焼きそばパン大戦争

清泪─せいな

文字の大きさ
52 / 146
第三章 メロンパン大逃走

第五十一話 緑の鬼

しおりを挟む
 一つの命の終わりを合図に、マンション中から一斉に悲鳴が上がった。狂気に染まる五階の廊下を、小学生の足取りで駆けていく黒い影。

「さーて、殺すよー」

 笠沼正太の無邪気な声が、惨劇の鐘のように響いた。ドアが開き、逃げ出そうとした住人を目指して、レインコートの子供は跳ねるように走る。その姿を、奈菜も花菜もただ目で追うしかなかった。

 奈菜は両腕と胴を、三本の異形の腕に掴まれ、みしり、と骨がきしむほど締めつけられている。花菜もまた、水面から突き出た腕に仰向けのまま貼り付けられていた。

 その目の前を、悠然と走り抜ける笠沼正太。

「二対一、やなんて誰が言ったんや?」

 花菜が小さく呟いた直後、黄金の一閃が疾風のように襲った。 金色の衝撃が横薙ぎに笠沼正太を打ち据え、彼の身体を壁へと叩きつける。

「鬼化、進んでるようだな」

 白い僧衣に麻の法衣を纏った大男が廊下に立っていた。フードで顔の半分以上を隠し、わずかに覗く顔には深い皺。右手に持つ金色の錫杖が、空気ごと場の流れを断ち切るようだった。
 左手は印を刻む為の形を成していた。親指は自己を指し、人差し指と中指は天へと向けて、薬指と小指は折り曲げ力を内包する。

 壁に強く押さえつけられた笠沼正太はその錫杖を掴もうとするも、掴んだ左手が熱に焼かれた。苦痛の声を漏らすも顔面を強く押さえつけられたままなので、口端から泡となり弾けた。
 ならばと、笠沼正太は男の足元に腕を発生させようと念じた。イメージを抱くこと、それが大事だと《カレ》は言っていた。イメージを抱けばそれは生まれる。

さんっ!」

 男の一声と共に、水面に張ったような緑の結界が破れ弾ける。

「な、なんで──」

 笠沼正太の疑問は全てを聞かれるまでもなく欠き消された。一瞬の浮遊感があった後、再びの金の衝撃。二度、三度と続けて痛みが襲う。

かつっ!」

 四度目の一撃で、正太の顔面が壁へとめり込んだ。骨が砕ける不快な音が、空気を震わせる。

あぎとさんは容赦が無くて恐いね」

 腕の異形の拘束が弛み、即座に花菜は抜け出し立ち上がった。棍を投げつけ奈菜を掴む腕の異形を断ち切ると、自らを縛っていた腕も蹴り飛ばし、散らした。

 顎と呼ばれた男はさらに五打目を構える。花菜の手元にも投げた棍が戻る。二人の祓い師が、壁に叩きつけられた鬼に向かって踏み込んだ。

 笠沼正太は、鬼として祓われる。

 奈菜はようやく解けた拘束から体勢を立て直し、両手で廊下を叩いた。広がる水面が、マンション中の各部屋に繋がっている。そこに光を叩き込む。

 笠沼正太は既に五人殺した。通り魔として四人、つい先ほど一人。結界内の殺しは、祓い師のものであれ鬼のものであれ、認知の産物だ。殺されたと、死んだと認知されなければ、鬼を祓えば何事も無かったと救えたかもしれない。
 けれど、もう手遅れだった。
 
 誰も──救えなかった。

「──正太くん!!」

 突然、五〇六号室のドアが開いた。そこから飛び出してきたのは、小早志真理亜だった。異形の腕を必死で振り切り、足をもつれさせながら廊下へと飛び出す。
 その目が、壁にめり込む黒いレインコートの少年を捉える。緑色に変色した顔が、度重なる打撃で変形しているのがよく見える。

「奈菜っ!」 

「わかってる!」

 奈菜の結界が反応し、小早志を包むように光が守る。追っていた腕の異形が弾かれ、身動きを止めた。

「殺さないで──お願い、やめて!!」

 小早志の声が廊下を震わせた。その叫びは、鬼を祓おうとする力の波に抗うようだった。

「正太くんを──正太くんを、殺さないでぇぇぇ!!」

 顎の錫杖が、花菜の朱棍が、それぞれの祓いの光を伴って少年へと振り下ろされる。

 壁が崩れ、緑の水面が暴風のように逆巻いた。

「もう遅いねん、この子は──」

「祓うしかあるまい」

 錫杖と棍が、光の双星となって輝く。

「ぐああああぁぁぁぁっっっっ!!」

 少年の口から響く声は、もはや人のものではなかった。 緑に染まった皮膚が崩れ、悲鳴と共に鬼の形が砕かれていく。

「やめてぇぇぇぇ!」

 小早志の絶叫。光に守られながらも、彼女は祓いの力を振り払おうと叫び続けた。

 だが──鬼が祓われれば、鬼に関わった記憶もまた消える。

 少年の死は、小早志の記憶からも失われる。忘れるのではなく、存在ごと消える。

 それが“救い”なのだというのなら──

 奈菜は唇を噛み締めた。

 誰一人、救えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

10年ぶりに現れた正ヒロインが強すぎて、10年来のダメ系幼馴染型ヒロインが敗北しそうな件について。

神崎あら
青春
 10年ぶりに再会した彼女はまさに正ヒロインと呼ぶにふさわしい容姿、性格、人望を手にしていた。  それに対して10年間一緒にいた幼馴染は、堕落し酒に溺れ、泰平の世話なしには生きられないペットのような生き物になっている。  そんな対照的な2人のヒロインが戦う(一方的にダメ幼馴染が社会的にボコられる)物語が今始まる!!

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

処理中です...