ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第一章 14歳の真実

4 助言

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 加藤は、通夜が行われる斎場の建物の外、駐車場に面した喫煙所でベンチに座り煙草に火を点ける。……もう3本目だ。

 準備は整ったが、通夜が始まるまであと1時間以上ある。
 棺に納められた美咲は、息を引き取ったときのまま、安らかな笑みを湛えていた。
 もとより胸より上はほぼ無傷であったので、衣装をまとっている限りは、悲惨な事故に遭ったようには見えない。
 しかし衣装に隠された身体は正視に堪えない有り様で、腹部は裂け、脚は千切れる寸前だったことを示す傷跡で埋め尽くされていた。
 それでも、裂けた皮膚は丁寧に縫合され、血はきれいに拭き取られていて、外見は人の身体の体裁を取り戻していた。
 心のこもった仕事の跡に、美咲を看取った医師の誠意が滲んでいだ。

 加藤は、煙草の煙が上っていくのに合わせて空を仰ぎながら、亡き娘に問う。
 ……美咲、なぜ死んだ、と。


 そこに、一台の車が駐車場に入ってきた。
 通夜の参列にはまだ早い。
 煙草を口にしながら加藤が車を見ていると、降りてきたのは署に戻ったはずの岩崎だった。若い女性を一人連れている。

「なんだ? 通夜にはまだ早いぞ」

「分かってる。通夜の前に頼みがあって来た」

「……頼み?」

「ああ。加藤、お前さっき、美咲ちゃんが自殺する心当たりがない、と言ったな」

「そうだ。今も考えているが、やはり見当が付かん」

「なら美咲ちゃんが昨日、何かの犯罪の被害に遭って、それが理由となった可能性がある」

 岩崎の言わんとするところは解る。

「つまり、美咲が性犯罪かなにかの被害に遭ったかもしれない、ということか?」

「まあ……そうだ。あるいは脅迫とかもあり得るが」

 美咲はそんなに弱くはなかったと加藤は思う。
 たとえそのような被害に遭ったとしても、父である加藤に何も言わぬまま、衝動的に死を選ぶとは考え難かった。
 しかし原因が判らぬ以上、岩崎が示した可能性は小さくない。
 加藤は岩崎の意を汲むことにした。

「それで、頼みとはなんだ」

「ああ、見分するにはもう遅いんだが、通夜の前に遺体を確認させてもらいたい」

「……お前がか?」

「いや、そのために一人連れてきた。紹介する。うちの若手、富永だ」

 そう言って岩崎は、隣の若い女性を加藤に紹介した。
 女性は見たところ、まだ20歳前後と思われる。
 短く整えられた髪と力強い眼が印象的だ。

「はじめまして、富永といいます。よろしくお願いします」

 挨拶を受けて、加藤は素直な感想を口にする。

「ああ……こちらこそよろしくお願いします。随分とお若いようですが、岩崎の下で働くのは大変じゃないですか?」

「はい。大変です」

 岩崎が口を挟む。

「……富永、社交辞令って知ってるか?」

「はい。もちろん」

「……まあいい。加藤、こいつは若いが仕事はできる。それなりに場数も踏んでる。こいつに美咲ちゃんを見させてくれないか?」

 加藤は考える。この富永という子は、刑事とはいえ若い女性だ。
 美咲の遺体、その衣装の中を見て卒倒しないだろうか、と。

 加藤の懸念が顔に出たのか、岩崎が補足する。

「加藤、お前が考えていることは判る。だが心配は無用だ。こいつもプロなんだ」

「……分かった。お願いする」

 了解した加藤に、富永が言う。

「ありがとうございます。加藤さん」

「こちらこそ、よろしく頼みます。富永さん」

「じゃあ決まりだ。早速だが加藤、葬儀屋に許可をもらって富永を美咲ちゃんのところに案内してくれ」

「分かった」

「俺はここで一服しとく。……富永を案内したら、加藤、悪いがお前は戻ってきてくれ」

「ああ、了解した」

 加藤は富永を連れて通夜の会場に行き、そこにいた従業員に簡単に説明した。

 すでに整然と準備を終えていたので従業員は少々迷惑そうな顔をしたが、富永が

「申し訳ありません。見分で確認もれがあったんです。お願いします」

と釈明すると、従業員は一変して快く承諾してくれた。
 岩崎が言ったとおり、この富永という刑事は仕事ができそうだ。機転が利く。

「じゃあ、加藤さんは課長と一緒に待っていてください」

「分かりました」

 加藤がそう答えると、富永が返す。

「加藤さん」

「はい」

「あの……つまらないこと言ってもいいですか?」

「どうぞ」

「できれば……でいいんですが、その……課長と対等に話す加藤さんに丁寧な言葉で話されるのが、ええと……なんというか」

「落ち着かない、と?」

「はい」

「分かった。努力する」

「はいっ、ありがとうございます」

 この刑事は本当に優秀かもしれない……。
 そう思いながら加藤は再び喫煙所に向かった。


「なかなか良い手駒を持ってるじゃないか」

 喫煙所に戻った加藤は、ベンチに座っている岩崎にそう告げた。
 まんざらでもない様子で岩崎が応じる。

「まあな。チビだが、ヘタな男の刑事より胆が据わってる。将来が……いや、なんでもない。ああ、加藤、今のうちに相談なんだが」

 将来が楽しみだ、という言葉を岩崎は飲み込んだ。
 気を遣わせていることに加藤はやりきれなさを覚えるが、仕様がない。

「相談?」

「……ああ、今のうちに、な」

「なんだ? 言ってくれ」

「加藤、一般的に考えて、中二の女の子が自殺したと聞いて、原因として何が思い浮かぶ?」

「それは……いじめか何か、だろうな」

「そうだ。加藤、美咲ちゃんは学校でいじめにあっていたと思うか?」

「……それはない、と思うが……少なくとも家ではそんな素振りはなかった」

「なかった、と言いきれるか?」

 岩崎の追及に、加藤は思案した。

「……いや、言いきれないな。そもそも親が気付けないからこそ防ぎきれないんだ」

「そのとおりだ。そこで加藤、考えてくれ。自殺の原因調査を学校に求める気はあるか?」

「それは……いや、考えてなかったが、言われてみると、必要によっては考えるべきなのかな」

「やめておけ」

「なに?」

「正面から学校にぶつかるのは駄目だ。いくらお前でも精神がもたない。いじめの明らかな証がないかぎり学校は絶対に認めないし、聴こえる声も聴こえなくなる」

「そんなものか」

「そうだ。学校に因を求めるなら、まずはいじめの事実を見付けるのが先だ。……それにな、加藤」

「それに、なんだ?」

「学校に原因を調べてもらうということは、まず美咲ちゃんが自殺であることを公にすることから始まる。今のところ、美咲ちゃんは不慮の交通事故で命を落としたんだ。……世間的にはな」

 ……そうだった。美咲が自殺であることを知っているのは事故に関わった人間だけなのだ、今のところは。
 そして加藤が声に出さないかぎり美咲は事故死なのだ。

 しかし、家庭に原因があるとは思えなかったし考えたくもない。加藤は考え込む。

「あのな加藤、この件は今すぐ何かを決めろというもんじゃない。ただ学校に対しては当面、慎重に言葉を選べということだ。通夜の前に釘を刺しておく必要があっただけだ」

 そうか、岩崎の言うとおりだ。
 とりあえず何も言わなければいいだけのことだ。

 しかし、それにしても……。
 加藤は思ったままを口に出す。

「岩崎……お前、こんな人間だったか?」

 岩崎が苦笑いで応じる。

「……まあ、俺も少しは大人になったってことだ」

 本当に見違えるような成長だ。昔の無鉄砲さは微塵もない。

「やっぱり出世頭はお前の方だよ。岩崎」



 そこに、美咲の遺体の確認が終わったのか、富永が戻ってきた。
 心なしか眼が潤んでいるように見える。
 岩崎が声をかける。

「富永、眼が腫れてるぞ」

「はい、ちょっと感情が入りました」

「そうか、まあいい。結果を聞こうか」

「はい。きれいに拭かれていたので確認はし易かったです。外見上は、事故以外のものと思われる外傷はありませんでした。腕や足首に圧迫された跡もありませんでしたし、引っ掻き傷や打撲の跡もありません。ですので、誰かに乱暴されたということはないと思います」

 そんなことが判るのか。
 加藤の感覚で言えば、美咲の遺体は酷い有り様だったのだ。
 加藤は思わず口を挟む。

「あの惨状で、そこまで判るのか?」

「はい。美咲ちゃんはトラックの太いタイヤに押し潰されて亡くなったので、それによる損傷以外の形跡を探しましたが、どこにも認められませんでした」

 ここで岩崎が補足する。

「加藤、例えば性的な暴行を受ける場合は手首や腕、足首を強く握られ続けていることが多い。その場合、かなりはっきりと跡が残るんだ。……しばらくな。それと殴られたりして抵抗できなかった場合は痣が残るが、この場合も事故の傷とは区別できる」

「そうなのか、大したもんだな」

「富永、続けろ」

「はい。あとは念のため、膣内からの試料採取と採血をしましたが、これは科捜研に出します」

「分かった。加藤、解ったか?」

「いまいち解らん」

「まず、膣内を軽く拭ってサンプルを採った。これは、精液の残留がないかを調べるためだ。それと血液は、睡眠薬なんかの成分が残っていないか確認するために採取した」

「ああ、なるほどな」

「結果が出るまでにちょっと日がかかりますが、私が視た限りでは、乱暴されたようではありませんでした」

 なるほどプロの所見だ。 とりあえず美咲は、誰かに無理矢理に乱暴されたというのではないようだ。

 では、やはり他に原因を求めなければならないが……。
 加藤は再び考え込む。

「……加藤さん」

「ん?」

「美咲ちゃん……笑ってました」

「……ああ、それが唯一の救いだ」

「はい、そうですね……」

「それはそうと、お前たちはこれからどうするんだ?」

「俺と富永は、通夜に出てから帰る。また明日、葬儀が済んだ頃に連絡する。今日は金曜日だ。特に明日は学校関係の参列も多いだろうが、加藤、さっきの件……」

「ああ、自重する」

「うん。学校へのアプローチは、また明日作戦を立てるぞ」

「分かった」

 徐々に参列者が集まりだしたので加藤は二人と離れ、通夜の会場に戻った。
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