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5・大神官の証言(1)
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ラーフィー神殿総本山は、全ての信仰国に大神官を派遣している。
大神官は派遣先の国内における最高の宗教的権威であり、裁判官だ。
王となる者は、まず自国の大神官にその正当性を認められたのち、神殿の最高指導者である大主教から、冠を授からなくてはならない。
つまり大神官は、一国の王をも凌駕する権力を持っているわけで、権力は財力を呼び寄せるものである。
大神官と呼ばれる人は、大抵が贅を凝らした屋敷に住んでいた。
貴族や富裕商人に有利な判決を下し、裁判は金で解決するのが当然、という常識を持っていた。
冬の豚よりも丸々と太り、王族と見紛うような豪奢な服を着て、空よりも高い場所から見下す目つきをしている。それが大神官の基本的な姿であるはずだった。
ところがサスキア王国だけは、その類型が当てはまらない、史上稀に見る幸運な常識はずれを享受している。
派遣されてきた大神官ザビドが、非常に誠実でつつましやかな人物だったからだ。
「……君は」
ザビドは驚いて立ち止まり、目の前に現れた黒衣の青年をしげしげと眺めた。
「誰だね? 急に現れたように見えたが……」
「僕は弁護士だ。国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがある」
あまり詳しく説明する気はないようで、アンルーは端的にそれだけ言う。
当然ながらザビドは、警戒する顔つきになった。
「弁護士など、わしは頼んだ覚えがないのだがね」
「王女の裁きを神に託した覚えならあるはずだ。被告人には弁護を依頼する権利がある。神の法廷に立たされた被告人につくのは、人間の弁護士ではないがな」
「人間の弁護士ではないとは……まさか、黒衣の御使いとでも名乗るつもりかね?」
「あなたが納得するなら、そう考えてもらって結構だ」
アンルーが頷くのを、ザビドは胡散臭そうに見やった。
黒衣の御使いとは耳慣れない言葉だが、どこかで聞いたような覚えもある。
少し考えてエゼルディアは、いつかの礼拝中に聞いたのだと思い出した。
(ザビド様がお話ししてくださる神話の中に出てきたんだわ。
かつて神が直接人間を裁いていた頃、傍には白衣と黒衣の御使いがいて、その裁きを手伝っていたとか……)
言われてみればアンルーの存在は、ぴったり当てはまるような気がした。エゼルディアの弁護は神の裁きの手伝いに他ならないし、全身黒尽くめなのだから。
(詳しい内容は忘れたけど、黒衣の御使いは被告人の無罪を主張していたはず……)
しかしザビドは、本当にそう思ってその単語を出したわけではなさそうだった。
「衛兵!」
正面扉に向かってザビドが声を張り上げると、すぐに扉が勢いよく開き、衛兵が武器を構えて首を突き出した。
礼拝室は普段、衛兵に守らせてなどいないが、事件を受けて、今だけ見張りを立てているのだろう。事件当日に扉の前に立っていた近衛兵たちは、あくまで国王の警護をしていた連中である。
「どうされました、大神官様」
真面目そうな中年の衛兵に向かって、ザビドは厳しい口調で問い質した。
「君はずっとその扉を見張っていたはずだな。なぜ彼を通したのだね?」
訊きながら片手でアンルーを示す。
衛兵はしばし沈黙した後、ぐっと眉根を寄せた。
「あの……申し訳ありません。今、なんと……?」
「なぜ彼を通したのか、と訊いたのだ」
「彼というのは、誰のことでしょう」
「ここに立っている青年のことだ」
「誰かがお傍に、いらっしゃるのですか?」
そこでようやくザビドも、何かがおかしいと気付いたらしい。言葉を呑んで口をつぐむ。
衛兵は困り果てた様子で立ち尽くしていたが、やがておずおずと口を開いた。
「大神官様。わたしは誰も、通しておりませんが……」
困惑顔の衛兵とアンルーとを、ゆっくり交互に眺めやってから。
ザビドは表情を和らげ、とぼけた調子で頬を掻いた。
「そのようだね。すまない。光を人影と見間違えたようだ」
「はあ……」
「ありがとう。仕事に戻ってくれ」
心配そうな顔つきで衛兵が引っ込むのを見届け、ザビドは溜息混じりにぼやいた。
「やれやれ。あの者はわしが耄碌したと思ったでしょうな」
やおらアンルーに視線を戻し、顔つきを真面目なものにする。
「彼にはあなたの姿が見えなかったようだ。最初にわしがそうだったように」
「見えるように仕向けていないからな」
無表情に答える黒衣の青年を改めて観察し、認めざるを得ないと悟ったのだろう。
ザビドはふいに居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ご無礼をお許しください。ようこそお越し下さいました、黒衣の御使い殿」
対するアンルーは会釈もせず、無愛想に質問を再開する。
「サスキア国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがあるのだが」
「この老体に答えられることでしたら、なんなりと」
「あなたは王女が悲鳴を上げた直後、近衛兵と共にこの部屋へ入ってきたそうだな。
そもそも事件当時、なぜ礼拝室の近くにいたのか。そこから説明してもらいたい」
「それは王女殿下が礼拝室へ向かわれるのを、庭でお見かけしたからです」
先ほどまでよりも厳粛な面持ちで、ザビドは丁寧に答え始めた。
大神官は派遣先の国内における最高の宗教的権威であり、裁判官だ。
王となる者は、まず自国の大神官にその正当性を認められたのち、神殿の最高指導者である大主教から、冠を授からなくてはならない。
つまり大神官は、一国の王をも凌駕する権力を持っているわけで、権力は財力を呼び寄せるものである。
大神官と呼ばれる人は、大抵が贅を凝らした屋敷に住んでいた。
貴族や富裕商人に有利な判決を下し、裁判は金で解決するのが当然、という常識を持っていた。
冬の豚よりも丸々と太り、王族と見紛うような豪奢な服を着て、空よりも高い場所から見下す目つきをしている。それが大神官の基本的な姿であるはずだった。
ところがサスキア王国だけは、その類型が当てはまらない、史上稀に見る幸運な常識はずれを享受している。
派遣されてきた大神官ザビドが、非常に誠実でつつましやかな人物だったからだ。
「……君は」
ザビドは驚いて立ち止まり、目の前に現れた黒衣の青年をしげしげと眺めた。
「誰だね? 急に現れたように見えたが……」
「僕は弁護士だ。国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがある」
あまり詳しく説明する気はないようで、アンルーは端的にそれだけ言う。
当然ながらザビドは、警戒する顔つきになった。
「弁護士など、わしは頼んだ覚えがないのだがね」
「王女の裁きを神に託した覚えならあるはずだ。被告人には弁護を依頼する権利がある。神の法廷に立たされた被告人につくのは、人間の弁護士ではないがな」
「人間の弁護士ではないとは……まさか、黒衣の御使いとでも名乗るつもりかね?」
「あなたが納得するなら、そう考えてもらって結構だ」
アンルーが頷くのを、ザビドは胡散臭そうに見やった。
黒衣の御使いとは耳慣れない言葉だが、どこかで聞いたような覚えもある。
少し考えてエゼルディアは、いつかの礼拝中に聞いたのだと思い出した。
(ザビド様がお話ししてくださる神話の中に出てきたんだわ。
かつて神が直接人間を裁いていた頃、傍には白衣と黒衣の御使いがいて、その裁きを手伝っていたとか……)
言われてみればアンルーの存在は、ぴったり当てはまるような気がした。エゼルディアの弁護は神の裁きの手伝いに他ならないし、全身黒尽くめなのだから。
(詳しい内容は忘れたけど、黒衣の御使いは被告人の無罪を主張していたはず……)
しかしザビドは、本当にそう思ってその単語を出したわけではなさそうだった。
「衛兵!」
正面扉に向かってザビドが声を張り上げると、すぐに扉が勢いよく開き、衛兵が武器を構えて首を突き出した。
礼拝室は普段、衛兵に守らせてなどいないが、事件を受けて、今だけ見張りを立てているのだろう。事件当日に扉の前に立っていた近衛兵たちは、あくまで国王の警護をしていた連中である。
「どうされました、大神官様」
真面目そうな中年の衛兵に向かって、ザビドは厳しい口調で問い質した。
「君はずっとその扉を見張っていたはずだな。なぜ彼を通したのだね?」
訊きながら片手でアンルーを示す。
衛兵はしばし沈黙した後、ぐっと眉根を寄せた。
「あの……申し訳ありません。今、なんと……?」
「なぜ彼を通したのか、と訊いたのだ」
「彼というのは、誰のことでしょう」
「ここに立っている青年のことだ」
「誰かがお傍に、いらっしゃるのですか?」
そこでようやくザビドも、何かがおかしいと気付いたらしい。言葉を呑んで口をつぐむ。
衛兵は困り果てた様子で立ち尽くしていたが、やがておずおずと口を開いた。
「大神官様。わたしは誰も、通しておりませんが……」
困惑顔の衛兵とアンルーとを、ゆっくり交互に眺めやってから。
ザビドは表情を和らげ、とぼけた調子で頬を掻いた。
「そのようだね。すまない。光を人影と見間違えたようだ」
「はあ……」
「ありがとう。仕事に戻ってくれ」
心配そうな顔つきで衛兵が引っ込むのを見届け、ザビドは溜息混じりにぼやいた。
「やれやれ。あの者はわしが耄碌したと思ったでしょうな」
やおらアンルーに視線を戻し、顔つきを真面目なものにする。
「彼にはあなたの姿が見えなかったようだ。最初にわしがそうだったように」
「見えるように仕向けていないからな」
無表情に答える黒衣の青年を改めて観察し、認めざるを得ないと悟ったのだろう。
ザビドはふいに居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ご無礼をお許しください。ようこそお越し下さいました、黒衣の御使い殿」
対するアンルーは会釈もせず、無愛想に質問を再開する。
「サスキア国王殺害事件について、あなたに訊きたいことがあるのだが」
「この老体に答えられることでしたら、なんなりと」
「あなたは王女が悲鳴を上げた直後、近衛兵と共にこの部屋へ入ってきたそうだな。
そもそも事件当時、なぜ礼拝室の近くにいたのか。そこから説明してもらいたい」
「それは王女殿下が礼拝室へ向かわれるのを、庭でお見かけしたからです」
先ほどまでよりも厳粛な面持ちで、ザビドは丁寧に答え始めた。
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