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盲目の騎士〜いつか会えたなら〜

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私が大山崎芸術大学の新入学生代表挨拶に選ばれたと知って母は喜んだ。
芸術がしたい。私はそう思いながらもこの年まで母の期待に応えるようにウォーキング、バレエ、ピアノといった英才教育を受けてきた。
それでも絵を諦めたくはなかった。
芸大を受験したとバレた時、母は私を叱りつけた。一方で私は私の人生を取り戻したい、そう母に食って掛かった。そんなときに降って湧いた代表挨拶の話だった。
首席なら仕方ないわね、そう言いつつもいつも通り周囲にマウントを取る母の姿が目に浮かんだ。
母は若い頃、モデルをしていた。今でもその美貌は健在だ。子供の頃から私をモデルか女優にしたいと話していた。私はそんな母が大嫌いだった。

大学が始まった。首席だったことと近寄りがたい雰囲気の私はすぐに周りから孤立した。母を納得させるためとは言え、挨拶を引き受けたのは失敗だった。それでも絵が描ける環境に身を置けた事は幸いだった。
その日は学食のど真ん中でじゃんけんをしている二人組がいた。
「負けた方の奢りだからなぁ。」
「分かってるよ。」
「じゃーんけーん。」
私は混んだ学食内で彼らの隙間を縫うように移動しようとした。しかし、振りかぶったひとりと私はぶつかって転んだ。
「何してんだよ。木内。」
「あああーすみません。怪我してないですか?」
情けない声がした。
「蓮原さんじゃーん。」
葉鳥は言った。
「えええー蓮原さんじゃないですか。僕、なんてことを…。」
木内は私の手を取った。
「なんかあったら連絡ください。病院代なら出します。」
「連絡先知らないじゃーん。」
葉鳥が囃し立てる。
「ライン交換しましょう。なんかあったら連絡ください。」
「そういうのはもっと親しくなってからじゃないと…。」
私はそう言って学食から去った。

次の油絵の授業から木内は私に話しかけてくるようになった。
「首席なだけあって蓮原さんの描く絵は素晴らしいんですね。」
そう言って木内は笑った。
「絵の良し悪しなんて分かるんですか。皆が良いと言えば良い。芸術ってそんな単純なものなんですか?」
私は皮肉を込めてそう言った。
木内はキョトンとして頭をかきながら続けた。
「僕は芸術の才能がないんです。高校時代、サッカー部で足に大怪我をして美術部に移ったんです。それから顧問の安城先生にあなたの絵は素直で好きよと言われて、芸大に入ったんです。」
そう言って木内はニコニコした。私は自分が随分意地の悪い人間に思えてきた。
「蓮原さんの描く世界は美しいですね。」
「りえでいいです。」
「はい?」
「蓮原なんて珍しい苗字、外で呼ばれると困るのでりえと呼んでください。」
「じゃあ、りえちゃんですね。」
そう言って木内は笑った。

それから私は木内と良く話した。個性が強い芸大生の中で木内は特異な存在だった。
悪く言えば個性がない。良く言えば素朴。そんな彼に私は惹かれていった。
木内と話すようになって私は友だちも増えた。
「りえちゃん、りえちゃん。」
「木内君なーにー?」
「このメーカーのカフェオレ完売間近でゲットしたからはんぶんこしよう。」
「全部くれるんじゃないんだ?」
「いや、それでも良いんだけど…。」
そんな他愛のない会話をした。この頃の私は日本画を専攻している七原とも友だちになった。七原は美男子というのにふさわしい人間だった。
「蓮原さん、友達は選んだ方がいい。」
ある日、七原にそう言われた。
「木内君は素敵な人だよ。」
私は言い返した。
「芸術家足るものお互いを高め合う存在であるべきだ。彼にはそれがない。」
七原は続けた。
「この大学を卒業してプロになれるのはほんの数パーセントの人間だ。蓮原さんは今ならそちら側の人間になれる。」
「私だってこの先何があるかわからないわ。」
「だから言ってるんだ。僕は子供の頃から身体が弱くて選べない人生を送ってきた。そんな僕でも絵を描く事は出来た。僕の人生は芸術がなければ存在しない。」
私は七原の言うことを話半分に聞いた。七原は根っからの芸術家だった。

ある日のことだった。葉鳥と木内はアルバイトの面接を予定していた。
「りえちゃん、りえちゃん。」
「葉鳥ウザい~。」
「俺と木内、ギャラリーアオヤナギで働くんだ。」
「まじ?レベル高くない?」
「七原から乗りかえるなら今のうちだよ。」
「七原君とは何もないって。」
「昨日、近所のスーパーでふたりで買物してたって。」
「学校に籠もってた人の買い出し行ってたんですぅー。変なところで情報通なんだから。」
そう言って私は笑った。
「合格したの?」
友だちのまりちゃんが話した。
「いや、もう冴えてるよね。電話の時点で運命だと思ったよ。」
「で、合格したの?」
「今から面接だよ…。」
木内は眠そうに話した。
「葉鳥盛りすぎぃ~。」
そう言って私たちは二人のもとを去った。

それからというもの木内はダサい芸大生からギャラリーアオヤナギで働く有名人になった。
友達も更に増えた。木内は誰からも愛される素直な人間だった。

大学3年になり就職活動が始まった。私はすんなりと長内芸術の内定を貰った。
「容姿が良いと楽なものね。」
そう言って絡んで来る人もいた。それでも私はそういう人を相手にしなくなっていた。大事な人から認めてもらえればそれでいい。そう思った。母は相変わらず芸術家肌のモデルって言うのも素敵よねと、周囲に話していた。
しかし私はもう母に左右されることはなく自分の人生を歩み始めていた。
そんな私に試練はやってきた。
「木内先輩ってドイツで就職するんですかぁ?」
後輩と木内が会話していた。
「うーん。たぶんそうなるかもねぇ…。」
木内は涙目だった。

私はその日のうちに木内を捕まえて話をした。
「木内君、ドイツで就職するの?」
私は行かないでほしい、そう思いながら木内と話した。まりちゃんにもついてきて貰った。1人だと泣いてしまいそうだったからだ。
木内はカッコつけて、
「世界のギャラリーアオヤナギだからね。」
そう言ってポーズを決めた。
私は家に帰って泣いた。

木内と荒井がドイツ旅行に行っている間、七原が頻繁に話しかけてきた。
「これを機会に木内君と付き合うのは止めた方がいい。ご縁がないんだよ。」
そう言って私を責め立てた。私は、何で七原君にそこまで言われないといけないの?と言って泣いた。
「君のことが好きなんだ。」
七原は言った。私はそんな七原をこっぴどくふった。

ドイツから帰ってきた木内は別人のように生き生きとしていた。ドイツ土産のハンカチを渡しながら木内はドイツの話とギャラリーアオヤナギの話をした。
私はその日、学校に残って泣きながら課題に取り組んだ。まりちゃんが隣に来て話しかけてくれた。
「りえちゃん、今ならまだ間に合うよ。」
そう言ってまりちゃんはじっと私を見つめた。
「もし木内君に振られて友達にすら戻れなかったらと思うと怖くて仕方ないの。」
私はそう言って泣き続けた。
「木内君にはりえちゃんは充分過ぎるほど充分だよ。」
まりちゃんは笑った。

それから卒業式までの間、私は時間のある限り木内と話した。胸の中が彼との思い出でいっぱいになるように過ごした。まりちゃんはそんな私を見守ってくれた。
卒業式になって私は木内と最後の会話をした。
「お互い幸せになろうね。」
遠回しすぎる告白だった。それでも私は日本を旅立つ木内を見送った。

それから時は流れた。長内芸術で働いていた私にドイツ出張の話が舞い込んだ。
大学を卒業してから何人かの男の人とお付き合いすることはあった。しかし容姿のことばかり話されるのが嫌で長続きはしなかった。
広大なドイツで私が木内に会える可能性は限りなくゼロに近いだろう。
結婚して子供がいるかもしれない。私は連絡するか悩んだ。

ドイツでは沢山写真を撮った。これを元に仕事をするのだ。ドイツでの滞在期間は7日間だった。こんな見知らぬ土地で、彼は職場の仲間だけを頼って仕事を始めたのか…。そう思うとこの町並みすべてが愛おしく思えた。
7日間はあっという間に過ぎた。ドイツでの仕事の最終日、私はケルン大聖堂を訪れた。
神様が本当にいるというならば彼と私をもう一度会わせてください。そうしたら私はもう彼を手放すことはないでしょう。そう祈った。
その時だった。
「もー荒井君はすぐにケルン、ケルンって言うけどさ。」
「どうせ作品も作らずに芸術家気取り何だから運転くらい代わってくれても良いだろう?」
懐かしいふたりの声がした。私は振り向いて涙を流した。
「え?りえちゃん?りえちゃんだよね?」
止めようと思うのに涙が次から次へと出て言葉が出ない。
「旅行?」
「仕事…。」
「何で泣いてるの?どこか痛い?」
私は首を横に振った。
「…木内君。」
私はどうにか言葉にしようと話すが言葉が降りてこない。
荒井が後ろから木内の頭を叩いた。
「ちょ、荒井君、なにするのさ!!」
「馬鹿だからだよ!!」
そう言って荒井はケルン大聖堂の入り口付近に移動した。
「神様に祈ったの。もし今度木内君に会える事があったなら今度こそ私は彼を手放したりはしないって。」
木内は私の話が良く分からなかったらしく頭を掻いていた。
「えっと…ずっと友達でいるよ。」
「違うの私は。大学時代からずっと好きだったの。」
私はそう言って木内に抱きついた。
木内はそっと私に触れた。
「本当にりえちゃんは僕でいいんですか?」
「当たり前じゃない?神に祈るほどよ。」
そう言って私は笑った。
「ミサが始まるよ。」
荒井の声で私達はケルン大聖堂の外に出た。
「日本に帰ったら連絡するね。」
「りえちゃん…。」
「嫌なら言って…。」
「りえちゃんが僕でいいというなら、僕はりえちゃんを選びます。」
そう言って木内は私を抱きしめて私の頭を撫でた。

日本に帰り半年後、退職願を提出してドイツの企業に移った。そして数カ月後、私と木内は式をあげた。きっと神様は私達が素直に何かを願う事を待ってくれているのだ。そう思いながら私は木内とのドイツ生活を始めた。まりちゃんはそんな私に手紙をくれた。
『これからはずっとふたり一緒でいてね。』
私は泣きながら笑った。 
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