内島ナイトと孤島の館 ※七日間生き残れ※

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第三章 火曜日

2

 コンコンコン。

 ノックの音が響いたのは地下一階、フロアの南東に位置する文哉の居室。

「……はい」

 少しの間のあと部屋の主は返答し、読んでいた本に栞を挟んだ。読書用の細い銀縁眼鏡を外し、アンティーク調の革張りの肘掛け椅子から立ち上がり、扉へ歩み寄る。両面シリンダーの鍵穴に鍵を差し込み、開ける。読書をするときにはいつも鍵を掛けることにしていた。粗暴な侵入者によって物語の世界を突然乱されることを彼は好まなかった。扉を手前へ引くと、そこに立っていたのは、

「東郷……起きたのか。朝食は? 食べるならヒュウガに言って、」

「いらねぇよ。それより酒だ、酒」

 東郷は乱れた髪をさらにがさがさと掻き回し、片手を差し出して催促した。

「ワインセラーの鍵」

「何を言っている。寝起きに酒だなんて躰に悪い」

「躰なんざ知るか。酔っぱらいてぇんだ」

「その台詞、マリアが聞いたら嘆くぞ」

 マリア、という単語に東郷はいささかバツの悪そうな顔をし、生えっぱなしの髭をぽりぽりと掻いた。彼は極度の愛妻家である。その大切な、心優しい妻の名前を出してたしなめられれば、大人しく引き下がるほか無い。

「ずりぃな、お前」

「なんとでも」

 文哉は次に、教師のようなお堅い口調で、

「酒の嗜みは夜と相場は決まってる。……だが――」

「相変わらずのいい子ちゃん」

「まあ最後まで聞け。だが、」

 そしてポケットからリングに通った二本の鍵を取り出し、悪戯っぽく微笑した。

「お前の顔色を見る限り、気つけのブランデーくらいは要りそうじゃないか……っていう口実はどうだ」

「なんだそれ」

「いいから中で待ってろ。軽食を頼んでくる。気つけにしても、胃にものを入れてからだ」

 東郷を部屋へひき込み、代わりに自分が廊下へ出て、文哉は自室の扉をぱたんと閉めた。

 コンコンコンコン。

 礼儀正しく四回、扉が叩かれる。主が不在のこの部屋では、代わりに残った髭面の男が思案するように低く唸り、ついにはなんとなく主に似せた声音で「はい」と言った。

 扉は間髪おかず乱暴に押し開かれる。

「バレバレだ、何してる髭面」

 やって来たのは里来だ。眉間の皺を濃く刻んだ彼は、肘掛け椅子に座る主ならざる男をみとめると、つかつか歩み寄り睨み付けた。

「何、って言われても」

「文哉はどうした。まさか、勝手に入ったのか?」

「今まさに勝手に入ってきたのはお前だろ。俺は文哉にここで待てと言われてんだ。さしづめ餌待ちの犬ってとこだな。……ワンワン」

 東郷が骸骨のような顔で茶化して見せると、里来は苛立つどころかその憐れな風貌に毒気を抜かれ、口を開けたまま固まった。

「……なんとか言えよ、チビ。黙っていられると俺が馬鹿みてぇだ」

 里来はハッ、と渇いた笑いを漏らす。

「みてぇ、じゃなくて馬鹿なんだ」

「里来、お前の口は嫌味専用か?」

「ことお前に関しては」

「なんだか賑やかだな」

 開け放たれていた扉から、飴色の中身が透けるブランデーボトルと丸い氷の入ったグラス二つを持った文哉が現れた。苦々しくも喜ばしげな笑みを口元にたたえ、

「犬猿の仲、といったところか」

「俺は猿じゃねぇ」

「そうすぐに噛み付くな。たとえ、だろう?」

「そうだぞ、里来。……ワンワン」

 また例の鳴きまねをする東郷に、里来の刺すような視線が注がれる。東郷は肩を竦めて笑い、文哉の手からグラスを一つ取った。

「そいつがなんか、用事があるみたいだぞ。ってことで、いい子な犬は食堂行ってくるからよぉ」

 東郷は目でちらちらとブランデーボトルを指し示し、グラスの中の氷を回した。 

「わかったわかった。食後に、気つけとして、だからな善良犬殿」

 念を押しつつ文哉はボトルを差し出す。

「オーケイ、ご主人。じゃあな、里来」

 水を得た魚、もとい酒を得た東郷はそそくさと犬猿の戦いから離脱した。「やれやれ」と文哉は氷だけが入ったグラスを机の端に置く。

「よかったのか」

 里来が尋ねる。

「あいつと酒飲むつもりだったんだろ」

「ああ、軽く一杯、な。だがうまく逃げられたものだ。それも酒ごと」

「惜しいことしたな。俺には好都合だが」

 文哉はもといた肘掛け椅子に腰を下ろし、里来に向き直った。

「さーて」

「話がある」

 里来は勧められる前から勝手にベッドに乗り上げ胡坐をかいた。それを、さも当然のように許して咎めず、文哉は言う。

「どうせなら、おとぎ話のたぐいがいい」

「茶化すな。あー……あのことだ。勝手に喋って悪かった。館が、その、」

「改築されたものだ、ってことか」

「そうだ。知られたくなかっただろ、牢獄だの自殺だの。そんな先入観あったら意味ねぇしな」

「まぁ、本来なら伏せておきたいところだが……今となってはな。人が二人も死んだんだ。もはやこの状況は〝男子大学生のバカンス〟とはいえない。リサーチは無意味になった」

「来週のやつらと再来週のやつらは?」

「別のリゾート地でもてなすほか無い。私たちは事情聴取があるだろうから、本土で手空きの使用人を手配して。そのあたりはイズミがうまくやってくれるだろう。……それにしても、幸一には可哀想なことをした」

「ああ……気の毒な話だ。あいつら」

 ほとんど表情を変えずに呟く里来を文哉はじっと見据えた。

「君でも他人に同情するんだな」

「どういう意味だ。俺はそれほど冷たく見えるのか」

「冷たいというより〝興味が無い〟ように見える。誰かの言動には興味が湧くが、その人物自体に興味は無い、といった感じかな」

「わからん」

「つまりは現状だ。私が言ったことに君は興味を持っている。だが君は、私が何を思ってどう考えた結果、その発言をしたかに興味は無い。だから君は人付き合いが苦手だろう?」

 里来は居心地が悪そうに目を逸らした。そしてだんまりを決め込む。

「それが悪いと言ってるわけじゃない。興味のないものに無理矢理興味を持つことなど不可能だし無意味だ。言ってしまえば、君の周りには君の眼鏡にかなうほどの魅力的な人物がいないのだな。友人としては残念だが」

「お前たちが嫌いなわけじゃない」

「わかってるさ。でも、本の中の人物は〝大好き〟……だろ? まったく、司書は君の天職だな。図書館はさしづめ楽園か」

 嫌みなく愉快そうに笑う文哉を里来はちらりと一瞥した。

「お前の楽園ほど金が掛からなくて済む。公費だからな」

「この島――私の楽園は、そういった公(おおやけ)から完全に切り離したいのでね」

「人間嫌いはお前じゃねぇか」

「人混みの中にいるのは疲れるのだよ。ただの他人ならまだしも、隙あらば寝首を掻こうとしてくる連中だ。両親の代の重役たちでさえ信用ならない。陰で結託し、騙し合い、足を引っ張って、のし上がろうとする。腹の底を黒く腐らせていながら私の前では善人の面構えで揉み手をするんだ」

 そう言いながら、今度は文哉の方が顔を背けた。目は細められ、なりを潜めた碧眼は金色の睫毛の影を受け、鈍く冷たく、記憶の中の誰かを捉えている。

「気の置けない友人たちと過ごすこの島での一か月は、毎年私の唯一の安らぎだったのだが……。今年は本当に……残念だ」

 ベッドの上で胡坐をかいていた里来は表情一つ変えずに言った。

「ああ、文哉。俺はお前のことも気の毒だと思うよ……」
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