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第一章:カビた魔導書で足の踏み場もない家
斧か、それとも鋸か
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確かに奇妙だ。それに、母娘がここに隠れ住んだ事情や現在までの生活を考えるに、どうもこの森の所有権、利用権に関しては怪しげな感じがしてくる。
考えてみれば、これまでにこの辺を旅してきた間も、ベンウッドの森に関する依頼はほとんどなかった。
「たぶん、たぶんだけど……ここ、そういう森じゃないんじゃないかしら」
ではなんだというのか。
「ともあれ私としては、前向きに考えようと思う。あのクルミがお金になるって言われるとちょっとまだぴんと来ないけど、生活がましになるならぜひお願いしたいわね」
「よし、じゃあその方向で決まりだな。だが権利関係についてはもう少し調べてみないと」
「クロープだと少し距離があるし、そもそも利用権に関する記録がないのは当たり前かもしれん。ナリンとケントスでも調べてみるか」
なるほど、可能性がありそうだ。それなら、というわけで俺たちはまず荷馬車でナリンに向かうことになった。
ちょうど日用品の買い足しがあるというので、シルヴィアも馬車に同乗してついて来る。
「ああ、そうだ。ネビルさん、道具鍛冶を紹介してくれないかな。ノコギリとかノミとか、木こりや大工が使う道具を少し揃えたいんだ。今回に限らず先々も見込んで」
「え、まさかあんた、自分で施工する気か……? 本職を雇った方がいいと思うが」
「うん。それはそうなんだけど自分でやりたいんだよ。とりあえず、まずは特大の鋸がいる」
まあ、鍛冶屋なら心当たりがあるがな――ネビルは危ぶみながらもそう請け合ってくれた。
* * * * * * *
ナリンの街は、それ自体は小さな宿場町といった感じの成り立ちをしている。ただし、林業とも深いかかわりがある。
ここから少し北へ上がったところにはバウメルという村と、何代もにわたって植林を繰り返してきた広大な人工林があって、伐り出した材木はいかだに組んで、日々川伝いにクロープへ運びこまれる。
ナリンの宿場は、そうした仕事に従事する人々が出入りして、休日に娯楽にふけったり、嗜好品や必要品を補充したりする場所なのだ。
ネビルが懇意の道具鍛冶、ドワイト・コネリーの仕事場は、そんな街の郊外にあった。
「差し渡し一ロッドの木を伐るぅ? そりゃ、普通は斧だわな」
白髪を後頭部で束ねた分厚い体つきの壮年の男が、こちらをギロリとにらんでそう言った。迫力に気おされながらも、俺は自分の条件を果敢に押し立てる。
「斧じゃ拙いんです。どこにうろや割れがあるかわからないんで、できるだけ幹を削らずに伐りたい」
斧で木を伐る場合というのは、片側から斜めに、鉛筆をとがらせるように削り込んでいって、自重で折れるように持ち込む。
いきおい、太い木になればなるほど、利用できない木っ端として廃棄される部分が増えてしまうのだ。
「ふうん、そうすると鋸だなあ。だが、鋸で切り倒すのは難しいぞ? 挽いた部分の隙間は、上から木の重みがかかって、鋸を動かしにくくなるからな」
「その問題はたぶん解決できる。ゴーレムに保持させるから」
「なるほど……だが、一ロッドか――それを伐るための鋸は、全体の長さがその三倍は必要になるな」
ドワイトはネビルをにらみながら、ぐふぐふと笑い始めた。
「あんたが何でこいつをうちに連れてきたか、よく分かったよ。全く人の悪いオヤジだぜ……おい、ソウマとか言ったか。うちの倉庫にな、五年前にネビルから下取りした、製材用の大鋸がある。ネビルのやつは最初からそれを引っ張り出すつもりだったのさ。決め打ちってやつだよ」
「はあ」
「あー、ぶちまけやがったか、コイツめ。まあそういうことさ。小売り用に部材を切り出すのに、大鋸じゃ場所をとるんでな。踏み車を動力に使う丸鋸に切り替えたのさ……それもドワイトの作だ。その時下取りさせた大鋸が、多分まだここにあると思ったんだ」
「全く……バウメルの方でも丸鋸が普及して儲かったのはいいんだが、おかげで錆びかけた古い大鋸なんてもう誰も欲しがらん。倉庫の場所塞ぎだ」
「だろう? それをこいつが引き取るんだよ、だから格安にしてくれ」
うへえ、刃渡り十メートル級ののこぎりか――持ち運びの苦労と手間を考えるとゾッとしない話だが、今回ばかりは特殊なケース。
特殊な道具には採算度外視で金をかけるしかないのがこの世の道理だ。
「いやいや、あんたたちからはどうも、相当な儲け話の匂いがする。大金貨一枚は貰おうか。なに、すぐに用意できなければ手形でも構わん」
この国には二種類の金貨が流通している。一つはソレイユ金貨。親指の爪くらいの大きさの打刻された小さな貨幣で、銀の含有量が多い。流通価値はざっとディアス銀貨の三倍といったところ――約一万五千円くらいの感覚。
大金貨はグラン・ソレイユ、通称グランとだけ呼ばれるが重さにしてソレイユの十倍以上。貴重さもあいまって約20万円程度の価値になる。
さて困った。ちょっと俺が用意できる額ではない。ネビルの方に目配せを送ると、彼は得意そうにうなずいた。
(安心してくれ、立て替えとくよ)
そういわれては一も二もない。俺はその条件で手を打つことにした――
考えてみれば、これまでにこの辺を旅してきた間も、ベンウッドの森に関する依頼はほとんどなかった。
「たぶん、たぶんだけど……ここ、そういう森じゃないんじゃないかしら」
ではなんだというのか。
「ともあれ私としては、前向きに考えようと思う。あのクルミがお金になるって言われるとちょっとまだぴんと来ないけど、生活がましになるならぜひお願いしたいわね」
「よし、じゃあその方向で決まりだな。だが権利関係についてはもう少し調べてみないと」
「クロープだと少し距離があるし、そもそも利用権に関する記録がないのは当たり前かもしれん。ナリンとケントスでも調べてみるか」
なるほど、可能性がありそうだ。それなら、というわけで俺たちはまず荷馬車でナリンに向かうことになった。
ちょうど日用品の買い足しがあるというので、シルヴィアも馬車に同乗してついて来る。
「ああ、そうだ。ネビルさん、道具鍛冶を紹介してくれないかな。ノコギリとかノミとか、木こりや大工が使う道具を少し揃えたいんだ。今回に限らず先々も見込んで」
「え、まさかあんた、自分で施工する気か……? 本職を雇った方がいいと思うが」
「うん。それはそうなんだけど自分でやりたいんだよ。とりあえず、まずは特大の鋸がいる」
まあ、鍛冶屋なら心当たりがあるがな――ネビルは危ぶみながらもそう請け合ってくれた。
* * * * * * *
ナリンの街は、それ自体は小さな宿場町といった感じの成り立ちをしている。ただし、林業とも深いかかわりがある。
ここから少し北へ上がったところにはバウメルという村と、何代もにわたって植林を繰り返してきた広大な人工林があって、伐り出した材木はいかだに組んで、日々川伝いにクロープへ運びこまれる。
ナリンの宿場は、そうした仕事に従事する人々が出入りして、休日に娯楽にふけったり、嗜好品や必要品を補充したりする場所なのだ。
ネビルが懇意の道具鍛冶、ドワイト・コネリーの仕事場は、そんな街の郊外にあった。
「差し渡し一ロッドの木を伐るぅ? そりゃ、普通は斧だわな」
白髪を後頭部で束ねた分厚い体つきの壮年の男が、こちらをギロリとにらんでそう言った。迫力に気おされながらも、俺は自分の条件を果敢に押し立てる。
「斧じゃ拙いんです。どこにうろや割れがあるかわからないんで、できるだけ幹を削らずに伐りたい」
斧で木を伐る場合というのは、片側から斜めに、鉛筆をとがらせるように削り込んでいって、自重で折れるように持ち込む。
いきおい、太い木になればなるほど、利用できない木っ端として廃棄される部分が増えてしまうのだ。
「ふうん、そうすると鋸だなあ。だが、鋸で切り倒すのは難しいぞ? 挽いた部分の隙間は、上から木の重みがかかって、鋸を動かしにくくなるからな」
「その問題はたぶん解決できる。ゴーレムに保持させるから」
「なるほど……だが、一ロッドか――それを伐るための鋸は、全体の長さがその三倍は必要になるな」
ドワイトはネビルをにらみながら、ぐふぐふと笑い始めた。
「あんたが何でこいつをうちに連れてきたか、よく分かったよ。全く人の悪いオヤジだぜ……おい、ソウマとか言ったか。うちの倉庫にな、五年前にネビルから下取りした、製材用の大鋸がある。ネビルのやつは最初からそれを引っ張り出すつもりだったのさ。決め打ちってやつだよ」
「はあ」
「あー、ぶちまけやがったか、コイツめ。まあそういうことさ。小売り用に部材を切り出すのに、大鋸じゃ場所をとるんでな。踏み車を動力に使う丸鋸に切り替えたのさ……それもドワイトの作だ。その時下取りさせた大鋸が、多分まだここにあると思ったんだ」
「全く……バウメルの方でも丸鋸が普及して儲かったのはいいんだが、おかげで錆びかけた古い大鋸なんてもう誰も欲しがらん。倉庫の場所塞ぎだ」
「だろう? それをこいつが引き取るんだよ、だから格安にしてくれ」
うへえ、刃渡り十メートル級ののこぎりか――持ち運びの苦労と手間を考えるとゾッとしない話だが、今回ばかりは特殊なケース。
特殊な道具には採算度外視で金をかけるしかないのがこの世の道理だ。
「いやいや、あんたたちからはどうも、相当な儲け話の匂いがする。大金貨一枚は貰おうか。なに、すぐに用意できなければ手形でも構わん」
この国には二種類の金貨が流通している。一つはソレイユ金貨。親指の爪くらいの大きさの打刻された小さな貨幣で、銀の含有量が多い。流通価値はざっとディアス銀貨の三倍といったところ――約一万五千円くらいの感覚。
大金貨はグラン・ソレイユ、通称グランとだけ呼ばれるが重さにしてソレイユの十倍以上。貴重さもあいまって約20万円程度の価値になる。
さて困った。ちょっと俺が用意できる額ではない。ネビルの方に目配せを送ると、彼は得意そうにうなずいた。
(安心してくれ、立て替えとくよ)
そういわれては一も二もない。俺はその条件で手を打つことにした――
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