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1章 嘘つきはカウンセリングの始まり
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その翌日から、灯美の生活は一変した。もう灰色に変色した肌を隠す必要はないのだ。恥ずかしさや劣等感は消え、自信を取り戻すというものだ。学校のクラスメートたちとも自然に打ち解けることができた。むろん、一番の親友はあかねだったが。
そんな灯美の回復に、母も大いに喜んだ。ウロマのところから帰宅してすぐに彼女は灯美の肌の変化に気づき、うれし泣きし、赤飯を炊いて祝うとまで言った。さすがにそれは恥ずかしすぎるので、灯美は全力でそれを阻止した。
そして、そんな狂喜乱舞する母の姿に、複雑な感情を抱かずにはいられない灯美だった。彼女が喜んでいる様子に、やっと厄介払いできたと安堵しながらも、同時に心に大きな穴が開いたような空虚さを感じていたからだった。どうしてこんな気持ちになるのかわからなかった。頭の中で、あれこれ理由を考えると、ウロマの不快な指摘にたどりつくだけだった。それは灯美には受け入れがたいものだった。したがって、彼女はすぐにその感情の一切について、深く考えないことを選んだ。
薬の効果は確かなものだった。ウロマの言いつけどおり、寝る前に一粒飲むだけで、灯美の肌は健康的な色を保ち続けた。薬はたっぷり半年分はありそうだった。これを全部飲み切ったとき、いったいいくら請求されるのか、想像するとちょっと怖くなったが、とりあえず自分は未成年なのだからそこまで大金はふっかけられないだろうと、気楽に考えた。
だが、そうやって、ごく普通の健康的な生活を取り戻し、母との会話はめっきり減ってしまった。灯美は家では相変わらず母と一緒に食事をすることはなかった。弁当は一応受け取るが、やはりあかねにあげるだけだった。だから、一つ屋根の下に暮らしながらも、灯美は母と話す機会がなかった。お互いの唯一の会話のネタと言っていい灯美の肌の問題は、もう解決してしまったのだし。
むろん、灯美から彼女に話しかければ、両者はいくらでも歩み寄ることはできる状態だった。だが、灯美の感情がそれを許さなかった。灯美は彼女を自分の母親と認めることが、どうしてもできなかったのだ。
そう、灯美にとって、母親と呼べるのは、二年前に他界した実母以外にありえなかった。灯美は実母をとても慕っていた。だから、その母がくも膜下出血で急逝したときは、大いに戸惑い、嘆き、悲しんだ。亡くなるほんの数日前まで、母は元気にしていたのに。
そして、そんな突然すぎる実母との別れもあって、一年後突如目の前に現れた父の再婚相手を母と認めることはできなかった。灯美にとってその女は異物以外何者でもなかった。
それなのに、彼女は灯美の目の前で、いかにも母親らしく振舞おうとし始めた。かつて実母が立っていたキッチンで、実母がやっていたように料理を作り始め、さらに、ほかの家事もやりはじめたのだ。その行為は、灯美にとっては、実母の思い出を勝手に上書きされていくような、不快極まるものだった。当然、反発せずにはいられなかった。
だが、一方で、母に対して冷たい態度をとり続けることに、後ろめたさがないわけではなかった。あかねに指摘されたとおり、母には何の罪も落ち度もないのだ。それは、灯美も理屈としてよく理解していた。しかしそれでも、灯美はその女を母として認めるわけにはいかなかった。そうしてしまうと、実母との思い出の一切が嘘になってしまうような気がしていたのだった。
そして、そんな葛藤の中で、灯美はただ、母と実によそよそしい感じで暮らすほかなかった。それはとても居心地の悪いものだった。次第に、一緒に病院めぐりをしていたときのほうが、ずっとましだったとすら思えてきた。
しかしやがて、そんな生活に変化が訪れた。ある日、灯美が学校から帰ってくるなり、母が彼女にこう言ったのだ。
「灯美、私、来週この家を出るから」
「え――」
それは灯美にとって寝耳に水の言葉だった。
「家を出るってどういうこと?」
「あっちの、お父さんの――君弘さんの家に移るのよ。あなたの病気も治ったし、もう心配はいらないでしょう。高校生なんだもの。一人暮らしぐらいできるわよね」
「う、うん……」
そう答える灯美の声は震えていた。
「今までごめんなさいね。赤の他人の私が一緒で、さぞや窮屈な気持ちだったでしょう。でも、これから一人暮らしをするにしても、だらしない生活をしてはだめよ」
「そ、そんなの言われなくてもわかってるわよ! さっさと出て行けばいいじゃない! 来週なんて言わずに、今すぐにでも!」
灯美は怒鳴り、足早に義母の前から去り、自分の部屋に行った。動悸がし、顔が熱くなり、体が小刻みに震えた。こみあげてくる感情は、強い怒りと苛立ちだった。あいつはやっと目の前からいなくなる、せいせいする――そう頭のなかで繰り返し唱えてみたが、せいせいするどころか、苛立ちが強まるばかりだった。
「なによ、あいつ……。今までさんざん母親ぶっておきながら、急に私のこと放り出すって言うの? じゃあ、今までのはいったいなんだったのよ!」
そう、灯美にとって母のその行為は、自分を捨てて遠くに行くことに他ならなかった。それはとても許しがたいことだった。
灯美のその怒りと苛立ちは、これまで母に対してとってきた冷ややかな態度からすれば、非常におかしなものだったが、彼女は激昂のあまり、そんな自らの心の矛盾を省みることはできなかった。彼女はただ、どうしたら母が出て行くのを止められるか、必死に考えるばかりだった。
そうだ、もう一度……。
瞬間、彼女ははっとひらめいた。すぐに自分の学習机の引き出しを開け、カッターナイフを取り出した。
そんな灯美の回復に、母も大いに喜んだ。ウロマのところから帰宅してすぐに彼女は灯美の肌の変化に気づき、うれし泣きし、赤飯を炊いて祝うとまで言った。さすがにそれは恥ずかしすぎるので、灯美は全力でそれを阻止した。
そして、そんな狂喜乱舞する母の姿に、複雑な感情を抱かずにはいられない灯美だった。彼女が喜んでいる様子に、やっと厄介払いできたと安堵しながらも、同時に心に大きな穴が開いたような空虚さを感じていたからだった。どうしてこんな気持ちになるのかわからなかった。頭の中で、あれこれ理由を考えると、ウロマの不快な指摘にたどりつくだけだった。それは灯美には受け入れがたいものだった。したがって、彼女はすぐにその感情の一切について、深く考えないことを選んだ。
薬の効果は確かなものだった。ウロマの言いつけどおり、寝る前に一粒飲むだけで、灯美の肌は健康的な色を保ち続けた。薬はたっぷり半年分はありそうだった。これを全部飲み切ったとき、いったいいくら請求されるのか、想像するとちょっと怖くなったが、とりあえず自分は未成年なのだからそこまで大金はふっかけられないだろうと、気楽に考えた。
だが、そうやって、ごく普通の健康的な生活を取り戻し、母との会話はめっきり減ってしまった。灯美は家では相変わらず母と一緒に食事をすることはなかった。弁当は一応受け取るが、やはりあかねにあげるだけだった。だから、一つ屋根の下に暮らしながらも、灯美は母と話す機会がなかった。お互いの唯一の会話のネタと言っていい灯美の肌の問題は、もう解決してしまったのだし。
むろん、灯美から彼女に話しかければ、両者はいくらでも歩み寄ることはできる状態だった。だが、灯美の感情がそれを許さなかった。灯美は彼女を自分の母親と認めることが、どうしてもできなかったのだ。
そう、灯美にとって、母親と呼べるのは、二年前に他界した実母以外にありえなかった。灯美は実母をとても慕っていた。だから、その母がくも膜下出血で急逝したときは、大いに戸惑い、嘆き、悲しんだ。亡くなるほんの数日前まで、母は元気にしていたのに。
そして、そんな突然すぎる実母との別れもあって、一年後突如目の前に現れた父の再婚相手を母と認めることはできなかった。灯美にとってその女は異物以外何者でもなかった。
それなのに、彼女は灯美の目の前で、いかにも母親らしく振舞おうとし始めた。かつて実母が立っていたキッチンで、実母がやっていたように料理を作り始め、さらに、ほかの家事もやりはじめたのだ。その行為は、灯美にとっては、実母の思い出を勝手に上書きされていくような、不快極まるものだった。当然、反発せずにはいられなかった。
だが、一方で、母に対して冷たい態度をとり続けることに、後ろめたさがないわけではなかった。あかねに指摘されたとおり、母には何の罪も落ち度もないのだ。それは、灯美も理屈としてよく理解していた。しかしそれでも、灯美はその女を母として認めるわけにはいかなかった。そうしてしまうと、実母との思い出の一切が嘘になってしまうような気がしていたのだった。
そして、そんな葛藤の中で、灯美はただ、母と実によそよそしい感じで暮らすほかなかった。それはとても居心地の悪いものだった。次第に、一緒に病院めぐりをしていたときのほうが、ずっとましだったとすら思えてきた。
しかしやがて、そんな生活に変化が訪れた。ある日、灯美が学校から帰ってくるなり、母が彼女にこう言ったのだ。
「灯美、私、来週この家を出るから」
「え――」
それは灯美にとって寝耳に水の言葉だった。
「家を出るってどういうこと?」
「あっちの、お父さんの――君弘さんの家に移るのよ。あなたの病気も治ったし、もう心配はいらないでしょう。高校生なんだもの。一人暮らしぐらいできるわよね」
「う、うん……」
そう答える灯美の声は震えていた。
「今までごめんなさいね。赤の他人の私が一緒で、さぞや窮屈な気持ちだったでしょう。でも、これから一人暮らしをするにしても、だらしない生活をしてはだめよ」
「そ、そんなの言われなくてもわかってるわよ! さっさと出て行けばいいじゃない! 来週なんて言わずに、今すぐにでも!」
灯美は怒鳴り、足早に義母の前から去り、自分の部屋に行った。動悸がし、顔が熱くなり、体が小刻みに震えた。こみあげてくる感情は、強い怒りと苛立ちだった。あいつはやっと目の前からいなくなる、せいせいする――そう頭のなかで繰り返し唱えてみたが、せいせいするどころか、苛立ちが強まるばかりだった。
「なによ、あいつ……。今までさんざん母親ぶっておきながら、急に私のこと放り出すって言うの? じゃあ、今までのはいったいなんだったのよ!」
そう、灯美にとって母のその行為は、自分を捨てて遠くに行くことに他ならなかった。それはとても許しがたいことだった。
灯美のその怒りと苛立ちは、これまで母に対してとってきた冷ややかな態度からすれば、非常におかしなものだったが、彼女は激昂のあまり、そんな自らの心の矛盾を省みることはできなかった。彼女はただ、どうしたら母が出て行くのを止められるか、必死に考えるばかりだった。
そうだ、もう一度……。
瞬間、彼女ははっとひらめいた。すぐに自分の学習机の引き出しを開け、カッターナイフを取り出した。
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