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1章 嘘つきはカウンセリングの始まり
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そこはやはり、昨日灯美が来た部屋そのものだった。ただ、昨日とは違って、事務机の前にひとつ、パイプ椅子が置かれていた。まるで灯美がここに来ることを事前に察していたような、準備のよさだ。とりあえず、灯美はそこに腰掛けた。かばんを椅子のすぐそばの床の上に置いて。ウロマもすぐに向かいの事務机の椅子に腰を落とした。
「さて、お話を聞く前に、まずはあなたのお名前をうかがいたいのですが?」
「文崎灯美よ。漢字は文章の文に――」
こんなあやしい男に名乗るなんて不本意極まりなかったが、話を進めるためには仕方ない。早口で説明した。
「なるほど。では灯美さん、さっそくカウンセリングをはじめましょうか」
ウロマは目を細めると、腕を組んで上体をそらし、おもむろに後ろの背もたれに寄りかかった。その死んだ魚のような淀んだ目に、一瞬、鋭い光が宿ったように見えた。
「カウンセリングって……別にあんたに話すことなんて何もないわよ?」
「はは。そんなに身構えないでください。ようは、あなたがそういう体になった経緯について、説明していただきたいのです。何事も、こういうことは大事ですので」
男はにっこり笑って言う。しかし、やはりさわやかさとは程遠い、実に不健康な笑顔だった。
「だから別に話すようなことなんて、何も――」
「いえいえ。あなたご自身がそう思っていても、過去のことを思い出しながら話すことで、新しく見えてくる発見があるというものです。そして、多くはそこから解決の糸口が見つかるのですよ?」
「はあ」
この目の前の男は、流暢に話すほどに詐欺師めいてくるなあと、灯美は思わずにはいられなかった。口調も丁寧なようで、よく聞くと、人をなめくさったようなゆるい敬語なのも妙に引っかかる。
「まあ、まずは基本的なところから、質問させていただきましょう。灯美さん、あなたのその肌の色の変化は、いつからなのですか?」
「一ヶ月くらい前からよ」
「ほう。意外と最近なのですね。変化したときの状況はどういった感じで?」
「状況って、別に……」
とたんに灯美は返答に困った。そのへんはあまり触れられたくないところだった。
「まさか、かのグレゴール・ザムザが毒虫に変身したときのように、ある朝、気がかりな夢から目を覚ましたら、すでにそうなっていたわけではないでしょう? どういうきっかけで、体がそうなってしまったのか、ざっくりとでもいいので、教えていただきたいのですよ」
「話すことなんて何もないわ」
「そうですか? 例えば、その肌の色の境界のラインが首にあることに、何か心当たりはないんですか?」
ウロマはそこでふと左手を掲げた。そこにはマフラーが握られていた。灯美のものだ。
「いつのまに……」
灯美はぎょっとして、首もとを手で触って確かめた。マフラーはやはりそこになく、首はむき出しだった。知らないうちにウロマに剥ぎ取られていたようだった。
「僕が今見たところ、あなたの肌の色の境界線は、水平に、首の周りをきれいに一周して横切っている感じですね。どうしてそんな区切りができてるのか、実に不思議だなあ? まるで何か……紐のようなもので――」
「そ、そうよ! ちょっと紐を首に引っ掛けちゃったのよ! それだけ!」
灯美はウロマがどんどん核心に迫っていくのに耐え切れず、叫んだ。
「紐を首に引っ掛けるとは、また、いったいどういう状況で?」
「そ、それぐらい、よくあることでしょ! 紐なんか、そのへんにいくらでもあるんだから!」
「まあ、そうですね。とりあえず、首から下の肌の色が変わったのは、その紐のせいなんですかね?」
ウロマはいかにも納得してないような、微妙な反応だったが、これ以上、そのへんを詮索するのは無意味と判断したのだろうか、急に質問を変えてきた。
「ところで、灯美さん。あなたのご家庭は円満ですか?」
「家庭? 円満?」
また突然、何を聞いてくるのだろう、この男は。
「これは大事な質問なのです。あなたのような思春期の、ビミョーな、しちめんどくさい年頃の少年少女にとっては、家庭が円満かそうでないかは、心身の健やかさに大きく関わることなのです。こう、ぐーんとね」
ウロマはアコーディオン奏者のように、大げさに両手を開いたり閉じたりしながら言った。
「私の家なんて、別に……普通よ」
主張はわかるが、言葉遣いとかジェスチャーとかいちいちうざい男だなあと、灯美は思わずにはいられなかった。
「まあ、そうでしょうね。どちらかといえば灯美さんのご家庭は円満なのでしょうね。毎日、お母さんが手作りのお弁当を作って、持たせてくれるんですから」
と、ウロマは弁当箱を掲げ、空っぽであることを示すように軽く振った。
あれ? なんであの人の手に私のお弁当箱が……。灯美ははっとして、自分の足元を見た。すると、そこに置いていたはずのカバンが消えていた。
「灯美さんのカバンならここですよ?」
ウロマはひざの上に置いていたらしいそれを、無造作に机の上に放った。
「い、いつのまに……」
確かにそれは灯美のカバンだった。弁当箱もそこに入れていたはずだった。
「なんで勝手に人のカバンを取って、中身を漁ってるのよ!」
「はは。別にいいじゃないですか」
何を言ってもやはり、暖簾に腕押し、柳に風といった反応のウロマだ。
「それに、こういう抜き打ちの所持品検査もまた、カウンセリングにおいては大事なことなのです。カバンの中身から、その人の、ひととなりが見えてきたりするものですよ」
「見えたのは、あんたの勝手極まりない性格だけだと思うけど」
憤然と、弁当箱とカバンを回収する灯美だった。
「さて、お話を聞く前に、まずはあなたのお名前をうかがいたいのですが?」
「文崎灯美よ。漢字は文章の文に――」
こんなあやしい男に名乗るなんて不本意極まりなかったが、話を進めるためには仕方ない。早口で説明した。
「なるほど。では灯美さん、さっそくカウンセリングをはじめましょうか」
ウロマは目を細めると、腕を組んで上体をそらし、おもむろに後ろの背もたれに寄りかかった。その死んだ魚のような淀んだ目に、一瞬、鋭い光が宿ったように見えた。
「カウンセリングって……別にあんたに話すことなんて何もないわよ?」
「はは。そんなに身構えないでください。ようは、あなたがそういう体になった経緯について、説明していただきたいのです。何事も、こういうことは大事ですので」
男はにっこり笑って言う。しかし、やはりさわやかさとは程遠い、実に不健康な笑顔だった。
「だから別に話すようなことなんて、何も――」
「いえいえ。あなたご自身がそう思っていても、過去のことを思い出しながら話すことで、新しく見えてくる発見があるというものです。そして、多くはそこから解決の糸口が見つかるのですよ?」
「はあ」
この目の前の男は、流暢に話すほどに詐欺師めいてくるなあと、灯美は思わずにはいられなかった。口調も丁寧なようで、よく聞くと、人をなめくさったようなゆるい敬語なのも妙に引っかかる。
「まあ、まずは基本的なところから、質問させていただきましょう。灯美さん、あなたのその肌の色の変化は、いつからなのですか?」
「一ヶ月くらい前からよ」
「ほう。意外と最近なのですね。変化したときの状況はどういった感じで?」
「状況って、別に……」
とたんに灯美は返答に困った。そのへんはあまり触れられたくないところだった。
「まさか、かのグレゴール・ザムザが毒虫に変身したときのように、ある朝、気がかりな夢から目を覚ましたら、すでにそうなっていたわけではないでしょう? どういうきっかけで、体がそうなってしまったのか、ざっくりとでもいいので、教えていただきたいのですよ」
「話すことなんて何もないわ」
「そうですか? 例えば、その肌の色の境界のラインが首にあることに、何か心当たりはないんですか?」
ウロマはそこでふと左手を掲げた。そこにはマフラーが握られていた。灯美のものだ。
「いつのまに……」
灯美はぎょっとして、首もとを手で触って確かめた。マフラーはやはりそこになく、首はむき出しだった。知らないうちにウロマに剥ぎ取られていたようだった。
「僕が今見たところ、あなたの肌の色の境界線は、水平に、首の周りをきれいに一周して横切っている感じですね。どうしてそんな区切りができてるのか、実に不思議だなあ? まるで何か……紐のようなもので――」
「そ、そうよ! ちょっと紐を首に引っ掛けちゃったのよ! それだけ!」
灯美はウロマがどんどん核心に迫っていくのに耐え切れず、叫んだ。
「紐を首に引っ掛けるとは、また、いったいどういう状況で?」
「そ、それぐらい、よくあることでしょ! 紐なんか、そのへんにいくらでもあるんだから!」
「まあ、そうですね。とりあえず、首から下の肌の色が変わったのは、その紐のせいなんですかね?」
ウロマはいかにも納得してないような、微妙な反応だったが、これ以上、そのへんを詮索するのは無意味と判断したのだろうか、急に質問を変えてきた。
「ところで、灯美さん。あなたのご家庭は円満ですか?」
「家庭? 円満?」
また突然、何を聞いてくるのだろう、この男は。
「これは大事な質問なのです。あなたのような思春期の、ビミョーな、しちめんどくさい年頃の少年少女にとっては、家庭が円満かそうでないかは、心身の健やかさに大きく関わることなのです。こう、ぐーんとね」
ウロマはアコーディオン奏者のように、大げさに両手を開いたり閉じたりしながら言った。
「私の家なんて、別に……普通よ」
主張はわかるが、言葉遣いとかジェスチャーとかいちいちうざい男だなあと、灯美は思わずにはいられなかった。
「まあ、そうでしょうね。どちらかといえば灯美さんのご家庭は円満なのでしょうね。毎日、お母さんが手作りのお弁当を作って、持たせてくれるんですから」
と、ウロマは弁当箱を掲げ、空っぽであることを示すように軽く振った。
あれ? なんであの人の手に私のお弁当箱が……。灯美ははっとして、自分の足元を見た。すると、そこに置いていたはずのカバンが消えていた。
「灯美さんのカバンならここですよ?」
ウロマはひざの上に置いていたらしいそれを、無造作に机の上に放った。
「い、いつのまに……」
確かにそれは灯美のカバンだった。弁当箱もそこに入れていたはずだった。
「なんで勝手に人のカバンを取って、中身を漁ってるのよ!」
「はは。別にいいじゃないですか」
何を言ってもやはり、暖簾に腕押し、柳に風といった反応のウロマだ。
「それに、こういう抜き打ちの所持品検査もまた、カウンセリングにおいては大事なことなのです。カバンの中身から、その人の、ひととなりが見えてきたりするものですよ」
「見えたのは、あんたの勝手極まりない性格だけだと思うけど」
憤然と、弁当箱とカバンを回収する灯美だった。
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