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やどかり
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その後のことは、きっとあなたもご存知のことと思います。
僕はすっかり出来損ないに逆戻りしてしまいました。一度はわかったはずなのに、人間のやり方がすっかりわからなくなってしまいました。
警察の人に声を掛けられ、学校に連れ戻された僕は、連絡を寄越されたあなたに迎えに来てもらい、家へと戻り、あなたが作ってくれた温かい食事を振る舞ってもらいました。僕はダラダラと涙を流しながらせっかくの食事をもそもそと食べ、あなたに言われて風呂へと入り、ゆっくり眠るようにと声を掛けられ布団の中に潜りました。今日一日のことに重いショックを受けつつも、回復することを願い、布団を頭まで被りながら必死の想いで眠りました。
しかし翌日以降も、僕の中の人間が戻ることはありませんでした。朝、学校に行ってみることは行ったけれども、やはりもう人間のやり方はわからなくなってしまいました。
人間が怖くて仕方なかったのです。ただ立ち、あるいは歩き、僕など関係なしにめいめいの人生を生きているだけのはずなのに、僕を排除しようとする重い空気を感じました。それは僕の気のせい、考えすぎ、被害妄想だと思っても、ここに居てはいけないような恐怖感は消えないのです。
それでも、鉛のような恐怖感を飲み込みながら玄関に這入り、靴を脱ぎ、教室へと向かっていると、周りの目が僕をじっと見ているような気がするのです。もちろん、僕を見ている者など一人もいません。一瞬僕に視線を向けても、興味なさそうにすぐに逸らされてしまいます。でも、感じるんです。視線を。あるいは視線ではない何かを。僕を刺す針よりも細い何かを。背中にぶつかる感覚を。僕はそれを、監視されているようだと思いました。異物たる僕を人間がじっと、見張っているような気がしました。人間の皮を被った僕を、見張っているような気がしました。人間の皮を被り、人間の間に入り込もうとする僕を、じっと人間達が見ているような気がしました。
教室の中は僕を排除しようとする空気で充満していました。教室という名の狭い箱に詰まっている人間達が、みんな揃って異物たる僕を排除しようとしているのです。その中の数人が顔を上げ、僕に近付いてくるのが見えました。親しげで心配そうな笑顔を浮かべているような気がしました。
けれど笑顔とは裏腹に、そこには僕を拒絶する明確な隔たりを感じるのです。どんなに親しそうに笑われても、僕はそこには入れない。僕はこの親しげな、人間達の間に入れない。どうしてそう思うのかはわかりませんが、僕の臓腑が、はっきりと、その絶望を告げてくるのです。
「おい、大丈夫だったかよ」
「突然走り出してびっくりしたぜ」
「腹でも痛かったのかよ」
「だったら『トイレ行く』ぐらい言ってけよ、なあ」
皆、明るく笑っています。上手く返せば、まだ取り返せる。そんな雰囲気を感じます。でも、僕にはそのやり方がわからない。きっと僕の表情は紙のように凍っている。質の悪い紙を継ぎ接ぎして作ったような、人間の死に顔の型のように固まっている。僕は肩で息をしている。口をパクパクさせている。なんとか返したいと思う。上手く返して人間の中に入れてほしいと願っている。
でも、どうしても、できないんです。一体どうするのが正解なのか、僕にはどうしてもわからないんです。人間達はそれでも、ハハハ、なあ、などと空笑いをして僕を待ってくれていましたけれど、僕が黙っているのを見て取ると、笑顔をぎこちなく強ばらせ、諦めたように背を向けて、みんな離れていきました。その背中に縋りたい気持ちは餓える程にありましたけれど、縋る方法はちっともわからず、その人間達との縁はそれきりになってしまいました。
僕は学校にすら行かなくなってしまいました。以前の僕、この人間の中に入る前の僕であれば、それでも一応学校に足を運んでいましたけれど、もう完全に、心とやらが折れてしまっていたのです。部屋から出る気力もなくなってしまった僕に、あなたは実に心配そうに声を掛けてくれましたね。
「ねえ、孝志、どうしたの?」
「学校で何か嫌なことでもあった?」
「お母さんがついているから大丈夫よ」
「無理しなくても、いつか言いたくなったら言ってくれればいいからね」
嫌なことなどなかったのです。あったとしても、それは学校や他の人間が原因ではないのです。悪いのは僕なのです。原因は僕なのです。人間を忘れてしまった僕が原因だったのです。
もちろん、僕は人間を取り戻そうと一生懸命頑張りました。あなたもご存知のはずでしょう。それまでは、僕は本当に、人間をやれていたのです。上手にやれていたのです。淀みなくやれていたのです。あの時までは、本当に、人間だったはずなんです。
僕は諦め悪く、人間を思い出そうと精一杯頑張りました。自分の記憶を探ったり、かつての振る舞いを思い出そうとしたり、人間のやり方を必死に絞り出そうと頑張りました。しかし、確かにあったはずの僕の人間はどうしても見つからず、記憶は曖昧模糊として正体は掴めません。脳をまさぐり、確かにあった僕の人間を掬い出そうと頑張っても、蜃気楼のようにさらさらと何処かに流れて消えてしまう。あるのは空っぽで真っ暗で無意味な空間だけなのです。
時折外に出たこともあります。人間達を眺めてみれば、人間をやれていた時の欠片だけでも掴めるんじゃないだろうか、と。しかしそれは、人間と僕の差異を思い知らせるだけの行為でした。僕は人間達の隙間を這いずりながら生きている。けれど人間達は堂々と背筋を伸ばして生きている。まるで当たり前のように。まるでそれが自然のように。何の憂いもないように。なんの疑問もないように。僕がどれだけ脳を絞っても到底理解できない人間を、人間達は何の苦もなく行える。生きていられる。
それを見る度に、僕は悲しくて悲しくて堪らなくなってしまいました。
僕はすっかり出来損ないに逆戻りしてしまいました。一度はわかったはずなのに、人間のやり方がすっかりわからなくなってしまいました。
警察の人に声を掛けられ、学校に連れ戻された僕は、連絡を寄越されたあなたに迎えに来てもらい、家へと戻り、あなたが作ってくれた温かい食事を振る舞ってもらいました。僕はダラダラと涙を流しながらせっかくの食事をもそもそと食べ、あなたに言われて風呂へと入り、ゆっくり眠るようにと声を掛けられ布団の中に潜りました。今日一日のことに重いショックを受けつつも、回復することを願い、布団を頭まで被りながら必死の想いで眠りました。
しかし翌日以降も、僕の中の人間が戻ることはありませんでした。朝、学校に行ってみることは行ったけれども、やはりもう人間のやり方はわからなくなってしまいました。
人間が怖くて仕方なかったのです。ただ立ち、あるいは歩き、僕など関係なしにめいめいの人生を生きているだけのはずなのに、僕を排除しようとする重い空気を感じました。それは僕の気のせい、考えすぎ、被害妄想だと思っても、ここに居てはいけないような恐怖感は消えないのです。
それでも、鉛のような恐怖感を飲み込みながら玄関に這入り、靴を脱ぎ、教室へと向かっていると、周りの目が僕をじっと見ているような気がするのです。もちろん、僕を見ている者など一人もいません。一瞬僕に視線を向けても、興味なさそうにすぐに逸らされてしまいます。でも、感じるんです。視線を。あるいは視線ではない何かを。僕を刺す針よりも細い何かを。背中にぶつかる感覚を。僕はそれを、監視されているようだと思いました。異物たる僕を人間がじっと、見張っているような気がしました。人間の皮を被った僕を、見張っているような気がしました。人間の皮を被り、人間の間に入り込もうとする僕を、じっと人間達が見ているような気がしました。
教室の中は僕を排除しようとする空気で充満していました。教室という名の狭い箱に詰まっている人間達が、みんな揃って異物たる僕を排除しようとしているのです。その中の数人が顔を上げ、僕に近付いてくるのが見えました。親しげで心配そうな笑顔を浮かべているような気がしました。
けれど笑顔とは裏腹に、そこには僕を拒絶する明確な隔たりを感じるのです。どんなに親しそうに笑われても、僕はそこには入れない。僕はこの親しげな、人間達の間に入れない。どうしてそう思うのかはわかりませんが、僕の臓腑が、はっきりと、その絶望を告げてくるのです。
「おい、大丈夫だったかよ」
「突然走り出してびっくりしたぜ」
「腹でも痛かったのかよ」
「だったら『トイレ行く』ぐらい言ってけよ、なあ」
皆、明るく笑っています。上手く返せば、まだ取り返せる。そんな雰囲気を感じます。でも、僕にはそのやり方がわからない。きっと僕の表情は紙のように凍っている。質の悪い紙を継ぎ接ぎして作ったような、人間の死に顔の型のように固まっている。僕は肩で息をしている。口をパクパクさせている。なんとか返したいと思う。上手く返して人間の中に入れてほしいと願っている。
でも、どうしても、できないんです。一体どうするのが正解なのか、僕にはどうしてもわからないんです。人間達はそれでも、ハハハ、なあ、などと空笑いをして僕を待ってくれていましたけれど、僕が黙っているのを見て取ると、笑顔をぎこちなく強ばらせ、諦めたように背を向けて、みんな離れていきました。その背中に縋りたい気持ちは餓える程にありましたけれど、縋る方法はちっともわからず、その人間達との縁はそれきりになってしまいました。
僕は学校にすら行かなくなってしまいました。以前の僕、この人間の中に入る前の僕であれば、それでも一応学校に足を運んでいましたけれど、もう完全に、心とやらが折れてしまっていたのです。部屋から出る気力もなくなってしまった僕に、あなたは実に心配そうに声を掛けてくれましたね。
「ねえ、孝志、どうしたの?」
「学校で何か嫌なことでもあった?」
「お母さんがついているから大丈夫よ」
「無理しなくても、いつか言いたくなったら言ってくれればいいからね」
嫌なことなどなかったのです。あったとしても、それは学校や他の人間が原因ではないのです。悪いのは僕なのです。原因は僕なのです。人間を忘れてしまった僕が原因だったのです。
もちろん、僕は人間を取り戻そうと一生懸命頑張りました。あなたもご存知のはずでしょう。それまでは、僕は本当に、人間をやれていたのです。上手にやれていたのです。淀みなくやれていたのです。あの時までは、本当に、人間だったはずなんです。
僕は諦め悪く、人間を思い出そうと精一杯頑張りました。自分の記憶を探ったり、かつての振る舞いを思い出そうとしたり、人間のやり方を必死に絞り出そうと頑張りました。しかし、確かにあったはずの僕の人間はどうしても見つからず、記憶は曖昧模糊として正体は掴めません。脳をまさぐり、確かにあった僕の人間を掬い出そうと頑張っても、蜃気楼のようにさらさらと何処かに流れて消えてしまう。あるのは空っぽで真っ暗で無意味な空間だけなのです。
時折外に出たこともあります。人間達を眺めてみれば、人間をやれていた時の欠片だけでも掴めるんじゃないだろうか、と。しかしそれは、人間と僕の差異を思い知らせるだけの行為でした。僕は人間達の隙間を這いずりながら生きている。けれど人間達は堂々と背筋を伸ばして生きている。まるで当たり前のように。まるでそれが自然のように。何の憂いもないように。なんの疑問もないように。僕がどれだけ脳を絞っても到底理解できない人間を、人間達は何の苦もなく行える。生きていられる。
それを見る度に、僕は悲しくて悲しくて堪らなくなってしまいました。
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