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始まりは青い色
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火葬場の待合室には、冷房の効きが悪いのか、空気がもったりと淀んでいた。
大理石風の長椅子に並ぶのは、ふたつの骨壺。
片方には犬の名前が金色で刻まれている。
もう片方には、なにも書かれていない。
窓の外では、真昼の太陽が、濁った心ごと焼き焦がそうとするかのように照りつけていた。
アスファルトが熱せられ、ゆらゆらと歪んで見える。
人の影も、感情も、地面に溶けてしまいそうだった。
「……犬ですか?」
女が声をかけてきた。
声は乾いていて、泣きすぎた目元に、言葉の水気だけがかすかに残っている。
「はい。十三年、一緒でした。家に帰ると、気配がしないのが不思議で……」
「わかります。私も、今日で本当に一人になりました」
名前を聞くほどの関係でもない。
でも、ふたりは同じ煙を見ていた。
外に出ると、煙突から昇る白煙が、焦げた空に溶けていく。
形も、重さも、思い出すらも失っていく様子を、ふたりは黙って見上げた。
「全部燃えちゃうのに、不思議ですよね。まだ、ここにいる気がするんです」
女が言うと、男はコーヒーの缶を傾けて、何かを押し込むように一口だけ飲んだ。
「俺もです。まだ、声が聞こえるような気がして」
沈黙が、安っぽいプラスチック椅子の間に流れた。
けれど不快ではなかった。
ただそこに、“共鳴”のようなものが確かにあった。
別れ際、男が言った。
「明日も来ようと思うんです。まだ、煙に混ざって残ってる気がして」
女は少しだけ笑って、それから、炎の痕のような声で答えた。
「私も来ます。まだ、ちゃんとさよならできそうにないから」
翌朝、男は目覚めてからずいぶん長く、静かに天井を見つめていた。
封筒の入った引き出しには手を伸ばさず、代わりに冷たい水をコップに注いで飲んだ。
女は、包帯をほどいて洗面台に流し、手首をそっとタオルで拭った。
鏡の中の顔が、昨日とどこか違って見える。
その日も空は青く、煙はただ、空へと昇っていた。
遠くで蝉が鳴いていた。
大理石風の長椅子に並ぶのは、ふたつの骨壺。
片方には犬の名前が金色で刻まれている。
もう片方には、なにも書かれていない。
窓の外では、真昼の太陽が、濁った心ごと焼き焦がそうとするかのように照りつけていた。
アスファルトが熱せられ、ゆらゆらと歪んで見える。
人の影も、感情も、地面に溶けてしまいそうだった。
「……犬ですか?」
女が声をかけてきた。
声は乾いていて、泣きすぎた目元に、言葉の水気だけがかすかに残っている。
「はい。十三年、一緒でした。家に帰ると、気配がしないのが不思議で……」
「わかります。私も、今日で本当に一人になりました」
名前を聞くほどの関係でもない。
でも、ふたりは同じ煙を見ていた。
外に出ると、煙突から昇る白煙が、焦げた空に溶けていく。
形も、重さも、思い出すらも失っていく様子を、ふたりは黙って見上げた。
「全部燃えちゃうのに、不思議ですよね。まだ、ここにいる気がするんです」
女が言うと、男はコーヒーの缶を傾けて、何かを押し込むように一口だけ飲んだ。
「俺もです。まだ、声が聞こえるような気がして」
沈黙が、安っぽいプラスチック椅子の間に流れた。
けれど不快ではなかった。
ただそこに、“共鳴”のようなものが確かにあった。
別れ際、男が言った。
「明日も来ようと思うんです。まだ、煙に混ざって残ってる気がして」
女は少しだけ笑って、それから、炎の痕のような声で答えた。
「私も来ます。まだ、ちゃんとさよならできそうにないから」
翌朝、男は目覚めてからずいぶん長く、静かに天井を見つめていた。
封筒の入った引き出しには手を伸ばさず、代わりに冷たい水をコップに注いで飲んだ。
女は、包帯をほどいて洗面台に流し、手首をそっとタオルで拭った。
鏡の中の顔が、昨日とどこか違って見える。
その日も空は青く、煙はただ、空へと昇っていた。
遠くで蝉が鳴いていた。
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