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ウンディーネ編
第九十六話 水面に映る影
しおりを挟む足場が無くなって、わたしたちは真っ逆さまに落ちていくしかない。
――わけではなかった。
「ミルフィーユ!」
すぐにルーシャちゃんが叫んだ。杖の精霊石からミルフィーユが出て来る。ルーシャちゃんがいる限り、落下して潰れてしまう心配はない。わたしを捕まえて浮遊する。イオは壁から土の手を出して落下を自力で防いでいた。
「ツルオリ! 槍を放て!」
だけど、メジロも黙っていない。穴の上からツルオリに命令して、大きな氷柱をたくさん振らせてきた。
「くっ! 邪魔でありますの!」
「ここは俺に任せろ」
イオが土の足場を空中に作って、ダンッと強引に跳躍する。氷柱を剣で斬りつけていく。そのたびにカシャカシャとガラス細工が割れるような音がした。
イオが防いでいる間に、ルーシャちゃんがわたしたちの下に上昇気流を起こした。ふわりと空中に浮く感覚がする。ルーシャちゃんがわたしの腰を抱えた。
「これで……、あ、あれ?」
これで上に向かって脱出できると思った矢先だ。辺りが真っ暗になったのだ。もともと、落ちて来た穴からしか、か細い光が入って来なかった。上を見るとどうやらそれも、メジロによって閉じられたようだ。
「ホムラ!」
わたしはホムラを呼び出す。炎の蛇のホムラが杖に巻き付くと、暗かった辺りが少しは明るくなった。周りは氷の壁で、鈍く光を吸収している。
「……上に行くのは危険かもしれませんわ」
「ああ、きっとメジロが出て来るのを待ち構えているだろう。針のむしろだ」
イオは氷の壁に足場を作って立っている。メジロの実力はこの旅で十分に分かっていた。普通ならば負けないけれど、今はメジロに優位すぎる状況になっている。
「じゃあ、下に行くしかないよね。でも、これってどこまで続いているの?」
エルメラがわたしのフードから出て、下を覗き込んだ。確かに穴は光が全く届かないほど下に続いている。そいうえば、水の龍がいない。上に残ったようだ。
エルメラが下をのぞき込みながら言う。
「この穴、メジロが堀ったのかな?」
「どうだろう。これほど深く掘る意味がない。自然にあった穴を利用したんじゃないか」
「とりあえず、こうしていても体力を消耗するだけですわ。降りてみませんこと」
ゆっくりと下へと下っていく。慎重に降りたので、地面が見えて来るまで五分ぐらいかかった。
「一番下は氷じゃないんだ」
足がついたそこは硬い岩の地面だった。結構広くて、一軒家がすっぽり入ってしまうぐらいの空間だ。それに左右を眺めてみると、穴が続いている。
「洞窟になっているみたいだね。しかも鍾乳洞みたい」
垂れ下がった岩は、どうみても石灰の成分が溶けだして固まった鍾乳石に見える。地面からも生えているから間違いないだろう。水の精霊の王を祀る神殿の地下にあるだけあって、どこからか水が落ちる音がする。ルーシャちゃんが羽根をしまって、首を捻った。
「ただの洞窟じゃないんですの?」
「岩の形がわたしの世界の洞窟にそっくりってだけだよ」
「出口はあるだろうか」
たくさんある穴を見つめる。どれかが、出口に繋がっているといいんだけど。わたしはこれまでサバイバルをしてきただろうイオを見上げた。
「……こういうときってどうするの?」
イオはあごに指をかけて考える。
「そうだな。洞窟は探索したことはないが、印をつけながらしらみつぶしに調べていくしかないだろう」
確かにそれしかない。
「はぐれないように行こう。俺が先頭を、ユメノが真ん中、ルーシャが最後だ」
妥当な順番だ。灯りになるホムラはわたしのそばに居るし、前を行った方がいいんだろうけれど、ここではほとんど戦えない。
「エルメラ。精霊は出てきそう?」
そもそも、この洞窟は精霊が出てくるのだろうか。エルメラは難しい顔で洞窟の穴を見つめている。
「気配はするよ。でも、これは……ウンディーネの気配? さっき、上で感じたウンディーネとそっくりな気配がする」
「え? それって、この洞窟にウンディーネがいるってこと? でも、上で凍っていたよね」
「ウンディーネ本体じゃないかも、すごく薄い気配だから。どういうことかは、わたしにも分からないけど」
「うーん。よく分からないけれど、とにかく今はここを脱出しないとね」
わたしたちは出口を探すために洞窟を探索し始めた。
わたしたちはゆっくりと鍾乳石が突き出る洞窟を進む。黙って歩いていると、いきなりルーシャちゃんが叫んだ。
「ひやあああ!」
「ど、どうしたの?!」
「精霊が出たの!?」
振り返ると、ルーシャちゃんがしゃがみ込んで縮こまっている。後ろに精霊がいる様子はない。それでもルーシャちゃんは背中を丸めて震えている。
「な、何かが首に……!」
天井から一滴の水滴がポトンと落ちて来る。それがまた、的確にルーシャちゃんの首に当たった。
「ひやああ!」
「ルーシャちゃん、ただの水だよ」
「このぐらいで叫ぶなんて、ルーシャって怖がりだよね」
エルメラがそう言うと、ルーシャちゃんはムッとして立ち上がった。
「仕方ありませんこと? だって、こんなに暗くて狭い所、入ったことなんてないですもの」
ルーシャちゃんの言う通り、普通に生活していても、旅をしていても、わざわざこんな洞窟に入ることなんてない。少し前を歩いていたイオが振り返る。
「二人とも、喋っている暇はないぞ。火も焚けないし、ここで野宿は難しい。食料もあまりない」
確かに洞窟だから空気もひんやりしているし、焚き木もない。洞窟探検のための準備なんてしてきていないから、テントも張れない。荷物のほとんどはソリに載っていた。
「とにかく進もう!」
「ああ、では次はどっちに行く」
洞窟は二股に別れていた。右か左。ホムラの炎で照らしてみても、見た目はどっちも同じだ。
「じゃあ、左」
わたしは勘で左の道を示した。
「分かった。なら左に印をつけて――」
「お待ちくださいませ」
イオを引き留めたのはルーシャちゃんだ。
「少しだけ静かにしてくださいませんか」
ルーシャちゃんがそう言うので、わたしたちは黙って彼女を見つめる。ルーシャちゃんはしばらく目を閉じてたたずんでいた。そして、腕を上げて右の道を指さした。
「こちらから風が流れてきますわ」
「風。ということは、こっちに出口があるってこと!?」
風が吹く理由は、道の先に出口があってそこから風が入ってきているとしか思えない。行き止まりから風が吹くはずなかった。
「よし。闇雲に進んでいくよりも、可能性があるだろう。また道が分かれたら頼むな、ルーシャ」
「ええ。任せてくださいな」
わたしたちは微かな風を頼りに進んでいく。
何回か同じように二股三股に分かれた道を選んで進んできた。今のところ、精霊は出てこない。
「風が強くなってきていますわ。もう少しだと思いますわ」
ルーシャちゃんがそう言うので、歩く速度も期待で速まる。
「あれ? 少し明るくなって来てない?」
確かにエルメラが言う通り、ホムラの炎以外にも薄っすらだけど光を感じた。さらに先を急ぐと、開けた空間に出てきた。
「わあっ!」「すごい……」
わたしとルーシャちゃんは思わず感嘆を上げた。そこに広がっていたのは、とても美しい地底湖だ。青々とした水底が透明な水の下に広がっている。
「あ! 穴が開いている! あそこから脱出できるんじゃない!?」
エルメラが指さす天井には、かなり高いところに小さな穴が開いていた。
ここが明るい原因だ。たぶんルーシャちゃんならあそこまで皆を連れて行けるし、通れなかったらイオが剣で穴を広げてくれるはずだ。
「では、すぐにでも脱出しましょう。ミルフィーユ」
ルーシャちゃんもそう思ったのか、すぐにミルフィーユを呼び出す。
「それにしても、すごく綺麗な湖だよね」
縁にまで行って、湖を覗き込む。かなり深いようで、青く見えるけれど、透明な水なのに底は見えない。代わりにわたしの顔がよく映っている。
エルメラも興味深そうに湖をのぞき込んだ。
「落ちたら大変だよね」
わたしは水に手を入れてみた。
「冷た! こんなところに落ちたらそれこそ凍っちゃうよ。あれ?」
手を引っ込めたときに水面に出来た波紋。それが収まると、またわたしの顔が映るはずだ。
――だけど、違う顔が映った。
「これ、ウンディーネ?」
エルメラにも見えているようだ。確かに波打つ長い髪の女性は、神殿で見た凍ったウンディーネによく似ている。
「しかも、泣いている?」
ウンディーネは何か布で巻いたものを抱えて、涙を流しているように見えた。
「どうかしましたの?」
羽を生やしたルーシャちゃんが背後から尋ねて来る。
「あ! ルーシャちゃん! 水面にウンディーネが映っているの!」
わたしは水面を指さす。けれど、ルーシャちゃんは首をひねった。
「何を言っていますの? ユメノとエルメラしか映っていませんわよ」
「え!」
再び水面を見ると、そこにウンディーネの姿は見られない。
「でも、確かに……」
「ユメノと髪型が似ているから、見間違えたんじゃありませんこと?」
「うーん。でも、わたしも見たんだよ?」
エルメラが言うことに、わたしも頷く。イオが「そうだな」とつぶやいた。
「ウンディーネにも、メジロが凍らせたほかにも、他の精霊の王たちと同じく何かが影響を与えているに違いない。だから、ユメノとエルメラが見たのはウンディーネだったのかもしれないな。ただ、今はここにこうしていても、どうしようもない。――脱出しよう」
「……そうだよね」
イオの言う通りだ。三百年前に起きた異変。それがウンディーネに悪い影響を与えたに違いないけれど、ここで水面を見つめていても原因も何も分からない。
「洞窟を脱出しよう」
「では、わたくしの手を取るのですわ」
ルーシャちゃんを真ん中にして、わたしたち三人は手をつなぐ。
「ミルフィーユ、わたくしたちを運ぶのですわ」
ルーシャちゃんの背中の羽から風が出てきて、手をつないだ三人を包み込む。風は優しくわたしたちを包み込み、ふわりと足を浮かせた。
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