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盲目の騎士〜誠実な愛〜
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その日は非番だった。
同僚の高枝から子どもが熱を出したから代わって欲しいと言われて私は病院の受付に立った。
この日は猛暑で熱中症患者がバタバタと運び込まれてきた。
そんな中、ひとりの青年が目に留まった。
彼の名前は高真武彦と言った。大学生くらいだろうか。品の良い顔立ちの子だった。
彼は倒れた友達に付き添って病院に来ていた。
私は入院の書類を用意して彼の元に行った。
「こんにちは。入院の手続きの書類です。ご家族の方ですか?」
「いえ、僕は彼の友人です。」
「じゃあ彼のお父さんかお母さんの連絡先は分かる?」
私は穏やかにそういった。
「聖人は…いえ、青柳君はご両親が離婚していて同居しているおばあさまも調子が良ろしくないんです。」
「遠縁の方でも良いのよ。支払い能力がある人に書類を書いてもらわないといけないの。」
「僕じゃだめなんですか?」
「だめってことはないけど出来たら身内の人ね。」
「じゃあ僕でお願いします。」
そう言って彼は書類を書いた。
複雑な事情があるんだろうな…私はそう思って彼から書類を受け取った。
書類を受け取る時、彼の爪に絵具が付いているのに気付いた。
塗装屋さんか何かなのかな、と私は深く考えず入院の手続きを済ませた。
翌日から毎日かかさずに彼は青柳のお見舞いに来ていた。私にはそれが不思議だった。
ただの友達にそこまでするものだろうか。そう思って、色々と想像を巡らせた。
「また来てるわね、あの子。」
同僚の高枝が話した。
「友達相手にしては頻繁ですよね。」
「ゲイカップルかもしれないわよ。」
「それはちょっと考え過ぎでは…。」
私はそう言って苦笑いした。
それでも毎日顔を合わせるたびに彼の表情が穏やかになっていくのを感じた。
1週間弱で青柳は退院していった。迎えには高真が来ていた。
こんな時までご両親は来ないんだな、そう思うと私は複雑な気持ちだった。
会計の時、私は高真に声をかけた。
「退院おめでとうございます。まだまだ暑い季節だからふたりとも無理しないでね。」
「ありがとうございます。」
ふたりとも素直にそういった。
そうして私は青柳と高真を見送った。
冬になった。私の記憶から高真は消えかけていたが、彼は久しぶりに病院にやってきた。
青柳と一緒だ。この頃から青柳はサングラスをかけるようになっていた。
なんの病気なのだろうか、私は若くして通院する彼らにかける言葉が見つからなかった。
その日、医師の元宮と話した。
「大学生くらいの男の子の二人組ってなんの病気なんですか?」
「それは守秘義務があるから答えられないよ。」
そう言って元宮は笑った。
「画家の子たちらしいよ。」
看護士の湯原が話した。
「個展があるから病室でも絵を描かせてくれってイーゼルまで持ち込もうとしてきたんだよ。」
「あの年で個展ですか?」
「どうせたいしたことないよ。」
そう言って湯原は笑った。
高真が次にやってきた時、私はふたりに声をかけた。
「おふたりは画家なんですか?」
「僕は違います。青柳君が画家なんです。」
高真は嬉しそうに話した。
「高校時代からふたりで個展を開いたりしてるんです。」
青柳は嫌そうにしていた。
「俺はただの絵描きだ。画家なんてだいそれたものじゃない。」
そう言って顔を背けた。
「僕は青柳君を世界一の画家にするのが夢なんです。」
私はそこまで聞いてああ若気の至りだな、そう思った。しかし私の様子を気にすることなく高真は続けた。
「こんな絵を描いているんです。」
携帯で高真は写真を出した。
私はそれを見て言葉を失った。そこには色彩豊かな世界が広がっていた。私は高真が青柳に入れ込む理由が分かった。
それからも私は何度か受付と会計で彼らと顔を合わせた。
依然として病名についてはわからないままだった。それでもふたりは月に1回ほど来院した。
「本当に仲良しね。いつもふたりでいるの?」
ある日の診察で私はそう言った。
「青柳君は目が見えないんです…。」
高真はそう言って黙り込んだ。
「でも絵を描いているんでしょう?」
「見えないんです。それでも彼は絵を描くんです。」
「高真、やめろ。」
青柳が隣で呟いた。
「青柳君は病気で失明したんです。昔はまだ僕の姿も見えていましたが今では完全に見えないんです。」
高真は続けた。
「それでも彼は絵が描けるんです。素晴らしいと思いませんか?」
「高真、やめろって。」
青柳はさっきより強い口調でそういった。
「僕は青柳君を世界一の画家にするんです。」
ああ、以前もそんな事を言っていたな、私は記憶を辿った。
「じゃあ青柳君の通院に高真君が付き添っているということ?」
「そうですね。」
高真がそう言うと青柳は診察に呼ばれた。
それからもふたりは月に1回病院にやってきた。この頃から、青柳は完全に杖をついて歩くようになっていた。
私は若いふたりが心配だった。
「高真君、青柳君の心配もあるだろうけど貴方もしっかり休まないといけないのよ。」
私は高真にそう言った。
「心配してくださってありがとうございます。僕は大丈夫です。」
そう言って高真は笑った。青柳は相変わらず機嫌が悪いのか眉間にシワを寄せていた。
思えばこの頃から私は高真に特別な感情を抱いていた。病気の友達を本気で励ます彼の姿に自分でも良く分からない感情が込み上げていた。
それでも私は病院の受付でしか無い、そう思って、彼と接していた。
翌年の夏にまた青柳が搬送されてきた。今回も付き添いは高真だ。私は軽い熱中症だろう、そう思って高真に接した。
ところが、状況は去年と変わっていた。病気が進行している、そう言って高真は真っ青な顔をしていた。
涙をこらえて小刻みに震える高真に、私は駆け寄りたい気持ちを必死に抑えて仕事をした。
それを見ていた高枝が、
「声をかけてあげてくればいいわよ。皆、気づかないふりをしてくれるわ。」
と言った。それでも私はそれが出来なかった。自分の人生をかけて友人を世界一の画家にする、そう言った彼の覚悟が私にブレーキをかけた。
その日は青柳の入院の手続きを終えて高真は帰っていった。私はそんな彼の姿を見送りながら自分の人生を振り返った。
高校を卒業して医療事務の専門学校に通って資格を取り、病院に就職した。両親も健在で何不自由なく育った。私は恵まれている。
病院に勤めながら、色んな病気の人を見てきた。それでも、それを真摯に受け止める家族やパートナーはたくさん見てきた。私は彼に何が出来るだろう。そう思った。
それから毎日、高真は青柳の病室を訪ねてきた。私と会えば挨拶をしてくれる。礼儀正しい子だなと、改めて思った。仕事中に雑談は出来ないので休憩中、高真と話した。
高真は父親から借金をして青柳と作画をしているという話をしてくれた。そして返済出来なければ青柳とは縁を切るように言われている。そうも言っていた。私は彼に信頼されているのが伝わってきた。それでも彼にかける言葉は浮かばなかった。
ある日の午後、青柳と高真は病室で大声で喧嘩を始めた。世界一の画家になんてなれるわけがない、そんなことはない、そんな言い争いをしていた。看護士が間に入ってふたりを止めた。
「しばらく1人にして欲しい。」
青柳はそう言った。
そして高真は泣いていた。
それからのふたりは平行線だった。絵を描く描かないの話ではなく、人生そのものの話をしていた。私は若くして深い洞察力を持ったふたりを特別なものを見るような目で見ていた。
「高真君は青柳君に人生を捧げられるの?」
その日の休憩中、私は尋ねた。
「僕は…青柳君に会うまで人生はつまらないものだと思っていました。毎日同じようなことをして同じような話をして社会の歯車になる。それが人生だと思っていました。でも違ったんです。彼は僕の人生に新たな世界を生み出してくれたんです。お礼を言っても言い足りないくらい感謝しています。」
そう言うと高真は私を見た。
「いつも僕たちを気にかけてくださってありがとうございます。青柳君は病院ではああですが、病院から帰ると感謝していると言うんです。」
私は微笑んだ。
「私は病院のスタッフですからね。」
「今更ですけど、お名前はなんておっしゃるんですか?」
「幸原です。幸せの原と書いて幸原と言います。」
「幸原さんにも感謝しています。僕と青柳君だけじゃ入院生活は乗り越えられなかったと思います。」
そう言って高真は笑った。
「幸原さん。本当にありがとうございます。」
私は高真と握手しながら、じんわり涙を流した。
そうして青柳は退院していった。
その後もふたりは月に1回病院に顔を出した。私はこの頃から高真が来るのを心待ちにしている自分に気がついていた。それでもそれを悟られてはいけない、そう思った。
同僚の高枝は、
「運命の相手かもしれないわよ。今を逃しちゃだめよ。」
と、言ってきた。自分の人生をかける、その覚悟が私にはなかった。
それに高真のような素敵な人に自分が釣り合うとは到底思えなかった。
ある日の診察の日、高真は個展の招待状を私に渡してきた。
「絵を買ってほしいとかそういうことじゃなく、感謝の意味を込めて作品を展示してるんです。」
そう言って高真は笑った。
「一度で良いんで良かったら来てください。」
そうして高真はその日の診察を終えた青柳と一緒に帰っていった。
次の休みに私は青柳の個展に顔を出した。
高真はスーツを着て作品の販売に回っていた。
「来てくれたんですね、幸原さん。」
そう言って高真は私に駆け寄ってきた。青柳は会場で杖をつきながら不機嫌そうにしていた。
私は高真の作品解説を聞きながらぼんやり彼の姿を眺めた。
「あの幸原さん…?」
「え、あっ、はい。」
「僕の解説だと分かりにくいですか?」
「いえ、そんなことはありません。」
私は自分が高真に見とれている事に気がついた。永遠にこの時が続いて欲しい、そう思っていた。
「お疲れのところ来ていただいたようで申し訳ないです。」
高真は私を心配してくれていた。
「青柳君は相変わらずですが僕は元気です。幸原さんのおかげです。」
「私は何もしてませんよ。」
そう言って私は顔をほころばせた。
「死んだ祖母が言っていたんです。この世はお陰様だと。」
高真は続けた。
「この世は色んな人との巡り合わせで出来ていて自分の力だけじゃどうにもならないこともあるって。それでも陰ながら応援してくれる人たちのお陰で世の中はまわっていくんだと。」
高真は微笑んだ。
「今になって分かります。幸原さん達のおかげです。」
私は泣いた。
「高真君がいつも青柳君を支える姿を見ながら私には何が出来るんだろう、ずっとそう思っていたの。」
高真は泣いている私を見てハンカチを差し出した。
「何って、たくさん励ましてもらいましたよ。」
高真は笑った。
「私には貴方のように人生をかける覚悟はできないの。それでも貴方を好きになってしまったの。」
私は素直にそう言って静かに泣き続けた。自分でも彼を困らせるのは分かっていた。
しかし、高真は私の手を握って、
「幸原さん。人生をかけてくれとは言いません。僕は貴女に何もできないかも知れない。それでも僕を選んでくれますか?」
と言った。
私は小さく頷いた。青柳が近寄ってきた。
「これで俺も作画に打ち込めるよ。」
そう言って初めて笑顔を見せた。
「高真のためにも描かないとな。」
青柳は杖をカンカン鳴らした。
そうして次の日、私は病院の受付に立った。人生をかける覚悟は出来ていない。それでも私はいつも彼らを陰ながら応援していく。そう思いながら顔を上げた。
同僚の高枝から子どもが熱を出したから代わって欲しいと言われて私は病院の受付に立った。
この日は猛暑で熱中症患者がバタバタと運び込まれてきた。
そんな中、ひとりの青年が目に留まった。
彼の名前は高真武彦と言った。大学生くらいだろうか。品の良い顔立ちの子だった。
彼は倒れた友達に付き添って病院に来ていた。
私は入院の書類を用意して彼の元に行った。
「こんにちは。入院の手続きの書類です。ご家族の方ですか?」
「いえ、僕は彼の友人です。」
「じゃあ彼のお父さんかお母さんの連絡先は分かる?」
私は穏やかにそういった。
「聖人は…いえ、青柳君はご両親が離婚していて同居しているおばあさまも調子が良ろしくないんです。」
「遠縁の方でも良いのよ。支払い能力がある人に書類を書いてもらわないといけないの。」
「僕じゃだめなんですか?」
「だめってことはないけど出来たら身内の人ね。」
「じゃあ僕でお願いします。」
そう言って彼は書類を書いた。
複雑な事情があるんだろうな…私はそう思って彼から書類を受け取った。
書類を受け取る時、彼の爪に絵具が付いているのに気付いた。
塗装屋さんか何かなのかな、と私は深く考えず入院の手続きを済ませた。
翌日から毎日かかさずに彼は青柳のお見舞いに来ていた。私にはそれが不思議だった。
ただの友達にそこまでするものだろうか。そう思って、色々と想像を巡らせた。
「また来てるわね、あの子。」
同僚の高枝が話した。
「友達相手にしては頻繁ですよね。」
「ゲイカップルかもしれないわよ。」
「それはちょっと考え過ぎでは…。」
私はそう言って苦笑いした。
それでも毎日顔を合わせるたびに彼の表情が穏やかになっていくのを感じた。
1週間弱で青柳は退院していった。迎えには高真が来ていた。
こんな時までご両親は来ないんだな、そう思うと私は複雑な気持ちだった。
会計の時、私は高真に声をかけた。
「退院おめでとうございます。まだまだ暑い季節だからふたりとも無理しないでね。」
「ありがとうございます。」
ふたりとも素直にそういった。
そうして私は青柳と高真を見送った。
冬になった。私の記憶から高真は消えかけていたが、彼は久しぶりに病院にやってきた。
青柳と一緒だ。この頃から青柳はサングラスをかけるようになっていた。
なんの病気なのだろうか、私は若くして通院する彼らにかける言葉が見つからなかった。
その日、医師の元宮と話した。
「大学生くらいの男の子の二人組ってなんの病気なんですか?」
「それは守秘義務があるから答えられないよ。」
そう言って元宮は笑った。
「画家の子たちらしいよ。」
看護士の湯原が話した。
「個展があるから病室でも絵を描かせてくれってイーゼルまで持ち込もうとしてきたんだよ。」
「あの年で個展ですか?」
「どうせたいしたことないよ。」
そう言って湯原は笑った。
高真が次にやってきた時、私はふたりに声をかけた。
「おふたりは画家なんですか?」
「僕は違います。青柳君が画家なんです。」
高真は嬉しそうに話した。
「高校時代からふたりで個展を開いたりしてるんです。」
青柳は嫌そうにしていた。
「俺はただの絵描きだ。画家なんてだいそれたものじゃない。」
そう言って顔を背けた。
「僕は青柳君を世界一の画家にするのが夢なんです。」
私はそこまで聞いてああ若気の至りだな、そう思った。しかし私の様子を気にすることなく高真は続けた。
「こんな絵を描いているんです。」
携帯で高真は写真を出した。
私はそれを見て言葉を失った。そこには色彩豊かな世界が広がっていた。私は高真が青柳に入れ込む理由が分かった。
それからも私は何度か受付と会計で彼らと顔を合わせた。
依然として病名についてはわからないままだった。それでもふたりは月に1回ほど来院した。
「本当に仲良しね。いつもふたりでいるの?」
ある日の診察で私はそう言った。
「青柳君は目が見えないんです…。」
高真はそう言って黙り込んだ。
「でも絵を描いているんでしょう?」
「見えないんです。それでも彼は絵を描くんです。」
「高真、やめろ。」
青柳が隣で呟いた。
「青柳君は病気で失明したんです。昔はまだ僕の姿も見えていましたが今では完全に見えないんです。」
高真は続けた。
「それでも彼は絵が描けるんです。素晴らしいと思いませんか?」
「高真、やめろって。」
青柳はさっきより強い口調でそういった。
「僕は青柳君を世界一の画家にするんです。」
ああ、以前もそんな事を言っていたな、私は記憶を辿った。
「じゃあ青柳君の通院に高真君が付き添っているということ?」
「そうですね。」
高真がそう言うと青柳は診察に呼ばれた。
それからもふたりは月に1回病院にやってきた。この頃から、青柳は完全に杖をついて歩くようになっていた。
私は若いふたりが心配だった。
「高真君、青柳君の心配もあるだろうけど貴方もしっかり休まないといけないのよ。」
私は高真にそう言った。
「心配してくださってありがとうございます。僕は大丈夫です。」
そう言って高真は笑った。青柳は相変わらず機嫌が悪いのか眉間にシワを寄せていた。
思えばこの頃から私は高真に特別な感情を抱いていた。病気の友達を本気で励ます彼の姿に自分でも良く分からない感情が込み上げていた。
それでも私は病院の受付でしか無い、そう思って、彼と接していた。
翌年の夏にまた青柳が搬送されてきた。今回も付き添いは高真だ。私は軽い熱中症だろう、そう思って高真に接した。
ところが、状況は去年と変わっていた。病気が進行している、そう言って高真は真っ青な顔をしていた。
涙をこらえて小刻みに震える高真に、私は駆け寄りたい気持ちを必死に抑えて仕事をした。
それを見ていた高枝が、
「声をかけてあげてくればいいわよ。皆、気づかないふりをしてくれるわ。」
と言った。それでも私はそれが出来なかった。自分の人生をかけて友人を世界一の画家にする、そう言った彼の覚悟が私にブレーキをかけた。
その日は青柳の入院の手続きを終えて高真は帰っていった。私はそんな彼の姿を見送りながら自分の人生を振り返った。
高校を卒業して医療事務の専門学校に通って資格を取り、病院に就職した。両親も健在で何不自由なく育った。私は恵まれている。
病院に勤めながら、色んな病気の人を見てきた。それでも、それを真摯に受け止める家族やパートナーはたくさん見てきた。私は彼に何が出来るだろう。そう思った。
それから毎日、高真は青柳の病室を訪ねてきた。私と会えば挨拶をしてくれる。礼儀正しい子だなと、改めて思った。仕事中に雑談は出来ないので休憩中、高真と話した。
高真は父親から借金をして青柳と作画をしているという話をしてくれた。そして返済出来なければ青柳とは縁を切るように言われている。そうも言っていた。私は彼に信頼されているのが伝わってきた。それでも彼にかける言葉は浮かばなかった。
ある日の午後、青柳と高真は病室で大声で喧嘩を始めた。世界一の画家になんてなれるわけがない、そんなことはない、そんな言い争いをしていた。看護士が間に入ってふたりを止めた。
「しばらく1人にして欲しい。」
青柳はそう言った。
そして高真は泣いていた。
それからのふたりは平行線だった。絵を描く描かないの話ではなく、人生そのものの話をしていた。私は若くして深い洞察力を持ったふたりを特別なものを見るような目で見ていた。
「高真君は青柳君に人生を捧げられるの?」
その日の休憩中、私は尋ねた。
「僕は…青柳君に会うまで人生はつまらないものだと思っていました。毎日同じようなことをして同じような話をして社会の歯車になる。それが人生だと思っていました。でも違ったんです。彼は僕の人生に新たな世界を生み出してくれたんです。お礼を言っても言い足りないくらい感謝しています。」
そう言うと高真は私を見た。
「いつも僕たちを気にかけてくださってありがとうございます。青柳君は病院ではああですが、病院から帰ると感謝していると言うんです。」
私は微笑んだ。
「私は病院のスタッフですからね。」
「今更ですけど、お名前はなんておっしゃるんですか?」
「幸原です。幸せの原と書いて幸原と言います。」
「幸原さんにも感謝しています。僕と青柳君だけじゃ入院生活は乗り越えられなかったと思います。」
そう言って高真は笑った。
「幸原さん。本当にありがとうございます。」
私は高真と握手しながら、じんわり涙を流した。
そうして青柳は退院していった。
その後もふたりは月に1回病院に顔を出した。私はこの頃から高真が来るのを心待ちにしている自分に気がついていた。それでもそれを悟られてはいけない、そう思った。
同僚の高枝は、
「運命の相手かもしれないわよ。今を逃しちゃだめよ。」
と、言ってきた。自分の人生をかける、その覚悟が私にはなかった。
それに高真のような素敵な人に自分が釣り合うとは到底思えなかった。
ある日の診察の日、高真は個展の招待状を私に渡してきた。
「絵を買ってほしいとかそういうことじゃなく、感謝の意味を込めて作品を展示してるんです。」
そう言って高真は笑った。
「一度で良いんで良かったら来てください。」
そうして高真はその日の診察を終えた青柳と一緒に帰っていった。
次の休みに私は青柳の個展に顔を出した。
高真はスーツを着て作品の販売に回っていた。
「来てくれたんですね、幸原さん。」
そう言って高真は私に駆け寄ってきた。青柳は会場で杖をつきながら不機嫌そうにしていた。
私は高真の作品解説を聞きながらぼんやり彼の姿を眺めた。
「あの幸原さん…?」
「え、あっ、はい。」
「僕の解説だと分かりにくいですか?」
「いえ、そんなことはありません。」
私は自分が高真に見とれている事に気がついた。永遠にこの時が続いて欲しい、そう思っていた。
「お疲れのところ来ていただいたようで申し訳ないです。」
高真は私を心配してくれていた。
「青柳君は相変わらずですが僕は元気です。幸原さんのおかげです。」
「私は何もしてませんよ。」
そう言って私は顔をほころばせた。
「死んだ祖母が言っていたんです。この世はお陰様だと。」
高真は続けた。
「この世は色んな人との巡り合わせで出来ていて自分の力だけじゃどうにもならないこともあるって。それでも陰ながら応援してくれる人たちのお陰で世の中はまわっていくんだと。」
高真は微笑んだ。
「今になって分かります。幸原さん達のおかげです。」
私は泣いた。
「高真君がいつも青柳君を支える姿を見ながら私には何が出来るんだろう、ずっとそう思っていたの。」
高真は泣いている私を見てハンカチを差し出した。
「何って、たくさん励ましてもらいましたよ。」
高真は笑った。
「私には貴方のように人生をかける覚悟はできないの。それでも貴方を好きになってしまったの。」
私は素直にそう言って静かに泣き続けた。自分でも彼を困らせるのは分かっていた。
しかし、高真は私の手を握って、
「幸原さん。人生をかけてくれとは言いません。僕は貴女に何もできないかも知れない。それでも僕を選んでくれますか?」
と言った。
私は小さく頷いた。青柳が近寄ってきた。
「これで俺も作画に打ち込めるよ。」
そう言って初めて笑顔を見せた。
「高真のためにも描かないとな。」
青柳は杖をカンカン鳴らした。
そうして次の日、私は病院の受付に立った。人生をかける覚悟は出来ていない。それでも私はいつも彼らを陰ながら応援していく。そう思いながら顔を上げた。
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