【完結】某日、そこで。

九時せんり

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平太

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彼女は確かにそそっかしい事もあった。けれど結婚記念日を忘れることはなかった。
だから、あの時、平太は未宙に検査を受けるように勧めた。

「平太さん、お帰りなさい。ゆずの入浴剤買ってあるから。」
うちは持ち家で、ローンを組んでデザイナーに依頼して基礎を作った。
風呂好きの平太は浴室は狭くて良いからバスタブを大きなものにして欲しいと頼んだ。
大人ふたりが入れるサイズだ。
「電車から雪が見えてくると嫌でも帰ってきたんだなと思うよ。」
平太はそう言って未宙にお土産を渡した。
未宙はいつものように仏前にそれをお供えする。ツムギが中身が気になってカリカリと包装紙を爪で研ぐ。
「父さん、お帰り。」
奥から大ちゃんが顔を出す。
「合格おめでとう。」
「電話ではそんなこと言わなかったじゃん。」
「こういうのは直接会って話すものだろう?」
そう言って平太はコートを脱いで、ネクタイを緩める。ネクタイは定年退職された先輩から、この調子で頑張るようにと貰ったブランド品のものだ。ネットで価格を調べると驚くほど値が張るものだった。未宙はその日のうちにお返しの品を用意して平太に持たせた。
ツムギは久しぶりに会った平太に近寄ろうとはせず段ボール箱の中で息を潜める。
大ちゃんはツムギを段ボール箱から取り出してチュールを与え始めた。
ツムギは大ちゃんの手の振動に合わせて揺れながら必死でそれを舐め回す。
「うちの家系に医者が出るとはなぁ…。」
「まだ医師免許だって持ってないのに止めてよ。」
しかし、大ちゃんの表情は明るい。
「いつか友達と秘密基地でも作って遊ぶんだって小3くらいまでは思ってた。」
「今からでも遅くはないぞ。」
そう言って平太は笑う。未宙はビールを注いでキッチンから居間へと運ぶ。
「おつまみは何が良いかしら?」
「神棚にあげてあるホタテの貝柱が食べたい。」
平太はすっかり自宅モードになり、気の抜けた顔をする。平太は商社マンで、出張となれば海外に行くこともある。そんな平太のいない中で未宙は必死に大ちゃんを育ててきた。
「病院にはちゃんと通えてるか?」
ああ、やはりこの話は避けては通れないのか、未宙はそう思った。
「進行が遅くなってきたって言われたわ。大ちゃんにも付いてきて貰ってるし大丈夫よ。」
「まあ若松先生に任せとけば大丈夫だよ。あの先生は若いけどやり手だからね。」
それを聞いていた大ちゃんが、不機嫌そうな顔をする。
ツムギがチュールを食べ終わり、大ちゃんの周りをぐるぐると回りだした。
「ツムギだーめー。おしまい。」
そう言って大ちゃんはツムギの動きを止める。ツムギはふにゃーと鳴き声をあげる。
「父さん、餅も残ってるよ。」
「おお頼むよ。」
大ちゃんがトースターで餅を3枚焼き始めた。
「砂糖醤油?それとも磯辺?」
「砂糖醤油でいいよ。」
「後は私がするから大ちゃんは平太さんと話してらっしゃい。」
未宙は大ちゃんに代わって流しに立った。
オレンジ色をした庫内で餅がプクプクと膨らんではプシューとへこむ。
大ちゃんは平太に、大学での抱負を話した。医学ならドイツ語を専攻したほうが良いのかなぁ?そんな話をしていた。

「今日、なんの日かわかる?」
平太は未宙にそういった。
「なにかあったかしら?」
「今日は天赦日だよ。」
「大安とかじゃなくて?」
「天が万物の罪を許す日と言って物事がよく進むんだよ。」
「最近は宝くじ売場で見るやつでしょう?」
大ちゃんがこたつから顔を出し話す。
何だか日本のこよみはいつの間にか、バレンタインやらハロウィンやらと増えて今日は何の日か検索すれば出てくる始末だ。
未宙は苦笑いしながらふたりの会話を聞く。
「スーパー伊東の宝くじ売場で去年ジャンボが出たって。」
「ほー、そうなのか。」
「あそこは一度にたくさん買う人も多いから…。」
そう言って未宙は免罪符を求める。
ふたりは宝くじにはロマンがあると言ってたまに5枚ほど宝くじを買ってくる。しかし未宙は現実にそんな大金が当たるわけがない。そう思って宝くじに手を出したことはない。大ちゃんは以前、千円ほど宝くじを当ててプラマイ0だと笑っていた。
「お夕飯何にしようかしら?」
「魚が良いな。」
「だったら、ブリだね。」
「やっぱりそうだよな。」
出張前にもぶりの刺し身を食べたのにまだブリなのか。未宙は冷凍庫からブリの切り身を出して皿に移し電子レンジの解凍ボタンを押してグラムの表示を300グラムに合わせた。
冬といえばブリ。それが金沢の人なのだろう。未宙は深く考えることもなくそう思った。寒ブリ漁という言葉があるくらいだ。
この土地の人達はさぞブリが好きなのだろう。
正月には北海道から取り寄せた冷凍いくらを解凍してイクラ丼を食べた。懐かしくて口の中でプチプチと潰しながら味わった。
これから先、いくつまで故郷の味を覚えていられるんだろう。それとも、その味がする時だけ自分を保っていられるんだろうか?
「母さん、手伝うよ。」
大ちゃんが流しに立つのも、後どのくらいの日々だろう。彼の奥さんや子供がその頃の自分には分かるのだろうか。
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