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第一章 日曜日
1
丸二日の船旅が、ようやく終わりを告げる。その豪華絢爛さに不釣り合いな若者たちを乗せた客船は、目的地〝灰島〟の船着場に、今まさに船体を沿わせようとしていた。
オレはデッキの手摺から身を乗り出すようにして島を眺める。島の南東に突き出た船着場の辺りから島全体を見渡すと、まず北側の最奥にそびえる火山に目を奪われる。そこから徐々に目線を下げていくと次に見えるのは深緑の木々が茂る裾野、その手前には丈の短い草地が広がり、最後にそこから繋がるように海へ伸びる銀色の砂浜。
「なんか、〝アドベンチャー〟って感じだ」
驚きと期待に駆られて呟くと、半歩後ろに立っていた幼馴染が隣に並び、海風に横からかき混ぜられるさらさらの金髪を抑えながら笑った。
「無人(ないと)が好きそうな雰囲気だよね」
「ハワイと魔界がくっついたみたいな島だな」
「なにその例え」
幼馴染はこちらにちらりと楽しげな視線を寄越し、手摺に両腕を乗せて躰をもたせ掛ける。小さく漏れた吐息は憂いを帯びていた。オレはその原因を知っている。
島を見つめながら彼――木塚伊織(きづかいおり)は足元の海に落っこちそうなほど力無い声で、
「幸一(こういち)の傷が癒えればいいな」
「またそれかよ。お前が悩んでても仕方ないだろ」
「それはそうだけど。この旅行の初めから、僕にはどうも幸一が無理して笑ってるように見えて」
「なら無理に笑わせとけって。あいつが『来る』って言ったんだ。オレたちが無理強いしたわけじゃない。それに失恋っていっても、一か月も前の話だろ」
話題の当人がデッキに上がってこないか、入り口の方に聞き耳を立てながらオレは早口で言い切った。伊織は非難がましくじっとりとこちらを見つめ、また溜息を零す。
「まぁ、無人はそう言うよね」
「伊織が気を使いすぎなんだ。湿っぽくしてるよりいっそ、この一週間で幸一に彼女つくらせる勢いでいこうぜ」
横目にこっそり伊織を見ると、彼は半ば賛成とばかりに緩く笑みを浮かべていた。その様子にほっとする。
一か月前、幸一は、オレと伊織の幼馴染である翼葉理絵(よくばりえ)――認めたくないが、なかなかの美女だ――に告白し、振られた。それは確かに気の毒なことである。だが、今回の旅は彼の傷心旅行ではない。しんみりと京都の寺でも巡るのならいざしらず、自分たちはこの南国の島に、バカンスに来たのだ。だというのにどうにも、今一つノリが足りない。この旅行、自分たちにとってまたと無い幸運だというのに。
大学生の身分ではおよそ手の出ない、豪華すぎるプランである。この灰島の所有者が大学生を対象として一組三名、四組限定の無料招待プランを発表したのは三か月前のこと。発表と言ってもマイナーな旅行サイトに載っていただけなのだが、応募者は数千人という話だった。その中から選ばれた一組として、今オレたちは、この下ろしたてのブランドTシャツが、それでも恥ずかしくなるくらいの高級旅客船の上に立っている。
「無人、桟橋に階段が下りたよ。そろそろ荷物を持って準備しないと」
「そうだな……なぁ、別に心配じゃないけどさ、幸一のやつ一度もデッキに上がってこないな」
「幸一ならきっとまだ荷物をまとめてる」
「なにをそんなに持ってきたんだ」
「考え事しながらだと、手が止まっちゃうものだよ。僕たちも戻ろう」
言うなり歩いてゆく伊織の白いポロシャツの背を追う。金髪の中で陽光が乱反射している。木の板に艶やかなニスを塗ったデッキの照り返しも、いよいよ目に痛い。海鳥が高く鳴きながら頭上を過ぎてゆく。
そういえば、
「建物……」
オレはもう一度島を振り返った。島中に視線を這わせる。建物が一切見当たらない。宿泊場所はどこだろうか。事前に聞いていた話では、島の所有者が建てた〝館〟なのだという。
きっとあの鬱蒼とした裾野に埋もれているのだろう、と結論づける。ここから見られないのは残念であった。ハワイと魔界のくっついた島に館なんぞ建っていればさぞ異質で面白いコントラストだったろうに。
「あ、幸一。見てごらんよ、すごいから」
ふと背後に明るい伊織の声が響く。振り向くと、デッキの入り口の前に軽井(かるい)幸一が立っており、伊織の示す前方の島に、目を丸くしていた。
ここ一カ月でやつれた長身は、吹きつける海風によろけ、やけに不健康に見えた。ツーブロックの上の部分だけ茶色に染めた短髪が、ばさばさと煽られて鳥の巣のように跳ねている。なんとなく漂う哀愁はあれど、振られた直後ほどの悲壮感は窺えない。開いてしまった穴は、今日からのバカンスで埋めればいい。
自分を鼓舞するかのような鮮やかなオレンジ色のアロハシャツを着た幸一に歩み寄り、オレはその両肩をぐっと掴んだ。
「よし、行くぞ幸一」
「なんだよ、いきなり」
「一週間楽しもうぜ」
伊織が寄ってきて、幸一の肩を掴むオレの手に片手を添えた。
「そうだね。僕もわくわくしてきた」
「ダイビングは絶対だぞ。あと、ウェイクボード」
「魚釣りもできるんだよね?」
「釣ったやつでバーベキューだな」
「ね、幸一はなにがしたい?」
伊織と二人して捲し立てると、幸一は一瞬ふっと表情を和らげて、それを隠すように俯きがちにオレと伊織の背に腕を回した。
「男ならまずは水泳で勝負だろ。オレが当て馬じゃなくてイルカだってことをお前らに教えてやるよ」
オレはデッキの手摺から身を乗り出すようにして島を眺める。島の南東に突き出た船着場の辺りから島全体を見渡すと、まず北側の最奥にそびえる火山に目を奪われる。そこから徐々に目線を下げていくと次に見えるのは深緑の木々が茂る裾野、その手前には丈の短い草地が広がり、最後にそこから繋がるように海へ伸びる銀色の砂浜。
「なんか、〝アドベンチャー〟って感じだ」
驚きと期待に駆られて呟くと、半歩後ろに立っていた幼馴染が隣に並び、海風に横からかき混ぜられるさらさらの金髪を抑えながら笑った。
「無人(ないと)が好きそうな雰囲気だよね」
「ハワイと魔界がくっついたみたいな島だな」
「なにその例え」
幼馴染はこちらにちらりと楽しげな視線を寄越し、手摺に両腕を乗せて躰をもたせ掛ける。小さく漏れた吐息は憂いを帯びていた。オレはその原因を知っている。
島を見つめながら彼――木塚伊織(きづかいおり)は足元の海に落っこちそうなほど力無い声で、
「幸一(こういち)の傷が癒えればいいな」
「またそれかよ。お前が悩んでても仕方ないだろ」
「それはそうだけど。この旅行の初めから、僕にはどうも幸一が無理して笑ってるように見えて」
「なら無理に笑わせとけって。あいつが『来る』って言ったんだ。オレたちが無理強いしたわけじゃない。それに失恋っていっても、一か月も前の話だろ」
話題の当人がデッキに上がってこないか、入り口の方に聞き耳を立てながらオレは早口で言い切った。伊織は非難がましくじっとりとこちらを見つめ、また溜息を零す。
「まぁ、無人はそう言うよね」
「伊織が気を使いすぎなんだ。湿っぽくしてるよりいっそ、この一週間で幸一に彼女つくらせる勢いでいこうぜ」
横目にこっそり伊織を見ると、彼は半ば賛成とばかりに緩く笑みを浮かべていた。その様子にほっとする。
一か月前、幸一は、オレと伊織の幼馴染である翼葉理絵(よくばりえ)――認めたくないが、なかなかの美女だ――に告白し、振られた。それは確かに気の毒なことである。だが、今回の旅は彼の傷心旅行ではない。しんみりと京都の寺でも巡るのならいざしらず、自分たちはこの南国の島に、バカンスに来たのだ。だというのにどうにも、今一つノリが足りない。この旅行、自分たちにとってまたと無い幸運だというのに。
大学生の身分ではおよそ手の出ない、豪華すぎるプランである。この灰島の所有者が大学生を対象として一組三名、四組限定の無料招待プランを発表したのは三か月前のこと。発表と言ってもマイナーな旅行サイトに載っていただけなのだが、応募者は数千人という話だった。その中から選ばれた一組として、今オレたちは、この下ろしたてのブランドTシャツが、それでも恥ずかしくなるくらいの高級旅客船の上に立っている。
「無人、桟橋に階段が下りたよ。そろそろ荷物を持って準備しないと」
「そうだな……なぁ、別に心配じゃないけどさ、幸一のやつ一度もデッキに上がってこないな」
「幸一ならきっとまだ荷物をまとめてる」
「なにをそんなに持ってきたんだ」
「考え事しながらだと、手が止まっちゃうものだよ。僕たちも戻ろう」
言うなり歩いてゆく伊織の白いポロシャツの背を追う。金髪の中で陽光が乱反射している。木の板に艶やかなニスを塗ったデッキの照り返しも、いよいよ目に痛い。海鳥が高く鳴きながら頭上を過ぎてゆく。
そういえば、
「建物……」
オレはもう一度島を振り返った。島中に視線を這わせる。建物が一切見当たらない。宿泊場所はどこだろうか。事前に聞いていた話では、島の所有者が建てた〝館〟なのだという。
きっとあの鬱蒼とした裾野に埋もれているのだろう、と結論づける。ここから見られないのは残念であった。ハワイと魔界のくっついた島に館なんぞ建っていればさぞ異質で面白いコントラストだったろうに。
「あ、幸一。見てごらんよ、すごいから」
ふと背後に明るい伊織の声が響く。振り向くと、デッキの入り口の前に軽井(かるい)幸一が立っており、伊織の示す前方の島に、目を丸くしていた。
ここ一カ月でやつれた長身は、吹きつける海風によろけ、やけに不健康に見えた。ツーブロックの上の部分だけ茶色に染めた短髪が、ばさばさと煽られて鳥の巣のように跳ねている。なんとなく漂う哀愁はあれど、振られた直後ほどの悲壮感は窺えない。開いてしまった穴は、今日からのバカンスで埋めればいい。
自分を鼓舞するかのような鮮やかなオレンジ色のアロハシャツを着た幸一に歩み寄り、オレはその両肩をぐっと掴んだ。
「よし、行くぞ幸一」
「なんだよ、いきなり」
「一週間楽しもうぜ」
伊織が寄ってきて、幸一の肩を掴むオレの手に片手を添えた。
「そうだね。僕もわくわくしてきた」
「ダイビングは絶対だぞ。あと、ウェイクボード」
「魚釣りもできるんだよね?」
「釣ったやつでバーベキューだな」
「ね、幸一はなにがしたい?」
伊織と二人して捲し立てると、幸一は一瞬ふっと表情を和らげて、それを隠すように俯きがちにオレと伊織の背に腕を回した。
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