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第三章 メロンパン大逃走
第五十話 緑が芽生える
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二階層の落下。その勢いを殺さず、一直線に花菜は飛び蹴りを叩き込まんと笠沼正太の顔面へ突撃した。
だが、笠沼正太はそれを余裕でかわす。花菜の蹴りが空を切り、そのまま背後の五〇五号室のドアに炸裂した。
「わおっ!」
ドガシャ、と鉄板が歪む音。笠沼正太は興奮と歓喜の混じった声を上げ、反らせた体勢の反動を利用してレインコートの中から銀光を閃かせた。
縦一文字に閃くナイフ。
花菜は空中で身を捻ると、両の手をパンと打ち合わせた。その瞬間、赤い光が弾け、手の中に朱色の棍が生成される。
朱棍は、ナイフの一閃を迎撃するように振り下ろされた。
ギンッ──。
鈍い音を鳴らし、火花が飛び散る。笠沼正太は叩き落とされた手の勢いを利用して、身体を前に転がすように宙返り。
着地を無視したような無茶な回転が、踵落としとして花菜を襲う。
鋭く振り下ろされた両足が花菜の鎖骨に突き刺さり、彼女は後方に吹き飛ばされた。
「お姉ちゃんっ!?」
ようやく奈菜が五階廊下の手すりに着地する。姿勢を低くしたまま手すりを走り、仰向けに倒れた笠沼正太に飛びかかった。
「二対一? 面白くなってきたなー」
フードの影から覗く笠沼正太の口元が歪む。奈菜の拳が、その顔面へ一直線に伸びた──が。
「かっったぁっ!」
手応えは鉄塊のような硬さだった。指の骨が軋み、砕けるかと思う激痛が走る。
影に隠れていた顔の輪郭。緑色に変色し始めていた。
奈菜は後転して体勢を立て直し、右手を揺らし呪を唱えようとした──その瞬間。
「遅いよ、お姉さん」
楽しげな声音とともに、奈菜の足元がぬるりと変色する。五階の廊下が緑に染まり、ぴちゃん──水音。
天井ではない。足元の廊下が、水面のように波紋を広げている。
「しまっ──」
ざばっ、と爆ぜる音。水面から、異様に太い緑の腕が突き上がり、奈菜の腹部を殴り上げた。
空気が肺から強制的に抜ける。奈菜の身体が宙へと浮き上がり、遅れて激痛が全身を突き抜けた。
腕はさらに伸び続け、次々と同じような腕が波のように生えてくる。節くれだった腕が、絡まり合い、蛇のように這い出す。
「気色の悪いもん出してきたなぁ!」
花菜もすでに複数の腕に羽交い締めにされていた。先ほどの踵落としの打撃を受けた鎖骨が、軋むたびに悲鳴を上げる。
「ごめんねー、まだ上手く作れないんだ。こういうのってチュートリアル無いしさ、僕も今、初めて見たんだよ、それ」
正太は悠々と立ち上がり、レインコートについた埃を払い落とす。踵で床をトントンと弾ませると、準備運動のように屈伸を始めた。
「さて、それじゃ。僕、このマンションの住人を殺してくるから。止めたいなら、頑張って?」
「アホか……そんなもん、行かすわけないやろ……っ」
異形の腕に絡まれた奈菜は、身じろぎ一つできない。せめてもの抵抗として、声を絞り出すしかなかった。
「情けない格好で何言ってんの、巫女装束のお姉さん。あっちのもがいてる方が動けるようになるの待ってるんでしょ? でも、そう上手くいくかなぁ?」
正太は花菜を指差し、口角を歪める。
「巫女装束ってさ、この前初めて見たんだよね。ナイフで刺したら、どう染まるのか気になってさー」
ナイフの切っ先を花菜へ向け、くるくると回す。
「前は邪魔されたし、今回はさー、お姉さんたち“人を守る”ために来たんでしょ? じゃあ、ただ殺すのは面白くない。守れなかった、を作ってあげなきゃ」
ナイフの刃先が向いたのは五〇四号室。表札には『佐々木』の文字。
──うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
悲鳴。争う音。何かが倒れる音。
「──お隣さんが死んだよ」
軽く笑うような声が響いた直後、五〇四号室のドアが勢いよく開いた。
中から飛び出してきたのは、目を見開き、口を泡で濡らした中年の男性だった。
顔色は土気色で、恐怖に凍りついた表情を浮かべたまま、何かを言おうと口を動かすが、音が出ない。
言葉より先に、異様な“音”が廊下に広がる。
――ずるずる、ぐちゅ、べちっ。
床の緑色の水面から這い出すように、節の多い腕が、四本、もしくはもっと多く、男性を追って這いずってきていた。
その腕はどれも人の皮膚のように見えて、どこかがただれており、指の数は決まっていない。七本ある指、三本しかない指、爪が反り返って口のように開いた指──正気を削る異様な造形。
男性は恐怖で脚をもつれさせながらドアを背にするように閉め、叫ぼうとして息を吸った。
──その瞬間、世界がひっくり返る。
銀の光が視界を横切った。
その軌跡の後に残ったのは、じんわりと熱を帯びた痛み。首筋から肩にかけての皮膚が裂け、視界の下半分が赤く染まる。
「……ッ」
何かを言おうとしても声が出ない。喉の奥が詰まって、音にならない。息が、漏れるだけ。
四本の異形の腕が、ドアを木っ端みじんに砕いて飛び出すと、人形のように男性を掴み上げた。
彼の両脚が、床から浮く。体の重さを感じる暇もなく、腕が皮膚に食い込んで、内側の骨が軋む音が自分でも聞こえた。
「ッ、あ……や……」
誰か、助けて。
そんな言葉はついに喉から出ることなく──
異形の腕は、そのまま手すりを破壊し、男性の体ごと空中へと跳び出した。
彼の目に最後に映ったのは、血まみれになった自分の部屋の壁と、飲み込むような夜空。
風が肌を刺し、背中を冷やす。
重力が引っ張る。
音が消えていく。
――落ちる。
そして、潰れる音だけが、確かに下から聞こえた。
だが、笠沼正太はそれを余裕でかわす。花菜の蹴りが空を切り、そのまま背後の五〇五号室のドアに炸裂した。
「わおっ!」
ドガシャ、と鉄板が歪む音。笠沼正太は興奮と歓喜の混じった声を上げ、反らせた体勢の反動を利用してレインコートの中から銀光を閃かせた。
縦一文字に閃くナイフ。
花菜は空中で身を捻ると、両の手をパンと打ち合わせた。その瞬間、赤い光が弾け、手の中に朱色の棍が生成される。
朱棍は、ナイフの一閃を迎撃するように振り下ろされた。
ギンッ──。
鈍い音を鳴らし、火花が飛び散る。笠沼正太は叩き落とされた手の勢いを利用して、身体を前に転がすように宙返り。
着地を無視したような無茶な回転が、踵落としとして花菜を襲う。
鋭く振り下ろされた両足が花菜の鎖骨に突き刺さり、彼女は後方に吹き飛ばされた。
「お姉ちゃんっ!?」
ようやく奈菜が五階廊下の手すりに着地する。姿勢を低くしたまま手すりを走り、仰向けに倒れた笠沼正太に飛びかかった。
「二対一? 面白くなってきたなー」
フードの影から覗く笠沼正太の口元が歪む。奈菜の拳が、その顔面へ一直線に伸びた──が。
「かっったぁっ!」
手応えは鉄塊のような硬さだった。指の骨が軋み、砕けるかと思う激痛が走る。
影に隠れていた顔の輪郭。緑色に変色し始めていた。
奈菜は後転して体勢を立て直し、右手を揺らし呪を唱えようとした──その瞬間。
「遅いよ、お姉さん」
楽しげな声音とともに、奈菜の足元がぬるりと変色する。五階の廊下が緑に染まり、ぴちゃん──水音。
天井ではない。足元の廊下が、水面のように波紋を広げている。
「しまっ──」
ざばっ、と爆ぜる音。水面から、異様に太い緑の腕が突き上がり、奈菜の腹部を殴り上げた。
空気が肺から強制的に抜ける。奈菜の身体が宙へと浮き上がり、遅れて激痛が全身を突き抜けた。
腕はさらに伸び続け、次々と同じような腕が波のように生えてくる。節くれだった腕が、絡まり合い、蛇のように這い出す。
「気色の悪いもん出してきたなぁ!」
花菜もすでに複数の腕に羽交い締めにされていた。先ほどの踵落としの打撃を受けた鎖骨が、軋むたびに悲鳴を上げる。
「ごめんねー、まだ上手く作れないんだ。こういうのってチュートリアル無いしさ、僕も今、初めて見たんだよ、それ」
正太は悠々と立ち上がり、レインコートについた埃を払い落とす。踵で床をトントンと弾ませると、準備運動のように屈伸を始めた。
「さて、それじゃ。僕、このマンションの住人を殺してくるから。止めたいなら、頑張って?」
「アホか……そんなもん、行かすわけないやろ……っ」
異形の腕に絡まれた奈菜は、身じろぎ一つできない。せめてもの抵抗として、声を絞り出すしかなかった。
「情けない格好で何言ってんの、巫女装束のお姉さん。あっちのもがいてる方が動けるようになるの待ってるんでしょ? でも、そう上手くいくかなぁ?」
正太は花菜を指差し、口角を歪める。
「巫女装束ってさ、この前初めて見たんだよね。ナイフで刺したら、どう染まるのか気になってさー」
ナイフの切っ先を花菜へ向け、くるくると回す。
「前は邪魔されたし、今回はさー、お姉さんたち“人を守る”ために来たんでしょ? じゃあ、ただ殺すのは面白くない。守れなかった、を作ってあげなきゃ」
ナイフの刃先が向いたのは五〇四号室。表札には『佐々木』の文字。
──うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
悲鳴。争う音。何かが倒れる音。
「──お隣さんが死んだよ」
軽く笑うような声が響いた直後、五〇四号室のドアが勢いよく開いた。
中から飛び出してきたのは、目を見開き、口を泡で濡らした中年の男性だった。
顔色は土気色で、恐怖に凍りついた表情を浮かべたまま、何かを言おうと口を動かすが、音が出ない。
言葉より先に、異様な“音”が廊下に広がる。
――ずるずる、ぐちゅ、べちっ。
床の緑色の水面から這い出すように、節の多い腕が、四本、もしくはもっと多く、男性を追って這いずってきていた。
その腕はどれも人の皮膚のように見えて、どこかがただれており、指の数は決まっていない。七本ある指、三本しかない指、爪が反り返って口のように開いた指──正気を削る異様な造形。
男性は恐怖で脚をもつれさせながらドアを背にするように閉め、叫ぼうとして息を吸った。
──その瞬間、世界がひっくり返る。
銀の光が視界を横切った。
その軌跡の後に残ったのは、じんわりと熱を帯びた痛み。首筋から肩にかけての皮膚が裂け、視界の下半分が赤く染まる。
「……ッ」
何かを言おうとしても声が出ない。喉の奥が詰まって、音にならない。息が、漏れるだけ。
四本の異形の腕が、ドアを木っ端みじんに砕いて飛び出すと、人形のように男性を掴み上げた。
彼の両脚が、床から浮く。体の重さを感じる暇もなく、腕が皮膚に食い込んで、内側の骨が軋む音が自分でも聞こえた。
「ッ、あ……や……」
誰か、助けて。
そんな言葉はついに喉から出ることなく──
異形の腕は、そのまま手すりを破壊し、男性の体ごと空中へと跳び出した。
彼の目に最後に映ったのは、血まみれになった自分の部屋の壁と、飲み込むような夜空。
風が肌を刺し、背中を冷やす。
重力が引っ張る。
音が消えていく。
――落ちる。
そして、潰れる音だけが、確かに下から聞こえた。
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