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第47話 昔取ったラグタイム 1
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仕事が休みということで安堂伊知郎は昼前まで眠ってしまっていた。
土日も含めたシフト制の派遣アルバイトなので平日に休みがくる。
会社勤めをしていた頃には有給でも取らない限り無かった感覚だったので、馴れるまで少し時間がかかった。
昼前まで誰も起こしに来ないというのも、家族が出ていってからの変化だった。
アラームを鳴らしたわけでもなく、自然と起きたわけでもなく、伊知郎は玄関チャイムの音で目を覚ました。
古びた一軒家の途切れ途切れに鳴る玄関チャイムの音に、ああ修理頼むの忘れていたな、と寝起きのぼんやりした頭で思い浮かべる。
何度か玄関チャイムが鳴り、少し間を置いて玄関のガラス戸を叩く音がした。
少しばかり控えめなノック。
ゆっくりと目が覚めて、伊知郎は起き上がった。
午前休したことを取り戻そうと昨日は仕事をはりきってしまい、五十を前にした身体は疲れ果てて二階にある自室に戻ることもできず一階のリビングで倒れるように眠ってしまっていた。
「風呂、入らないと汗臭いな。家族が居なくて良かったよ」
つんとくる汗の臭いに独り言を呟く。
笑えない冗談を口にして自嘲してしまう。
来客が女性じゃなければいいな、と思いながら疲労の回復しない身体でふらふらと玄関へと向かう。
玄関のガラス戸のノックが続く。
トントンとかドンドンというより、古い戸の動きからガタガタと五月蝿い音がたつ。
いい加減割れそうで怖いからどうにかしてよ、と娘に言われたのを思い出す。
「すみません、真盛署の者ですが。安堂さん、いらっしゃいますか?」
のろのろとした足取りになってしまいなかなか辿り着かない玄関先から若い男性の声が聞こえる。
「はい、ちょっと待ってください」
伊知郎は慌てて返事をした。
玄関チャイムが鳴った後、玄関まで行かなきゃならないのは不便で不用心だからインターホンを付けようと妻に相談されたことを思い出す。
設置について考えてると娘が意外にも反対してきて驚きだった。
反対理由は古びた一軒家に最新のカメラ付きインターホンは不恰好だというもので、これには妻も驚いていたが、だったら最新の物じゃなくても良くないか、とか話は何故か難航することになってしまい、そうこうしてるうちに妻も娘も家を出ていって、業者に頼みそびれてしまっていた。
やっとのことで辿り着き、伊知郎は玄関の戸を開けた。
「あ、すみません、突然お伺いして」
「我々はこういうものです」
男性が二人。
一人は深い茶色のよれよれの背広を着た男性で、白髪混じりの短髪と顔に刻まれる皺の数で伊知郎よりも歳を重ねているように見える。
正面から見てもわかるほどの猫背で背が低めなのも、相まってそれほど身長の高くない伊知郎を下から見上げる形になっていた。
浮かべる表情は人懐っこい温和なものであったが、目の奥は笑っているようには見えなかった。
胸ポケットから取り出した警察手帳から若菜歩という名前がわかる。
その若菜の横に立つのは、暗めの青い背広を着た若者で見た目だけで言えば若菜の息子のようにも見えるほど年が離れてそうだった。
若菜に比べれば頭二つ、伊知郎からしても頭一つ背の高い若者も警察手帳を提示している。
井上梅吉。
井上は何故だか気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「警察を騙る詐欺とかありますが、我々は違いますのでご安心を」
若菜はそう言って、よく確認しろと言わんばかりに手帳を伊知郎に向けて見せる。
そんなにしっかり見せられても何処を確認して本物か偽物か判断できるのか伊知郎は知らなかった。
「警察が、私に何を?」
頭に過ったのは昨日文哉と会話した内容だった。
羽音町は意外と荒れていて、娘ぐらいの若い世代はそれを当たり前のことのように周知しているという事実。
もしかして、娘が事件に巻き込まれたのか?
「いえね、安堂さん、貴方昨日怪我した若者を二人、救急車を呼んで病院へ運んでくれたらしいじゃないですか?」
「え? いや、私がしたのは救急車を呼んだまでのことですよ」
想像してたことが外れたようで伊知郎は安堵した。
昨日のことについて隠し立てるようなこともないので、素直に訂正する。
救急車を呼んだはいいが名前も知らない若者二人の処置を、救急隊員に任せるぐらいしか出来なかった。
「若者二人は顔面など大怪我を負っていましたが、安堂さんは事件性を感じましたか?」
「事件性、ですか?」
「ええ、あの二人の姿を見て、警察に通報しようとは思わなかったのか、と思いましてね?」
温厚な表情を保ち見上げてくる若菜。
何を問い詰められているのかわからないが、伊知郎は妙な緊張を感じて息を飲んだ。
「ああ、そういう風に頭が回りませんでしたよ。怪我人がいるから救急車を呼ぼう。安直かもしれませんが、そういう風にしか思いつきませんでした」
「そうですか・・・・・・」
救急車を呼んだ後に警察へと連絡しようとも伊知郎は思っていたのだが、何となくあの若者の邪魔をするような気がしてそれを止めることにした。
ふむ、と納得しかねないという態度をあからさまに取る若菜。
井上は何も言わずにただ最初から変わらずの苦笑いを浮かべたままだった。
「ところで──何故、安堂さんはあのような場所に?」
若菜の問い。
伊知郎は迂闊にもその答えを用意していなかった。
そして、伊知郎はようやく感づいた。
若菜が探りを入れているのは、伊知郎の昨日の動向ではないのだ。
あの赤いベロアジャケットの若者。
名前を聞きそびれたあの若者のことを、どうやら警察は探り当てようとしている。
土日も含めたシフト制の派遣アルバイトなので平日に休みがくる。
会社勤めをしていた頃には有給でも取らない限り無かった感覚だったので、馴れるまで少し時間がかかった。
昼前まで誰も起こしに来ないというのも、家族が出ていってからの変化だった。
アラームを鳴らしたわけでもなく、自然と起きたわけでもなく、伊知郎は玄関チャイムの音で目を覚ました。
古びた一軒家の途切れ途切れに鳴る玄関チャイムの音に、ああ修理頼むの忘れていたな、と寝起きのぼんやりした頭で思い浮かべる。
何度か玄関チャイムが鳴り、少し間を置いて玄関のガラス戸を叩く音がした。
少しばかり控えめなノック。
ゆっくりと目が覚めて、伊知郎は起き上がった。
午前休したことを取り戻そうと昨日は仕事をはりきってしまい、五十を前にした身体は疲れ果てて二階にある自室に戻ることもできず一階のリビングで倒れるように眠ってしまっていた。
「風呂、入らないと汗臭いな。家族が居なくて良かったよ」
つんとくる汗の臭いに独り言を呟く。
笑えない冗談を口にして自嘲してしまう。
来客が女性じゃなければいいな、と思いながら疲労の回復しない身体でふらふらと玄関へと向かう。
玄関のガラス戸のノックが続く。
トントンとかドンドンというより、古い戸の動きからガタガタと五月蝿い音がたつ。
いい加減割れそうで怖いからどうにかしてよ、と娘に言われたのを思い出す。
「すみません、真盛署の者ですが。安堂さん、いらっしゃいますか?」
のろのろとした足取りになってしまいなかなか辿り着かない玄関先から若い男性の声が聞こえる。
「はい、ちょっと待ってください」
伊知郎は慌てて返事をした。
玄関チャイムが鳴った後、玄関まで行かなきゃならないのは不便で不用心だからインターホンを付けようと妻に相談されたことを思い出す。
設置について考えてると娘が意外にも反対してきて驚きだった。
反対理由は古びた一軒家に最新のカメラ付きインターホンは不恰好だというもので、これには妻も驚いていたが、だったら最新の物じゃなくても良くないか、とか話は何故か難航することになってしまい、そうこうしてるうちに妻も娘も家を出ていって、業者に頼みそびれてしまっていた。
やっとのことで辿り着き、伊知郎は玄関の戸を開けた。
「あ、すみません、突然お伺いして」
「我々はこういうものです」
男性が二人。
一人は深い茶色のよれよれの背広を着た男性で、白髪混じりの短髪と顔に刻まれる皺の数で伊知郎よりも歳を重ねているように見える。
正面から見てもわかるほどの猫背で背が低めなのも、相まってそれほど身長の高くない伊知郎を下から見上げる形になっていた。
浮かべる表情は人懐っこい温和なものであったが、目の奥は笑っているようには見えなかった。
胸ポケットから取り出した警察手帳から若菜歩という名前がわかる。
その若菜の横に立つのは、暗めの青い背広を着た若者で見た目だけで言えば若菜の息子のようにも見えるほど年が離れてそうだった。
若菜に比べれば頭二つ、伊知郎からしても頭一つ背の高い若者も警察手帳を提示している。
井上梅吉。
井上は何故だか気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「警察を騙る詐欺とかありますが、我々は違いますのでご安心を」
若菜はそう言って、よく確認しろと言わんばかりに手帳を伊知郎に向けて見せる。
そんなにしっかり見せられても何処を確認して本物か偽物か判断できるのか伊知郎は知らなかった。
「警察が、私に何を?」
頭に過ったのは昨日文哉と会話した内容だった。
羽音町は意外と荒れていて、娘ぐらいの若い世代はそれを当たり前のことのように周知しているという事実。
もしかして、娘が事件に巻き込まれたのか?
「いえね、安堂さん、貴方昨日怪我した若者を二人、救急車を呼んで病院へ運んでくれたらしいじゃないですか?」
「え? いや、私がしたのは救急車を呼んだまでのことですよ」
想像してたことが外れたようで伊知郎は安堵した。
昨日のことについて隠し立てるようなこともないので、素直に訂正する。
救急車を呼んだはいいが名前も知らない若者二人の処置を、救急隊員に任せるぐらいしか出来なかった。
「若者二人は顔面など大怪我を負っていましたが、安堂さんは事件性を感じましたか?」
「事件性、ですか?」
「ええ、あの二人の姿を見て、警察に通報しようとは思わなかったのか、と思いましてね?」
温厚な表情を保ち見上げてくる若菜。
何を問い詰められているのかわからないが、伊知郎は妙な緊張を感じて息を飲んだ。
「ああ、そういう風に頭が回りませんでしたよ。怪我人がいるから救急車を呼ぼう。安直かもしれませんが、そういう風にしか思いつきませんでした」
「そうですか・・・・・・」
救急車を呼んだ後に警察へと連絡しようとも伊知郎は思っていたのだが、何となくあの若者の邪魔をするような気がしてそれを止めることにした。
ふむ、と納得しかねないという態度をあからさまに取る若菜。
井上は何も言わずにただ最初から変わらずの苦笑いを浮かべたままだった。
「ところで──何故、安堂さんはあのような場所に?」
若菜の問い。
伊知郎は迂闊にもその答えを用意していなかった。
そして、伊知郎はようやく感づいた。
若菜が探りを入れているのは、伊知郎の昨日の動向ではないのだ。
あの赤いベロアジャケットの若者。
名前を聞きそびれたあの若者のことを、どうやら警察は探り当てようとしている。
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