30 / 30
第二十九話:赤国のために
しおりを挟む
立羽! 立羽! 約束だぞ。私とそなたで、この赤国を華界一良い国にしよう。
珠沙様、良い国とはどのような国をいうのですか。
すべての民の尊厳が守られ、戦や飢えで命を落とすことのない国、そして誰もが生きがいを持って暮らせる国だ。
それは……まるで夢物語ではありませんか。すべての民の尊厳と命を守り、生きがいを持たせるなど。
いいや立羽、夢などではない。そなたが共にいるのだから。
私?
そうだ。誇り高き赤蟲間・立羽。私の美しき剣。そなたと二人なら、何だってできる気がするんだ。
珠沙様……それは私を買い被りすぎでございます。
何を言う。ほら、この景色を見てみろ。紅葩宮から見渡せるすべて、さらにその向こうまでずっと……私たちの国だ。胸が締めつけられるような心地になる。
はい。朝焼けの景色は神々しく存じます。町も、森も、山も、空も。ですが……。
立羽。私はこの国を守るために生まれてきた。誇らしいことだ。
私は私の命を懸けて、民のために尽くそう。
おやめください、命を懸けるなどと。それは私の役目です。
では二人で懸けようではないか。なあ、立羽。
生きるも死ぬも、共に。
珠沙様……。
はい、と言っておくれ立羽。私を愛しているならば。
何も不安に思うことはない。そなたには私がいて、私にはそなたがいる。
二人でこの国を、華界一の良い国にしよう。
「……ては……立羽っ!」
「は……ぃ……」
懐かしい夢を見ていた気がする。薄く瞼を開けた立羽は、自分を呼ぶ声に無意識に返事をした。頭がぼうっとして頬が熱い。対して身体は凍えるように寒かった。
立羽は寝台にうつ伏せていた。その顔を覗き込む人物を認識できるまでに、数秒掛かった。
「じゅ、しゃ様……」
慌てて身を起こそうとすると、右の肩甲骨あたりに鋭い痛みが走った。
「いい、起きるな。寝ていろ」
珠沙は立羽の身体に手を添えて、再び寝台に横たわらせた。
背の痛みは立羽の意識を鮮明にした。
記憶が順によみがえる。立羽は緑蟲間・翠鎌との戦いで右翅を切断されたあと、飛び去っていく翠鎌を悔しい思いで見送った。立羽のもとに使蟲間・蜻迅衛が到着したのは、それから間もなくのことだった。
蜻迅衛は重傷を負った主の姿に狼狽した。けれど判断は早く、適切だった。北東へ飛んでいった翠鎌を追え、あれの部下が夜華君をさらった、と呻くように命ずる立羽の言葉には耳を塞ぎ、動けなくなった立羽を抱いて白華山の麓へ下りた。そしてそこから馬車に乗り、御者を急かして医師のいる村を目指した。
馬車に揺られながら、立羽の意識は途絶えた。蜻迅衛は医師に応急処置をさせると、再び立羽を乗せて馬車を走らせ、紅葩宮へ向かった。
立羽は丸四日、目覚めなかった。そして五日目の今日、眠りながら苦しげに声を上げた立羽は、珠沙の呼び声に引き戻されるようにしてようやく覚醒したのだった。
背を痛めないよううつ伏せたままの立羽を、珠沙と蜻迅衛が心配そうに覗く。
「よかったです……」
蜻迅衛がくしゃりと顔を歪めて呟いた。今にも泣き出しそうな青年がいとけなく思えて、立羽は笑みを浮かべる。
「ありがとう。お前が運んでくれなければ、私はあの場で蟲に襲われていたかもしれない」
「立羽様の命に背きました……」
「いいよ。追わなくてよかった。追っていたら、お前も切られていた」
「申し訳ございません」
何も責めてはいないというのに、蜻迅衛は寝台の縁に額を押しつけるように平伏して続けた。
「網玲が、戻らないのです」
立羽は一瞬、言葉を失った。その間を埋めるように珠沙が言う。
「案ずるな。白華山へ、捜索に長けた蟲間を何名か出した。じき見つかる」
「……はい」
網玲は見た目こそ幼女だが、決して弱い蟲間ではない。蜘蛛の能力は攻守のバランスが良く、ひとりでだって身を守りながら戦える。白華山の低層にいる蟲ごときに後れを取ろうはずがない。
たとえどこかの蟲間と遭遇し、戦闘になったとしても、易々と負けるタマではないのだ。
だから、網玲の心配はしていない。それよりも――
「珠沙様、お聞きください。夜華君は白華山で、変石のついたサークレットをほんの少しの間、外されました」
「ああ、蜻迅衛から聞いた。他国の色つき蟲間たちは気づいただろう」
「はい」
「一昨日、橙国からの使者が来た」
「用件はどのような」
「橙王・柑陽が赤国への親善訪問を希望していると」
「笑わせます。あの粗暴な男が親善などと」
「同意だ。しかし、一笑に付して断るわけにもいくまい。丁重に迎えねば」
「私も……」
「何を言う。病蟲は大人しく寝ていろ」
冷たく突き放すような言い方だが、珠沙の表情は柔らかい。だが、立羽はその思い遣りに気づいていながら、食い下がらずにはいられない。
赤蟲間としての矜持がそうさせる。
「暁霞の蜜さえあれば……」
「駄目だ。あれは麻薬に近い。易々使おうとするな」
「しかし」
「命令だ。もうしばらくは寝台から出るな」
「……はい」
命令、と言われてしまえば逆らえない。立羽はしゅんと項垂れる。
珠沙はそんな立羽の頬を指の背で撫で、赤い髪を耳にかけてやりながら言った。
「何を心配することがある。私はこの赤国の女王だぞ。柑陽ごとき、軽くあしらってやる」
珠沙は悠然と笑みを浮かべ、髪を梳くように立羽の頭を撫でた。その心地良さに眠気を誘われて、立羽はゆっくりと瞼を閉じた。
珠沙様、良い国とはどのような国をいうのですか。
すべての民の尊厳が守られ、戦や飢えで命を落とすことのない国、そして誰もが生きがいを持って暮らせる国だ。
それは……まるで夢物語ではありませんか。すべての民の尊厳と命を守り、生きがいを持たせるなど。
いいや立羽、夢などではない。そなたが共にいるのだから。
私?
そうだ。誇り高き赤蟲間・立羽。私の美しき剣。そなたと二人なら、何だってできる気がするんだ。
珠沙様……それは私を買い被りすぎでございます。
何を言う。ほら、この景色を見てみろ。紅葩宮から見渡せるすべて、さらにその向こうまでずっと……私たちの国だ。胸が締めつけられるような心地になる。
はい。朝焼けの景色は神々しく存じます。町も、森も、山も、空も。ですが……。
立羽。私はこの国を守るために生まれてきた。誇らしいことだ。
私は私の命を懸けて、民のために尽くそう。
おやめください、命を懸けるなどと。それは私の役目です。
では二人で懸けようではないか。なあ、立羽。
生きるも死ぬも、共に。
珠沙様……。
はい、と言っておくれ立羽。私を愛しているならば。
何も不安に思うことはない。そなたには私がいて、私にはそなたがいる。
二人でこの国を、華界一の良い国にしよう。
「……ては……立羽っ!」
「は……ぃ……」
懐かしい夢を見ていた気がする。薄く瞼を開けた立羽は、自分を呼ぶ声に無意識に返事をした。頭がぼうっとして頬が熱い。対して身体は凍えるように寒かった。
立羽は寝台にうつ伏せていた。その顔を覗き込む人物を認識できるまでに、数秒掛かった。
「じゅ、しゃ様……」
慌てて身を起こそうとすると、右の肩甲骨あたりに鋭い痛みが走った。
「いい、起きるな。寝ていろ」
珠沙は立羽の身体に手を添えて、再び寝台に横たわらせた。
背の痛みは立羽の意識を鮮明にした。
記憶が順によみがえる。立羽は緑蟲間・翠鎌との戦いで右翅を切断されたあと、飛び去っていく翠鎌を悔しい思いで見送った。立羽のもとに使蟲間・蜻迅衛が到着したのは、それから間もなくのことだった。
蜻迅衛は重傷を負った主の姿に狼狽した。けれど判断は早く、適切だった。北東へ飛んでいった翠鎌を追え、あれの部下が夜華君をさらった、と呻くように命ずる立羽の言葉には耳を塞ぎ、動けなくなった立羽を抱いて白華山の麓へ下りた。そしてそこから馬車に乗り、御者を急かして医師のいる村を目指した。
馬車に揺られながら、立羽の意識は途絶えた。蜻迅衛は医師に応急処置をさせると、再び立羽を乗せて馬車を走らせ、紅葩宮へ向かった。
立羽は丸四日、目覚めなかった。そして五日目の今日、眠りながら苦しげに声を上げた立羽は、珠沙の呼び声に引き戻されるようにしてようやく覚醒したのだった。
背を痛めないよううつ伏せたままの立羽を、珠沙と蜻迅衛が心配そうに覗く。
「よかったです……」
蜻迅衛がくしゃりと顔を歪めて呟いた。今にも泣き出しそうな青年がいとけなく思えて、立羽は笑みを浮かべる。
「ありがとう。お前が運んでくれなければ、私はあの場で蟲に襲われていたかもしれない」
「立羽様の命に背きました……」
「いいよ。追わなくてよかった。追っていたら、お前も切られていた」
「申し訳ございません」
何も責めてはいないというのに、蜻迅衛は寝台の縁に額を押しつけるように平伏して続けた。
「網玲が、戻らないのです」
立羽は一瞬、言葉を失った。その間を埋めるように珠沙が言う。
「案ずるな。白華山へ、捜索に長けた蟲間を何名か出した。じき見つかる」
「……はい」
網玲は見た目こそ幼女だが、決して弱い蟲間ではない。蜘蛛の能力は攻守のバランスが良く、ひとりでだって身を守りながら戦える。白華山の低層にいる蟲ごときに後れを取ろうはずがない。
たとえどこかの蟲間と遭遇し、戦闘になったとしても、易々と負けるタマではないのだ。
だから、網玲の心配はしていない。それよりも――
「珠沙様、お聞きください。夜華君は白華山で、変石のついたサークレットをほんの少しの間、外されました」
「ああ、蜻迅衛から聞いた。他国の色つき蟲間たちは気づいただろう」
「はい」
「一昨日、橙国からの使者が来た」
「用件はどのような」
「橙王・柑陽が赤国への親善訪問を希望していると」
「笑わせます。あの粗暴な男が親善などと」
「同意だ。しかし、一笑に付して断るわけにもいくまい。丁重に迎えねば」
「私も……」
「何を言う。病蟲は大人しく寝ていろ」
冷たく突き放すような言い方だが、珠沙の表情は柔らかい。だが、立羽はその思い遣りに気づいていながら、食い下がらずにはいられない。
赤蟲間としての矜持がそうさせる。
「暁霞の蜜さえあれば……」
「駄目だ。あれは麻薬に近い。易々使おうとするな」
「しかし」
「命令だ。もうしばらくは寝台から出るな」
「……はい」
命令、と言われてしまえば逆らえない。立羽はしゅんと項垂れる。
珠沙はそんな立羽の頬を指の背で撫で、赤い髪を耳にかけてやりながら言った。
「何を心配することがある。私はこの赤国の女王だぞ。柑陽ごとき、軽くあしらってやる」
珠沙は悠然と笑みを浮かべ、髪を梳くように立羽の頭を撫でた。その心地良さに眠気を誘われて、立羽はゆっくりと瞼を閉じた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
レベル1の地図士は、世界の裏側を知ってしまった
あめとおと
ファンタジー
異世界に転移した主人公が得たスキルは【地図作成】。
戦闘能力ゼロ、初期レベル1。
冒険者ギルドでは「外れスキル」と笑われ、
新人向けの雑用クエストしか回ってこない。
しかしそのスキルは、
ダンジョンの隠し通路、未踏破エリア、消えた古代文明の痕跡まで“地図に表示する”
という、とんでもない能力だった。
生き残るために始めた地味な探索が、
やがて世界の秘密と、国家すら動かす大冒険へ――。
これは、
戦えない主人公が“冒険そのもの”で成り上がる物語。
同作品を「小説家になろう」で先行配信してます。
異世界で魔法が使えない少女は怪力でゴリ押しします!
ninjin
ファンタジー
病弱だった少女は14歳の若さで命を失ってしまった・・・かに思えたが、実は異世界に転移していた。異世界に転移した少女は病弱だった頃になりたかった元気な体を手に入れた。しかし、異世界に転移して手いれた体は想像以上に頑丈で怪力だった。魔法が全ての異世界で、魔法が使えない少女は頑丈な体と超絶な怪力で無双する。
優の異世界ごはん日記
風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。
ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。
未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。
彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。
モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。
異世界に転生した俺は英雄の身体強化魔法を使って無双する。~無詠唱の身体強化魔法と無詠唱のマジックドレインは異世界最強~
北条氏成
ファンタジー
宮本 英二(みやもと えいじ)高校生3年生。
実家は江戸時代から続く剣道の道場をしている。そこの次男に生まれ、優秀な兄に道場の跡取りを任せて英二は剣術、槍術、柔道、空手など様々な武道をやってきた。
そんなある日、トラックに轢かれて死んだ英二は異世界へと転生させられる。
グランベルン王国のエイデル公爵の長男として生まれた英二はリオン・エイデルとして生きる事に・・・
しかし、リオンは貴族でありながらまさかの魔力が200しかなかった。貴族であれば魔力が1000はあるのが普通の世界でリオンは初期魔法すら使えないレベル。だが、リオンには神話で邪悪なドラゴンを倒した魔剣士リュウジと同じ身体強化魔法を持っていたのだ。
これは魔法が殆ど使えない代わりに、最強の英雄の魔法である身体強化魔法を使いながら無双する物語りである。
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
おっさん冒険者のおいしいダンジョン攻略
神崎あら
ファンタジー
冒険者歴20年以上のおっさんは、若い冒険者達のように地位や権威を得るためにダンジョンには行かない。
そう、おっさんは生活のためにダンジョンに行く。
これはそんなおっさんの冒険者ライフを描いた生活記である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる