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盲目の騎士〜序章〜
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「ただいま帰りました、お母様。」
そう言って高校生の高真武彦は家に入った。
玄関へと母がパタパタと走ってくる。
「武彦さん、お帰りなさい。模試の結果はどうだったの?」
高真は鞄をあけて1枚の紙を出した。
「満点で全国トップです。」
「あらあら、今回も頑張ったわね~。」
そう言って、高真の母は笑った。
「明日はお父様もゴルフで早いから、ステーキにでもしましょう。」
くだらない、高真は笑いながらそう思った。
朝起きて学校へ行き、家で勉強し試験を受ける。そんなことの繰り返しで人生が決まる。高校生の高真はそう思っていた。
次の日、学校へ行くといつものように取り巻きがついてくる。
「高真さんなら官僚にでもなれますよ。お父様だって大企業の重役なんですから。」
「どうやったら、そんなに賢くなれるんですか?」
そう言ってる間に勉強すればもっと点は取れるんじゃあ…高真はそう思いながら微笑んだ。
「先生の授業が分かりやすいんだよ。」
当たり障りのない答えだ。家庭もくだらない、学校もくだらない。本当なら幸せなはずなのにこんな簡単に毎日は過ぎていくのか、そう思った。
お昼になって飲み物を買いに自販機へと向かった。グレープフルーツ味の炭酸を買った。最近のお気に入りだ。
ふっと視線を向けると男が立っていた。作業着姿でズボンには絵の具の跡が沢山ついている。業者さんか?そう思った。
「次、良いですか?」
「あ、はい。すみません。」
教室に戻った高真はさっきの出来事を話した。
「それって美術室の亡霊ですよ。」
「美術室の亡霊?」
「授業に出ないでずっと美術室で油絵を描いている生徒がいるんです。」
「へー芸術家気取りだね。この学校から芸大なんてでたこと無いのに。」
そう言って高真は炭酸を口にした。
「コンクールとかでは意外といい線いってるらしいですよ。確かアオヤギとか言ったかな?」
「絵なんて中学以来描いてないなぁ。」
「そんなことより高真さん、ここ教えてくださいよ。」
「先生に聞いてよ。僕じゃ無理だよ。」
そう言って高真は取り巻きを適当にあしらった。
次の日の体育は野球だった。高真はスポーツも得意でこれと言って苦手なことはない。
一塁に出ると美術室が目に入った。
そこには昨日の男がいた。良く見えないがかなり大きな作品を作っている。
高真はそれに気を取られ、アウトになった。
「高真さんにしては珍しいですね。」
「今日はなんか調子が悪くてね。」
それでも高真がアウトになったことで敵チームの一部はニヤニヤとしていた。
美術室か…。高真はそう思った。
その日の放課後、高真は音楽室でフルートを吹いた。子供の頃から習っていたのでひと通りの演奏はできる。
一曲演奏したところで高真は帰ろうとした。
「もう一曲…。」
音楽室の入り口にはあの男がいた。
「もう一曲吹いてくれ。インスピレーションが湧くんだ。」
そう言って男は頭を下げた。
「もしかしてアオヤギ君…?」
「青柳だ。」
美術室と音楽室は同じフロアにある。
「美術室まで聞こえるの?耳が良いんだね。この距離で聞こえるんだ。」
「通りかかって聞こえただけだ。美術室までは聞こえない。」
「一曲だけだよ。」
そう言って高真はフルートを吹いた。
「違う、さっきと同じように、だ。」
「どこが違うんだよ?」
高真は苛立った。
「一番最初の演奏はもっと丁寧で日頃の労をねぎらうような演奏だった。次の演奏は的確だがなんの感情も湧き上がってこない。」
そう言うと青柳は音楽室を後にした。
「失礼なやつだな。」
しかし、高真はこの時、青柳の発言が的確だったことに内心、驚いた。
それからの高真は何度か青柳の前で演奏した。青柳は心地よさそうに演奏を聞いていた。
青柳は人見知りなのか他の生徒がいるときには演奏を聴きに来ることはなかった。
半年が経った。
相変わらず青柳は美術室にこもっていた。単位は大丈夫なのだろうか?高真は心配した。
その日の演奏を終えて高真は口にした。
「勉強が苦手でも授業に出てればなんとか卒業できるよ。今からでも頑張ろう。」
青柳はゆっくりと動いた。
「失明するんだ。」
「え?」
「子供の頃からの病気で薬やら手術やらをしてきたが半年後、失明する。だから絵を描いてる。」
「そんな…。」
「先生たちも知っている。だから止めに来ない。」
「絵で食べていけるわけでもないのに…。」
高真はそう言って俯いた。
「絵で食べていきたいわけでもない。描きたいんだ。」
青柳は話した。
「そうだ。作品見せてよ。今まで僕は演奏してきたんだから、どんな作品なのか見る権利はあるだろう?」
「いいけど、面白いものでもないぞ。」
そう言って高真と青柳は美術室に向かった。
「象にキリンに馬かぁ…動物園みたいだね。」
高真は青柳の作品を見ながら笑った。
「動物は良い。人間に生命力を分けてくれる。」
高真は椅子に座った。青柳は奥の方からゴトゴトと、作品を運んできた。
「描きかけだけど、これが例の演奏の作品だ。」
そこには黄色とピンクが多用された花畑のような景色が広がっていた。
高真はその時、不思議な感覚を覚えた。自分がそこに立っているかのような奥行きを感じる。
「売れるよ。青柳君の作品なら!」
高真はそう言い切った。
青柳は苦々しい顔をして、
「無名の高校生を扱ってくれる業者なんていないんだ。国展で賞でも取れれば…。」
と語った。
それからの高真は美術室でフルートを吹いた。青柳はその横で作品を作った。
この頃からふたりはお互いを聖人、高真、と呼ぶようになった。
「高真って学年トップだったんだな。」
ある日、青柳はそう言った。
「俺みたいなのと付き合ってて大丈夫か?」
「だからだよ。学年トップだから何も言われないんだよ。」
高真は笑った。
「なら、いいんだ。」
青柳は淡々と絵を描く。一筆ごとにゆっくりと水面が揺れるように世界が構築されていく。これが、彼を通して見えている世界なのか…そう思うと不思議だった。
「病気について家族はなんて言ってるんだ?」
高真は尋ねた。
「両親は離婚した。今はばあちゃんと暮らしてる。隔世遺伝する病気らしくて責任を押し付けあって毎日喧嘩してた。」
「大変だったな…。」
しかし、これからのほうがずっと大変になる。高真はそう思った。
その日、高真はいつもと違うルートで家に帰った。帰り道の途中、貸しギャラリーが目に留まった。
中に入ると作品が目に入った。オーナーらしき男の人が近寄ってくる。
「こんにちは、絵が好きなのかい?」
「僕じゃなくて友達が絵を描くんです。」
「へーそれは良いね。よかったらまたそのお友達と一緒に顔を出してね。」
「あの、高校生でも貸しギャラリーって借りれるんですか?」
「え?まあ、お金さえあれば借りれるんじゃないかな?」
「どこに連絡したら良いんですか?」
「ネットに情報が出てるからそれを参考にしたら良いよ。」
「ありがとうございます。」
高真は急いで家に帰った。
家についた高真はノートパソコンを開くと貸しギャラリーを検索した。6日で10万…お年玉と小遣いの残りならある。
勇気を出して電話をした。
「ギャラリーをお借りしたいんですが…。」
「はい。ありがとうございます。」
「6日で、10万円なんですよね?」
「後、売り上げに応じて何パーセントか頂いております。」
「分かりました。お願いします。」
そうして高真は契約の手続きへと足を運んだ。
月曜日、朝一番に美術室へと高真は走った。
青柳がすでに作品に取り掛かっている。
「個展だ!個展を開こう!」
「どういうことだ?」
青柳は状況が飲み込めない、そんな感じだった。
「学校近くの貸しギャラリーを来月押さえてある。そこで個展を開くんだ!」
「そんなこと急に言われても…。」
青柳はたじろいだ。
「行けるよ、聖人なら!」
「どのくらいの作品が必要なんだ?」
「30点ほどあれば良いって業者さんが言ってた。」
「ギリギリ25点くらいならあるけど…。」
「やろう!きっと成功するよ!」
「お金はどうした?」
「出世払いで良いよ。これから聖人はどんどん有名になるんだ!」
「なんの約束も出来ないぞ。」
「約束された未来なんて面白くもなんとも無い。1から作り上げた未来のほうが素晴らしいんだ。」
それから高真は文房具屋で画用紙を大量に買い込んで招待状を作った。そして毎日それらを、ルートを変えて学校帰りポスティングした。
個展直前の期間、高真は青柳の作品を学校から会場へと何往復もしながら運んだ。
そして、個展前日、高真は父のクローゼットから1番高いスーツを拝借した。
きっと成功する。そう思った。
個展初日、近所のおばさんたちが顔を出してくれた。
「高真さんとこの息子さんが個展を主催するって言うから見に来たのよ。」
「画家の子は来ないの?」
青柳は会場の奥で身を潜めた。
「若々しいわ~。」
「可愛い絵ねぇ…。」
皆、無難なことを言うもののお買い上げということには結びつかなかった。
それでも次の日にはもっとお客さんも増えるだろう、そう思いながらガランとした個展は幕を閉じた。
何がいけなかったのだろう、高真はそう思った。やはり高校生というのは伏せておくべきだった。そう思った。青柳はいつも通り絵を描いた。
「言っただろう。絵で食べていきたいわけじゃない。」
「だけど…。」
「悪い気はしなかったよ。高い金払ってくれて有難う。でも、もうこれで最後にして欲しい。俺は障害者だ。絵だってもう描けなくなる。」
そう言って青柳は汗を拭った。
「障害者だから描けなくなる?!自分に酔ってるだけだろう!」
「見えなくなるのに描けるわけ無いだろう。日常生活だって介護が必要になるんだ!」
高真は青柳に掴みかかった。
「じゃあ、僕がお前の目になるよ、それでどうだ?」
「目になる…?どういうことだ。」
「僕は聖人みたいな絵は描けない。でも1番近くで見てきたからタッチや描きたいものはなんとなくわかる。だから僕が指示を出す。それでどうだ。」
「話にならない。」
青柳は高真の手を振りほどいた。
「僕がいつか聖人を世界一の画家にして見せる。」
「俺は絵が描ければそれで良いんだよ。」
この日のふたりは平行線のまま、1日を終えた。
青柳が失明するまで時間はあまり残されてはいなかった。塾の公開模試の帰り、高真は青柳と公園で待ち合わせした。
模試の前日、高真は父の部屋からタバコを一箱くすねていた。
「色々考えたんだけど僕たちには深みが足りないんじゃないかと思う。一緒に大人になろう、聖人。」
「安直過ぎやしないか…。」
青柳は苦笑いした。
「僕は、私服だと大学生くらいに見えるんだよ。だからこうして酒も買えた。」
そう言って、高真はコンビニのレジ袋からビールを2缶取り出した。
ふたりでビールの缶を開けて乾杯した。
「まっず…。」
高真は口いっぱいに広がる麦芽の味に吐き気を催した。
青柳はごくごくとビールを飲み干す。
「意外と美味しいものなんだな。」
「どこがだよ…。」
ふたりは笑った。次はタバコだ…。
高真はタバコを1本箱から出して口にくわえた。そうして青柳がライターで火をつけた。肺に吸い込んで吐く、そうネットに書いてあった。しかし、タバコもまた、高真には合わなかった。青柳はタバコの煙をスーッと吸ってフーっと吐いた。
「お前、本当は高校生じゃないだろう?」
高真はそう毒づいた。そしてふたりは笑った。今にして思えば家庭や学校が悪いんじゃなく本音で付き合える人が誰もいなかったことがくだらないことだったんだ。高真はそう思った。
それからの高真は周りに親切になった。勉強の分からない点があれば解説をしたり、運動に関してはストレッチやコツなどを教えた。
そして放課後は美術室にこもった。
その日はたまたま青柳が作品の整理にあたっていた。見るとほとんど同じ色違いの絵があった。
「トレースでもしたのか?」
「ああ、それか。一度描くと同じ様に描けるんだよ。」
青柳は笑った。
「それだ!」
高真は叫んだ。
「同じ絵を描けば良いんだよ!」
「どういうことだ?」
「同じサイズで同じ様に絵を描くんだ。それなら感覚でも分かるかもしれない。」
「そんなこと…。」
「やるだけやってみよう。な!」
高真は青柳に目隠しをした。
「これがF10、こっちがF15。どうだ?分かるか?」
青柳はふたつのキャンバスを重ねて大きさの違いを比べた。
「本当にこんなこと続けて描けるようになるのか?」
青柳は不安そうだった。
「描けるのかじゃない、描くんだよ。」
それから毎日、早朝に美術室で高真と青柳はトレーニングを続けた。
そうして1か月が過ぎた頃、青柳は見ないでも作品を描けるようになっていった。
そうして視力は少しずつ病魔に奪われていった。
「後は色だな。」
当たり前のことだが絵の具のチューブに点字はない。
「覚えるしか無いな…。」
時間との戦いだった。
色見本を見ながら高真と青柳は色を暗記していった。混色の割合までは覚えることが出来ず青柳の作品は原色が使われた色彩豊かなものとなった。これが逆に彼の作品に光明がさす結果となった。
学校の学園祭、第一会議室に美術部の作品が飾られた。とは言っても美術部は青柳1人だ。
そこに1人の男性がやってきた。
「この作品はギャラリーに飾られてませんでしたか?」
「はい。と言ってもひと月以上前ですけど。」
高真は話した。
「あそこのギャラリーにはジンクスがあるんです。」
「ジンクス?」
「あそこを最初に選んだ画家は成功するという話なんです。まあ嘘か本当か分かりませんけどね。」
そうして男性は帰った。
高校3年生になった高真は青柳が退学していないことに安堵した。
障害者だからと、レポートと休学でなんとか、3年になっていた。この頃の青柳は杖をついて階段などは壁伝いに移動していた。
青柳は学校で絵を描くことも減り、自宅に籠もるようになった。
高真は毎日、青柳の家に行っては絵を描くサポートを続けた。
もうじき進路の時期だ。
「僕は大学には行きません。」
高真はそう担任に宣言した。職員室にいる職員が全員出てきたのかと思うほど皆からやいのやいの言われた。せめて受験だけでもしてくれという声も上がった。
その日の夜、高真は事情を聞いた父に殴られた。
「絵で食べていきたいなんて、そんな浮ついた夢を見るようなお前じゃなかったはずだ。」
そう言って説教された。
父は繰り返し繰り返し、芸術で飯は食えない、そう語った。
しかし高真は言った。
「一千万貸してください。毎年、百万ずつ必ず返します。返せなかったらお父様の言う企業に就職します。だからお願いします。力を貸してください。僕は青柳聖人を世界一の画家にすると神に誓ったんです。」
そう言って土下座した。
「働いたこともない、金の重みも分からない、それで一千万か…?」
高真は震えながら泣いていた。
「作品は?」
「え?」
「融資する以上担保は必要だ。そんなことくらいわかるだろう?」
「じゃあ…。」
「気に入れば会社にでも飾ってもらおう。出来るのか?」
「ありがとうございます!!」
次の日、美術室で高真は青柳に話をした。
「聖人、F30で1作作って欲しい。それで僕たちの未来が決まる。」
「本当に絵で食べていく気なんだな…。」
青柳は高真の本気を感じ取った。
「1か月、本当は3ヶ月ほど欲しいんだがそれで良いか?」
「大丈夫だ。それでお願いしたい。」
1か月半かかって青柳は作品を完成させた。それは沢山の鯉の絵だった。
「会社に飾るなら縁起を担いで鯉の滝登りとかで良いかと思って…。」
高真は作品が完成してすぐに父親に作品の写真を送った。
折り返し電話が来た。
「武彦か?お前の目は間違っていないようだ。だが約束は約束だ。返せなかったらすぐさま就職するように。」
そう言って電話は切れた。
高真は安堵して泣いた。
高校を卒業したふたりはアトリエを借りた。
「青柳聖人を世界一の画家へ。」
そう言って高真は笑った。
青柳はゆっくりと高真の顔を覗き込んで、
「後悔しないか?」
と聞いた。
「今までの人生で1番の瞬間さ。」
高真は言い切った。そう言われて青柳も笑った。簡単な道のりではないだろう。それでもふたりなら越えていける。
そしてふたりはスタートラインに立った。
そう言って高校生の高真武彦は家に入った。
玄関へと母がパタパタと走ってくる。
「武彦さん、お帰りなさい。模試の結果はどうだったの?」
高真は鞄をあけて1枚の紙を出した。
「満点で全国トップです。」
「あらあら、今回も頑張ったわね~。」
そう言って、高真の母は笑った。
「明日はお父様もゴルフで早いから、ステーキにでもしましょう。」
くだらない、高真は笑いながらそう思った。
朝起きて学校へ行き、家で勉強し試験を受ける。そんなことの繰り返しで人生が決まる。高校生の高真はそう思っていた。
次の日、学校へ行くといつものように取り巻きがついてくる。
「高真さんなら官僚にでもなれますよ。お父様だって大企業の重役なんですから。」
「どうやったら、そんなに賢くなれるんですか?」
そう言ってる間に勉強すればもっと点は取れるんじゃあ…高真はそう思いながら微笑んだ。
「先生の授業が分かりやすいんだよ。」
当たり障りのない答えだ。家庭もくだらない、学校もくだらない。本当なら幸せなはずなのにこんな簡単に毎日は過ぎていくのか、そう思った。
お昼になって飲み物を買いに自販機へと向かった。グレープフルーツ味の炭酸を買った。最近のお気に入りだ。
ふっと視線を向けると男が立っていた。作業着姿でズボンには絵の具の跡が沢山ついている。業者さんか?そう思った。
「次、良いですか?」
「あ、はい。すみません。」
教室に戻った高真はさっきの出来事を話した。
「それって美術室の亡霊ですよ。」
「美術室の亡霊?」
「授業に出ないでずっと美術室で油絵を描いている生徒がいるんです。」
「へー芸術家気取りだね。この学校から芸大なんてでたこと無いのに。」
そう言って高真は炭酸を口にした。
「コンクールとかでは意外といい線いってるらしいですよ。確かアオヤギとか言ったかな?」
「絵なんて中学以来描いてないなぁ。」
「そんなことより高真さん、ここ教えてくださいよ。」
「先生に聞いてよ。僕じゃ無理だよ。」
そう言って高真は取り巻きを適当にあしらった。
次の日の体育は野球だった。高真はスポーツも得意でこれと言って苦手なことはない。
一塁に出ると美術室が目に入った。
そこには昨日の男がいた。良く見えないがかなり大きな作品を作っている。
高真はそれに気を取られ、アウトになった。
「高真さんにしては珍しいですね。」
「今日はなんか調子が悪くてね。」
それでも高真がアウトになったことで敵チームの一部はニヤニヤとしていた。
美術室か…。高真はそう思った。
その日の放課後、高真は音楽室でフルートを吹いた。子供の頃から習っていたのでひと通りの演奏はできる。
一曲演奏したところで高真は帰ろうとした。
「もう一曲…。」
音楽室の入り口にはあの男がいた。
「もう一曲吹いてくれ。インスピレーションが湧くんだ。」
そう言って男は頭を下げた。
「もしかしてアオヤギ君…?」
「青柳だ。」
美術室と音楽室は同じフロアにある。
「美術室まで聞こえるの?耳が良いんだね。この距離で聞こえるんだ。」
「通りかかって聞こえただけだ。美術室までは聞こえない。」
「一曲だけだよ。」
そう言って高真はフルートを吹いた。
「違う、さっきと同じように、だ。」
「どこが違うんだよ?」
高真は苛立った。
「一番最初の演奏はもっと丁寧で日頃の労をねぎらうような演奏だった。次の演奏は的確だがなんの感情も湧き上がってこない。」
そう言うと青柳は音楽室を後にした。
「失礼なやつだな。」
しかし、高真はこの時、青柳の発言が的確だったことに内心、驚いた。
それからの高真は何度か青柳の前で演奏した。青柳は心地よさそうに演奏を聞いていた。
青柳は人見知りなのか他の生徒がいるときには演奏を聴きに来ることはなかった。
半年が経った。
相変わらず青柳は美術室にこもっていた。単位は大丈夫なのだろうか?高真は心配した。
その日の演奏を終えて高真は口にした。
「勉強が苦手でも授業に出てればなんとか卒業できるよ。今からでも頑張ろう。」
青柳はゆっくりと動いた。
「失明するんだ。」
「え?」
「子供の頃からの病気で薬やら手術やらをしてきたが半年後、失明する。だから絵を描いてる。」
「そんな…。」
「先生たちも知っている。だから止めに来ない。」
「絵で食べていけるわけでもないのに…。」
高真はそう言って俯いた。
「絵で食べていきたいわけでもない。描きたいんだ。」
青柳は話した。
「そうだ。作品見せてよ。今まで僕は演奏してきたんだから、どんな作品なのか見る権利はあるだろう?」
「いいけど、面白いものでもないぞ。」
そう言って高真と青柳は美術室に向かった。
「象にキリンに馬かぁ…動物園みたいだね。」
高真は青柳の作品を見ながら笑った。
「動物は良い。人間に生命力を分けてくれる。」
高真は椅子に座った。青柳は奥の方からゴトゴトと、作品を運んできた。
「描きかけだけど、これが例の演奏の作品だ。」
そこには黄色とピンクが多用された花畑のような景色が広がっていた。
高真はその時、不思議な感覚を覚えた。自分がそこに立っているかのような奥行きを感じる。
「売れるよ。青柳君の作品なら!」
高真はそう言い切った。
青柳は苦々しい顔をして、
「無名の高校生を扱ってくれる業者なんていないんだ。国展で賞でも取れれば…。」
と語った。
それからの高真は美術室でフルートを吹いた。青柳はその横で作品を作った。
この頃からふたりはお互いを聖人、高真、と呼ぶようになった。
「高真って学年トップだったんだな。」
ある日、青柳はそう言った。
「俺みたいなのと付き合ってて大丈夫か?」
「だからだよ。学年トップだから何も言われないんだよ。」
高真は笑った。
「なら、いいんだ。」
青柳は淡々と絵を描く。一筆ごとにゆっくりと水面が揺れるように世界が構築されていく。これが、彼を通して見えている世界なのか…そう思うと不思議だった。
「病気について家族はなんて言ってるんだ?」
高真は尋ねた。
「両親は離婚した。今はばあちゃんと暮らしてる。隔世遺伝する病気らしくて責任を押し付けあって毎日喧嘩してた。」
「大変だったな…。」
しかし、これからのほうがずっと大変になる。高真はそう思った。
その日、高真はいつもと違うルートで家に帰った。帰り道の途中、貸しギャラリーが目に留まった。
中に入ると作品が目に入った。オーナーらしき男の人が近寄ってくる。
「こんにちは、絵が好きなのかい?」
「僕じゃなくて友達が絵を描くんです。」
「へーそれは良いね。よかったらまたそのお友達と一緒に顔を出してね。」
「あの、高校生でも貸しギャラリーって借りれるんですか?」
「え?まあ、お金さえあれば借りれるんじゃないかな?」
「どこに連絡したら良いんですか?」
「ネットに情報が出てるからそれを参考にしたら良いよ。」
「ありがとうございます。」
高真は急いで家に帰った。
家についた高真はノートパソコンを開くと貸しギャラリーを検索した。6日で10万…お年玉と小遣いの残りならある。
勇気を出して電話をした。
「ギャラリーをお借りしたいんですが…。」
「はい。ありがとうございます。」
「6日で、10万円なんですよね?」
「後、売り上げに応じて何パーセントか頂いております。」
「分かりました。お願いします。」
そうして高真は契約の手続きへと足を運んだ。
月曜日、朝一番に美術室へと高真は走った。
青柳がすでに作品に取り掛かっている。
「個展だ!個展を開こう!」
「どういうことだ?」
青柳は状況が飲み込めない、そんな感じだった。
「学校近くの貸しギャラリーを来月押さえてある。そこで個展を開くんだ!」
「そんなこと急に言われても…。」
青柳はたじろいだ。
「行けるよ、聖人なら!」
「どのくらいの作品が必要なんだ?」
「30点ほどあれば良いって業者さんが言ってた。」
「ギリギリ25点くらいならあるけど…。」
「やろう!きっと成功するよ!」
「お金はどうした?」
「出世払いで良いよ。これから聖人はどんどん有名になるんだ!」
「なんの約束も出来ないぞ。」
「約束された未来なんて面白くもなんとも無い。1から作り上げた未来のほうが素晴らしいんだ。」
それから高真は文房具屋で画用紙を大量に買い込んで招待状を作った。そして毎日それらを、ルートを変えて学校帰りポスティングした。
個展直前の期間、高真は青柳の作品を学校から会場へと何往復もしながら運んだ。
そして、個展前日、高真は父のクローゼットから1番高いスーツを拝借した。
きっと成功する。そう思った。
個展初日、近所のおばさんたちが顔を出してくれた。
「高真さんとこの息子さんが個展を主催するって言うから見に来たのよ。」
「画家の子は来ないの?」
青柳は会場の奥で身を潜めた。
「若々しいわ~。」
「可愛い絵ねぇ…。」
皆、無難なことを言うもののお買い上げということには結びつかなかった。
それでも次の日にはもっとお客さんも増えるだろう、そう思いながらガランとした個展は幕を閉じた。
何がいけなかったのだろう、高真はそう思った。やはり高校生というのは伏せておくべきだった。そう思った。青柳はいつも通り絵を描いた。
「言っただろう。絵で食べていきたいわけじゃない。」
「だけど…。」
「悪い気はしなかったよ。高い金払ってくれて有難う。でも、もうこれで最後にして欲しい。俺は障害者だ。絵だってもう描けなくなる。」
そう言って青柳は汗を拭った。
「障害者だから描けなくなる?!自分に酔ってるだけだろう!」
「見えなくなるのに描けるわけ無いだろう。日常生活だって介護が必要になるんだ!」
高真は青柳に掴みかかった。
「じゃあ、僕がお前の目になるよ、それでどうだ?」
「目になる…?どういうことだ。」
「僕は聖人みたいな絵は描けない。でも1番近くで見てきたからタッチや描きたいものはなんとなくわかる。だから僕が指示を出す。それでどうだ。」
「話にならない。」
青柳は高真の手を振りほどいた。
「僕がいつか聖人を世界一の画家にして見せる。」
「俺は絵が描ければそれで良いんだよ。」
この日のふたりは平行線のまま、1日を終えた。
青柳が失明するまで時間はあまり残されてはいなかった。塾の公開模試の帰り、高真は青柳と公園で待ち合わせした。
模試の前日、高真は父の部屋からタバコを一箱くすねていた。
「色々考えたんだけど僕たちには深みが足りないんじゃないかと思う。一緒に大人になろう、聖人。」
「安直過ぎやしないか…。」
青柳は苦笑いした。
「僕は、私服だと大学生くらいに見えるんだよ。だからこうして酒も買えた。」
そう言って、高真はコンビニのレジ袋からビールを2缶取り出した。
ふたりでビールの缶を開けて乾杯した。
「まっず…。」
高真は口いっぱいに広がる麦芽の味に吐き気を催した。
青柳はごくごくとビールを飲み干す。
「意外と美味しいものなんだな。」
「どこがだよ…。」
ふたりは笑った。次はタバコだ…。
高真はタバコを1本箱から出して口にくわえた。そうして青柳がライターで火をつけた。肺に吸い込んで吐く、そうネットに書いてあった。しかし、タバコもまた、高真には合わなかった。青柳はタバコの煙をスーッと吸ってフーっと吐いた。
「お前、本当は高校生じゃないだろう?」
高真はそう毒づいた。そしてふたりは笑った。今にして思えば家庭や学校が悪いんじゃなく本音で付き合える人が誰もいなかったことがくだらないことだったんだ。高真はそう思った。
それからの高真は周りに親切になった。勉強の分からない点があれば解説をしたり、運動に関してはストレッチやコツなどを教えた。
そして放課後は美術室にこもった。
その日はたまたま青柳が作品の整理にあたっていた。見るとほとんど同じ色違いの絵があった。
「トレースでもしたのか?」
「ああ、それか。一度描くと同じ様に描けるんだよ。」
青柳は笑った。
「それだ!」
高真は叫んだ。
「同じ絵を描けば良いんだよ!」
「どういうことだ?」
「同じサイズで同じ様に絵を描くんだ。それなら感覚でも分かるかもしれない。」
「そんなこと…。」
「やるだけやってみよう。な!」
高真は青柳に目隠しをした。
「これがF10、こっちがF15。どうだ?分かるか?」
青柳はふたつのキャンバスを重ねて大きさの違いを比べた。
「本当にこんなこと続けて描けるようになるのか?」
青柳は不安そうだった。
「描けるのかじゃない、描くんだよ。」
それから毎日、早朝に美術室で高真と青柳はトレーニングを続けた。
そうして1か月が過ぎた頃、青柳は見ないでも作品を描けるようになっていった。
そうして視力は少しずつ病魔に奪われていった。
「後は色だな。」
当たり前のことだが絵の具のチューブに点字はない。
「覚えるしか無いな…。」
時間との戦いだった。
色見本を見ながら高真と青柳は色を暗記していった。混色の割合までは覚えることが出来ず青柳の作品は原色が使われた色彩豊かなものとなった。これが逆に彼の作品に光明がさす結果となった。
学校の学園祭、第一会議室に美術部の作品が飾られた。とは言っても美術部は青柳1人だ。
そこに1人の男性がやってきた。
「この作品はギャラリーに飾られてませんでしたか?」
「はい。と言ってもひと月以上前ですけど。」
高真は話した。
「あそこのギャラリーにはジンクスがあるんです。」
「ジンクス?」
「あそこを最初に選んだ画家は成功するという話なんです。まあ嘘か本当か分かりませんけどね。」
そうして男性は帰った。
高校3年生になった高真は青柳が退学していないことに安堵した。
障害者だからと、レポートと休学でなんとか、3年になっていた。この頃の青柳は杖をついて階段などは壁伝いに移動していた。
青柳は学校で絵を描くことも減り、自宅に籠もるようになった。
高真は毎日、青柳の家に行っては絵を描くサポートを続けた。
もうじき進路の時期だ。
「僕は大学には行きません。」
高真はそう担任に宣言した。職員室にいる職員が全員出てきたのかと思うほど皆からやいのやいの言われた。せめて受験だけでもしてくれという声も上がった。
その日の夜、高真は事情を聞いた父に殴られた。
「絵で食べていきたいなんて、そんな浮ついた夢を見るようなお前じゃなかったはずだ。」
そう言って説教された。
父は繰り返し繰り返し、芸術で飯は食えない、そう語った。
しかし高真は言った。
「一千万貸してください。毎年、百万ずつ必ず返します。返せなかったらお父様の言う企業に就職します。だからお願いします。力を貸してください。僕は青柳聖人を世界一の画家にすると神に誓ったんです。」
そう言って土下座した。
「働いたこともない、金の重みも分からない、それで一千万か…?」
高真は震えながら泣いていた。
「作品は?」
「え?」
「融資する以上担保は必要だ。そんなことくらいわかるだろう?」
「じゃあ…。」
「気に入れば会社にでも飾ってもらおう。出来るのか?」
「ありがとうございます!!」
次の日、美術室で高真は青柳に話をした。
「聖人、F30で1作作って欲しい。それで僕たちの未来が決まる。」
「本当に絵で食べていく気なんだな…。」
青柳は高真の本気を感じ取った。
「1か月、本当は3ヶ月ほど欲しいんだがそれで良いか?」
「大丈夫だ。それでお願いしたい。」
1か月半かかって青柳は作品を完成させた。それは沢山の鯉の絵だった。
「会社に飾るなら縁起を担いで鯉の滝登りとかで良いかと思って…。」
高真は作品が完成してすぐに父親に作品の写真を送った。
折り返し電話が来た。
「武彦か?お前の目は間違っていないようだ。だが約束は約束だ。返せなかったらすぐさま就職するように。」
そう言って電話は切れた。
高真は安堵して泣いた。
高校を卒業したふたりはアトリエを借りた。
「青柳聖人を世界一の画家へ。」
そう言って高真は笑った。
青柳はゆっくりと高真の顔を覗き込んで、
「後悔しないか?」
と聞いた。
「今までの人生で1番の瞬間さ。」
高真は言い切った。そう言われて青柳も笑った。簡単な道のりではないだろう。それでもふたりなら越えていける。
そしてふたりはスタートラインに立った。
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