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木霊する声
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なんでこんな田舎に両親は家を建てたのだろう。子供の頃は何度もそれを呪った。両親はパソコンさえあればどこでも仕事ができます系の人たちで田舎暮らしを満喫していた。それでも年に何度か打ち合わせと称して東京へ行く。
それが私は羨ましかった。
学校への行き帰り、時々近所のうめさんと一緒になる。
私が小さい頃からうめさんは年をとった感じのしない人だった。昔から変わらずその姿だった気がする。
うめさんの家はウチのなんちゃって田舎暮らしと違って何代もそこに住んでいる威厳があった。庭にはありとあらゆる作物が育てられている。
「さゆりちゃん梅が実ってきたから取りに来ないかい?」
「うん、行きます。」
私はふたつ返事で了承した。
私はうめさんの家で採れる梅を使った梅ジュースが大好きで毎年心待ちにしている。
うめさんは一人で暮らしながら田畑の管理をしている。米も取るし豚もいる。どこにそんなスタミナがあるのだろう。私は不思議だった。
「うめさんが居なくなったらこの屋敷はどうなるんですか?」
私は聞いて良いような悪いようなそんな気持ちで尋ねた。
「友人で酒屋を営んでいる人がいてね。うちを大変気に入ってくれているのよ。私が死んだら好きにして欲しいと言ってあるわ。」
私はその人たちがうめさんと変わらず私に親切にしてくれるだろうか。そんなズルい考えがあった。それでもうめさんはいつも通り私に微笑んでくれる。田舎暮らしの唯一の安らぎだった。
同級生は相変わらず山や川で遊んでいた。それを横目で見ながら私は勉強に励んだ。
いつかこの街を出るんだ。そんな気持ちだった。
「さゆりは呼んでも来ないからな。」
学校のリーダー、林元がそう言う。
「私の勝手でしょう。」
「都会なんか行ったところで田舎もんの集まりだってかーちゃん言ってたぞ。」
「その都会から来たんですぅ。」
私は刺々しく話した。
「まあ地産地消って意味では良いのかもしれないけどな。」
そう言ってみんなを引き連れて林元は遊びに行った。
学校に通うと言っても遠い子達は1時間かけて歩いてくる。私はそんな人生はゴメンだ。それが周囲にも伝わっているのか林元以外に私を遊びに誘う人は居ない。
水を離れた魚という言葉通り、ここは私の住む世界じゃないそう思った。
それでも虐めもなければハブもない。
ここでの暮らしはそれなりに良かった。
私は大体学校の図書室で勉強し夕方4時までには家に帰った。しかし、家での家事は変わらずあった。私はアイロンがけや洗濯物を畳むのが仕事だった。どうせ使うんだし、そう思ってタオルを畳むと大体はやり直しさせられる。
母は一番最初は、ホテルで働いていたらしい。家族しか寝ない部屋でもシーツはピシっとしてある。母は良く、将来役立つものよ、と言っていた。
中学に上がった。各学年ふたクラスしか無いこの学校で林元はアイドルだった。毎日、夕方に違う子から告白されていた。
夕焼けが教室を照らし出し、女の子の顔は見えない。それでも勇気を出して女の子は林元の方に向き直る。忘れ物を取りに教室に帰るたびに後悔した。
誰か好きな子でもいるのだろうか。林元は頑なに首を縦には振らなかった。
「また、さゆりは覗き見か。嫌な趣味だな。」
林元はそう言って笑う。
「教室じゃないところでそういう事は、やってください。」
私は事務的に話した。この頃、学校で私が話すのは先生か林元くらいだった。体育のバレーなどでは周りの名前が分からずに引きつった笑みを浮かべながらサーブやレシーブをしていた。それでも私は虐められたりはしなかった。それが林元のお陰だったと知ったのは随分後になってからだった。
受験の時期が来た。私は両親とも話し合って親戚の家から都内の高校に通うことにした。もちろん合格したらの話だ。
林元と合格祈願しに地元の神社を訪れた。
「本当に東京に行くんだな?」
林元はそう言ってマフラーを巻き直した。
「田舎者の集まりですからね。」
そう言って私は笑った。
「うめさんにも会えなくなるんだぞ。」
「私が東京行くのが羨ましいんでしょう?」
「田舎者はかもにされるって…。」
「元々、東京者ですよー。」
私はもう東京の暮らししか目に入ってなかった。しかし、林元は最後まで地元の高校に進学したほうが良いと言っていた。
私はそれに淡々と返事を返した。
東京の女子校に進学した。父と母から勉強に行くなら女子校で良いだろうと言われたからだ。男子の目のない女子校では、みんなが自由気ままだった。私はクラスでは中堅くらいのグループに入った。みんなが私にしか言わないけどね、と言って秘密の話を打ち明けてくる。
私は自分が特別な何かになったような気がして嬉しかった。
しかし、それは大きな間違いだった。
ある日、学校へ行くと、黒板には私の写真が貼られ、田舎者の猿と書かれていた。
いじめの始まりだった。
クラスのみんなが口を利いてくれなくなり、体育の授業などではボールをぶつけられる。
トイレに入れば上から水が降ってくる。
こんな典型的ないじめに遭うとは自分でも思っても見なかった。それでも私は1年目の夏休みまで耐えた。
夏休みになってまずうめさんの家に行った。両親にはイジメについて悟られたくなかった。
しかし、うめさんは入院していた。癌だった。
うめさんの家には知り合いの酒屋を名乗る人たちが改装工事を入れていた。
うめさんの家でカフェを開くと言っていた。
私は何か自分にできることは無いかと尋ねた。
「学生さんやろ、勉強しときー。」
と、どこの方言か分からない言葉が返ってきた。私が帰ってきてると聞いて林元が家まで私に会いに来た。
「上手くいってるのか?」
林元はそう聞いた。中学より更に林元はモテるようになっていた。口数も少ない。
私は自信満々のフリをして、
「すごく楽しいわよ。」
そう言って引きつった笑いを浮かべた。
「無理なら帰ってこいよ。向こう程の学力がある学校はこっちにはないけど、みんな待ってるからな。」
そのみんなとは誰だろう、私はそう思いながら胸の内がチクチクした。それでも、自分が言い出したことだ、そう思って夏休み明け学校へ戻った。
学校でのイジメは更にエスカレートした。体育の授業が終わって制服に着替えようとするとスカートが切られていた。
その日は仕方なく体操着で親戚の家に帰った。そして両親にイジメにあっていることがバレた。父が私の担任と話をすると言って何時間もかけてあの田舎から出てきた。
私はクラス中が私をイジメることで自分が悪いんじゃないかと思うようになっていた。
思えば私は与えられた環境でやっていく事が苦手だった。隣の芝生は青く見える。その言葉通りだった。イジメの主犯格は分からずじまいで、制服は学校で新しい物を用意してくれることになった。しかし私は既に萎縮しており精神を病んでいた。
「さゆりは何したい?」
父は私にそう尋ねた。私はぐるぐると頭を巡らせて、
「うめさんの家で働きたい。」
と言った。
学校に関しては地元の高校に編入することもなく休学という形を取った。それでも私はもう卒業できないだろうな、そう思った。林元が家に来て編入するように勧めてきた。
しかしこの頃の私は、もう勉強に集中する事ができなくなっていた。教科書を見るだけでイジメがフラッシュバックする。
私は初めて林元の前で泣いた。林元は戸惑いながらも、
「俺たちに出来ることがあったら助けてやるからな。」
そう言って帰っていった。私はこのとき、父と母の選択は間違いではなかったんだな、と思った。
うめさんの家は私が高校に進学した頃から改装工事が入っていたので、もう殆どお店だった。
土間などは残っていたが、もううめさんはここに帰ってくることはないんだな。そう思った。
「学校は出ておかんとなぁ…。」
うめさんの友達の酒屋さんは戸越と言った。戸越さんは私に学校に行くように最初は諭した。それでも私の決意は固かった。
「私はうめさんみたいになりたいんです。」
そんな押し問答を重ねて私はうめさんの家だったカフェで仕事を始めた。
最初の仕事はひたすら下げ物と掃除、食器洗いだった。こんな田舎のカフェにお客さんが来ることが不思議だった。私はあんな事がなければ都会にいたほうが良いと思って生きてきたからだ。それでも嬉しそうに帰っていくお客さんを見る度に私は違う世界が見えてくるような気がした。うめさんは遠縁の親戚しか身寄りがなく旦那さんもいなかった。
私は隣町のうめさんの入院している病院まで月に一度通った。
うめさんは私の学校の話を何も聞こうとしなかった。
うめさんのカフェで、3ヶ月働いた。お給料も随分貰った。そのお金で私は旅行したいと父と母に相談した。
「女の子のひとり旅はちょっとなぁ。」
父は頭を悩ませた。
「林元君に付いてきて貰ったらどうかしら?」
母は言った。
私はその日、林元の家を訪ねた。同級生の女の子が林元は旧家の出でお家も立派だと話していた。実際、目にするまで私は半信半疑だった。
インターホンを鳴らすと林元の母が出てきた。
「杉崎と申します。林元君はご在宅でしょうか?」
私はできる限り丁寧に話した。
「ああ、さゆりちゃんね。」
林元のお母さんは若くてキレイな人だった。後妻だと誰かが言っていた。
田舎はこれだから嫌なんだ。私は私の話も筒抜けなんだろうな、そう思った。
林元は母親から呼ばれて玄関まで出てきた。
「どうせなら上がっていけよ。」
林元はそういった。私は玄関で充分だ、どうか断ってくれ、そう念じた。
「旅行に行きたいんだけど、女の子のひとり旅は危ないからお母さんが林元君と一緒ならいいんじゃないかって。」
私はそこまで言って林元の反応を見た。
「旅行ってどこに行きたいんだ?」
「和歌山に行って梅の木の手入れを習いたい。」
「父ちゃんと母ちゃんに聞いてみるよ。いつまでに返事すれば良い?」
行くのかよ、私はそう思った。
「来週くらいには返事が欲しい。」
「必ず行けるようにするからな。」
林元はそう言って家に入った。
2週間後、私と林元は和歌山に行った。戸越さんの知り合いの梅農家の家だった。
「お世話になります。」
そう言って林元と頭を下げた。
「いらっしゃい。よーおこし。」
そう言って井上さんは笑った。
「遠くからきけたやろ。よー休み。」
そしてこの日は井上さんの家で泊まった。林元とは同じ部屋だった。後から聞いたら兄妹で来ているものと思っていたらしい。
「さゆりは格好いいな。自分で自分の人生を切り開いていくんだな。」
「失敗ばかりで周りの話にも耳を傾けて置けばよかったなと今は思うわ。」
「うめさん、どれくらいもつかな…?」
私はじんわり涙を流しながら、
「うめさんが死んでも梅の木は枯らさない。」
と言い切った。
次の日、井上さんから梅の木について簡単に説明を受けた。梅には花を鑑賞するための花梅と果実を取るための実梅があるらしく、うめさんの家にあるのは専ら実梅だった。
「あとはアブラムシとかうどんこ病やなぁ。」
私はメモを取りながら井上さん家の梅を眺めた。こんなに手間ひまかけて育てたものを簡単に貰っていたのだ。うめさんは本当に良い人だったんだな、そう思った。
林元はおばあちゃんが畑をしているので病気などについては簡単には知っていた。それでも一緒にメモを取りながら話を聞いていた。
「戸越に聞いたけど、うめさんの家で働いているんだって?」
井上さんはそう聞いた。
「今のところ働かせてもらっています。」
「今時の若い子にしては真面目に働くって戸越が言ってたね。」
「みなさんってどういう繋がりなんですか?」
私は疑問だった。
「うちと戸越は梅酒の取り扱いで知り合いでうめさんはお得意さんだよ。」
「うめさんがお酒飲むんですか?」
「うーん、梅ジャムの作り方を教えて欲しいって来たんだよね。」
へー、私はそう思った。
「あとは剪定だけど3つか4つの芽を残して枝を落とすんだよ。梅の木は結構のびるからね。」
そう言って井上さんは笑った。
昼は井上さんが付き合いのある畜産業の人が作ったベーコンを食べた。井上さんはパンを焼いてくれた。
「肥料に関してはメモを作ったから、帰ったらそれを参考にすると良いよ。」
「ありがとうございます。」
そうして私と林元は田舎に帰った。
翌年の夏、林元はアルバイトをしに戸越さんの面接を受けに来た。大学進学も視野に入れているらしく週に2回アルバイトしに来る事になった。私はたいした仕事もしてないのに先輩面をして林元と働いた。
林元は私を心配してくれていた。このまま行くと中卒フリーターだぞ、そう言ってくれた。
それでも私は学校に戻りたくはなかった。
うめさんは徐々に弱っていった。そうして癌は容赦無く進行していた。
その日は学校の先生が今後のことについて両親と話をしにきた。
「休学がこれ以上続けば退学という形もあるかと…。」
私の1年のときの担任が申し訳無さそうに話した。穏やかな父がキツイ口調で担任を追い詰める。
「ウチの娘は被害者なんです。なのに何で娘が退学しないといけないんですか?」
そう言ってキレていた。
この日はそれ以上のこともなく話し合いは終わった。
3年の夏休みも、林元は週に2回アルバイトをしにきた。受験勉強は大丈夫なのだろうか?私は不安だった。
「大学進学して何がしたいの?」
私はアルバイト終わりに林元に聞いた。
「大学卒業して市議会議員になりたいんだ。」
林元は汗を拭きながら語った。
「田舎は図書館もないし病院も少ない。格差を是正したいんだ。」
「へー。」
私は予想以上の答えに言葉が降りてこなかった。
「さゆりは退学しても良いのか?ここでしか働けないぞ。お前が好きな東京では働けないんだぞ。」
「私はここで働くわ。ケチャップの作り方もジャムの作り方も覚えたし、保存食は殆ど作れる。何なら、本を書いたって良いわ。」
「相変わらず不安になると引きつった笑い方になるんだな。」
そう言って林元は私の頭をポンポンと叩いた。
「お前は本当に強いよ。」
私は泣いていた。
「俺は大学に行くよ。帰ってくるまで待ってて欲しい。」
「は?」
私は聞き返した。
「待っててくれるだろう?」
林元は顔を真っ赤にして私に話した。
「いいわよ。都会に染まってこないでね。」
そうして私達は笑った。
それから1年後、うめさんは亡くなった。お葬式にはこんなに人が来るものなのかと思うほど人が来た。私は両親に言われて手伝いに参加した。
井上さんが来ていた。
「さゆりちゃん久しぶりね。戸越がよく働いてくれるっていつも言ってるよ。」
「働かせて貰ってる立場ですからね。」
私はニコニコした。うめさんの人生にはこんなに多くの人が関わってきたのか、そう思うと、うめさんの偉大さを私は改めて知った。
うめさんはまだ起きてきそうな顔で棺におさまっていた。
人生は関わった数の物語があるのだな。私はそう思いながら葬儀の手伝いをした。
3年後、林元が大学を卒業して帰って来た。そうして私達は夫婦になった。林元は市議会議員にはなれなかったが市の役所で働くようになった。週末には家に帰ってくる。
呼応するように私達はこの土地で一緒になった。近所に朱美ちゃんという女の子が引っ越してきた。
「朱美ちゃん、うちの店で作ってるジャムなんだけど持っていくかい?」
「はい。ありがとうございます。」
山や川では子どもたちが変わらずに遊んでいた。私はうめさんの後継ぎなのだ。そう思ってこの土地で生きていく覚悟を決めた。
それが私は羨ましかった。
学校への行き帰り、時々近所のうめさんと一緒になる。
私が小さい頃からうめさんは年をとった感じのしない人だった。昔から変わらずその姿だった気がする。
うめさんの家はウチのなんちゃって田舎暮らしと違って何代もそこに住んでいる威厳があった。庭にはありとあらゆる作物が育てられている。
「さゆりちゃん梅が実ってきたから取りに来ないかい?」
「うん、行きます。」
私はふたつ返事で了承した。
私はうめさんの家で採れる梅を使った梅ジュースが大好きで毎年心待ちにしている。
うめさんは一人で暮らしながら田畑の管理をしている。米も取るし豚もいる。どこにそんなスタミナがあるのだろう。私は不思議だった。
「うめさんが居なくなったらこの屋敷はどうなるんですか?」
私は聞いて良いような悪いようなそんな気持ちで尋ねた。
「友人で酒屋を営んでいる人がいてね。うちを大変気に入ってくれているのよ。私が死んだら好きにして欲しいと言ってあるわ。」
私はその人たちがうめさんと変わらず私に親切にしてくれるだろうか。そんなズルい考えがあった。それでもうめさんはいつも通り私に微笑んでくれる。田舎暮らしの唯一の安らぎだった。
同級生は相変わらず山や川で遊んでいた。それを横目で見ながら私は勉強に励んだ。
いつかこの街を出るんだ。そんな気持ちだった。
「さゆりは呼んでも来ないからな。」
学校のリーダー、林元がそう言う。
「私の勝手でしょう。」
「都会なんか行ったところで田舎もんの集まりだってかーちゃん言ってたぞ。」
「その都会から来たんですぅ。」
私は刺々しく話した。
「まあ地産地消って意味では良いのかもしれないけどな。」
そう言ってみんなを引き連れて林元は遊びに行った。
学校に通うと言っても遠い子達は1時間かけて歩いてくる。私はそんな人生はゴメンだ。それが周囲にも伝わっているのか林元以外に私を遊びに誘う人は居ない。
水を離れた魚という言葉通り、ここは私の住む世界じゃないそう思った。
それでも虐めもなければハブもない。
ここでの暮らしはそれなりに良かった。
私は大体学校の図書室で勉強し夕方4時までには家に帰った。しかし、家での家事は変わらずあった。私はアイロンがけや洗濯物を畳むのが仕事だった。どうせ使うんだし、そう思ってタオルを畳むと大体はやり直しさせられる。
母は一番最初は、ホテルで働いていたらしい。家族しか寝ない部屋でもシーツはピシっとしてある。母は良く、将来役立つものよ、と言っていた。
中学に上がった。各学年ふたクラスしか無いこの学校で林元はアイドルだった。毎日、夕方に違う子から告白されていた。
夕焼けが教室を照らし出し、女の子の顔は見えない。それでも勇気を出して女の子は林元の方に向き直る。忘れ物を取りに教室に帰るたびに後悔した。
誰か好きな子でもいるのだろうか。林元は頑なに首を縦には振らなかった。
「また、さゆりは覗き見か。嫌な趣味だな。」
林元はそう言って笑う。
「教室じゃないところでそういう事は、やってください。」
私は事務的に話した。この頃、学校で私が話すのは先生か林元くらいだった。体育のバレーなどでは周りの名前が分からずに引きつった笑みを浮かべながらサーブやレシーブをしていた。それでも私は虐められたりはしなかった。それが林元のお陰だったと知ったのは随分後になってからだった。
受験の時期が来た。私は両親とも話し合って親戚の家から都内の高校に通うことにした。もちろん合格したらの話だ。
林元と合格祈願しに地元の神社を訪れた。
「本当に東京に行くんだな?」
林元はそう言ってマフラーを巻き直した。
「田舎者の集まりですからね。」
そう言って私は笑った。
「うめさんにも会えなくなるんだぞ。」
「私が東京行くのが羨ましいんでしょう?」
「田舎者はかもにされるって…。」
「元々、東京者ですよー。」
私はもう東京の暮らししか目に入ってなかった。しかし、林元は最後まで地元の高校に進学したほうが良いと言っていた。
私はそれに淡々と返事を返した。
東京の女子校に進学した。父と母から勉強に行くなら女子校で良いだろうと言われたからだ。男子の目のない女子校では、みんなが自由気ままだった。私はクラスでは中堅くらいのグループに入った。みんなが私にしか言わないけどね、と言って秘密の話を打ち明けてくる。
私は自分が特別な何かになったような気がして嬉しかった。
しかし、それは大きな間違いだった。
ある日、学校へ行くと、黒板には私の写真が貼られ、田舎者の猿と書かれていた。
いじめの始まりだった。
クラスのみんなが口を利いてくれなくなり、体育の授業などではボールをぶつけられる。
トイレに入れば上から水が降ってくる。
こんな典型的ないじめに遭うとは自分でも思っても見なかった。それでも私は1年目の夏休みまで耐えた。
夏休みになってまずうめさんの家に行った。両親にはイジメについて悟られたくなかった。
しかし、うめさんは入院していた。癌だった。
うめさんの家には知り合いの酒屋を名乗る人たちが改装工事を入れていた。
うめさんの家でカフェを開くと言っていた。
私は何か自分にできることは無いかと尋ねた。
「学生さんやろ、勉強しときー。」
と、どこの方言か分からない言葉が返ってきた。私が帰ってきてると聞いて林元が家まで私に会いに来た。
「上手くいってるのか?」
林元はそう聞いた。中学より更に林元はモテるようになっていた。口数も少ない。
私は自信満々のフリをして、
「すごく楽しいわよ。」
そう言って引きつった笑いを浮かべた。
「無理なら帰ってこいよ。向こう程の学力がある学校はこっちにはないけど、みんな待ってるからな。」
そのみんなとは誰だろう、私はそう思いながら胸の内がチクチクした。それでも、自分が言い出したことだ、そう思って夏休み明け学校へ戻った。
学校でのイジメは更にエスカレートした。体育の授業が終わって制服に着替えようとするとスカートが切られていた。
その日は仕方なく体操着で親戚の家に帰った。そして両親にイジメにあっていることがバレた。父が私の担任と話をすると言って何時間もかけてあの田舎から出てきた。
私はクラス中が私をイジメることで自分が悪いんじゃないかと思うようになっていた。
思えば私は与えられた環境でやっていく事が苦手だった。隣の芝生は青く見える。その言葉通りだった。イジメの主犯格は分からずじまいで、制服は学校で新しい物を用意してくれることになった。しかし私は既に萎縮しており精神を病んでいた。
「さゆりは何したい?」
父は私にそう尋ねた。私はぐるぐると頭を巡らせて、
「うめさんの家で働きたい。」
と言った。
学校に関しては地元の高校に編入することもなく休学という形を取った。それでも私はもう卒業できないだろうな、そう思った。林元が家に来て編入するように勧めてきた。
しかしこの頃の私は、もう勉強に集中する事ができなくなっていた。教科書を見るだけでイジメがフラッシュバックする。
私は初めて林元の前で泣いた。林元は戸惑いながらも、
「俺たちに出来ることがあったら助けてやるからな。」
そう言って帰っていった。私はこのとき、父と母の選択は間違いではなかったんだな、と思った。
うめさんの家は私が高校に進学した頃から改装工事が入っていたので、もう殆どお店だった。
土間などは残っていたが、もううめさんはここに帰ってくることはないんだな。そう思った。
「学校は出ておかんとなぁ…。」
うめさんの友達の酒屋さんは戸越と言った。戸越さんは私に学校に行くように最初は諭した。それでも私の決意は固かった。
「私はうめさんみたいになりたいんです。」
そんな押し問答を重ねて私はうめさんの家だったカフェで仕事を始めた。
最初の仕事はひたすら下げ物と掃除、食器洗いだった。こんな田舎のカフェにお客さんが来ることが不思議だった。私はあんな事がなければ都会にいたほうが良いと思って生きてきたからだ。それでも嬉しそうに帰っていくお客さんを見る度に私は違う世界が見えてくるような気がした。うめさんは遠縁の親戚しか身寄りがなく旦那さんもいなかった。
私は隣町のうめさんの入院している病院まで月に一度通った。
うめさんは私の学校の話を何も聞こうとしなかった。
うめさんのカフェで、3ヶ月働いた。お給料も随分貰った。そのお金で私は旅行したいと父と母に相談した。
「女の子のひとり旅はちょっとなぁ。」
父は頭を悩ませた。
「林元君に付いてきて貰ったらどうかしら?」
母は言った。
私はその日、林元の家を訪ねた。同級生の女の子が林元は旧家の出でお家も立派だと話していた。実際、目にするまで私は半信半疑だった。
インターホンを鳴らすと林元の母が出てきた。
「杉崎と申します。林元君はご在宅でしょうか?」
私はできる限り丁寧に話した。
「ああ、さゆりちゃんね。」
林元のお母さんは若くてキレイな人だった。後妻だと誰かが言っていた。
田舎はこれだから嫌なんだ。私は私の話も筒抜けなんだろうな、そう思った。
林元は母親から呼ばれて玄関まで出てきた。
「どうせなら上がっていけよ。」
林元はそういった。私は玄関で充分だ、どうか断ってくれ、そう念じた。
「旅行に行きたいんだけど、女の子のひとり旅は危ないからお母さんが林元君と一緒ならいいんじゃないかって。」
私はそこまで言って林元の反応を見た。
「旅行ってどこに行きたいんだ?」
「和歌山に行って梅の木の手入れを習いたい。」
「父ちゃんと母ちゃんに聞いてみるよ。いつまでに返事すれば良い?」
行くのかよ、私はそう思った。
「来週くらいには返事が欲しい。」
「必ず行けるようにするからな。」
林元はそう言って家に入った。
2週間後、私と林元は和歌山に行った。戸越さんの知り合いの梅農家の家だった。
「お世話になります。」
そう言って林元と頭を下げた。
「いらっしゃい。よーおこし。」
そう言って井上さんは笑った。
「遠くからきけたやろ。よー休み。」
そしてこの日は井上さんの家で泊まった。林元とは同じ部屋だった。後から聞いたら兄妹で来ているものと思っていたらしい。
「さゆりは格好いいな。自分で自分の人生を切り開いていくんだな。」
「失敗ばかりで周りの話にも耳を傾けて置けばよかったなと今は思うわ。」
「うめさん、どれくらいもつかな…?」
私はじんわり涙を流しながら、
「うめさんが死んでも梅の木は枯らさない。」
と言い切った。
次の日、井上さんから梅の木について簡単に説明を受けた。梅には花を鑑賞するための花梅と果実を取るための実梅があるらしく、うめさんの家にあるのは専ら実梅だった。
「あとはアブラムシとかうどんこ病やなぁ。」
私はメモを取りながら井上さん家の梅を眺めた。こんなに手間ひまかけて育てたものを簡単に貰っていたのだ。うめさんは本当に良い人だったんだな、そう思った。
林元はおばあちゃんが畑をしているので病気などについては簡単には知っていた。それでも一緒にメモを取りながら話を聞いていた。
「戸越に聞いたけど、うめさんの家で働いているんだって?」
井上さんはそう聞いた。
「今のところ働かせてもらっています。」
「今時の若い子にしては真面目に働くって戸越が言ってたね。」
「みなさんってどういう繋がりなんですか?」
私は疑問だった。
「うちと戸越は梅酒の取り扱いで知り合いでうめさんはお得意さんだよ。」
「うめさんがお酒飲むんですか?」
「うーん、梅ジャムの作り方を教えて欲しいって来たんだよね。」
へー、私はそう思った。
「あとは剪定だけど3つか4つの芽を残して枝を落とすんだよ。梅の木は結構のびるからね。」
そう言って井上さんは笑った。
昼は井上さんが付き合いのある畜産業の人が作ったベーコンを食べた。井上さんはパンを焼いてくれた。
「肥料に関してはメモを作ったから、帰ったらそれを参考にすると良いよ。」
「ありがとうございます。」
そうして私と林元は田舎に帰った。
翌年の夏、林元はアルバイトをしに戸越さんの面接を受けに来た。大学進学も視野に入れているらしく週に2回アルバイトしに来る事になった。私はたいした仕事もしてないのに先輩面をして林元と働いた。
林元は私を心配してくれていた。このまま行くと中卒フリーターだぞ、そう言ってくれた。
それでも私は学校に戻りたくはなかった。
うめさんは徐々に弱っていった。そうして癌は容赦無く進行していた。
その日は学校の先生が今後のことについて両親と話をしにきた。
「休学がこれ以上続けば退学という形もあるかと…。」
私の1年のときの担任が申し訳無さそうに話した。穏やかな父がキツイ口調で担任を追い詰める。
「ウチの娘は被害者なんです。なのに何で娘が退学しないといけないんですか?」
そう言ってキレていた。
この日はそれ以上のこともなく話し合いは終わった。
3年の夏休みも、林元は週に2回アルバイトをしにきた。受験勉強は大丈夫なのだろうか?私は不安だった。
「大学進学して何がしたいの?」
私はアルバイト終わりに林元に聞いた。
「大学卒業して市議会議員になりたいんだ。」
林元は汗を拭きながら語った。
「田舎は図書館もないし病院も少ない。格差を是正したいんだ。」
「へー。」
私は予想以上の答えに言葉が降りてこなかった。
「さゆりは退学しても良いのか?ここでしか働けないぞ。お前が好きな東京では働けないんだぞ。」
「私はここで働くわ。ケチャップの作り方もジャムの作り方も覚えたし、保存食は殆ど作れる。何なら、本を書いたって良いわ。」
「相変わらず不安になると引きつった笑い方になるんだな。」
そう言って林元は私の頭をポンポンと叩いた。
「お前は本当に強いよ。」
私は泣いていた。
「俺は大学に行くよ。帰ってくるまで待ってて欲しい。」
「は?」
私は聞き返した。
「待っててくれるだろう?」
林元は顔を真っ赤にして私に話した。
「いいわよ。都会に染まってこないでね。」
そうして私達は笑った。
それから1年後、うめさんは亡くなった。お葬式にはこんなに人が来るものなのかと思うほど人が来た。私は両親に言われて手伝いに参加した。
井上さんが来ていた。
「さゆりちゃん久しぶりね。戸越がよく働いてくれるっていつも言ってるよ。」
「働かせて貰ってる立場ですからね。」
私はニコニコした。うめさんの人生にはこんなに多くの人が関わってきたのか、そう思うと、うめさんの偉大さを私は改めて知った。
うめさんはまだ起きてきそうな顔で棺におさまっていた。
人生は関わった数の物語があるのだな。私はそう思いながら葬儀の手伝いをした。
3年後、林元が大学を卒業して帰って来た。そうして私達は夫婦になった。林元は市議会議員にはなれなかったが市の役所で働くようになった。週末には家に帰ってくる。
呼応するように私達はこの土地で一緒になった。近所に朱美ちゃんという女の子が引っ越してきた。
「朱美ちゃん、うちの店で作ってるジャムなんだけど持っていくかい?」
「はい。ありがとうございます。」
山や川では子どもたちが変わらずに遊んでいた。私はうめさんの後継ぎなのだ。そう思ってこの土地で生きていく覚悟を決めた。
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