妹の手がまだ触れない

冴吹稔

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あの日盗んだリンゴ

過ぎ去る季節に輝いて・3

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 傘は役にたったのか、たたなかったのか。僕たちは膝から下をずぶ濡れにして家に帰りついた。葉月は玄関にへたり込み、カバンの中を探りはじめた。

「あー……ちょっと濡れちゃったな、教科書。でも、うん、これならまあちょっと端っこがふやけたくらいだし。お兄ちゃん、ありがと」

「うん。タオルはそこにあるから早く拭けよ。風邪ひくぞ」

 出がけ、寸前に思いついて上がりかまちに放り出しておいたスポーツタオル二枚。葉月は飛びつくようにしてそれを手に取ると、髪の水分を拭きとってから次に靴下を脱いで足を乾かし始めた。

「ひゃあー、もう! 冷たかったぁ」

 僕も隣に座り込み、足を拭く。葉月は膝を開き、足を持ち上げてかかとの裏まで拭き上げていた。スカートの裾から突き出したふとももが目に入り、あわてて視線をそらす。

「んー、まだなんか寒い……あたしシャワー浴びてくる!」

「あ」

 待て、という暇もなく、葉月は浴室に飛び込んでいってしまった。洗面所兼脱衣所に電灯が灯り、ガス給湯器が点火する「ボフッ」という低い音がする。タイル床の上を流れる水のかすかなさざめき。

(下着の替えも用意せずに、あのバカ……)

 バスタオルは用意してあったっだろうか? 何から何まで世話の焼けることだ。
 僕はひとまずリビングの隅にある衣類ケースから大きめのバスタオルを一枚取り出し、それを脱衣所へ持って行ってやることにした。
 
「おーい……バスタオル、ここに置くぞ」

 ――うん、サンキュサンキュ。

 水音に交じって声がする。

「下着は自分で取りに行けよ。流石に面倒見てやんないからな」

 ――わかったー。

 身体を洗い出したのか、スポンジのこすれるシュコシュコいう音と、鼻歌が聞こえだした。機嫌を取り戻した様子にホッとしたとたん、自分のジーンズがまだぐっしょりと重く濡れていることが気になりだした。

(……これも洗濯に出しちまうか)

 ベルトを抜き取ってファスナーを下ろし、足を引き抜く。ややスリムな裁断のせいか、湿り気で重く固くなった綿生地がまとわりついて脱ぎにくい。
 無理をして脱いだ拍子に、右のポケットに入っていた何かもこもこした物体が脱衣所の床にこぼれおちた。

(あ。そういえばさっき、洗濯物を取り込むときに落ちたやつをポケットにねじ込んだっけ)

 忘れるところだった。かがんで手に取ろうとすると、それは何やら薄い布地で出来たごく小さなものだった。ハンカチか何かだろうと思って顔の前で広げる――

(ハンカチじゃない? なんだこの、三……角形……?)

 一瞬おいて正体に思い当たる。こりゃあ、ぱんつだ。デザインからすると明らかに、葉月の。
 
 その時だった。

 ――あ、シャンプー切れてんじゃない。

 がちゃ―― 

 脱衣所にドアノブの廻る音がこだまする。

「待……」

「お、お兄――!?」

 ボディソープの泡で要所を隠されてはいるが素っ裸の葉月。
 
 ズボンをおろし顔の前に妹のぱんつを広げた僕。

 最悪に最悪を掛け算すればイコール最悪∞のご対面。気まずい沈黙に凍りついた時間が悲鳴とともに動き出す。

「きゃあああああああお兄ちゃんのバカ変態エッチ最低人間ボケナスマントラッシュごみくずー!!」

「ちっ違いやそのおまこれはさっき洗濯物あああああ!」

 タコ踊りめいて腕を振り回す葉月にたじたじとなったその瞬間。

 彼女の足元がボディソープでずる、と滑り、泡だらけの葉月が僕に向かって倒れ込んできた。
 

 
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