のそばにいたのかもしれない。

 紗耶の顔が寒空とは関係なしに震える。
 ……そして、彼女の靴の周りは、水溜まりが心なしか増えつづけていた。
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