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第四章 くるみパン大人形
第六十六話 ちょっと待って
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一階に到達した三人。
慌てて階段を駆け下りたせいで笠原は肩で息をつき、奈菜は逸る気持ちに突き動かされ、矢附はそんな二人を気遣うように後ろを振り返る。
始業のチャイムが校舎に鳴り響く。
文化祭準備へ向かう途中の二年B組担任・横宮に見つかり、教室に戻るよう注意を受けた。
──その足元。
朝日差し込む廊下の影から、腕が伸び出した。
「ここで出てくるの!?」
横宮と奈菜達の距離は教室二つ分。奈菜は弾丸のように飛び出し、横宮めがけて一直線に駆ける。普段の学校生活では披露したことのない瞬発力に、横宮は驚愕と困惑の表情を浮かべた。
「横宮先生! こっちに走ってください!」
矢附が必死に手を振る。
だが横宮は、何を言われているのか理解できず「え?」と問い直す。こちらに向かって奈菜が突っ込んでくるのを見れば、タックルでもされるのかと錯覚するのも無理はない。
「いいから! 足元は見ないで──」
「笠原さん、指示が下手っ!」
フォローに回った笠原が横宮を呼ぶが、余計な一言を添えてしまう。
「見るな」と言われれば余計に気になるのが人の性。横宮はつい視線を落とし──そこに奈菜がツッコミを入れる。
赤、青、緑──影から這い出す三色の腕が横宮の視界を覆った。
「先生! ダメ! こっちに走って!!」
奈菜の必死の叫び。
足元から伸び続ける腕。その背後からは、更に無数の腕が湧き上がってくる。
恐怖に震えながらも、奈菜の姿に背を押されるように横宮は一歩を踏み出す。伸びてくる腕を踏みつけ、影を飛び越えた。
──だが、力は使えない。
とっさに助けに走ったものの、祓い師としての術が封じられている現実がのしかかる。小鬼相手に素手で挑んでも数に押し潰される。光界の展開すらままならない今、逃げたところで安全などどこにもない。
それでも奈菜は横宮に追いつき、手を掴む。後ろから次々と生える腕は、あっという間に二十本を超えた。増殖率は今までで群を抜いている。
ケタケタと甲高い笑い声が大合唱のように廊下へ響き渡る。
三色の腕、角、眼球──小鬼達が連鎖するように現れ、悲鳴が重なる。各教室の中にも湧き出したのだろう。狙いは横宮だけではなく、校内にいる全員。いや、乃木市全域にまで及ぶのかもしれない。
創設から数十年の白い校舎は、赤青緑の不気味な配色に塗り潰されていく。
「気持ち悪い色合いだ……」
舌打ちしながら、奈菜は横宮の手を強く握った。
「なん、なの!?」
何が起きているのか。何が生えて、何に襲われ、何に救われているのか。現実味のない状況に、横宮は完全に混乱していた。助けてくれているはずの奈菜にも苛立ち混じりに疑問を投げつけるが、その答えを受け止める余裕すらなかった。
「説明は後です。とにかく走って! 止まっていたら危険です!」
奈菜は横宮の手を引き、背中を押して矢附と笠原のもとへ駆けさせる。まだ二人の周囲には小鬼の手は及んでいないが、それも時間の問題だった。数秒のうちにどう動くか決めなければならない。
奈菜の足元にも小鬼が湧き出す。彼女は素早く踏みつけて押し返した。潰すのではなく、影という沼に押し戻すような感覚で。
──人の感情から生まれる怪物が、人の影から這い出すという皮肉は理解できなくもない。だが小鬼は物の影からも容赦なく現れる。人由来の存在という解釈は、後付けの理屈に過ぎないのかもしれない。
奈菜と横宮は追われながらも矢附と笠原に合流した。
「高城さん……みんなを助けたいんですよね。でもこれって──」
「和美によるものじゃありません。鬼同士の知識共有……データベースとかネットワークとか、そういう仕組みを通じて妨害されてるんです。斎藤との会話で、私が和美を止めようとしてるのが筒抜けになったんでしょうね」
いずれ知られることだと奈菜も理解していたが、妨害が起きるまでの速さは想定外だった。和美が小鬼を使って邪魔するとは思えないし、先程屋上で会った斎藤も成り行きを楽しむ放任主義の印象だった。
とすれば、この小鬼を操っているのは──また別の鬼。
「笠沼正太が消されなかったという《無かったこと》は……緑鬼が消滅したことすら《無かったこと》にしたの?」
奈菜が呟くと、笠原は屋上へ続く階段を見上げた。意味は掴めなかったが、確実に「違う」とも感じた。あの娘がいとおしそうに腕を擦る姿を思い出すと、違うのだと確信できた。
「違うよ、西生さん。緑の鬼は確かに消えた。彼女は《残滓》って言った。それは、消えた後に残ったものって意味でしょう」
「残滓……つまり──」
鬼を呼び寄せるほどの感情を抱いた鬼主に強く影響されたものに残る、残滓。
それは時に記憶修正の力に抗い、時に鬼主が生み出した小鬼すら操る。
「小早志さん……まだ私達を行かせるか止めるかで揺れてるんだ。この小鬼達は、彼女が呼び出してる!?」
力の残滓。それは言い換えれば残りカスに過ぎない。自分の感情ではない力を持て余せば、容易に制御を逸し、危うさだけが残る。
奈菜達を引き止めるための呼び出しは、しかし──。
「もう……さらに面倒になってきたやん」
奈菜は階段下から遠く離れた屋上を見上げ、深いため息と愚痴をこぼした。
慌てて階段を駆け下りたせいで笠原は肩で息をつき、奈菜は逸る気持ちに突き動かされ、矢附はそんな二人を気遣うように後ろを振り返る。
始業のチャイムが校舎に鳴り響く。
文化祭準備へ向かう途中の二年B組担任・横宮に見つかり、教室に戻るよう注意を受けた。
──その足元。
朝日差し込む廊下の影から、腕が伸び出した。
「ここで出てくるの!?」
横宮と奈菜達の距離は教室二つ分。奈菜は弾丸のように飛び出し、横宮めがけて一直線に駆ける。普段の学校生活では披露したことのない瞬発力に、横宮は驚愕と困惑の表情を浮かべた。
「横宮先生! こっちに走ってください!」
矢附が必死に手を振る。
だが横宮は、何を言われているのか理解できず「え?」と問い直す。こちらに向かって奈菜が突っ込んでくるのを見れば、タックルでもされるのかと錯覚するのも無理はない。
「いいから! 足元は見ないで──」
「笠原さん、指示が下手っ!」
フォローに回った笠原が横宮を呼ぶが、余計な一言を添えてしまう。
「見るな」と言われれば余計に気になるのが人の性。横宮はつい視線を落とし──そこに奈菜がツッコミを入れる。
赤、青、緑──影から這い出す三色の腕が横宮の視界を覆った。
「先生! ダメ! こっちに走って!!」
奈菜の必死の叫び。
足元から伸び続ける腕。その背後からは、更に無数の腕が湧き上がってくる。
恐怖に震えながらも、奈菜の姿に背を押されるように横宮は一歩を踏み出す。伸びてくる腕を踏みつけ、影を飛び越えた。
──だが、力は使えない。
とっさに助けに走ったものの、祓い師としての術が封じられている現実がのしかかる。小鬼相手に素手で挑んでも数に押し潰される。光界の展開すらままならない今、逃げたところで安全などどこにもない。
それでも奈菜は横宮に追いつき、手を掴む。後ろから次々と生える腕は、あっという間に二十本を超えた。増殖率は今までで群を抜いている。
ケタケタと甲高い笑い声が大合唱のように廊下へ響き渡る。
三色の腕、角、眼球──小鬼達が連鎖するように現れ、悲鳴が重なる。各教室の中にも湧き出したのだろう。狙いは横宮だけではなく、校内にいる全員。いや、乃木市全域にまで及ぶのかもしれない。
創設から数十年の白い校舎は、赤青緑の不気味な配色に塗り潰されていく。
「気持ち悪い色合いだ……」
舌打ちしながら、奈菜は横宮の手を強く握った。
「なん、なの!?」
何が起きているのか。何が生えて、何に襲われ、何に救われているのか。現実味のない状況に、横宮は完全に混乱していた。助けてくれているはずの奈菜にも苛立ち混じりに疑問を投げつけるが、その答えを受け止める余裕すらなかった。
「説明は後です。とにかく走って! 止まっていたら危険です!」
奈菜は横宮の手を引き、背中を押して矢附と笠原のもとへ駆けさせる。まだ二人の周囲には小鬼の手は及んでいないが、それも時間の問題だった。数秒のうちにどう動くか決めなければならない。
奈菜の足元にも小鬼が湧き出す。彼女は素早く踏みつけて押し返した。潰すのではなく、影という沼に押し戻すような感覚で。
──人の感情から生まれる怪物が、人の影から這い出すという皮肉は理解できなくもない。だが小鬼は物の影からも容赦なく現れる。人由来の存在という解釈は、後付けの理屈に過ぎないのかもしれない。
奈菜と横宮は追われながらも矢附と笠原に合流した。
「高城さん……みんなを助けたいんですよね。でもこれって──」
「和美によるものじゃありません。鬼同士の知識共有……データベースとかネットワークとか、そういう仕組みを通じて妨害されてるんです。斎藤との会話で、私が和美を止めようとしてるのが筒抜けになったんでしょうね」
いずれ知られることだと奈菜も理解していたが、妨害が起きるまでの速さは想定外だった。和美が小鬼を使って邪魔するとは思えないし、先程屋上で会った斎藤も成り行きを楽しむ放任主義の印象だった。
とすれば、この小鬼を操っているのは──また別の鬼。
「笠沼正太が消されなかったという《無かったこと》は……緑鬼が消滅したことすら《無かったこと》にしたの?」
奈菜が呟くと、笠原は屋上へ続く階段を見上げた。意味は掴めなかったが、確実に「違う」とも感じた。あの娘がいとおしそうに腕を擦る姿を思い出すと、違うのだと確信できた。
「違うよ、西生さん。緑の鬼は確かに消えた。彼女は《残滓》って言った。それは、消えた後に残ったものって意味でしょう」
「残滓……つまり──」
鬼を呼び寄せるほどの感情を抱いた鬼主に強く影響されたものに残る、残滓。
それは時に記憶修正の力に抗い、時に鬼主が生み出した小鬼すら操る。
「小早志さん……まだ私達を行かせるか止めるかで揺れてるんだ。この小鬼達は、彼女が呼び出してる!?」
力の残滓。それは言い換えれば残りカスに過ぎない。自分の感情ではない力を持て余せば、容易に制御を逸し、危うさだけが残る。
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