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01 鷲の青年 4
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「森」への遠征の準備は恐ろしいほど順調に進んだ。
アクィラはあれよあれよというまに着飾られ、戯れに「これから盛大に埋葬される気分だ」と言っては、侍女たちに眉を顰められた。
槍を持ち、顔には赤石を磨り潰した紅を塗られる。トカゲ鳥の尾の皮を繋いだ髪飾りを頭に編みこまれ、腰には分厚い腰布を履く。
戦さの装束に全身を覆われ、いよいよ見送られる段となってもアクィラは穏やかな表情を崩さなかった。通例、王を乗せるはずの輿は用意されることがなかったが、それすらも当然のこととして受け入れていた。
出立の時、兄王はアクィラに対して別れを惜しむ声をかけた。それが本心であったのか否かは分からない。
だが、兄王ミルヴームのつけた護衛は、一行が「森」へと入って一日も経たないうちに、ただの一人もいなくなっていた。二人が目を離した隙に、一人、また一人と、まるで「森」に呑まれるかのように姿を消していったのだ。
兄王の態度からいっそ死んでしまえと思われているであろうことは承知の上だったアクィラは「まあそうだろうな」と笑い、「こんなことは許されない」とケルウスは憤った。
そして、二人が何を思おうと、二人の身は既に人の生存圏を脱し、「森」の只中にあるのであった。
「あなたは何故何もお望みになられないのですか」
せめてもの道標にと、道中の木の枝を折りながらケルウスは問う。
先導するアクィラはケルウスに軽く視線を向け、そのまま歩みを止めることなく進んでいった。
「あなたが望めば、全てがあなたのものになったでしょうに。先見の力を使い、臣の信頼を取り戻し、誰もがあなたを王と認める国をつくることだってあなたにはできたはずだ」
「……そう言ってくれるなケルウス」
アクィラは立ち止まった。ぱき、と地面に落ちた枝を踏む音が、不気味なほどに静かな「森」に響いた。
「どんな理由があろうと、私はそれを望まなかったのだ。力を示さず、僻地へ追いやられようと、それでいいと私は思っていたのだ。全ては過ぎたこと。今更蒸し返すまでもないだろう」
言いながら見上げる。前方には中途に折られた枝が伸びている。道すがらケルウスが折った枝だった。つられて見上げたケルウスもそれに気付き項垂れた。
ここは「森」。神以外の生命はないとされる「森」である。当然、獣道すらない。そんな場所を闇雲に歩いていてはこうなるのは必定であった。
「これから、どうすればいいのでしょう」
「歩くしかないだろう。我等の使命は、父王の遺体を見つけることなのだから」
「当てもなくですか」
「ああ、当てもなくだ」
「……王よ、どうして貴方は」
先見の力を使ってくださらないのですか。
消え入るように呟かれたその言葉を、アクィラは聞こえなかったふりをした。
無言のまま足を進めようとしたその時、二人の頭上を巨大な影が横切った。
鮮やかな緑の腹がまず見えた。波状に連なる若草色の鱗、細く長い尾。背には巨大な蝶のごとき美しき四枚の翅。ただ一度の羽ばたきで目を開けていられないほどの風が吹き荒れ、次に目を開けた時にはそれは既に遥か彼方へと飛び去っていた。あとには、それが落としたと思しき何枚もの葉がひらひらと二人の元へと落ちてくるのみだった。
「トカゲ鳥でしょうか。あのような巨大な個体が……」
葉を拾い上げながらケルウスが言う。葉には不可思議な紋様がいくつも刻まれていた。
「違う、あれは」
トカゲ鳥ではない。そのような矮小な、できそこないの生き物ではない。そんな直感がアクィラの中にはあった。
「追うぞ」
「は、はい!」
緑の生物が飛び去っていった方角へ、二人は歩みを進めた。
緑が通った後の「森」は奇妙な状態だった。
二人が「森」へと入った時、季節は確かに春であったはずだ。だが、緑のそれを追えば追うほど木々の葉はその色を濃くし、さらに追えば濃い緑色であったはずの葉は鮮やかな赤や黄へと色を変え始め、やがてそれも収まった頃、葉は木から離れ、地面へと積もり始めた。
「季節が早足で過ぎているのでしょうか」
ケルウスの言葉におおむね同意しながら、それだけではない違和感をアクィラは感じていた。
足りていない。この「森」には何かが足りていない。
何が足りていないのかは分からない。だが、あの緑だけではいけないのだ。
そんなことを考えながら歩いていたのが災いしたのだろう。アクィラは濡れた落葉の山に足を滑らせた。
突然ケルウスの視界からアクィラが消え、そして水音。
「王!」
慌ててケルウスが覗きこむと、アクィラはきょとんとした顔で浅瀬に座りこんでいた。
そこは広大な湖の片隅だった。向こう岸が霞むほど遠く、湖の上には薄く靄がかかっている。魚はいないが、水は清い。
アクィラはしばらくぼんやりと濡れた身体を眺めていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「はははは!」
「王?」
「水だ、ケルウス! こんなにもたくさん水があるぞ!」
「見れば分かりますが……大丈夫ですか、どこか強く打っただとか」
「こんなに広い泉は初めて見たなあ、ははは!」
「本当に大丈夫ですか、アクィラ。怪我は……ないようですが」
ケルウスはざぶざぶと水をかき分けてアクィラのもとに辿りつくと、その全身をぺたぺたと触って怪我の有無を確認し、怪我が無いと知れると目に見えて安堵した。
「ん、ケルウス。もしかして私の気が触れたとでも思っているのか? 私はいたって正気だぞ。ただ少し童心に帰っているだけだ」
それに、気が触れているというのなら、とうの昔に触れている。
そんな本音を飲み込んで、アクィラはケルウスの肩に手を置き、水の中に突き飛ばした。
「ははは! お前も少しは童心に帰ったかケルウス?」
「なっ、にするんですか突然! 子供ですか!」
「だから童心に帰ったと言っているだろうが馬鹿かお前は」
「ば……今の貴方にだけは言われたくないです、ぶっ」
起き上がってきたケルウスに対して、追い打ちとばかりに水をかける。
「なんだなんだ王に対して馬鹿とは不敬であろう」
「まだ何も言ってませんよこの馬鹿王!」
ケルウスは水を掬いあげて、おもいきりアクィラの顔にぶち当てた。
アクィラはあれよあれよというまに着飾られ、戯れに「これから盛大に埋葬される気分だ」と言っては、侍女たちに眉を顰められた。
槍を持ち、顔には赤石を磨り潰した紅を塗られる。トカゲ鳥の尾の皮を繋いだ髪飾りを頭に編みこまれ、腰には分厚い腰布を履く。
戦さの装束に全身を覆われ、いよいよ見送られる段となってもアクィラは穏やかな表情を崩さなかった。通例、王を乗せるはずの輿は用意されることがなかったが、それすらも当然のこととして受け入れていた。
出立の時、兄王はアクィラに対して別れを惜しむ声をかけた。それが本心であったのか否かは分からない。
だが、兄王ミルヴームのつけた護衛は、一行が「森」へと入って一日も経たないうちに、ただの一人もいなくなっていた。二人が目を離した隙に、一人、また一人と、まるで「森」に呑まれるかのように姿を消していったのだ。
兄王の態度からいっそ死んでしまえと思われているであろうことは承知の上だったアクィラは「まあそうだろうな」と笑い、「こんなことは許されない」とケルウスは憤った。
そして、二人が何を思おうと、二人の身は既に人の生存圏を脱し、「森」の只中にあるのであった。
「あなたは何故何もお望みになられないのですか」
せめてもの道標にと、道中の木の枝を折りながらケルウスは問う。
先導するアクィラはケルウスに軽く視線を向け、そのまま歩みを止めることなく進んでいった。
「あなたが望めば、全てがあなたのものになったでしょうに。先見の力を使い、臣の信頼を取り戻し、誰もがあなたを王と認める国をつくることだってあなたにはできたはずだ」
「……そう言ってくれるなケルウス」
アクィラは立ち止まった。ぱき、と地面に落ちた枝を踏む音が、不気味なほどに静かな「森」に響いた。
「どんな理由があろうと、私はそれを望まなかったのだ。力を示さず、僻地へ追いやられようと、それでいいと私は思っていたのだ。全ては過ぎたこと。今更蒸し返すまでもないだろう」
言いながら見上げる。前方には中途に折られた枝が伸びている。道すがらケルウスが折った枝だった。つられて見上げたケルウスもそれに気付き項垂れた。
ここは「森」。神以外の生命はないとされる「森」である。当然、獣道すらない。そんな場所を闇雲に歩いていてはこうなるのは必定であった。
「これから、どうすればいいのでしょう」
「歩くしかないだろう。我等の使命は、父王の遺体を見つけることなのだから」
「当てもなくですか」
「ああ、当てもなくだ」
「……王よ、どうして貴方は」
先見の力を使ってくださらないのですか。
消え入るように呟かれたその言葉を、アクィラは聞こえなかったふりをした。
無言のまま足を進めようとしたその時、二人の頭上を巨大な影が横切った。
鮮やかな緑の腹がまず見えた。波状に連なる若草色の鱗、細く長い尾。背には巨大な蝶のごとき美しき四枚の翅。ただ一度の羽ばたきで目を開けていられないほどの風が吹き荒れ、次に目を開けた時にはそれは既に遥か彼方へと飛び去っていた。あとには、それが落としたと思しき何枚もの葉がひらひらと二人の元へと落ちてくるのみだった。
「トカゲ鳥でしょうか。あのような巨大な個体が……」
葉を拾い上げながらケルウスが言う。葉には不可思議な紋様がいくつも刻まれていた。
「違う、あれは」
トカゲ鳥ではない。そのような矮小な、できそこないの生き物ではない。そんな直感がアクィラの中にはあった。
「追うぞ」
「は、はい!」
緑の生物が飛び去っていった方角へ、二人は歩みを進めた。
緑が通った後の「森」は奇妙な状態だった。
二人が「森」へと入った時、季節は確かに春であったはずだ。だが、緑のそれを追えば追うほど木々の葉はその色を濃くし、さらに追えば濃い緑色であったはずの葉は鮮やかな赤や黄へと色を変え始め、やがてそれも収まった頃、葉は木から離れ、地面へと積もり始めた。
「季節が早足で過ぎているのでしょうか」
ケルウスの言葉におおむね同意しながら、それだけではない違和感をアクィラは感じていた。
足りていない。この「森」には何かが足りていない。
何が足りていないのかは分からない。だが、あの緑だけではいけないのだ。
そんなことを考えながら歩いていたのが災いしたのだろう。アクィラは濡れた落葉の山に足を滑らせた。
突然ケルウスの視界からアクィラが消え、そして水音。
「王!」
慌ててケルウスが覗きこむと、アクィラはきょとんとした顔で浅瀬に座りこんでいた。
そこは広大な湖の片隅だった。向こう岸が霞むほど遠く、湖の上には薄く靄がかかっている。魚はいないが、水は清い。
アクィラはしばらくぼんやりと濡れた身体を眺めていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「はははは!」
「王?」
「水だ、ケルウス! こんなにもたくさん水があるぞ!」
「見れば分かりますが……大丈夫ですか、どこか強く打っただとか」
「こんなに広い泉は初めて見たなあ、ははは!」
「本当に大丈夫ですか、アクィラ。怪我は……ないようですが」
ケルウスはざぶざぶと水をかき分けてアクィラのもとに辿りつくと、その全身をぺたぺたと触って怪我の有無を確認し、怪我が無いと知れると目に見えて安堵した。
「ん、ケルウス。もしかして私の気が触れたとでも思っているのか? 私はいたって正気だぞ。ただ少し童心に帰っているだけだ」
それに、気が触れているというのなら、とうの昔に触れている。
そんな本音を飲み込んで、アクィラはケルウスの肩に手を置き、水の中に突き飛ばした。
「ははは! お前も少しは童心に帰ったかケルウス?」
「なっ、にするんですか突然! 子供ですか!」
「だから童心に帰ったと言っているだろうが馬鹿かお前は」
「ば……今の貴方にだけは言われたくないです、ぶっ」
起き上がってきたケルウスに対して、追い打ちとばかりに水をかける。
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ケルウスは水を掬いあげて、おもいきりアクィラの顔にぶち当てた。
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