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盲目の騎士〜番外編〜
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その日の蒼華はピリピリとしていた。
「このクリームじゃ使えないわ。もう一度やり直して。エミリア、このグラサージュじゃだめよ。光沢が足りないわ。」
この日は、蒼華の経営するケーキ店に取材が入る日だった。朝早くから大勢のスタッフと共に蒼華はケーキを焼き続けた。
「蒼華は手厳しいな~。」
店には蒼人が花束を持って尋ねてきた。
「私達は盲目の天才、青柳聖人の娘と息子ですからね。」
そうしてオープン前のショーケースには色とりどりのケーキが並んだ。
この頃の蒼人は彫刻家になる夢を叶えてドイツに留まらず世界各国から彫刻の依頼を受ける若き天才と呼ばれるようになっていた。
一方で蒼華は老舗ケーキ店と張り合うようにケーキ店を出店し続けていた。
ドイツのケーキは日本と比べて甘さが控えめで素朴な味だ。バウムクーヘンやシュトレンはドイツの代表的なお菓子だ。
蒼人は花束を店の花瓶に移しながら蒼華の様子をながめた。
もう美智香が亡くなって3年以上が経つ。
葬儀には神林や向坂、政岡などが参列してくれた。日本から葬儀に来るのは大変だったでしょう、そう蒼人は言った。
しかし参列に訪れる人たちは皆が口を揃えて素晴らしい人生を見せてもらった、山本さんには感謝しています、そう言って笑った。
高真は奥さんと一緒に涙を流し続けた。南と木内はその様子を見ながら涙ぐんだ。
医師の乃々佳は、やはり青柳先生がお迎えに来たんでしょうね…と言って微笑んでいた。
葬儀に集まった人から蒼人と蒼華は両親の話を聞いて笑ったり泣いたりした。
美智香は生前、青柳について多くは語らなかった。ふたりが初めて聞く盲目の天才、青柳聖人の人生は波乱にとんだものだった。高真は大切なものを扱うようにふたりの思い出を語った。
蒼人と蒼華は高真の話を聞きながら父の姿を思い描いた。
生きていれば、ふたりを溺愛したでしょうね。高真はそう言って笑った。
「マミー、私もケーキ屋さんになりたいわ。」
その日の帰り道、蒼華の娘、ソフィアはそう言った。
「うちは世界一の家系何でしょう?」
ソフィアは堂々としている。
「私達のグロースファーターは盲目の天才、青柳聖人よ。だったら私も世界一になれるわ。」
「僕は彫刻家にはなりたくないなぁ。」
蒼人の息子パウルはもじもじとしている。
「お父さんは芸術家になれとは言わないけど物凄く圧があるんだ。」
「無理することはないわ。なりたいものになればいいのよ。」
そう言って蒼華は微笑んだ。
「お父さんは芸術家こそが世界の全てだと思っているんだ。僕は学者になりたいんだ。世界を変えるような発見をして世界に貢献したいんだ。」
パウルは語った。青柳の遺伝子は孫の代まで及んだ。パウルは学校に入ってすぐ学者並みの知識を披露する機会に恵まれた。先生たちはどよめきたった。ご家庭でどのような教育をされてきたんですか?周りの父兄からは執拗にそう聞かれた。
パウルは本を読むのが好きで絵本の読み聞かせの頃から文字を眺めるのが好きだった。パウルが指をさすのに合わせて単語の意味と読みを発音していった。パウルが自分で絵本以外の本を読めるようになるまで時間はそうかからなかった。
それでも生来、おとなしいパウルは周囲に騒がれるのを嫌った。
ソフィアと比べて友達も少ない。
「おばあちゃんは幸せだったのかなぁ…。」
パウルは思い出したように時々そのセリフを呟く。
「なぜそう思うの?」
「だっておじいちゃんが死んでから1人で双子を育てたんでしょう?後悔することもあったと思うよ。」
蒼華はパウルの頭をそっと撫でながら、
「マミーのお陰で、私達はとても幸せな子供時代を過ごしたわ。」
そう言って笑った。
ドイツのギャラリーアオヤナギでは高真が悩んでいた。後継者問題だ。高真は老眼鏡片手に仕事をしていた。自分が現役で働けるのはもう僅かな期間だろう、そう思った。南と木内は高真さんの後釜になんて恐れ多くてなれません。そう言って仕事に励んだ。
その日は偶々、荒井が蒼人と約束してギャラリーアオヤナギに来ていた。蒼人は仕事が終わったら来る予定だ。
高真は試しに荒井に聞いた。
「荒井君は、ギャラリーアオヤナギの社長に興味はない?」
荒井は吹き出した。
「ごめんですよ。馬車馬の如く働かされるんですから。」
「そんな風に働いてるかなぁ?」
高真は続けた。
「やっぱりギャラリーアオヤナギは畳むしかないのかなぁ…。」
「蒼人君はどうです?ここで遊んで育ったんですから思い入れはあるでしょう?」
「それなんだけどね。以前に断られているんだよね。」
「僕からも言ってみますよ。」
そう言うと蒼人が到着した。
蒼人と荒井はドイツビール片手に乾杯した。同じ彫刻家として語り尽くせぬ程の世界観があった。リーメンシュナイダーが同期にいたら彫刻の話だけで一年は話せただろう、そう言って笑った。
「荒井さんがいてくれたお陰で僕は今、彫刻家になれたんです。お礼を言っても言い足りません。」
蒼人は話した。
「だったら僕は、ギャラリーアオヤナギがなければ世界で活躍する彫刻家にはなれなかったよ。」
荒井はそう言ってビールを飲んだ。
「君だってギャラリーアオヤナギにはお世話になっただろう?」
荒井は続けた。
「もしかして高真さんの後を継ぐ話ですか?」
蒼人は察しが良い。
「悪い話ではないと思うよ。」
「彫刻に割く時間が減るのはちょっと…僕はまだ若手だから経験を積まないといけないし…。」
「君のキャリアは下手したら僕より長いよ。」
そう言って荒井は笑った。
「僕が思うに君たちふたりはギャラリーアオヤナギのみんなに愛されてひねくれることなくすくすくと育った。ギャラリーアオヤナギは君たちにとって第2の故郷だ。その故郷を手放してもいいのかい?」
荒井は蒼人の言葉を待った。
「考えてみます。」
そう言ってふたりは飲み明かした。
その日の高真は今まで販売してきた作品の一覧を眺めていた。青柳は盲目だったといえ、作品は年をおうごとに深みが増していった。
それを見ながら高真は青柳と自分の人生を振り返った。芸術家の名前なんて試験で答える以外に必要ない。そう思っていた自分がギャラリーのオーナーになった。人生には何があるか分からない。
この日はパウルとソフィアがギャラリーアオヤナギでシャボン玉をして遊んでいた。
蒼人と蒼華が小さかった頃を思い出す。
「高真さんこんにちは。」
パウルは礼儀正しい子だった。
「あら、高真さんじゃない?」
ソフィアは勝ち気な子だった。
うちのグロースファーターが居たから高真さんは社長になれたのよね、とソフィアは時々口にした。蒼華はそれを叱りつけて、ふたりはお互いになくてはならない存在なの、どちらかが欠けてもギャラリーアオヤナギは成立しなかったのよ、と言った。
しかしソフィアはそれに納得しない様子でいやいや高真に謝っていた。
そしてもう一人、この日はパウルの友人のノアという男の子が遊びに来ていた。パウルはアトリエにある父の作品を見せながら大人顔負けの解説をしていた。それでもノアとパウルは途中から天体の話や人体の話を始めた。ふたりとも芸術が好きというより芸術にまつわる知識が好きといった感じだった。高真はその様子を見ながら聖人の孫は何になるんだろう、そう思った。
この日は久しぶりにギャラリーアオヤナギのメンバーで慰労会を開いた。この頃の南は結婚していて、娘が一人いた。母親似で美しい子だった。木内はりえちゃんと結婚まで秒読みといったところで毎日デレデレしている。蒼人と蒼華はお互いの子どもを連れて参加した。パウルはメロンソーダを飲みソフィアはロイヤルミルクティーを飲んでいた。ソフィアはそんなパウルを見て子供なのねぇと言った。
高真は奥さんを呼んでいて途中から合流した。ふたりの子どもは高真の奥さんが大好きだった。お互いの母親と違ってお菓子をいっぱい食べさせてくれるしわがままを言ってもたいがいはニコニコしている。高真の奥さんもふたりが好きよと言ってくれた。
しかしソフィアは南が苦手だった。南は木内も知るように二重人格だ。ソフィアが可愛こぶっても、おとなしいふりをしても見抜かれてしまう。以前、南の作品にジュースをぶちまけてしまった際、謝れば済むだろう、そう思って謝ったらそれを見抜かれて激怒された事がある。
パウルは作品があるときはアトリエに出入りすることはなかった。作画風景が見たいと言うこともなかった。明らかに芸術に対して興味が薄い子だった。
酔いが回った蒼人はリーメンシュナイダーの歴史を語った。パウルは耳にタコという感じで料理に手を伸ばした。
「お父さんがリーメンシュナイダーを師事するのは分かります。でも世界には他にも彫刻家はいるんです。」
そう言って下を向いた。蒼人はそんなパウルにお前も将来芸術家になったらわかるよ、と言って頭を撫でた。
次の休日、ギャラリーアオヤナギ主催の回顧展が開かれた。受付には人を雇った。いつも受付には山本さんがいたんだよなぁ…高真は改めてそう思った。パウルとソフィアは会ったこともない祖父の作品をただただ眺めていた。
「うちのグロースファーターはなかなかの腕だったのね。」
ソフィアは腕を組みながら、上から目線でそう言った。
パウルは、
「おじいちゃんは天才だったんですねぇ…。」
と惚れ惚れしていた。
それでも蒼人は悩んでいた。父の作品を管理してくれる人がいなくなる。それでも彫刻家としてのキャリアは積みたい。そして、その日の夜、高真と仕事について話をした。
高真は最初から全てこなそうとしなくて良い。南君がサポートしてくれる。そう言って蒼人の様子を見た。
「父の作品を僕は守りたいんです。ギャラリーアオヤナギの社長には僕がなります。」
そうしてふたりは握手した。
それからの蒼人は彫刻家とギャラリーアオヤナギの社長を兼任した。若手の作品を採用する基準が分からなかったのでその都度南に尋ねた。
南は売れないけど美しい作品、売れるけど微妙な作品というのがあると丁寧に説明してくれた。この頃の蒼人は殆ど家に帰ることはなかった。そんな蒼人の留守中にパウルは沢山の本を読み゙漁った。その中には芸術家の本もあった。本は素晴らしいものだ、パウルはそう思った。先人の姿や知恵について学ぶことが出来る貴重なものだ。僕は本が書きたい、そう思って、一層読書に励んだ。
蒼人が社長になってからギャラリーアオヤナギの業績は伸び悩んだ。やはり彫刻家として学んできた自分には経営は無理なのか、そう思って、蒼華に電話した。
「今まで作品を愛してくれた人がたくさんいるけど私達はその人たちを知らないの。もし心の底から感謝できる日がくれば報われる日もくると思うわ。」
そう言って電話を終えた。
蒼人は次の休みに家へと油絵の道具を運び入れた。そしてパウルに絵を描くよう伝えた。
パウルは油絵について知識はあったが道具を使って描くのは初めてだ。
自分の知らない経験ができる。そう思って、イーゼルにキャンバスをセットして油絵を描き始めた。
それからのパウルは油絵を描きながら、夜は読書を続けた。学校での成績はオール1で優秀な成績を修め、ギヴナジウムに進んだ。
ソフィアはレアルシューレへと進学した。パウルの中で芸術は絶対のものではなかった。
美しい言葉を選んで美しい物語を紡ぎ出すこと、それがパウルの生きる世界だった。
蒼人はそんなパウルに激昂した。
「僕は青柳聖人の孫です!でも芸術家ではありません!作家として生きていくんです!」
それからの蒼人はパウルと話すのを止めた。失望した。そう言って家に帰ってこなくなった。
僕の人生は間違いなのだろうか?パウルは悩んだ。それでも進学に向けて勉強と油絵に勤しんだ。それと同時に物語を書いた。現代にリーメンシュナイダーが生きていたらという話だ。
そして出版社が主催するコンクールに応募した。大賞は取れなかったが奨励賞を貰った。それからのパウルはたくさんの物語を紡ぎ出した。
その中には青柳聖人の話があった。一人の天才が周りの人に愛し愛され芸術家になっていく姿。それはリアルな話だった。パウルは蒼人に秘密でその作品をコンクールに応募した。
結果は特別賞で出版の話が出た。
まだ学生だったパウルはその日、ギャラリーアオヤナギを訪れた。
久しぶりに見る蒼人は少し貫禄が出ていた。この頃も蒼人は社長業と彫刻家の仕事を兼任していて休みはなかった。そして南と木内は引退し、地元で雇われたスタッフが残っていた。
「お父さん、僕は作家になります。僕はおじいちゃんのような油絵も描けないし、お父さんのような彫刻も作れません。でも文章は書ける。それが僕の覚悟です。」
蒼人はそれを聞いて笑った。美智香はライターだった、だからその血なんだろう、父親らしいことが出来なくて悪かった。そう言って、涙を流した。
パウルたちの人生には初めから高いハードルがあった。それは盲目の天才、青柳聖人の産み出した盲目の芸術という世界だ。それでもパウル達は手探りながらも自分たちの世界を見つけ出した。
パウルは自分の書いた作品が書店の店頭に並ぶのを見ながら次の物語を考えていた。世界は奇跡に溢れている、きっと素晴らしい物語が待っている。そう思って、学校に向かった。
「このクリームじゃ使えないわ。もう一度やり直して。エミリア、このグラサージュじゃだめよ。光沢が足りないわ。」
この日は、蒼華の経営するケーキ店に取材が入る日だった。朝早くから大勢のスタッフと共に蒼華はケーキを焼き続けた。
「蒼華は手厳しいな~。」
店には蒼人が花束を持って尋ねてきた。
「私達は盲目の天才、青柳聖人の娘と息子ですからね。」
そうしてオープン前のショーケースには色とりどりのケーキが並んだ。
この頃の蒼人は彫刻家になる夢を叶えてドイツに留まらず世界各国から彫刻の依頼を受ける若き天才と呼ばれるようになっていた。
一方で蒼華は老舗ケーキ店と張り合うようにケーキ店を出店し続けていた。
ドイツのケーキは日本と比べて甘さが控えめで素朴な味だ。バウムクーヘンやシュトレンはドイツの代表的なお菓子だ。
蒼人は花束を店の花瓶に移しながら蒼華の様子をながめた。
もう美智香が亡くなって3年以上が経つ。
葬儀には神林や向坂、政岡などが参列してくれた。日本から葬儀に来るのは大変だったでしょう、そう蒼人は言った。
しかし参列に訪れる人たちは皆が口を揃えて素晴らしい人生を見せてもらった、山本さんには感謝しています、そう言って笑った。
高真は奥さんと一緒に涙を流し続けた。南と木内はその様子を見ながら涙ぐんだ。
医師の乃々佳は、やはり青柳先生がお迎えに来たんでしょうね…と言って微笑んでいた。
葬儀に集まった人から蒼人と蒼華は両親の話を聞いて笑ったり泣いたりした。
美智香は生前、青柳について多くは語らなかった。ふたりが初めて聞く盲目の天才、青柳聖人の人生は波乱にとんだものだった。高真は大切なものを扱うようにふたりの思い出を語った。
蒼人と蒼華は高真の話を聞きながら父の姿を思い描いた。
生きていれば、ふたりを溺愛したでしょうね。高真はそう言って笑った。
「マミー、私もケーキ屋さんになりたいわ。」
その日の帰り道、蒼華の娘、ソフィアはそう言った。
「うちは世界一の家系何でしょう?」
ソフィアは堂々としている。
「私達のグロースファーターは盲目の天才、青柳聖人よ。だったら私も世界一になれるわ。」
「僕は彫刻家にはなりたくないなぁ。」
蒼人の息子パウルはもじもじとしている。
「お父さんは芸術家になれとは言わないけど物凄く圧があるんだ。」
「無理することはないわ。なりたいものになればいいのよ。」
そう言って蒼華は微笑んだ。
「お父さんは芸術家こそが世界の全てだと思っているんだ。僕は学者になりたいんだ。世界を変えるような発見をして世界に貢献したいんだ。」
パウルは語った。青柳の遺伝子は孫の代まで及んだ。パウルは学校に入ってすぐ学者並みの知識を披露する機会に恵まれた。先生たちはどよめきたった。ご家庭でどのような教育をされてきたんですか?周りの父兄からは執拗にそう聞かれた。
パウルは本を読むのが好きで絵本の読み聞かせの頃から文字を眺めるのが好きだった。パウルが指をさすのに合わせて単語の意味と読みを発音していった。パウルが自分で絵本以外の本を読めるようになるまで時間はそうかからなかった。
それでも生来、おとなしいパウルは周囲に騒がれるのを嫌った。
ソフィアと比べて友達も少ない。
「おばあちゃんは幸せだったのかなぁ…。」
パウルは思い出したように時々そのセリフを呟く。
「なぜそう思うの?」
「だっておじいちゃんが死んでから1人で双子を育てたんでしょう?後悔することもあったと思うよ。」
蒼華はパウルの頭をそっと撫でながら、
「マミーのお陰で、私達はとても幸せな子供時代を過ごしたわ。」
そう言って笑った。
ドイツのギャラリーアオヤナギでは高真が悩んでいた。後継者問題だ。高真は老眼鏡片手に仕事をしていた。自分が現役で働けるのはもう僅かな期間だろう、そう思った。南と木内は高真さんの後釜になんて恐れ多くてなれません。そう言って仕事に励んだ。
その日は偶々、荒井が蒼人と約束してギャラリーアオヤナギに来ていた。蒼人は仕事が終わったら来る予定だ。
高真は試しに荒井に聞いた。
「荒井君は、ギャラリーアオヤナギの社長に興味はない?」
荒井は吹き出した。
「ごめんですよ。馬車馬の如く働かされるんですから。」
「そんな風に働いてるかなぁ?」
高真は続けた。
「やっぱりギャラリーアオヤナギは畳むしかないのかなぁ…。」
「蒼人君はどうです?ここで遊んで育ったんですから思い入れはあるでしょう?」
「それなんだけどね。以前に断られているんだよね。」
「僕からも言ってみますよ。」
そう言うと蒼人が到着した。
蒼人と荒井はドイツビール片手に乾杯した。同じ彫刻家として語り尽くせぬ程の世界観があった。リーメンシュナイダーが同期にいたら彫刻の話だけで一年は話せただろう、そう言って笑った。
「荒井さんがいてくれたお陰で僕は今、彫刻家になれたんです。お礼を言っても言い足りません。」
蒼人は話した。
「だったら僕は、ギャラリーアオヤナギがなければ世界で活躍する彫刻家にはなれなかったよ。」
荒井はそう言ってビールを飲んだ。
「君だってギャラリーアオヤナギにはお世話になっただろう?」
荒井は続けた。
「もしかして高真さんの後を継ぐ話ですか?」
蒼人は察しが良い。
「悪い話ではないと思うよ。」
「彫刻に割く時間が減るのはちょっと…僕はまだ若手だから経験を積まないといけないし…。」
「君のキャリアは下手したら僕より長いよ。」
そう言って荒井は笑った。
「僕が思うに君たちふたりはギャラリーアオヤナギのみんなに愛されてひねくれることなくすくすくと育った。ギャラリーアオヤナギは君たちにとって第2の故郷だ。その故郷を手放してもいいのかい?」
荒井は蒼人の言葉を待った。
「考えてみます。」
そう言ってふたりは飲み明かした。
その日の高真は今まで販売してきた作品の一覧を眺めていた。青柳は盲目だったといえ、作品は年をおうごとに深みが増していった。
それを見ながら高真は青柳と自分の人生を振り返った。芸術家の名前なんて試験で答える以外に必要ない。そう思っていた自分がギャラリーのオーナーになった。人生には何があるか分からない。
この日はパウルとソフィアがギャラリーアオヤナギでシャボン玉をして遊んでいた。
蒼人と蒼華が小さかった頃を思い出す。
「高真さんこんにちは。」
パウルは礼儀正しい子だった。
「あら、高真さんじゃない?」
ソフィアは勝ち気な子だった。
うちのグロースファーターが居たから高真さんは社長になれたのよね、とソフィアは時々口にした。蒼華はそれを叱りつけて、ふたりはお互いになくてはならない存在なの、どちらかが欠けてもギャラリーアオヤナギは成立しなかったのよ、と言った。
しかしソフィアはそれに納得しない様子でいやいや高真に謝っていた。
そしてもう一人、この日はパウルの友人のノアという男の子が遊びに来ていた。パウルはアトリエにある父の作品を見せながら大人顔負けの解説をしていた。それでもノアとパウルは途中から天体の話や人体の話を始めた。ふたりとも芸術が好きというより芸術にまつわる知識が好きといった感じだった。高真はその様子を見ながら聖人の孫は何になるんだろう、そう思った。
この日は久しぶりにギャラリーアオヤナギのメンバーで慰労会を開いた。この頃の南は結婚していて、娘が一人いた。母親似で美しい子だった。木内はりえちゃんと結婚まで秒読みといったところで毎日デレデレしている。蒼人と蒼華はお互いの子どもを連れて参加した。パウルはメロンソーダを飲みソフィアはロイヤルミルクティーを飲んでいた。ソフィアはそんなパウルを見て子供なのねぇと言った。
高真は奥さんを呼んでいて途中から合流した。ふたりの子どもは高真の奥さんが大好きだった。お互いの母親と違ってお菓子をいっぱい食べさせてくれるしわがままを言ってもたいがいはニコニコしている。高真の奥さんもふたりが好きよと言ってくれた。
しかしソフィアは南が苦手だった。南は木内も知るように二重人格だ。ソフィアが可愛こぶっても、おとなしいふりをしても見抜かれてしまう。以前、南の作品にジュースをぶちまけてしまった際、謝れば済むだろう、そう思って謝ったらそれを見抜かれて激怒された事がある。
パウルは作品があるときはアトリエに出入りすることはなかった。作画風景が見たいと言うこともなかった。明らかに芸術に対して興味が薄い子だった。
酔いが回った蒼人はリーメンシュナイダーの歴史を語った。パウルは耳にタコという感じで料理に手を伸ばした。
「お父さんがリーメンシュナイダーを師事するのは分かります。でも世界には他にも彫刻家はいるんです。」
そう言って下を向いた。蒼人はそんなパウルにお前も将来芸術家になったらわかるよ、と言って頭を撫でた。
次の休日、ギャラリーアオヤナギ主催の回顧展が開かれた。受付には人を雇った。いつも受付には山本さんがいたんだよなぁ…高真は改めてそう思った。パウルとソフィアは会ったこともない祖父の作品をただただ眺めていた。
「うちのグロースファーターはなかなかの腕だったのね。」
ソフィアは腕を組みながら、上から目線でそう言った。
パウルは、
「おじいちゃんは天才だったんですねぇ…。」
と惚れ惚れしていた。
それでも蒼人は悩んでいた。父の作品を管理してくれる人がいなくなる。それでも彫刻家としてのキャリアは積みたい。そして、その日の夜、高真と仕事について話をした。
高真は最初から全てこなそうとしなくて良い。南君がサポートしてくれる。そう言って蒼人の様子を見た。
「父の作品を僕は守りたいんです。ギャラリーアオヤナギの社長には僕がなります。」
そうしてふたりは握手した。
それからの蒼人は彫刻家とギャラリーアオヤナギの社長を兼任した。若手の作品を採用する基準が分からなかったのでその都度南に尋ねた。
南は売れないけど美しい作品、売れるけど微妙な作品というのがあると丁寧に説明してくれた。この頃の蒼人は殆ど家に帰ることはなかった。そんな蒼人の留守中にパウルは沢山の本を読み゙漁った。その中には芸術家の本もあった。本は素晴らしいものだ、パウルはそう思った。先人の姿や知恵について学ぶことが出来る貴重なものだ。僕は本が書きたい、そう思って、一層読書に励んだ。
蒼人が社長になってからギャラリーアオヤナギの業績は伸び悩んだ。やはり彫刻家として学んできた自分には経営は無理なのか、そう思って、蒼華に電話した。
「今まで作品を愛してくれた人がたくさんいるけど私達はその人たちを知らないの。もし心の底から感謝できる日がくれば報われる日もくると思うわ。」
そう言って電話を終えた。
蒼人は次の休みに家へと油絵の道具を運び入れた。そしてパウルに絵を描くよう伝えた。
パウルは油絵について知識はあったが道具を使って描くのは初めてだ。
自分の知らない経験ができる。そう思って、イーゼルにキャンバスをセットして油絵を描き始めた。
それからのパウルは油絵を描きながら、夜は読書を続けた。学校での成績はオール1で優秀な成績を修め、ギヴナジウムに進んだ。
ソフィアはレアルシューレへと進学した。パウルの中で芸術は絶対のものではなかった。
美しい言葉を選んで美しい物語を紡ぎ出すこと、それがパウルの生きる世界だった。
蒼人はそんなパウルに激昂した。
「僕は青柳聖人の孫です!でも芸術家ではありません!作家として生きていくんです!」
それからの蒼人はパウルと話すのを止めた。失望した。そう言って家に帰ってこなくなった。
僕の人生は間違いなのだろうか?パウルは悩んだ。それでも進学に向けて勉強と油絵に勤しんだ。それと同時に物語を書いた。現代にリーメンシュナイダーが生きていたらという話だ。
そして出版社が主催するコンクールに応募した。大賞は取れなかったが奨励賞を貰った。それからのパウルはたくさんの物語を紡ぎ出した。
その中には青柳聖人の話があった。一人の天才が周りの人に愛し愛され芸術家になっていく姿。それはリアルな話だった。パウルは蒼人に秘密でその作品をコンクールに応募した。
結果は特別賞で出版の話が出た。
まだ学生だったパウルはその日、ギャラリーアオヤナギを訪れた。
久しぶりに見る蒼人は少し貫禄が出ていた。この頃も蒼人は社長業と彫刻家の仕事を兼任していて休みはなかった。そして南と木内は引退し、地元で雇われたスタッフが残っていた。
「お父さん、僕は作家になります。僕はおじいちゃんのような油絵も描けないし、お父さんのような彫刻も作れません。でも文章は書ける。それが僕の覚悟です。」
蒼人はそれを聞いて笑った。美智香はライターだった、だからその血なんだろう、父親らしいことが出来なくて悪かった。そう言って、涙を流した。
パウルたちの人生には初めから高いハードルがあった。それは盲目の天才、青柳聖人の産み出した盲目の芸術という世界だ。それでもパウル達は手探りながらも自分たちの世界を見つけ出した。
パウルは自分の書いた作品が書店の店頭に並ぶのを見ながら次の物語を考えていた。世界は奇跡に溢れている、きっと素晴らしい物語が待っている。そう思って、学校に向かった。
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