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第二章:地下に拷問部屋がある悪名高い古城

夕暮れに起きたいくつかの事柄

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 体の厚みが存在しない人間ならともかく――いやあり得ない。さらに悪いことに、数秒後その白い小さな人影は、唐突に壁の上から消え失せた。なまじ距離があるせいで、余計に訳が分からなくて不気味だ。

(くっそう、まだ日のあるうちから幽霊か? 幽霊なのか?)

 城の来歴を考えれば、何か出るのはむしろ自然だ。何と言ってもファンタジー的な異世界、死者と意思が疎通出来たり生前の思い遺しが解決できたりするのだから。
 それでも、なんか見ちゃったら膝が笑って歯がガチガチ鳴ってしまうのは仕方ない。
 真っ暗になる前に街中に戻ろうと、俺は足を速めた。

 
 
 もうすぐ街に入る、というところで、汚い話で恐縮だが急に尿意を催した。道路わきにはちょうど木立があって、俺はそこに身を隠すべく針路を微妙に変えた。
 用を足し終わり、引っ張り出していたものを服の中にしまい終ったその時だった。
 
 ぴし、と小枝を踏み折る音がした。路上の砂利を踏み崩す乾いた音も。枝は少し離れた木立の中、砂利は街に近い方の道の上で発したように思われる――何か危険が迫っているのかもしれない。全身が一瞬緊張し、俺はどうにかそれを抑えて力みを――抜くことができた。
 
 ありがたい。
 ヴェルベットに叩き込まれた訓練は、いまだに俺の心身を戦闘者としての最低ライン程度には保ってくれている。
 
 それぞれに続く物音は未だなかった。何者かわからないが少なくとも二人が、物音を立てたことを失敗として認識しつつ近くに潜んでいるということだ。
 
(何だってんだ……こんなところで、待ち伏せを?)

 刺客を送られるような心当たりはついぞない。といって、単純な物盗りと決めつけるには向こうの出方が慎重すぎる。
 こういう時は一発、あちらさんの意表をついて、動揺させた隙に突破するに限るが――その方法は、手の中にある。
 
 俺は駒状態のゴーレムを一個カバンから取り出し、先行入力でコマンドを与えた。
 
 ――サイズ最大で起動、木を一本引き抜いて、適当に振り回せ。
 
 駒を少し離れた地面に放り投げて叫ぶ。
 
「ゴーレム三号、起動せよアクティベート!」

 瞬時に立ち上がる全高五メートルの巨大な動く石像。そいつが手近な立ち木に手をかけ、一気に引き抜く!
 湿り気を帯びた土砂が飛び散り、その一部が俺の顔にもかかったが、不審者たちに対する効果はてきめんだった。
 
「う、うわあっ! ゴーレムだと?!」

 林の中から驚きの声が上がる。位置的には予想よりも近い! 俺は腰に下げた小剣の柄に手をかけ、低くほぼ水平に飛んで距離を詰めた。
 
「俺に何の用だっ!」

 ――ええい、くそ! 消えてもらうぞ!
 
 不審者がそう叫びながら短剣を抜いた。台詞との兼ね合いで考えるとこれは背後に何者かがいる、隠密性を帯びた連中だ。
 
(ローランドさんが言ってた、近隣の不仲な貴族の手の者かな? すると、エルマをさらったのも……?)

 小剣を抜いて、逆手に打ち込んできた敵の短剣を叩き落とす。
 
「ぎゃっ!」

 悲痛な悲鳴が上がった。薄暗くて細かいところまで見えないが、ひょっとすると指の一本くらい落としたのかもしれない。

 ――分が悪い、ここは退け!

 次第に光を失う夕空を背に、路上にいた方のもう一人が指示を飛ばした。土地勘があるのか、明かりもなしにためらいもなく林の中へ入っていく。身の安全を考えればこれはさすがに追えない。

 あとには刺突向きに作られた細い短剣ダガーが一本遺された。刃に触れないよう慎重に拾い上げ、適当なぼろ布と革のきれっぱしで包み、カバンに収めた。
 
 ゴーレムは念のため、町に着くまで後ろを歩かせた。
 戦闘には役に立たないが、あの程度のハッタリには十分使えるのだ。
 

         * * * * * * * 

         
 街に着くと、俺はその足で衛兵詰め所へ向かった。シルヴィアはたぶん、この二日ほど使っている酒場で一人で食事をしているだろう。
 こっちも腹が減ったしなんとなく彼女の顔が見たくなったが、いまは仕方がない。後回しだ。
 
「すみません、ローランドさんいますか。城との間にある小道で、どうも怪しげな連中に襲われまして」

 戸口からのぞき込んで声をかけたが、あいにくとローランドの姿は見当たらなかった。代わりに、赤みがかった金髪を左右の耳の後ろでおさげに編んだ、地味な感じの娘が衛兵の甲冑をつけてベンチにもたれかかっていた。

 案内を求める俺に気づいて、彼女は弾かれたように立ち上がった。
 
「襲われた!? す、すみません、隊長は今、別件で出払ってまして……お怪我はないですか?」

「ああ、特に負傷はしてません。その、遺留品で賊が使った短剣がありますので預かってもらえれば……」

「それは良かったです、そこに座ってください、私が調書を取りますから」

 インク壺とペンと紙を抱えて、彼女はそばの机に席を移動した。数秒こちらを見つめた後、慌てたように腰を浮かせて会釈をすると、対面の椅子を指さした。
 
「そ、そちらの椅子にどうぞ。申し遅れました、私は衛兵隊伍長、ジュリア・ガストロと申します。伍長といっても要するに一番下っ端ですけどね」

「あ、どうもご丁寧に……」

 そこで気づいた。衛兵隊にいる女性隊員のことはローランドからすでに聞いていたが、昨日空き地を捜索した際にはそれらしい女性はいなかった筈だ――
 
「もしかして、あなたがあの、エルマの似顔絵を?」

「あ、そうなんですよ」

「木版画にした方しか見てないですが、素晴らしい腕前でしたねえ。肖像画の方も見たいもんだ」

「あは、恐れ入ります。いやー、実はローリングさんの食堂にツケがたまっちゃって、それを帳消しにする代わりにですね……お恥ずかしいです」

 ……なるほど、そういう事情だったのか。
 
 調書を取られながらも話が弾み、こっちも何となくジュリアの情報を収集する感じになった。
 ローリング氏の食堂はこの町ではちょっと知られた名店で、貴族の宴会で出るような高級料理を安い材料で程よくアレンジしたものを出してくれるのだという。
 
「なるほど、それでつい通いつめちゃったんですね。わかるなあ、その感じ」

「でしょー」

 妙に和やかな雰囲気の中、ものの三十分ほどで聴取を終える。解放された後ではたと思いついた。
 
 城の地下室に施す漆喰レリーフ、彼女に図案を描いてもらうといいのでは――
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