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第二章 幸せだけを

第11話 初出勤

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 長い休みが終わり、いよいよ初出勤日。緊張と不安と恐怖……昨日の夜からセンターにいる海斗とは会えないまま、一日が始まった。

「今日から新たに加わるスタッフを紹介します」

 開店前のミーティング、張り詰める空気に包まれて水野さんの合図で、一歩前に出る。

「笹山です、今日からよろしくお願いします」

 挨拶に対する反応もなく、みんな無表情でなんだかとても居心地が悪い。

「笹山さんは、研修の後、店舗で実務にあたっていただきます。それではミーティングは以上です」

 水野さんの言葉にさえ、なんの反応もないままスタッフは散っていく。まだオープンする前の薄暗い店内は異様な雰囲気のまま、連絡事項だけの簡単なミーティングは5分程で終わった。

「行きますよ、今から建物の内部を案内します」

 水野さんの後について歩く私はどう見えているんだろう……そんな事を気にする間もなく、機械のような高速案内が始まっている。

「左手通路はスタッフルームやロッカーへ、右手通路は個室のカウンセリングルームです。まず、新規のお客様は一般のカウンセリングブースで対応を、樹梨亜さんとあなた方が初めて来た時のようなイメージで構いません。次に個室を案内します」

 人とすれ違う度に頭を下げながら必死についていく。こんな道、昔はなかったような気がする。

「ここから先は昨年、新たに増設された部分です」
「わぁ……」

 思わず声を上げてしまった。ガラス張りの通路から、ものすごく美しい庭園が見えている。

「中庭です。以前はロイドを外に連れ出していたのですが、敷地内で散策できる場所を作ったのです」

 こんな美しい場所にも心が動かないのか、水野さんは淡々と説明を続ける。

 こんなところをお散歩デートできるなんてちょっと羨ましいな……私が海斗と歩きたいくらい。

「綺麗なところですね」
「確かに綺麗ですが、海斗と歩こうなんて思わないように」
「思っていませんって……」

 この人は、なんでいつも私の心を見透かすんだろう。

「あなたと海斗の関係を周囲に知られてはいけません。ないとは思いますが、もし見掛けても声をかけないように」
「なんでですか? どうしてそんな事……」
「話がそれました。庭園の向こうにグレーの建物が見えますね」
「はい……」
「あそこが修理センターです。私達ショップスタッフは原則立入禁止、基本センターの人間と関わる事はありません」

 修理センター……タマを点検に出していた所。

「私達が修理センターと関わる時、それは担当のお客様に対して専門的な説明が必要と判断された場合です。その時にはこの左側の個室にお客様をお通しします」
「はい」
「この個室は使う際に利用登録が必要で顔認証を使い、ロックを解除します。今は開きませんが中には専用のモニターがあり、センターから提供された説明資料などをお客様に見て頂く事ができます」

 メモすら許されない環境、これを全て頭に入れないと……そう思うだけで頭がクラクラしてくる。

「まだ先だとは思いますが、カウンセリングをしていて怪しいお客様がいらした場合にも、こちらにお通しする事があります」
「怪しい……お客様? 」
「はい。主に他社のスパイや行き過ぎたマニアの方など、契約の話よりも構造を知りたがったり、レンタルロイドを分解したり……そういった迷惑行為がある場合です」
「そんな事があるんですか? 」

 いつも表情がない水野さん、でも一瞬漂う強い感情。

「必ずしも、ロイドとうまく付き合える方ばかりではないのです」
「そう……なんですね」

 スパイ、行き過ぎたマニア……そんな人達と渡り合っていけるのか不安になる。

 そんな事が私に出来るのか、それともいつかこの人みたいに、人の裏の顔まで見通せるように、なってしまうのかな。

「対応は責任者がします、心配する必要はありません」

 不安まで見透かされて、表情を変える事さえ怖くなる。

「さて、次に行きましょうか」
「外には出ないんですか? 」
「出ません」
「じゃあ、ここにはどうご案内すれば? 」
「見ればわかるでしょう」

 私の質問を軽くあしらい、水野さんはくるりと向きを変える。

「それから、私が案内する場所以外は絶対立ち入らないように」
「はい」

 厳しく冷たい口調、それだけで心がすり減っていく。禁じられる事があまりに多くて、決められた事しか出来なくて、自分達が機械化しそう。

「どうぞ、そこに座ってください」

 あの日、拷問されたスタッフルームに戻って来る。指示通り座ると水野さんもすぐ正面に座る。

「疲れましたか? 」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか、なら続けます。あなたには今日から正式に当社の一員として働いて頂きます。あなた方の働きが今後の評価に直結しますから心して取り組んでください。次に就業時に必要な事を説明します」
「はい」

 感情のない声が上司としての厳しさに聞こえる。

「まず最初にこれを。勤務時間中はいつも必ず携帯するように」

 ブレスレットタイプの通信機と見覚えのある三角のイヤフォン。ここの人達が昔から耳につけていたことを思い出す。本当にここで働くんだ……今さらそんな実感が沸いてくる。

「見たことはあるでしょう? これでスタッフや修理センターと連絡を取る事ができます。今日から様々な事を教えますが、記録は全てここに録音させてください。外部への情報漏洩を防ぐ為、他の媒体へのメモや録音は一切許されません。いいですね」
「はい、わかりました」
「ちなみに電子機器は店保管ですから持ち帰らないように」
「はい」

 情報の管理は厳しそうだけれど、聞いている限りは普通の会社と何も変わらない。組織とか……裏で何をやっているか分からない会社には、とても思えない。

「ここまでは良いですね」
「はい」
「ちなみに……何か探ろうと思っても無駄ですよ」
「そ、そんな事しませんよ」
「ここではスタッフ間のコミュニケーションも無く、特にプライベートについて話したり聞いたりする事は社内規定により禁止されていますから、私や会社について聞き回ったとしても、恐らく何の情報も得られません」
「聞き回るなんてしません。これからは聞きたいことがあれば、直接聞きます」
「そうですか……」
「早速ですけど、海斗との関わりを隠すのも社内規定ですか? 」
「それもありますが、あなた方が怪しまれるのを避けなければなりません」
「怪しまれる? なんで私達が怪しまれるんですか? 」
「そんなこともわからないのですか? パートナー契約を結んでいないロイドが独身女性と暮らしている、これは本来ありえないことだからです、ここでの海斗は当社開発のアンドロイドですし、あなたは私のスカウトで入社したスタッフです。それを忘れないでください」
「はい……」
「ちなみに、通勤も海斗とは別にしてください。万一、二人でいる所を目撃された場合には、ロイドの性能試験だという事にしましょう。ショップの人間は海斗の顔を知りませんから恐らく問題にはならないと思いますが、むやみやたらな外出は当面控えてください」
「はい……」
「社内規定の詳細はその通信機にも入っています。当社は制約が多く破った場合も厳しい処罰がありますので、しっかり守ってください」
「分かりました」

 それでか……スタッフが無表情で嫌そうに働いている理由がわかる気がする。

「最後にもう一つ。この間言いそびれていた事があります」

 水野さんが初めて私の目を見た。何だか無性に不安になる。

「何ですか? 」

 真顔のまま、水野さんの顔が近づいてくる。ロイドのような均整のとれた顔、私を凝視する硝子のような瞳に身動きが取れない。

「国外退去や違法ロイドとそれを捜査する裏の組織、そんな言葉は誰にも話さない方がいいですよ」
「それは口止め、ですか? 」
「いえ……あなたが変な人だと思われるからです」

 水野さんは立ち上がる。

「全て忘れなさい。悪い夢だったと思って……私もそうします」

 ほんの一瞬、水野さんは小声で呟いて部屋を出て行ってしまった。取り残された私は、振り返って水野さんの消えていったドアを見つめる。

 悪い夢……私もって、どういう意味?

 一人取り残された私の頭には、水野さんの言葉がぐるぐると回っている。

「さて、今からあなたには膨大な量の知識を頭に入れて頂きます」
「え!? 」

 びっくりして声の方を見ると、そこにはさっき出ていったはずの水野さんがいる。

「水野さん……!? 今出て行って……」
「出て行ったのは実体です。研修は仮想体で行います。今時、そんなに珍しい物でもありません」
「仮想体? 」

 目の前の水野さんは、映像と思えないほどそのまま水野さんで。

「あなたには、そんな事まで説明しないと分からないのですね」

 確かに島にいたせいで変化についていけてない感じはあるけど……そんな言い方しなくても。

「まぁ、仕方ありません。とにかく始めましょう。最初は動画を見てもらいます、我が社がどんな取り組みをしているか分かるでしょう。ちなみに毎日テストを行い、完璧に出来るまで帰れませんので、中途半端な気持ちで挑まないように」
「えっ……帰れないんですか? 」
「早く覚えればいいだけです。あなたは時間がかかりそうですからさっさと始めますよ」

 なんだか……バカにされてる?

 そう思った瞬間にはもう、目の前に鮮明な動画が映し出された。ただの空間になぜ動画が映るのか仕組みも全く分からないまま、アナウンスが流れ始める。

 振り回されている、確実に。

 水野さんの唐突感、無表情、スタッフの雰囲気……島とは別世界の近未来に来たことも、原因かもしれない。

 怒涛の初出勤、鉛のような重さを感じながら、ただただ振り回され続けた。
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