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濁流を抱く
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彼女は小説のために何でもする人だった。僕はそんな彼女が嫌いだった。それでも僕が彼女の側から離れられなかったのは彼女が時折見せる横顔が大層美しいものだったからかもしれない。
「遠坂君は何が好きなの?」
ああ、始まった。僕はそう思いながら最近かけたパーマの自毛をくしゃくしゃとした。
「何って、地球儀が好きなんだよ。」
「何で地球儀が好きなの?」
「その質問、前もしてるよ。前は戦車が好きって言ったらそこからひたすら戦車について聞いてきたじゃないか。」
僕はマックでおかわりしたコーヒーを大学まで持ってきて話をした。
「それよりゼミの飲み会何だけど。」
「行くわよ。皆の話が聞きたいの。」
「いつもそう言っているけど巽が作品書いているのを見たことがないよ。」
そう言って僕は肩を揺らして笑った。
「人間の心理がわからないと小説にはならないわ。物語を動かすのはキャラクターだもの。」
「それなら充分すぎるくらい話を聞いてるんじゃないの?」
「遠坂君はテントウムシが手の甲に止まったらどうする?」
「僕は振り払うかなぁ…。」
「そういうひとつひとつの積み重ねでキャラクターが出来上がるのよ。」
僕は大半の人はテントウムシと言っても自分の身体に止まれば振り払うだろうな、そう思った。
「巽はプロになるのかなぁ?」
僕は意地悪くそう言った。巽は堂々としたもので、
「私は小説家になるために産まれてきたのよ。」
と、語った。大学にはまばらに学生が残っている。サークル活動で残っている以外の人は何をしに残っているのだろう。そう思った。
巽はたまに小説が降りてくると言ってはぽわ~んとしていた。その時間は何を言っても話を聞かない。それでいて登場人物の返しが分からなくなると僕らを捕まえて話を聞くのだ。
昔、巽は夏祭りの話を書いていた。その話はリアルな描写でポイが破れたところが今でも印象に残っている。
願いが叶いますように、と、金魚すくいをした主人公のポイが破れる。
それでも巽が作品を書き上げたという話は聞いたことがない。
「あー!!遠坂!!巽!!残ってるなら手伝ってくれ!!」
「またですか?大基先輩。」
「来年の試験問題欲しいだろ?」
「教授が皆、課題を使い回しているわけではないと思いますけど。」
「参考文献がこれとこれなんだ。手分けして探してくれ。」
そう言われて僕たちは大基先輩の手伝いをした。
僕たちは図書室で参考文献に目を通し、要点をまとめた。
「遠坂は適切で助かるよ~サイゼで良いか?」
「ベローチェでコーヒーが良いです。」
僕はそう言って巽を待った。巽は小説家になりたいと言う割には、物語はすべて無駄がないのよ、そう言って要点をまとめるのが苦手なのだ。
「代わろうか?」
「大丈夫よ。」
「巽のために言ってるんじゃなく大基先輩のために言ってるんだからね。」
僕はスマホを取り出して時刻を確認した。飲み会は19時からだ。
ほぼ原文のような巽の文章を見ながら、大基先輩は1冊の本を読む。
「また、官能小説ですか?」
「芸術のひとつと言ってくれ。」
そう言って大基先輩はニヤニヤする。
僕はそういう事に割と奥手な方で、大基先輩がニヤニヤすることさえ嫌な気分だった。
「この小説家、うちの大学出てるんだぞ。」
「へー凄いんですね。」
そう言ってうちの大学を出てることが凄いのか、小説家になったことが凄いのか、分からない会話になったな、と思った。
僕の横では変わらず巽が要点のない文章をダラダラと書いている。
「残るものにしたほうが良いよ。」
僕がそう言うと巽は目をキラキラさせて、
「残るものって何?」
そう尋ねてきた。
僕はしまったなぁと思いながら、巽の文章を読んだ。
「結局、この章で作者が何を述べたいか、残るものだけ書いたほうが良いよ。」
僕はシャーペンをカチカチと鳴らし、
「例えばこの章では芸術とはなにか語ろうにも芸術の定義がわからないといけないとか。」
と語った。
「遠坂君はそういうことがさらさら出来て羨ましいわ。」
「大学の小論文良く通ったね。」
僕は皮肉を込めてそう言った。
「じゃあ僕たちゼミの飲み会があるんで。」
そう言って僕と巽は図書室をあとにした。
ゼミの飲み会は串カツ屋だった。ソースは二度漬け厳禁で飲み放題だった。
僕はハイボールを注文し巽は生ビールを頼んでいた。
「前からの疑問なんだけどさー。」
横水がそう言う。
「二人って付き合ってんの?」
横水は僕と巽をチラチラ見ながら尋ねた。
「なんとなく居心地が良いだけで付き合ってはいないよ。」
「居心地いいなら付き合っちゃえよ。」
「無理よ。」
巽は言い返した。
「私は自分が遠坂君とキスとかしてるイメージが湧かないもの。」
横水は黙った。
「イメージが湧かないものは書けないんだ?」
僕は軽く酔ってきていつもより意地悪くなっていた。
「りんごが頭になければりんごは描けないでしょう?無いものは描けないわよ。」
「それを描くのが小説家何じゃないの?」
「遠坂君は意外と意地悪なのよね。」
そう言って巽は腕時計で時間を見た。巽は結構なお家の娘で大学に入ったばかりの頃は飲み会なども参加出来なかったという話を聞いた。
「そろそろ帰ります。」
巽は皆に会釈して上着を着た。
「送っていくよ。」
「ええ、ありがとう。」
僕はいつものように巽に付いて飲み会の席をたった。
「無理に帰らなくてもいいのよ。」
巽は店から出るとそう言った。
「僕は本来、飲み会自体嫌いなんだ。巽がいなかったら来ないよ。」
「知らない人が聞いたら私達は付き合ってるって思われるわね。」
「そうなのかな?」
そうして歩きながら話して地下鉄に乗った。
巽は南北線の沿線に住んでいる。
僕は地方の出で、東京に来て初めて地下鉄に乗った。最初の頃は歩くのさえ皆が早くてついていけなかった。
巽はピアノが弾けてバレエが出来る。しかし彼女の小説にそれらは登場しない。
大切な思い出だからなのか、触れたくない何かがあるのかそれは分からない。
巽の家についた。
「上がっていく?」
「どうしようかな?」
僕は巽のお母さんが苦手なのだ。大学に入って初めにできた友達が異性の友人だと言うのに巽のお母さんは大層驚いていた。
小中高と女子校育ちだったからいけなかったのかしら、と、僕が友達になったことが悪であるかのように話した。
「お母さんなら悪いと思っているわよ。」
巽がそう話すことで僕は尚更、巽のお母さんの意向を知ることになる。
「今日はやめとくよ。お母さんによろしく。」
そう言って僕は家路についた。
大学の休み、イベントのバイトを入れた。バイト先から支給されたユニホームを着て、人気のバンドのコンサートの機材を組んだ。
女の子たちがキャーキャー喜んでいて仕事をしない。僕は少しイラッとしたもののトラブルはゴメンだ。そう思って仕事をこなした。
バイト中、浅香と言う友達ができた。浅香は専門学校の生徒だった。映画監督になるのが夢で将来はそう言う方面に進みたいのだと話していた。僕はなんとなく面白おかしく巽の話をした。浅香はその話に大変食いついて巽を紹介して欲しいと僕の手を握った。そうして僕たちは連絡先を交換した。
そこからはトントンと浅香と巽は仲良くなっていった。三人で会うとふたりは僕に入り込めない深淵で話をする。
苛立つかというより巽にとって僕というのはつなぎの友達だったのだな、そう思って寂しくなった。クリスマスは三人で祝うことにした。大学生らしく、こじんまりとした僕のアパートで乾杯をした。浅香と巽はこの日も本当に盛り上がっていた。ふたりの口からは僕の知らない小説家や脚本家の名前や監督、俳優、女優の話が出てきた。小説家になりたいと謳うだけあって巽はいろんな作品に触れていた。
浅香はこんなに話が通じる人は学校にも居ない、そう言って喜んだ。
そうしてこの日、浅香は巽と直接連絡先を交換した。
大学ではいつものように顔を合わせたものの、講義が終わると巽はいそいそと帰っていくようになった。横水には、振られたな~と茶化された。僕はそう言うのじゃないから。と言っては横水をあしらった。
浅香は変わらずラインをくれたが巽の返信はまばらになった。
僕はふたりが上手く行っているなら、それで良い。そう自分を偽った。
巽は突然、大学を休学した。僕は嫌な予感がした。巽に連絡を取ると巽の家の近くの喫茶店に巽がやってきた。
「子供ができたの…。」
僕は浅香に連絡を入れたが浅香は出なかった。
「お互い合意の上だから責任は取れないって。」
「巽は小説家になるんだろう?何を回り道しているのさ。」
僕はイライラしていた。何にそんなに苛立つのか分からないほどイライラしていた。
僕は浅香に苛立っているのか巽に苛立っているのか分からなかった。
そうして自分に苛立っていることに気がついた。浅香と巽を会わせた自分に苛立っていた。
「ごめん。」
僕はそう口にした。
「浅香がこんなやつだと分かっていたら会わせなかった。」
「違うの。私は浅香君が好きだったの。彼のように作品を作れることが羨ましかったの。」
巽は泣いていた。
「私は小説を書こうと思っても波のように儚く消えていくの。はっきりと形を持たせたいビジョンがサーッと消えていくの。留められないの。」
僕は頼んだ珈琲に口をつけた。
「産むんだね…?」
僕は恐る恐る口にした。
浅香の姿が消えてもここに彼の遺伝子が残るのだ、そう思うとはらわたが煮えくり返った。
「それもいつかは小説に出来る日が来ると思うの。」
僕は巽が幼子の手を引くイメージが出来た。ああ、これは起こることなんだ、そう思った。
「それでも書きたいの。」
「誰も止めやしないよ。書きたければ書けば良い。」
僕は珈琲を飲み干して一言付け足した。
「何があっても僕は味方だから。」
それから巽は学校から姿を消した。ラインでは最近の自撮りが入ってくる。いわゆるマタニティフォトというやつだ。
それと同時に短い物語を僕のうちに送ってくるようになった。
彼女のうちに潜む鬼を見た気分だった。彼女の頭の中には浅香の軽薄さも宿ったことだろう。それが作品にありありと表れていた。
彼女は徐々に長い文章を書くようになった。
ラインで送られてくる写真では随分お腹が大きくなった。
そうして彼女は2年間の休学を終えて復学した。僕は卒業してからそれを人づてに聞いた。
巽は子どもの写真は送ってこなかった。
それから数年して巽がプロの小説家になった話を聞いた。
僕は書店に足を運び、彼女の作品を読んだ。
父親が厳しく、友人関係が上手く作れず恋愛に没頭していく少女の話だった。
彼女の中にはこんなに複雑な感情と感性があったのか。そう思うと、この感情を言葉にするのは大変なことだっただろうな、そう思った。
その後、街なかでたまたま浅香の姿を見た。ネクタイを締めてサラリーマンとして働いているようだった。
僕はこの男が、巽と結婚しなくて良かった。そう思った。巽は今も胸のうちに複雑な感情を持ち合わせているのだろう、そう思ったが、連絡はしなかった。
「遠坂君は何が好きなの?」
ああ、始まった。僕はそう思いながら最近かけたパーマの自毛をくしゃくしゃとした。
「何って、地球儀が好きなんだよ。」
「何で地球儀が好きなの?」
「その質問、前もしてるよ。前は戦車が好きって言ったらそこからひたすら戦車について聞いてきたじゃないか。」
僕はマックでおかわりしたコーヒーを大学まで持ってきて話をした。
「それよりゼミの飲み会何だけど。」
「行くわよ。皆の話が聞きたいの。」
「いつもそう言っているけど巽が作品書いているのを見たことがないよ。」
そう言って僕は肩を揺らして笑った。
「人間の心理がわからないと小説にはならないわ。物語を動かすのはキャラクターだもの。」
「それなら充分すぎるくらい話を聞いてるんじゃないの?」
「遠坂君はテントウムシが手の甲に止まったらどうする?」
「僕は振り払うかなぁ…。」
「そういうひとつひとつの積み重ねでキャラクターが出来上がるのよ。」
僕は大半の人はテントウムシと言っても自分の身体に止まれば振り払うだろうな、そう思った。
「巽はプロになるのかなぁ?」
僕は意地悪くそう言った。巽は堂々としたもので、
「私は小説家になるために産まれてきたのよ。」
と、語った。大学にはまばらに学生が残っている。サークル活動で残っている以外の人は何をしに残っているのだろう。そう思った。
巽はたまに小説が降りてくると言ってはぽわ~んとしていた。その時間は何を言っても話を聞かない。それでいて登場人物の返しが分からなくなると僕らを捕まえて話を聞くのだ。
昔、巽は夏祭りの話を書いていた。その話はリアルな描写でポイが破れたところが今でも印象に残っている。
願いが叶いますように、と、金魚すくいをした主人公のポイが破れる。
それでも巽が作品を書き上げたという話は聞いたことがない。
「あー!!遠坂!!巽!!残ってるなら手伝ってくれ!!」
「またですか?大基先輩。」
「来年の試験問題欲しいだろ?」
「教授が皆、課題を使い回しているわけではないと思いますけど。」
「参考文献がこれとこれなんだ。手分けして探してくれ。」
そう言われて僕たちは大基先輩の手伝いをした。
僕たちは図書室で参考文献に目を通し、要点をまとめた。
「遠坂は適切で助かるよ~サイゼで良いか?」
「ベローチェでコーヒーが良いです。」
僕はそう言って巽を待った。巽は小説家になりたいと言う割には、物語はすべて無駄がないのよ、そう言って要点をまとめるのが苦手なのだ。
「代わろうか?」
「大丈夫よ。」
「巽のために言ってるんじゃなく大基先輩のために言ってるんだからね。」
僕はスマホを取り出して時刻を確認した。飲み会は19時からだ。
ほぼ原文のような巽の文章を見ながら、大基先輩は1冊の本を読む。
「また、官能小説ですか?」
「芸術のひとつと言ってくれ。」
そう言って大基先輩はニヤニヤする。
僕はそういう事に割と奥手な方で、大基先輩がニヤニヤすることさえ嫌な気分だった。
「この小説家、うちの大学出てるんだぞ。」
「へー凄いんですね。」
そう言ってうちの大学を出てることが凄いのか、小説家になったことが凄いのか、分からない会話になったな、と思った。
僕の横では変わらず巽が要点のない文章をダラダラと書いている。
「残るものにしたほうが良いよ。」
僕がそう言うと巽は目をキラキラさせて、
「残るものって何?」
そう尋ねてきた。
僕はしまったなぁと思いながら、巽の文章を読んだ。
「結局、この章で作者が何を述べたいか、残るものだけ書いたほうが良いよ。」
僕はシャーペンをカチカチと鳴らし、
「例えばこの章では芸術とはなにか語ろうにも芸術の定義がわからないといけないとか。」
と語った。
「遠坂君はそういうことがさらさら出来て羨ましいわ。」
「大学の小論文良く通ったね。」
僕は皮肉を込めてそう言った。
「じゃあ僕たちゼミの飲み会があるんで。」
そう言って僕と巽は図書室をあとにした。
ゼミの飲み会は串カツ屋だった。ソースは二度漬け厳禁で飲み放題だった。
僕はハイボールを注文し巽は生ビールを頼んでいた。
「前からの疑問なんだけどさー。」
横水がそう言う。
「二人って付き合ってんの?」
横水は僕と巽をチラチラ見ながら尋ねた。
「なんとなく居心地が良いだけで付き合ってはいないよ。」
「居心地いいなら付き合っちゃえよ。」
「無理よ。」
巽は言い返した。
「私は自分が遠坂君とキスとかしてるイメージが湧かないもの。」
横水は黙った。
「イメージが湧かないものは書けないんだ?」
僕は軽く酔ってきていつもより意地悪くなっていた。
「りんごが頭になければりんごは描けないでしょう?無いものは描けないわよ。」
「それを描くのが小説家何じゃないの?」
「遠坂君は意外と意地悪なのよね。」
そう言って巽は腕時計で時間を見た。巽は結構なお家の娘で大学に入ったばかりの頃は飲み会なども参加出来なかったという話を聞いた。
「そろそろ帰ります。」
巽は皆に会釈して上着を着た。
「送っていくよ。」
「ええ、ありがとう。」
僕はいつものように巽に付いて飲み会の席をたった。
「無理に帰らなくてもいいのよ。」
巽は店から出るとそう言った。
「僕は本来、飲み会自体嫌いなんだ。巽がいなかったら来ないよ。」
「知らない人が聞いたら私達は付き合ってるって思われるわね。」
「そうなのかな?」
そうして歩きながら話して地下鉄に乗った。
巽は南北線の沿線に住んでいる。
僕は地方の出で、東京に来て初めて地下鉄に乗った。最初の頃は歩くのさえ皆が早くてついていけなかった。
巽はピアノが弾けてバレエが出来る。しかし彼女の小説にそれらは登場しない。
大切な思い出だからなのか、触れたくない何かがあるのかそれは分からない。
巽の家についた。
「上がっていく?」
「どうしようかな?」
僕は巽のお母さんが苦手なのだ。大学に入って初めにできた友達が異性の友人だと言うのに巽のお母さんは大層驚いていた。
小中高と女子校育ちだったからいけなかったのかしら、と、僕が友達になったことが悪であるかのように話した。
「お母さんなら悪いと思っているわよ。」
巽がそう話すことで僕は尚更、巽のお母さんの意向を知ることになる。
「今日はやめとくよ。お母さんによろしく。」
そう言って僕は家路についた。
大学の休み、イベントのバイトを入れた。バイト先から支給されたユニホームを着て、人気のバンドのコンサートの機材を組んだ。
女の子たちがキャーキャー喜んでいて仕事をしない。僕は少しイラッとしたもののトラブルはゴメンだ。そう思って仕事をこなした。
バイト中、浅香と言う友達ができた。浅香は専門学校の生徒だった。映画監督になるのが夢で将来はそう言う方面に進みたいのだと話していた。僕はなんとなく面白おかしく巽の話をした。浅香はその話に大変食いついて巽を紹介して欲しいと僕の手を握った。そうして僕たちは連絡先を交換した。
そこからはトントンと浅香と巽は仲良くなっていった。三人で会うとふたりは僕に入り込めない深淵で話をする。
苛立つかというより巽にとって僕というのはつなぎの友達だったのだな、そう思って寂しくなった。クリスマスは三人で祝うことにした。大学生らしく、こじんまりとした僕のアパートで乾杯をした。浅香と巽はこの日も本当に盛り上がっていた。ふたりの口からは僕の知らない小説家や脚本家の名前や監督、俳優、女優の話が出てきた。小説家になりたいと謳うだけあって巽はいろんな作品に触れていた。
浅香はこんなに話が通じる人は学校にも居ない、そう言って喜んだ。
そうしてこの日、浅香は巽と直接連絡先を交換した。
大学ではいつものように顔を合わせたものの、講義が終わると巽はいそいそと帰っていくようになった。横水には、振られたな~と茶化された。僕はそう言うのじゃないから。と言っては横水をあしらった。
浅香は変わらずラインをくれたが巽の返信はまばらになった。
僕はふたりが上手く行っているなら、それで良い。そう自分を偽った。
巽は突然、大学を休学した。僕は嫌な予感がした。巽に連絡を取ると巽の家の近くの喫茶店に巽がやってきた。
「子供ができたの…。」
僕は浅香に連絡を入れたが浅香は出なかった。
「お互い合意の上だから責任は取れないって。」
「巽は小説家になるんだろう?何を回り道しているのさ。」
僕はイライラしていた。何にそんなに苛立つのか分からないほどイライラしていた。
僕は浅香に苛立っているのか巽に苛立っているのか分からなかった。
そうして自分に苛立っていることに気がついた。浅香と巽を会わせた自分に苛立っていた。
「ごめん。」
僕はそう口にした。
「浅香がこんなやつだと分かっていたら会わせなかった。」
「違うの。私は浅香君が好きだったの。彼のように作品を作れることが羨ましかったの。」
巽は泣いていた。
「私は小説を書こうと思っても波のように儚く消えていくの。はっきりと形を持たせたいビジョンがサーッと消えていくの。留められないの。」
僕は頼んだ珈琲に口をつけた。
「産むんだね…?」
僕は恐る恐る口にした。
浅香の姿が消えてもここに彼の遺伝子が残るのだ、そう思うとはらわたが煮えくり返った。
「それもいつかは小説に出来る日が来ると思うの。」
僕は巽が幼子の手を引くイメージが出来た。ああ、これは起こることなんだ、そう思った。
「それでも書きたいの。」
「誰も止めやしないよ。書きたければ書けば良い。」
僕は珈琲を飲み干して一言付け足した。
「何があっても僕は味方だから。」
それから巽は学校から姿を消した。ラインでは最近の自撮りが入ってくる。いわゆるマタニティフォトというやつだ。
それと同時に短い物語を僕のうちに送ってくるようになった。
彼女のうちに潜む鬼を見た気分だった。彼女の頭の中には浅香の軽薄さも宿ったことだろう。それが作品にありありと表れていた。
彼女は徐々に長い文章を書くようになった。
ラインで送られてくる写真では随分お腹が大きくなった。
そうして彼女は2年間の休学を終えて復学した。僕は卒業してからそれを人づてに聞いた。
巽は子どもの写真は送ってこなかった。
それから数年して巽がプロの小説家になった話を聞いた。
僕は書店に足を運び、彼女の作品を読んだ。
父親が厳しく、友人関係が上手く作れず恋愛に没頭していく少女の話だった。
彼女の中にはこんなに複雑な感情と感性があったのか。そう思うと、この感情を言葉にするのは大変なことだっただろうな、そう思った。
その後、街なかでたまたま浅香の姿を見た。ネクタイを締めてサラリーマンとして働いているようだった。
僕はこの男が、巽と結婚しなくて良かった。そう思った。巽は今も胸のうちに複雑な感情を持ち合わせているのだろう、そう思ったが、連絡はしなかった。
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