夜の数え方

Kiko

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(2/8) 心臓に穴.

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 10歳を迎える年に、学校で「2分の1成人式」というカリキュラムがあった。幼い10年の歴史を調査して発表する過程で僕は、とある重要な事実を知った。

 僕は生まれてから最初の数ヶ月の間、小さなカプセルの中にいたらしい。
 産声をあげた心臓には穴が開いていた。自然閉鎖するまでの間、父親は毎朝仕事の前に近所の神社で祈りを捧げた。母は不安に包まれた病室で眠れない日々を過ごした。
 病気を背負った子供とその家族のドキュメンタリーが時々TVで流れる。生まれた頃の記憶はなくても、「回復してよかったね」という結末の重大さと、その過程の辛さに対する解像度は鮮明だった。
 いつだって生まれたての赤ちゃんを見る度に、10歳の僕に向かって僕が生まれたときの話をしてくれた少し潤んだ母の瞳を思い出す。

 高校生になってすぐの春とも梅雨とも言い難い季節のある日、母親と2人で祖父母の家に向かっていた。
 駐車スペースに着いて母がエンジンを停めた。後部座席にいた制服の僕は、母がシートベルトを外すまでにいつもより1、2秒ほど"間"があったことに違和感を感じ取った。そして、バックミラーに映る母と目が合った。

 「もう分かってると思うけど、離婚することにしたから。これからよろしくね。」

 それは自然なことと諭すような母の静かな意志に呑まれた僕は、余裕を装う素振りで特に意味のない返事をした。それは何も実感が湧いてない割にはぎこちなく、掠れた声だった。

 「これからよろしくね。」に込められた意味はその後の生活の中で理解することができた。
 当時中学生だった妹は、新しい環境に順応しているように見えたが、しばらく落ち着いていたアトピーがぶり返していた。転校することになった小学生だった弟も、元気に遊んで宿題も一生懸命やっていたけれど、かわいくて純粋な笑顔には少し陰りが窺えた。小さいながらに自立しようと主張しているかのように見えたこの頃の弟の態度は、いつ思い出してもなぜか泣きそうになる。

 以前と同じようにきょうだい喧嘩が起こっただけで母が泣きながら家を飛び出す日もあった。自分も含めてみんな、生活や心のバランスを失っていた。半分は平常運転で、もう半分はなぜかさびしくて何かに動揺しているようだった。
 中学生までは文武両道に学生をこなしていた僕も、学年平均70点以上のテストで30点を取るようになったのは、この頃からだった。

 全方位退屈な中学生活が終わったとき、高校生活には自由度を期待していいと思える開放感があった。その漠然とした予感は正しく、学校が始まって1ヶ月ほどが経っても、そんなに悪いものではないなと感じていた。うまくいっていない状況をうまくやってくれていた両親の異変に目を瞑っている限りは…。

 「これからよろしくね。」

 きっと優秀な大人になれると確信した上で頼ってくれた母を裏切るように成績は下がり、動機がなくても母親やきょうだい、祖父母に当たるようになった。
 本当は、将来像や目標、なりたいものを見つけて母やきょうだいをケアする立派な10代になりたかった。ただ今まで通りに勉強や部活に打ち込んで、今までより少しだけ家族に優しく声を掛けるだけでよかったのに、それができなかった。
 まるで心臓に穴が空いたかのように、ぽっかりと何かが欠落していた。

 妙に明るい両親が家で焼肉を開催した。母は内緒にしていたけれど、父親は僕にだけその日が最後と教えてくれていた。
 僕は最後の夜、翌朝父親が目覚めたら引き止めようと考えていた。朝の気配と眠気が同居するまだ暗い部屋に、父親が支度を始めた音が聞こえてきた。恥ずかしいに近い気持ちが働いた僕は、いつ動き出そうかとタイミングを伺っていた。
 そして、僕の意識がはっきりと朝を捉えた頃、父親の存在はもう跡形も無くなっていた。

 あの日勇気を出せなかった弱い自分を変えなければいけないと感じていた。そうしなければ、あのとき毎日神社に通ってくれた父ですらいなくなってしまうから。
 それでも無気力で無力な10代の僕は、狭いアパートで家族の寝息を聞きながら、涙が溢れるだけの夜をただ繰り返すことしかできなかった。
 いつになっても、覚悟を決めるためのキャパシティが満たされることはなかった。
 そんな日々でも命を放棄しなかったのは「2分の1成人式」で母が教えてくれた"3,000gから始まった小さな歴史"を知っていたからかもしれない。
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