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第四章 くるみパン大人形
第六十話 強い力
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「小早志さんは……その、ハッキリと思い出せているんですか? 何があったのか、とか」
聞きたい疑問は多かった。小早志が体験したこと、「無かったことにしてもらえた」という言葉の意味、そして“鬼”とは何なのか。だが矢附はまず、自分たちと小早志との“違い”について問うことにした。鬼に関わったという点では同じはずなのに、自分たちは朧げな記憶しかなく、小早志は明確に記憶を保持しているように見える。
「残滓の影響かもしれません。私は正太くん──緑鬼に取り込まれた子のことを、忘れまいと必死だったんです。お二人は、鬼についてそこまで執着する気持ちはなかったのでは?」
“執着”と自ら言い切るほどの感情。矢附も笠原もそこまでの強さは抱いていなかった。二人は首を横に振る。
矢附は、鬼という言葉を思い出すたびに逃げ出したくなっていた。笠原は、その存在にただ恐怖を感じていた。
「鬼がどんな存在か定かじゃないんだけど、私は……とにかく怖くて、必死に逃げてた気がする。何か、周囲がどんどん変わっていって、それに驚いてた……そんな感じ」
笠原は自分の手を見つめ、指をぎゅっと握っては開いた。あのとき感じたのは、自分が手を振るってしまいそうな恐怖、人が殴り合い、怒りに支配される異常さだった。
「私は、もしかしたら、私自身が鬼を呼んでしまったのかも……。恐かったのは、周りを巻き込んでしまうこと。助けて欲しかったし、何もかも無かったことにして逃げたかった……だから、忘れようとしてる?」
記憶が曖昧なのは、自分自身がそれを拒んでいるから──そう考えると矢附は戸惑った。しかし、もし本当に自分が忘れたのだとすれば、今の瀬名や佐村たちとの関係性に違和感が残るのはおかしい。望んだ結果なら、こんな曇りは残らないはずだ。
「忘れようとして忘れられるものじゃないと思います。だからこそ、あなたたちが“鬼”のことを忘れかけているのは……より強い力によって、無かったことにされようとしているからです」
「強い力って……?」
“鬼”、“強い力”。まるで物語のような言葉が並び、現実味を失いかけるが──矢附には、その説明が妙にしっくりきた。まるで、一度体験したことをなぞるような感覚。
「それが、お二人が探している西生さんの家の力です。鬼を祓う、古くから続く家系だそうです。詳しいことは本人に聞いてください。私も、詳しくは聞けていないので。ただ……その西生家の力によって、鬼に関する出来事は“都合よく”無かったことにされるらしいんです」
破損された物の修復、記憶の修正、感情の消去──。
鬼という怪異の恐怖から、身も心も生活も守るために、西生家が長年編み出してきた力。
「私は……何かがあって、鬼を呼んでしまって、西生さんに助けられて、“無かったことに”された? もし“都合よく”記憶が消されたのなら、私が瀬名さんや佐村さんたちとの関係性に違和感を覚えるのも……」
矢附は言葉にして、記憶を手繰ろうとする。細い糸を引くように、意識の奥を探る。
それは、強い力に逆らう行為。
隣に立つ笠原も、小さな声で呟く。
「……でもさ、鬼への恐怖や被害を無かったことにして忘れるっていうのは、確かに助かるけど。鬼に対する“備え”まで消えちゃうんじゃない? 体験して初めてわかることもあるのに、何もかも忘れちゃったら……西生家に関わる人にしか対応できなくなるんじゃ?」
当然、ここには西生家の人間はいない。答えが返ってくるわけもない。
だが、笠原は疑問を口にせずにはいられなかった。なぜ、そんな閉鎖的な方法で“鬼”と向き合い続けているのか──。
「それは……西生家の“力の源流”が、鬼にあるからだそうです。だから、どうしても根底では鬼に有利に働いてしまう」
怪異には怪異をもって対処する──太古からの常套手段。
「でも、それゆえに……西生家の力は、より大きな鬼の力に呑み込まれやすい。怪異に抗うには、また怪異を内包するしかない……ということなんでしょうね」
小早志の悲しみを張り付かせたような表情。その口元が、ほんのわずかに吊り上がる。
「ねぇ、小早志さん。その話……誰に聞いたの? 西生奈菜さん?」
矢附の問いに、小早志は小さく首を振った。
そしてまっすぐに矢附の目を見る。
「知ってましたか、矢附さん? スクールカウンセラーの斎藤先生って、鬼なんですよ。矢附さんも、何度か“お世話”になってますよね?」
その言葉と共に、矢附の中の朧げな記憶が、一人の男の姿を明瞭に浮かび上がらせた。
人懐っこい笑みを浮かべた、大柄な男。矢附の体験を、ただの“いじめ”と断じた男。
あまりにも突拍子もない話に、矢附はただ、息を呑むことしかできなかった。
理解が、追いつかない。
「……ねぇ、小早志さん。斎藤先生は、今どこに?」
──なんとなく、小早志はその居場所を知っている気がした。
──なんとなく、自分は斎藤に会わなければならない気がした。
──なんとなく……
「今は、屋上にいると思いますよ。西生さんに呼び出された……とか言ってましたし」
──なんとなく、西生奈菜もそこにいる。
そう、矢附には感じられた。
聞きたい疑問は多かった。小早志が体験したこと、「無かったことにしてもらえた」という言葉の意味、そして“鬼”とは何なのか。だが矢附はまず、自分たちと小早志との“違い”について問うことにした。鬼に関わったという点では同じはずなのに、自分たちは朧げな記憶しかなく、小早志は明確に記憶を保持しているように見える。
「残滓の影響かもしれません。私は正太くん──緑鬼に取り込まれた子のことを、忘れまいと必死だったんです。お二人は、鬼についてそこまで執着する気持ちはなかったのでは?」
“執着”と自ら言い切るほどの感情。矢附も笠原もそこまでの強さは抱いていなかった。二人は首を横に振る。
矢附は、鬼という言葉を思い出すたびに逃げ出したくなっていた。笠原は、その存在にただ恐怖を感じていた。
「鬼がどんな存在か定かじゃないんだけど、私は……とにかく怖くて、必死に逃げてた気がする。何か、周囲がどんどん変わっていって、それに驚いてた……そんな感じ」
笠原は自分の手を見つめ、指をぎゅっと握っては開いた。あのとき感じたのは、自分が手を振るってしまいそうな恐怖、人が殴り合い、怒りに支配される異常さだった。
「私は、もしかしたら、私自身が鬼を呼んでしまったのかも……。恐かったのは、周りを巻き込んでしまうこと。助けて欲しかったし、何もかも無かったことにして逃げたかった……だから、忘れようとしてる?」
記憶が曖昧なのは、自分自身がそれを拒んでいるから──そう考えると矢附は戸惑った。しかし、もし本当に自分が忘れたのだとすれば、今の瀬名や佐村たちとの関係性に違和感が残るのはおかしい。望んだ結果なら、こんな曇りは残らないはずだ。
「忘れようとして忘れられるものじゃないと思います。だからこそ、あなたたちが“鬼”のことを忘れかけているのは……より強い力によって、無かったことにされようとしているからです」
「強い力って……?」
“鬼”、“強い力”。まるで物語のような言葉が並び、現実味を失いかけるが──矢附には、その説明が妙にしっくりきた。まるで、一度体験したことをなぞるような感覚。
「それが、お二人が探している西生さんの家の力です。鬼を祓う、古くから続く家系だそうです。詳しいことは本人に聞いてください。私も、詳しくは聞けていないので。ただ……その西生家の力によって、鬼に関する出来事は“都合よく”無かったことにされるらしいんです」
破損された物の修復、記憶の修正、感情の消去──。
鬼という怪異の恐怖から、身も心も生活も守るために、西生家が長年編み出してきた力。
「私は……何かがあって、鬼を呼んでしまって、西生さんに助けられて、“無かったことに”された? もし“都合よく”記憶が消されたのなら、私が瀬名さんや佐村さんたちとの関係性に違和感を覚えるのも……」
矢附は言葉にして、記憶を手繰ろうとする。細い糸を引くように、意識の奥を探る。
それは、強い力に逆らう行為。
隣に立つ笠原も、小さな声で呟く。
「……でもさ、鬼への恐怖や被害を無かったことにして忘れるっていうのは、確かに助かるけど。鬼に対する“備え”まで消えちゃうんじゃない? 体験して初めてわかることもあるのに、何もかも忘れちゃったら……西生家に関わる人にしか対応できなくなるんじゃ?」
当然、ここには西生家の人間はいない。答えが返ってくるわけもない。
だが、笠原は疑問を口にせずにはいられなかった。なぜ、そんな閉鎖的な方法で“鬼”と向き合い続けているのか──。
「それは……西生家の“力の源流”が、鬼にあるからだそうです。だから、どうしても根底では鬼に有利に働いてしまう」
怪異には怪異をもって対処する──太古からの常套手段。
「でも、それゆえに……西生家の力は、より大きな鬼の力に呑み込まれやすい。怪異に抗うには、また怪異を内包するしかない……ということなんでしょうね」
小早志の悲しみを張り付かせたような表情。その口元が、ほんのわずかに吊り上がる。
「ねぇ、小早志さん。その話……誰に聞いたの? 西生奈菜さん?」
矢附の問いに、小早志は小さく首を振った。
そしてまっすぐに矢附の目を見る。
「知ってましたか、矢附さん? スクールカウンセラーの斎藤先生って、鬼なんですよ。矢附さんも、何度か“お世話”になってますよね?」
その言葉と共に、矢附の中の朧げな記憶が、一人の男の姿を明瞭に浮かび上がらせた。
人懐っこい笑みを浮かべた、大柄な男。矢附の体験を、ただの“いじめ”と断じた男。
あまりにも突拍子もない話に、矢附はただ、息を呑むことしかできなかった。
理解が、追いつかない。
「……ねぇ、小早志さん。斎藤先生は、今どこに?」
──なんとなく、小早志はその居場所を知っている気がした。
──なんとなく、自分は斎藤に会わなければならない気がした。
──なんとなく……
「今は、屋上にいると思いますよ。西生さんに呼び出された……とか言ってましたし」
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そう、矢附には感じられた。
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