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第七章 土曜日
6
「おっせぇな、風邪引いちまうだろうが」
居間に入るなり浴びせられた恨み言に、日記を見てしまった罪悪感やら里来への哀れみやらで沈んだオレは素直にすみませんと返すほか無かった。
里来の下着、シャツ、スラックス、靴。それと……日記。日記だけ逆の手で背中に隠して服を渡す。そのまま背中を隠してソファに座る。
里来は訝しんで首を傾げる。
「どうした、お前」
「いえ、別に」
彼はそうか、と言って突然毛布を肌蹴させる。ぜんぶ見えた。
「ちょっと!」
オレは瞬間的に目を瞑り、さらに手で覆って顔を背ける。
「いちいち細けぇな」
「あなた、いい大人でしょう? なんでそう人の嫌がること――」
ふと気づいて口を閉じた。ああそうか。そういうことだ。日記の内容に思いを馳せる。これは……これも、里来にとっては〝冗談〟なのだ。交流の仕方がわからない彼の、精一杯。たぶん、オレが喜ぶと思ってやってる……。
「嫌がってたのか……」
ほど近くで彼の声がし、オレはどきりとする。ソファのすぐ隣がすとんと沈む。そのせいで、背中に挟んであった日記がこてんと里来の方へ転がる。
「あ、これ」
彼が沈黙する。オレは冬の道頓堀川に飛び込むつもりで彼を振り向いた。
「里来さん」
よかった、毛布を着ている。
「これ読んだのか?」
「はい。ごめんなさい」
「まったくお前はろくでもねぇな」
里来はノートを見つめ、ぱらぱらとページをめくる。表情が少し切ない。
「こんなの読んでも面白くねぇだろ」
彼はノートを閉じ、ぽい、とオレに投げた。オレはそれを受け止める。これは大事なものなのだ。彼にとっても、大事なもののはずだ。
「オレ、里来さんのこと知りたくて。あの、誤解の無いように言いますけど、オレ本当にゲイじゃないので裸が見たいとかそういうのじゃなくって……あなたと、友人になりたいから……」
「友人……」
「はい。だから、本当の里来さんのことが知りたかったんです。勝手に読んでごめんなさい」
「ん……まぁ……そうか」
里来は困ったような複雑な顔をしている。オレに返す上手い言葉が見つからない様子だった。それならそれでいい。無理に言葉を並べなくても、彼が彼の中にたくさん言葉を持ってることをオレは知ってしまったから。
「これ、もっと読んでもいいですか」
「あー、そうだな……別に」
「今日の分も書くんでしょう? 書き終わったら読ませてください」
「変なやつだなお前。……趣味が悪い」
文句を言いながらも里来は断らない。彼もどこかで望んでいる。本当の自分が生きられる現実世界を。
オレは文哉たちのように里来が虚構世界から出てくるのを根気強く待つことができない。だから、土足で踏み込み、本当の彼を捕まえて引っ張り出そうとしてしまう。彼は嫌がるだろうか。嫌ならオレをぶん殴って、もとの世界に帰ればいい。でもそうしないのなら、このまま二人で突っ走って、お互いちょっとぐらい怪我しても、構いませんよね、里来さん?
彼が着替えている間、オレはソファの裏に背を預けて、小さなノートのページをぺらぺらとめくっていた。
◆
ケーキはまだか、と里来が言った。オレはくすりと笑う。だって、彼はヒュウガのケーキが好きなくせに、全然待ち遠しそうじゃない顔でそう言うのだから。
「厨房見てきますよ」
立ち上がって彼に手を振る。オレも楽しみなのだ。ヒュウガのケーキを皆で食べることが。
しかし厨房の扉を開けても以前のような甘い香りはしなかった。それどころか、ヒュウガも伊織もいない。調理台の上にはボールや泡だて器が用意されているのに、調理を開始した形跡がない。
オレはヒュウガの言葉を思い出す。
『保存用の飲料水を運ぶのを――』
嫌な予感がした。ヒュウガを疑うわけじゃない。危惧するのは……。
常温室へ続く木製の扉を開け、階段を駆け下りる。心臓がうるさくてしかたない。警鐘が鳴っている。
金属製の重い扉に手を掛ける。頭のどこかで誰かが「開けてはいけない」と叫ぶ。いや、構わない、開けてしまえ。
むわっ、と鼻をつくのは濃いにおい。科学的なにおいと〝何か〟の混じる、咽かえるような異臭。その〝何か〟の正体はすぐにわかる。血だ。
腹を裂かれた伊織と、足首を断たれたヒュウガが倒れていた。
「嘘だろ……」
酷い眩暈がした。躰の力が抜けてゆく。オレは扉に寄りかかったままずるずると床にへたりこんだ。
呆然とする頭の中に、歌が思い浮かぶ。八行目。
〝赤ずきんが狼に喰われども〟
これは伊織。彼の裂かれた腹には包丁とフォークが突き立てられている。まるで食事の途中のように。
九行目。最後の犠牲者。
〝赤い靴の少女が踊り狂えども〟
こちらがヒュウガだ。彼女の足首は切れ味のいい刃物で切断されている。赤い靴の少女が踊り狂う呪いの靴ごと足を切り落とされたのになぞらえて。そして流れる血液は黒靴をべっとりと赤く濡らす。
耳の奥が脈打っている。頭がぼうっとする。息を吸うたびに一歩ずつ現実から遠ざかっていく。もう何も考えられない。視界が、ゆっくりゆっくりブラックアウトしてゆく……。
そのとき、ぽん、と背後から肩を叩かれた。直後、鼻と口を何かで覆われた。
居間に入るなり浴びせられた恨み言に、日記を見てしまった罪悪感やら里来への哀れみやらで沈んだオレは素直にすみませんと返すほか無かった。
里来の下着、シャツ、スラックス、靴。それと……日記。日記だけ逆の手で背中に隠して服を渡す。そのまま背中を隠してソファに座る。
里来は訝しんで首を傾げる。
「どうした、お前」
「いえ、別に」
彼はそうか、と言って突然毛布を肌蹴させる。ぜんぶ見えた。
「ちょっと!」
オレは瞬間的に目を瞑り、さらに手で覆って顔を背ける。
「いちいち細けぇな」
「あなた、いい大人でしょう? なんでそう人の嫌がること――」
ふと気づいて口を閉じた。ああそうか。そういうことだ。日記の内容に思いを馳せる。これは……これも、里来にとっては〝冗談〟なのだ。交流の仕方がわからない彼の、精一杯。たぶん、オレが喜ぶと思ってやってる……。
「嫌がってたのか……」
ほど近くで彼の声がし、オレはどきりとする。ソファのすぐ隣がすとんと沈む。そのせいで、背中に挟んであった日記がこてんと里来の方へ転がる。
「あ、これ」
彼が沈黙する。オレは冬の道頓堀川に飛び込むつもりで彼を振り向いた。
「里来さん」
よかった、毛布を着ている。
「これ読んだのか?」
「はい。ごめんなさい」
「まったくお前はろくでもねぇな」
里来はノートを見つめ、ぱらぱらとページをめくる。表情が少し切ない。
「こんなの読んでも面白くねぇだろ」
彼はノートを閉じ、ぽい、とオレに投げた。オレはそれを受け止める。これは大事なものなのだ。彼にとっても、大事なもののはずだ。
「オレ、里来さんのこと知りたくて。あの、誤解の無いように言いますけど、オレ本当にゲイじゃないので裸が見たいとかそういうのじゃなくって……あなたと、友人になりたいから……」
「友人……」
「はい。だから、本当の里来さんのことが知りたかったんです。勝手に読んでごめんなさい」
「ん……まぁ……そうか」
里来は困ったような複雑な顔をしている。オレに返す上手い言葉が見つからない様子だった。それならそれでいい。無理に言葉を並べなくても、彼が彼の中にたくさん言葉を持ってることをオレは知ってしまったから。
「これ、もっと読んでもいいですか」
「あー、そうだな……別に」
「今日の分も書くんでしょう? 書き終わったら読ませてください」
「変なやつだなお前。……趣味が悪い」
文句を言いながらも里来は断らない。彼もどこかで望んでいる。本当の自分が生きられる現実世界を。
オレは文哉たちのように里来が虚構世界から出てくるのを根気強く待つことができない。だから、土足で踏み込み、本当の彼を捕まえて引っ張り出そうとしてしまう。彼は嫌がるだろうか。嫌ならオレをぶん殴って、もとの世界に帰ればいい。でもそうしないのなら、このまま二人で突っ走って、お互いちょっとぐらい怪我しても、構いませんよね、里来さん?
彼が着替えている間、オレはソファの裏に背を預けて、小さなノートのページをぺらぺらとめくっていた。
◆
ケーキはまだか、と里来が言った。オレはくすりと笑う。だって、彼はヒュウガのケーキが好きなくせに、全然待ち遠しそうじゃない顔でそう言うのだから。
「厨房見てきますよ」
立ち上がって彼に手を振る。オレも楽しみなのだ。ヒュウガのケーキを皆で食べることが。
しかし厨房の扉を開けても以前のような甘い香りはしなかった。それどころか、ヒュウガも伊織もいない。調理台の上にはボールや泡だて器が用意されているのに、調理を開始した形跡がない。
オレはヒュウガの言葉を思い出す。
『保存用の飲料水を運ぶのを――』
嫌な予感がした。ヒュウガを疑うわけじゃない。危惧するのは……。
常温室へ続く木製の扉を開け、階段を駆け下りる。心臓がうるさくてしかたない。警鐘が鳴っている。
金属製の重い扉に手を掛ける。頭のどこかで誰かが「開けてはいけない」と叫ぶ。いや、構わない、開けてしまえ。
むわっ、と鼻をつくのは濃いにおい。科学的なにおいと〝何か〟の混じる、咽かえるような異臭。その〝何か〟の正体はすぐにわかる。血だ。
腹を裂かれた伊織と、足首を断たれたヒュウガが倒れていた。
「嘘だろ……」
酷い眩暈がした。躰の力が抜けてゆく。オレは扉に寄りかかったままずるずると床にへたりこんだ。
呆然とする頭の中に、歌が思い浮かぶ。八行目。
〝赤ずきんが狼に喰われども〟
これは伊織。彼の裂かれた腹には包丁とフォークが突き立てられている。まるで食事の途中のように。
九行目。最後の犠牲者。
〝赤い靴の少女が踊り狂えども〟
こちらがヒュウガだ。彼女の足首は切れ味のいい刃物で切断されている。赤い靴の少女が踊り狂う呪いの靴ごと足を切り落とされたのになぞらえて。そして流れる血液は黒靴をべっとりと赤く濡らす。
耳の奥が脈打っている。頭がぼうっとする。息を吸うたびに一歩ずつ現実から遠ざかっていく。もう何も考えられない。視界が、ゆっくりゆっくりブラックアウトしてゆく……。
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