末代までも、××ます。

藤田菜

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 私の言葉に驚いたのか、うなだれていた夫は大きく目を見開いた。驚きを隠せない瞳と目が合う。

「──……? 何だって……?」

 たしかに、すぐに理解し受け入れることは難しいだろう。私はゆっくりと、噛み砕いて夫に説明した。

「あなたが罹った流行り病はね、後遺症が出ることがあるの。重症化して高熱が続いてしまうと、子供を作ることができなくなってしまうのよ。あなたぐらいの年の男性は、重症化しないよう特に気をつけなくてはならなかったのに……──」

 この病は幼な子が罹ることが多く、大人はあまり罹らない。抗体を持っていることが多いからだ。けれど夫は、
 幼い頃から流行り病の類には罹ったことがないと、よく言っていたっけ。きっと抗体が作られることがなかったのだ。

 夫の顔色は、だんだんと色を失っていった。心当たりはあるはずだ。高熱が続いた後、下腹部の腫れや痛みを訴えていたのだから。

「もちろん罹患した大人がみんなして、子供ができなくなるわけじゃないの。軽い症状ですむ人もたくさんいる。あなただってあの時……あの時私の忠告を受け入れて、家で安静にしていたら、もしかしたら……──」

 夫が発病した時、私はすぐに気がついた。症状については先生から詳しく聞いていたし、それなりの数の患者を見てきていたから。

 罹りはじめが肝心だから無理をしてはいけないと、私は夫にそう言った。しばらくは家にいて、横になっているほうが良いと。
 でも夫は私の言うことなど気にもとめずに、無理してどこかへ行ってしまった。恋人が待つ、どこかへと。

「いやでも……まさか……そんな、まだそうと決まったわけじゃ……」

 夫は私の言葉を、まだ受け入れられないでいる。

「そうね、もちろんただ高熱が続いただけという可能性もあったわ。でも私、調べたのよ。先生の顕微鏡を使わせてもらって……そうしたらやっぱり、あなたはもう、子供を作ることができない身体だったの」
「そんなの嘘だ……そんな、まさか……」

 呆然とする夫をおいて、私は自室に入って荷物をまとめる。
 荷造りはすでにほとんど終わっていて、身の回りの少しのものをトランクに入れるだけ。いつこの日がきてもいいようにと、ずっと準備していたのだ。

 ああそうだ……今日預かってきた繕いものも、トランクの中にまとめてしまおう。
 今入院しているのは幼い子が多い。腕の取れてしまったぬいぐるみや、穴の空いた小さな靴下……繕いものは得意なので、いつも家に持ち帰って直している。

 シーツやタオルなど、備品のほつれを直すこともある。病人が使用したものだから、きちんと洗濯や消毒をした後に持ち帰らなくてはならない。

 けれどあまりに忙しい日は、なかなかその時間が取れない時もあって……特に手伝いを始めた頃は、不慣れで要領がつかめなかったものだから。

 夫のシーツと備品のシーツはよく似ている。白色に、うっすらと入ったストライプ。
 こっそり取り替えても、夫は全く気がつかなかった。流行り病の患者が使っていた、消毒前の汚れたシーツ……。
 夫はどこで、あの病に感染したのだろう。

「何を、何をして……どこに行くつもりなんだよ?!」

 荷造りをする私に気がついて、夫は大きな声を出した。

「さあ、どこかしら……あなたにはもう、関係ないわ」
「……僕に子供ができなくなったからって、僕を捨てるのか?!」
「……違うわ。私はただ、あなたが許せないの」

 夫が私を愛してくれていたら、子供がいなくたって構わなかった。二人でも充分幸せだったから。
 でも夫が私を裏切っていると知った時、私の幸せは崩れ去ってしまった。もう、元には戻れない。

「そんなに僕が憎いのか……もう戻れないって言うのかよ……」
「ええ、憎いわ……あなたもあなたの恋人のことも、どれだけ恨んだかわからない。あなたと別れて、ずっとずっと呪ってやろうかとも思ったわ。あなたの子供も、孫も、そのまた子供も……みんな不幸になればいいのにって」

 夫と出会ってからというもの、夫の幸せだけを祈って生きてきた。けれど、今は違う。

「そうよ、出来ることならそうしたかった……でも、私には耐えられそうもなかった……! あなたが私以外の誰かと一緒になるなんて、子を作るなんて、あなたを子々孫々恨み続けるなんて……私には……」
「じゃあ……!」
「でも──……あなたを許すことは、もっとできなかったの」

 私にはあなたを許すことも、恨み抜くこともできない。いっそその命を奪うことができたら、どれだけ楽だっただろう。でもそんなこと、私にはできない。

 だから私は、私にできるやり方で、あなたを……──。

 夫の心が私の元に戻ってきた今、心残りはなくなった。熱に浮かされた夫の、恋の病は治ったのだ。私の看病はもう必要ない。

 荷造りは、あっという間に終わってしまった。

「……この花瓶も、持っていくわね。あなたが私に贈ってくれた、大切な思い出だから」

 夫はまだどこか、言い訳を探しているように見えた。

「……そうだわ。私ね、医院で助手をさせてもらえそうなの。診察や研究のお手伝いも……。今お世話になっている先生はね、この流行り病の第一人者なのよ」

 花瓶をトランクに入れ直して、夫のほうを見た。

「もしこの先、あなたが私以外の誰かと幸せになろうとしたなら……私、あなたの症例を元に研究論文でも書こうかしら。もちろん名前は出さないけれど、わかる人にはわかる書き方をしてしまうかもしれないわ。あなたが子供ができない身体だと……たくさんの人に、知られたくはないわよね?」

 あの人じゃなかったとしても、私以外の誰かと幸せになるなんて許さない。
 あなたの心は私のもの。最後の最期の時まで、ずっと。

「なんでっ……! なんでだよ! あんなに愛し合っていたのに! もう僕に、少しの気持ちもないって言うのか……?!」

 やっぱり、夫は何もわかっていない。

「……今までありがとう。そして、さようなら。私、あなたのことを……──」

 夫を一人残して、家の扉を静かに閉めた。

 最後に何と言いたかったのか、自分でもよくわからない。
 あなたへの気持ちは、とても一言では言い表せないから。
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