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1章 嘘つきはカウンセリングの始まり
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「ようするに、心は肉体の変化の影響を受けやすく、また、逆も真なのです。例えば、スティグマと呼ばれる現象があります。これは、キリストの聖痕をそのまま体に再現してしまうことなのですが、これが現れるのは決まって、敬虔なクリスチャンです。つまり、彼らの深い信仰心が肉体になんらかの影響を及ぼし、そうさせるのではないかと言われているのです」
「私はキリスト教徒じゃないわ」
「精神が肉体に影響を及ぼす例は、ほかにももっと身近にあります。よく聞くでしょう? 精神的ストレスで胃が悪くなった、とか。あるいは、何かとても辛い体験をして、急に声が出なくなった人の話とか?」
「まあ、それぐらいなら」
「精神的ストレスで胃の具合が悪くなるのは、自律神経の失調によるものです。そして、強い精神的ストレスで声が出なくなるのは、心因性失声です。いわゆるヒステリー、解離性障害の一種ですね。これはそう珍しい症例でもないのですよ」
「だから何? そんな人達の話、私には関係ないわ!」
「関係ありますよ。あなたは単に自覚がないだけなのです。よく今までのことを思い出してみてください。あなたの体が今のようになって、あなたのお母さんはどれほど血相を変えたでしょう? そして、どれほど必死になって、あなたを治そうとしたでしょう? あなたはきっと、そんなお母さんに冷たい態度だったと思いますが、内心はひどく安堵していたはずです。どんなに口ではひどいことを言っても、お母さんはあなたへの同情心から、決してあなたを見放すことはないと確信があったでしょうからね。そして、だからこそ、その灰色の体は維持され続けていたというわけなのです」
「だから! いちいち勝手に決め付けないでよ!」
「はは、そう顔を真っ赤にされなくても、こんなのはしょせん、僕いち個人の推理の範疇ですよ」
ウロマは実に平静そのものだ。
「たとえば、灯美さんの肌が変色した経緯について考えると、単純に心因性の皮膚疾患とも考えられます。心身症の一種ですね。しかし、そのきっかけは、あなたが母親にかまって欲しいと願ったばかりにやった自殺の真似事、つまり自傷行為です。そして、その自傷行為の結果の痕跡が、おそらくはあなたの意識していない願望によって不自然に消えないということ、そして、それをネタにあなたはお母さんに存分に甘やかされ、一緒に楽しく病院めぐりしているということ。それらの事実のつなげて考えると、やはり、ここはミュンヒハウゼン症候群のようなものと考えるのが適切かと。まあ、僕は医師ではないので、正式に病気だと診断はできませんけどね。あくまで僕個人の所見です――」
「そんなのいらない! 頼んでない!」
灯美はもう、一方的にウロマの言葉を突っぱねるしかできなかった。
「あんたは勝手に人のことを、心のかわいそうな、痛い構ってちゃんだって決め付けたけど、それが何の意味があるのよ! 仮に私がその所見とやらを受け入れたところで、この体が治るの? 治るわけないでしょ!」
「……そうですね。自覚のない方には何を言っても無駄ですね」
ウロマはそこでまた意地悪そうに、にやりと笑った。そして、ふと机の引き出しを開け、そこから小さな瓶を取り出し、机の上に置いた。何か白い錠剤がいくつも入っているようだ。
「僕の話は以上です。お疲れ様でした。お薬をどうぞ」
「薬? 何の?」
「あなたの肌の色を元に戻す薬ですよ」
「……本当に?」
灯美は耳を疑った。なぜ急にそんなものがぽんと出てくるのだろう。あやしすぎる。
「まあ、信じられないのも無理はありませんが、とりあえず今ここで飲んでみてはいかがですか? 大丈夫、毒ではありませんよ」
ウロマは小瓶を手に持ち、灯美に差し出した。本当だろうか? 灯美はおずおずとそれを受け取った。
「じゃあ、変なものじゃないって証拠に、あんたも今ここで一つ飲んでみなさいよ」
灯美は中から一粒取り出し、ウロマに渡した。「いいでしょう」ウロマはそれを口に入れ、ごくんと飲み込んだ。
「どうです? 僕はこの通り、元気いっぱいですよ? 毒ではないことは証明されたでしょう?」
「そうね……」
害はなさそうだとわかって、灯美もすぐにそれを一粒口に入れた。疑いの気持ちが完全に消えたわけではなかったが、今はやはり、体を治したいという気持ちが強かった。
薬の効果はすぐに現れた。
「え……嘘……」
灯美は今度は自分の目を疑った。薬を飲み込んだとたん、手の肌が元の健康的な色に戻ったのだ。袖をめくったり、襟を引っ張ったりして、ほかの部分の肌も見てみたが、同様だった。本当に、薬を飲み込んだ一瞬のうちに、色が変わったのだ。
「い、いったいなんなの、あんた?」
目を白黒させずにはいられない。
「薬が効いたようで、何よりです」
ウロマはそんな灯美を見て、にっこり笑った。自信たっぷりの表情だった。
「この薬を飲み続けていれば、体はこのままなの?」
「そうですね。毎日一粒、寝る前に服用してください。それで問題ないはずです」
「毎日一粒、寝る前……それだけ?」
実に簡単だ。まるで普通の薬だ。どこでも買える胃薬か何かのような。
「ただ、その薬はあなたの心身のバランスを整える、とても繊細なものなのです。だからぜひ、約束してください。もう二度と、心身のバランスを大きく崩すようなこと――例えば、自殺の真似事などをしないことを。それさえ守っていただければ、薬の効果はずっと持続するはずですよ」
「わかったわ」
言われなくても、もうあんな馬鹿な真似はするつもりがない灯美だった。
「では、灯美さん、その薬を全部使い切ったら、またここへいらしてください。僕へお礼はそのときにいただきましょう」
「はあ」
もしかするとこの場で高額な料金を請求されるかもしれないと覚悟していた灯美は、ちょっと肩透かしを食らった。とりあえず、その日は、その薬を受け取って、すぐに家に帰った。
「私はキリスト教徒じゃないわ」
「精神が肉体に影響を及ぼす例は、ほかにももっと身近にあります。よく聞くでしょう? 精神的ストレスで胃が悪くなった、とか。あるいは、何かとても辛い体験をして、急に声が出なくなった人の話とか?」
「まあ、それぐらいなら」
「精神的ストレスで胃の具合が悪くなるのは、自律神経の失調によるものです。そして、強い精神的ストレスで声が出なくなるのは、心因性失声です。いわゆるヒステリー、解離性障害の一種ですね。これはそう珍しい症例でもないのですよ」
「だから何? そんな人達の話、私には関係ないわ!」
「関係ありますよ。あなたは単に自覚がないだけなのです。よく今までのことを思い出してみてください。あなたの体が今のようになって、あなたのお母さんはどれほど血相を変えたでしょう? そして、どれほど必死になって、あなたを治そうとしたでしょう? あなたはきっと、そんなお母さんに冷たい態度だったと思いますが、内心はひどく安堵していたはずです。どんなに口ではひどいことを言っても、お母さんはあなたへの同情心から、決してあなたを見放すことはないと確信があったでしょうからね。そして、だからこそ、その灰色の体は維持され続けていたというわけなのです」
「だから! いちいち勝手に決め付けないでよ!」
「はは、そう顔を真っ赤にされなくても、こんなのはしょせん、僕いち個人の推理の範疇ですよ」
ウロマは実に平静そのものだ。
「たとえば、灯美さんの肌が変色した経緯について考えると、単純に心因性の皮膚疾患とも考えられます。心身症の一種ですね。しかし、そのきっかけは、あなたが母親にかまって欲しいと願ったばかりにやった自殺の真似事、つまり自傷行為です。そして、その自傷行為の結果の痕跡が、おそらくはあなたの意識していない願望によって不自然に消えないということ、そして、それをネタにあなたはお母さんに存分に甘やかされ、一緒に楽しく病院めぐりしているということ。それらの事実のつなげて考えると、やはり、ここはミュンヒハウゼン症候群のようなものと考えるのが適切かと。まあ、僕は医師ではないので、正式に病気だと診断はできませんけどね。あくまで僕個人の所見です――」
「そんなのいらない! 頼んでない!」
灯美はもう、一方的にウロマの言葉を突っぱねるしかできなかった。
「あんたは勝手に人のことを、心のかわいそうな、痛い構ってちゃんだって決め付けたけど、それが何の意味があるのよ! 仮に私がその所見とやらを受け入れたところで、この体が治るの? 治るわけないでしょ!」
「……そうですね。自覚のない方には何を言っても無駄ですね」
ウロマはそこでまた意地悪そうに、にやりと笑った。そして、ふと机の引き出しを開け、そこから小さな瓶を取り出し、机の上に置いた。何か白い錠剤がいくつも入っているようだ。
「僕の話は以上です。お疲れ様でした。お薬をどうぞ」
「薬? 何の?」
「あなたの肌の色を元に戻す薬ですよ」
「……本当に?」
灯美は耳を疑った。なぜ急にそんなものがぽんと出てくるのだろう。あやしすぎる。
「まあ、信じられないのも無理はありませんが、とりあえず今ここで飲んでみてはいかがですか? 大丈夫、毒ではありませんよ」
ウロマは小瓶を手に持ち、灯美に差し出した。本当だろうか? 灯美はおずおずとそれを受け取った。
「じゃあ、変なものじゃないって証拠に、あんたも今ここで一つ飲んでみなさいよ」
灯美は中から一粒取り出し、ウロマに渡した。「いいでしょう」ウロマはそれを口に入れ、ごくんと飲み込んだ。
「どうです? 僕はこの通り、元気いっぱいですよ? 毒ではないことは証明されたでしょう?」
「そうね……」
害はなさそうだとわかって、灯美もすぐにそれを一粒口に入れた。疑いの気持ちが完全に消えたわけではなかったが、今はやはり、体を治したいという気持ちが強かった。
薬の効果はすぐに現れた。
「え……嘘……」
灯美は今度は自分の目を疑った。薬を飲み込んだとたん、手の肌が元の健康的な色に戻ったのだ。袖をめくったり、襟を引っ張ったりして、ほかの部分の肌も見てみたが、同様だった。本当に、薬を飲み込んだ一瞬のうちに、色が変わったのだ。
「い、いったいなんなの、あんた?」
目を白黒させずにはいられない。
「薬が効いたようで、何よりです」
ウロマはそんな灯美を見て、にっこり笑った。自信たっぷりの表情だった。
「この薬を飲み続けていれば、体はこのままなの?」
「そうですね。毎日一粒、寝る前に服用してください。それで問題ないはずです」
「毎日一粒、寝る前……それだけ?」
実に簡単だ。まるで普通の薬だ。どこでも買える胃薬か何かのような。
「ただ、その薬はあなたの心身のバランスを整える、とても繊細なものなのです。だからぜひ、約束してください。もう二度と、心身のバランスを大きく崩すようなこと――例えば、自殺の真似事などをしないことを。それさえ守っていただければ、薬の効果はずっと持続するはずですよ」
「わかったわ」
言われなくても、もうあんな馬鹿な真似はするつもりがない灯美だった。
「では、灯美さん、その薬を全部使い切ったら、またここへいらしてください。僕へお礼はそのときにいただきましょう」
「はあ」
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