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第二章 月曜日
1
一晩中ベッドの上で天井の模様を眺めて過ごした。時折目を閉じても、瞼の裏に幸一の顔がこびりついて離れなかった。生前の彼の、ではない。目を剥き、驚愕と恐怖の入り混じった表情で硬直した彼の。
サイドボードに埋め込み型の時計は、デジタルの文字で午前十一時を示している。朝食の時刻はとうに過ぎていた。それでも立ち上がる気力は起きない。二部屋先のベッドに冷えきった躰で横たわる彼を思うと、全身がしくしく痛んだ。呼吸すら苦しい。こめかみがぱりぱりと乾き、引き攣った。
昨夜、穴の中に幸一が倒れているのを見つけたオレは、すぐさま館へ駆け戻った。エントランスの扉を開けると、ちょうど文哉が階段を上ってくるところだった。彼はオレの話を聞くや否や、幸一を引き上げるロープを取りに地下へ潜っていった。残りの人間も呼んでくるよう彼が行ったので、オレはビーチへ走り、まだ片付け最中だったイズミ、伊織、里来を引き連れて館へ戻った。
酔いつぶれた杏子と東郷がまだビーチで眠りこけていたが、彼らの介抱を気にしている余裕はオレには無かった。
長いロープを持った文哉と館の前で合流し、オレたちは湖へ急いだ。
『今ヒュウガが本土へ救助要請の電話を掛けている』
走りながら彼は言った。
湖につき、文哉がロープを傍の木に縛り付けるのを待たず、真っ先に穴の中へ降りていったのは里来だった。彼はほぼ垂直の壁面を器用に滑り降り、うつ伏せの幸一に駆け寄った。
オレはそれに遅れてロープ伝いに湖へ降りた。里来はオレの方を見て顔をしかめた。うつ伏せのままの幸一の頭に、里来の羽織っていた黒い半袖シャツが掛けられていた。オレがシャツに手を伸ばすと彼は、
『見るな。それに……手遅れだ』
その言葉は信じられない響きだった。
彼は上にいる人間に、毛布を持ってくるよう促した。オレはその隙に、薄手のシャツを捲ってしまった。
幸一の茶髪の後頭部に、点々と血が滲んでいた。……あれは一種の好奇心だったかもしれない。オレは幸一の肩を掴んで起こし、その顔を正面から見た。瞬間、氷水に突き落とされたような衝撃で、声がでなかった。
『馬鹿だな、お前』
がくがく震えながら顔を上げると、里来が憐れむようにこちらを見下ろしていた。その手には、
『散弾銃が落ちてた。……死因はこれか。貫通力が弱いのが幸いだな』
彼はそう言ってしゃがみこみ、開いたままの幸一の瞼を閉じさせた。傷の無い顔はそうして見ると眠っているようで、オレは受け入れがたい現実を前にただ、膝をついていた。
ほどなくして、しきりに文哉を呼びながらヒュウガが駆けてきた。落ち着いた印象の彼女には珍しく、声には焦りが感じられた。
『旦那様、大変です。電話が繋がらないので電話線の接触を確認しに機械室まで行ったのですが……電話線が、切られていて……』
彼女の言葉に、全員が動揺し、どよめいた。
『わかった、あとで杏子に確認させよう。彼女が得意だ』
文哉はうろたえる皆を冷静な判断で動かし、自分もロープを引いて、毛布に包まれた幸一の遺躰を湖から引き上げた。
オレは上がっていく毛布の塊をぼんやりと、夢でも見ているような気分で見上げていた。
幸一の遺躰はひとまず彼の部屋のベッドに安置された。幸一を運び終え、伊織と二人、ものも言わず居間のソファに座った。
それからしばらくののち、杏子が里来とイズミに両脇を支えられて居間に入った。杏子はすでに、ことを知らされているようだった。酔いを醒ますべく、頭を抱えながらもイズミに介抱されてオレンジジュースを飲み始めた。
数分後、東郷を連れて文哉とヒュウガが入室し、居間には行方のわからないチトセと亡くなった幸一以外が勢揃いした。
重苦しい雰囲気の中、ふと脳裏に最後に見た幸一の死に顔が浮かんだ。そのあまりの鮮明さに思わず吐き気を催し、口を押えた。酸っぱい胃液が逆流し、口の中に溜まった。なんとか抑え込もうとしたが我慢できず、オレはイズミが慌てて持ってきた銀色のバケツの中に、消化されかけた夕食混じりの胃液を吐き出した。
よほど酷い顔をして見えたのだろう。文哉はオレと伊織に部屋で休むよう促し、里来と二人で半ば強引にオレたちを居間から連れ出した。
『今日はもう寝ろ。いいな?』
里来は苦しげにそう言ってオレを部屋に押し込み、扉を閉めた。
……そうして、今に至る。
天井に舞う花びらと葉を一枚ずつ追う。もう何十回目かになる作業だった。星座のように線を繋いで、見えてくるのは昨夜の光景。
正確に四度、入り口の扉が叩かれた。このノックの仕方には聞き覚えがある。オレは重い躰を引き摺るように立ち上がり、昨夜と同じ格好で、ぼさぼさの髪のまま扉を開けた。開けるや否や、扉の隙間から声が差し入ってくる。
「オイ、いいかげん起き……なんだそのナリは」
「ああ、里来さん……」
意外なことに、立っていたのはイズミではなく里来だった。彼はオレの姿をみとめると僅かに眉をひそめた。オレを足先からじっとり見上げ、不快感を隠そうともせず、
「きたねぇな。五分でシャワーを浴びて出てこい」
扉を乱暴に閉め、外側にことんと凭れかかった。
サイドボードに埋め込み型の時計は、デジタルの文字で午前十一時を示している。朝食の時刻はとうに過ぎていた。それでも立ち上がる気力は起きない。二部屋先のベッドに冷えきった躰で横たわる彼を思うと、全身がしくしく痛んだ。呼吸すら苦しい。こめかみがぱりぱりと乾き、引き攣った。
昨夜、穴の中に幸一が倒れているのを見つけたオレは、すぐさま館へ駆け戻った。エントランスの扉を開けると、ちょうど文哉が階段を上ってくるところだった。彼はオレの話を聞くや否や、幸一を引き上げるロープを取りに地下へ潜っていった。残りの人間も呼んでくるよう彼が行ったので、オレはビーチへ走り、まだ片付け最中だったイズミ、伊織、里来を引き連れて館へ戻った。
酔いつぶれた杏子と東郷がまだビーチで眠りこけていたが、彼らの介抱を気にしている余裕はオレには無かった。
長いロープを持った文哉と館の前で合流し、オレたちは湖へ急いだ。
『今ヒュウガが本土へ救助要請の電話を掛けている』
走りながら彼は言った。
湖につき、文哉がロープを傍の木に縛り付けるのを待たず、真っ先に穴の中へ降りていったのは里来だった。彼はほぼ垂直の壁面を器用に滑り降り、うつ伏せの幸一に駆け寄った。
オレはそれに遅れてロープ伝いに湖へ降りた。里来はオレの方を見て顔をしかめた。うつ伏せのままの幸一の頭に、里来の羽織っていた黒い半袖シャツが掛けられていた。オレがシャツに手を伸ばすと彼は、
『見るな。それに……手遅れだ』
その言葉は信じられない響きだった。
彼は上にいる人間に、毛布を持ってくるよう促した。オレはその隙に、薄手のシャツを捲ってしまった。
幸一の茶髪の後頭部に、点々と血が滲んでいた。……あれは一種の好奇心だったかもしれない。オレは幸一の肩を掴んで起こし、その顔を正面から見た。瞬間、氷水に突き落とされたような衝撃で、声がでなかった。
『馬鹿だな、お前』
がくがく震えながら顔を上げると、里来が憐れむようにこちらを見下ろしていた。その手には、
『散弾銃が落ちてた。……死因はこれか。貫通力が弱いのが幸いだな』
彼はそう言ってしゃがみこみ、開いたままの幸一の瞼を閉じさせた。傷の無い顔はそうして見ると眠っているようで、オレは受け入れがたい現実を前にただ、膝をついていた。
ほどなくして、しきりに文哉を呼びながらヒュウガが駆けてきた。落ち着いた印象の彼女には珍しく、声には焦りが感じられた。
『旦那様、大変です。電話が繋がらないので電話線の接触を確認しに機械室まで行ったのですが……電話線が、切られていて……』
彼女の言葉に、全員が動揺し、どよめいた。
『わかった、あとで杏子に確認させよう。彼女が得意だ』
文哉はうろたえる皆を冷静な判断で動かし、自分もロープを引いて、毛布に包まれた幸一の遺躰を湖から引き上げた。
オレは上がっていく毛布の塊をぼんやりと、夢でも見ているような気分で見上げていた。
幸一の遺躰はひとまず彼の部屋のベッドに安置された。幸一を運び終え、伊織と二人、ものも言わず居間のソファに座った。
それからしばらくののち、杏子が里来とイズミに両脇を支えられて居間に入った。杏子はすでに、ことを知らされているようだった。酔いを醒ますべく、頭を抱えながらもイズミに介抱されてオレンジジュースを飲み始めた。
数分後、東郷を連れて文哉とヒュウガが入室し、居間には行方のわからないチトセと亡くなった幸一以外が勢揃いした。
重苦しい雰囲気の中、ふと脳裏に最後に見た幸一の死に顔が浮かんだ。そのあまりの鮮明さに思わず吐き気を催し、口を押えた。酸っぱい胃液が逆流し、口の中に溜まった。なんとか抑え込もうとしたが我慢できず、オレはイズミが慌てて持ってきた銀色のバケツの中に、消化されかけた夕食混じりの胃液を吐き出した。
よほど酷い顔をして見えたのだろう。文哉はオレと伊織に部屋で休むよう促し、里来と二人で半ば強引にオレたちを居間から連れ出した。
『今日はもう寝ろ。いいな?』
里来は苦しげにそう言ってオレを部屋に押し込み、扉を閉めた。
……そうして、今に至る。
天井に舞う花びらと葉を一枚ずつ追う。もう何十回目かになる作業だった。星座のように線を繋いで、見えてくるのは昨夜の光景。
正確に四度、入り口の扉が叩かれた。このノックの仕方には聞き覚えがある。オレは重い躰を引き摺るように立ち上がり、昨夜と同じ格好で、ぼさぼさの髪のまま扉を開けた。開けるや否や、扉の隙間から声が差し入ってくる。
「オイ、いいかげん起き……なんだそのナリは」
「ああ、里来さん……」
意外なことに、立っていたのはイズミではなく里来だった。彼はオレの姿をみとめると僅かに眉をひそめた。オレを足先からじっとり見上げ、不快感を隠そうともせず、
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扉を乱暴に閉め、外側にことんと凭れかかった。
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