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第三章 火曜日
5
シーフード、マルゲリータ、イベリコ豚と目にも鮮やかな巨大ピザが三つ、テーブルに並ぶ姿は圧巻である。
オレが食堂についたときには杏子と東郷が既に来ており、ヒュウガとイズミがピザに切れ目を入れるさまに感嘆していた。
「すっごいねー、これ。生地から作ったの?」
「はい。それほど難しくありませんよ」
「またまたぁ。お世辞抜きで、いいお嫁さんになるな、こりゃあ」
からかい交じりに言う杏子にヒュウガは微笑して軽く頭を下げ、ちょうどイズミと目が合うと、照れたようにまた笑った。
「あはは、若いっていいな」
杏子が昔を懐かしむように哀愁漂わせて言う。オレはなんだか複雑な気持ちでそれを聞く。彼女だって若いじゃないか。スタイルもよければ肌艶も――今は疲れが滲んでいるが――良い。
「なに無人、私ばっか見て。……もしかして、恋?」
「あ、いえ、なんとなく」
「いやぁ、まいったなー。若者の心を奪う……罪な女だね、私は」
やがて夕食が始まると、東郷が酒を飲みたいと言い出した。扉横に待機していたヒュウガは、
「ビールでしたら、厨房にご用意が」
「いやー、ビールは合うよな。でも炭酸よりも、あー……」
そこで東郷は言葉を濁し、ピザの一片をナイフとフォークで切り分けている文哉をちらりと窺った。オレはその視線の意図に気づき、楽しく成り行きを見守る。
「なんだ、東郷」
とぼけた口調でそう言い、文哉はホタテの乗った黄色の生地を上品に口に運ぶ。
「なんだ、って……わかるだろ」
「わかってても、大事な幼馴染の奥方のことを思えば承服しかねるのでね。昼間、ブランデーを空にしたのは誰だ?」
文哉は皮肉半分に笑う。
「そりゃ俺だけど。だが、その……ピザにはワインだろうが」
里来の方を一瞥し、
「煙草も吸いてぇとこ、我慢してんだからよ」
彼らのやり取りは、まるで何度も繰り返された遊びのようだった。里来と杏子は慣れた様子でいる。
「わかった、文哉。今度こそ一杯きりにするから、な?」
「旦那様、あの白ワインはいかがでしょうか。本邸でお二方がよくスポーツ観戦をしながらピザと一緒に嗜んでいらした。使用人どもの間でも、ピザによく合うと好評でございましたよ。ぜひ、皆様にもお試しいただければと」
見兼ねたイズミが助け舟をだす。こういうところは本当に、よくできた使用人だと感心してしまう。
「だよな、イズミ。いいこと言った」
「料理の味も一層引き立ちますので」
イズミはことりと首を傾げて文哉に笑いかけ、そしてヒュウガにも視線を向けて同意を求めた。ヒュウガは澄まし顔の唇を弓なりにし、
「そうですね。本来でしたらアルコールと共にご提供したいところです」
二人のうまいアシストで、東郷の希望は叶いつつあった。文哉は食事の手を止め、思案している。ごくりと一度嚥下した喉は、ピザと嗜むワインの味を思い出しているようだった。
「そうだな。ピザにはワインの一杯も出さなければな」
やがて文哉は反っていた眉を穏やかに寛げた。大きな手がポケットを探り、中世ヨーロッパ風の古風な二連の鍵を取り出す。
「ではチトセ、いつもの白を――」
瞬間、オレを含め、おそらく場の全員が息を呑んだ。何気なく耳に飛び込んできたのは、ここにいないメイドの名前。タブー視されたかのように誰も口にしなくなったソレ。
「――いや、すまない。酒はいつも彼女が」
言ってしまった本人が一番動揺しているようだった。
「イズミ、君はワインに詳しかっただろうか」
「いえ、あまり……。ですが名前を聞けば探し出せると……」
「俺が行ってくるさ。鍵貸せよ、文哉」
立ち上がったのは東郷だった。イズミが「しかし」と言いかけたが彼は、
「ワインのラベルは複雑だからな。まかせろ」
と気障(きざ)っぽく口角を上げ、居間へ繋がる扉を出ていった。
◆
髭の骸骨が笑ったようなあの顔が、彼の見せる最後の笑顔になろうとは……。
帰りがあまりに遅いということで様子を見に行ったイズミが、靴音も激しく、血相変えて戻ってきたときには、オレは何かを悟っていた。
「と、東郷様が……」
かちかちと鳴る歯の間からその台詞が絞り出されるや否や、全員が席を立ち、居間を抜けて廊下へ出た。イズミが開け放ったままのワインセラーの扉からは、不快な焦げ臭さが漂ってくる。
その異様な臭いにオレたちの足は凍り付き、カーペットに貼りついたように動けなくなった。けれども文哉だけは止まらなかった。彼の足音は臭いの吹き出すワインセラーの中へ消え、間もなく、静寂の中から彼の咆哮がとどろいた。
オレが食堂についたときには杏子と東郷が既に来ており、ヒュウガとイズミがピザに切れ目を入れるさまに感嘆していた。
「すっごいねー、これ。生地から作ったの?」
「はい。それほど難しくありませんよ」
「またまたぁ。お世辞抜きで、いいお嫁さんになるな、こりゃあ」
からかい交じりに言う杏子にヒュウガは微笑して軽く頭を下げ、ちょうどイズミと目が合うと、照れたようにまた笑った。
「あはは、若いっていいな」
杏子が昔を懐かしむように哀愁漂わせて言う。オレはなんだか複雑な気持ちでそれを聞く。彼女だって若いじゃないか。スタイルもよければ肌艶も――今は疲れが滲んでいるが――良い。
「なに無人、私ばっか見て。……もしかして、恋?」
「あ、いえ、なんとなく」
「いやぁ、まいったなー。若者の心を奪う……罪な女だね、私は」
やがて夕食が始まると、東郷が酒を飲みたいと言い出した。扉横に待機していたヒュウガは、
「ビールでしたら、厨房にご用意が」
「いやー、ビールは合うよな。でも炭酸よりも、あー……」
そこで東郷は言葉を濁し、ピザの一片をナイフとフォークで切り分けている文哉をちらりと窺った。オレはその視線の意図に気づき、楽しく成り行きを見守る。
「なんだ、東郷」
とぼけた口調でそう言い、文哉はホタテの乗った黄色の生地を上品に口に運ぶ。
「なんだ、って……わかるだろ」
「わかってても、大事な幼馴染の奥方のことを思えば承服しかねるのでね。昼間、ブランデーを空にしたのは誰だ?」
文哉は皮肉半分に笑う。
「そりゃ俺だけど。だが、その……ピザにはワインだろうが」
里来の方を一瞥し、
「煙草も吸いてぇとこ、我慢してんだからよ」
彼らのやり取りは、まるで何度も繰り返された遊びのようだった。里来と杏子は慣れた様子でいる。
「わかった、文哉。今度こそ一杯きりにするから、な?」
「旦那様、あの白ワインはいかがでしょうか。本邸でお二方がよくスポーツ観戦をしながらピザと一緒に嗜んでいらした。使用人どもの間でも、ピザによく合うと好評でございましたよ。ぜひ、皆様にもお試しいただければと」
見兼ねたイズミが助け舟をだす。こういうところは本当に、よくできた使用人だと感心してしまう。
「だよな、イズミ。いいこと言った」
「料理の味も一層引き立ちますので」
イズミはことりと首を傾げて文哉に笑いかけ、そしてヒュウガにも視線を向けて同意を求めた。ヒュウガは澄まし顔の唇を弓なりにし、
「そうですね。本来でしたらアルコールと共にご提供したいところです」
二人のうまいアシストで、東郷の希望は叶いつつあった。文哉は食事の手を止め、思案している。ごくりと一度嚥下した喉は、ピザと嗜むワインの味を思い出しているようだった。
「そうだな。ピザにはワインの一杯も出さなければな」
やがて文哉は反っていた眉を穏やかに寛げた。大きな手がポケットを探り、中世ヨーロッパ風の古風な二連の鍵を取り出す。
「ではチトセ、いつもの白を――」
瞬間、オレを含め、おそらく場の全員が息を呑んだ。何気なく耳に飛び込んできたのは、ここにいないメイドの名前。タブー視されたかのように誰も口にしなくなったソレ。
「――いや、すまない。酒はいつも彼女が」
言ってしまった本人が一番動揺しているようだった。
「イズミ、君はワインに詳しかっただろうか」
「いえ、あまり……。ですが名前を聞けば探し出せると……」
「俺が行ってくるさ。鍵貸せよ、文哉」
立ち上がったのは東郷だった。イズミが「しかし」と言いかけたが彼は、
「ワインのラベルは複雑だからな。まかせろ」
と気障(きざ)っぽく口角を上げ、居間へ繋がる扉を出ていった。
◆
髭の骸骨が笑ったようなあの顔が、彼の見せる最後の笑顔になろうとは……。
帰りがあまりに遅いということで様子を見に行ったイズミが、靴音も激しく、血相変えて戻ってきたときには、オレは何かを悟っていた。
「と、東郷様が……」
かちかちと鳴る歯の間からその台詞が絞り出されるや否や、全員が席を立ち、居間を抜けて廊下へ出た。イズミが開け放ったままのワインセラーの扉からは、不快な焦げ臭さが漂ってくる。
その異様な臭いにオレたちの足は凍り付き、カーペットに貼りついたように動けなくなった。けれども文哉だけは止まらなかった。彼の足音は臭いの吹き出すワインセラーの中へ消え、間もなく、静寂の中から彼の咆哮がとどろいた。
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