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テオドール迷宮へ行く
鉄箱の坂道
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僕はそのあと探索者としての登録を済ませた。と言っても名前と探索者としての『職業』を記録してもらうだけのこと。僕の職業はジェイコブと同じく、戦士だ。
ニーナはすでに登録済みだった。ジェイコブに同行したという三人の名前を書き留めていたが、彼らには特に際立った風聞はないという。
「すぐに向かった方がよさそうだけど……あなた、防具はもう少しそろえなくても大丈夫?」
僕は改めて自分のいでたちを見回した。厚手の革靴とコーデュロイの胴着、確かにお世辞にも重装備とは言えないが。
「学院では鎧をつけての訓練もやったけど、あまり動きが妨げられない方がいいな……」
実地の経験はないが、迷宮については一通りのことはすでに知っている。『梯子』は実のところそれほど直接的な敵意に満ちた場所ではない。
探索者の前途を阻み命を奪うのは、敵対的な動物や凶暴な魔物というよりも、主にその人知の理解を阻む構造と、位置を見失わせる性質の悪い罠だ。
注意深く立ち回れば、戦闘のほとんどは避けられる。ジェイコブの手紙にはそうあった。
「軽めの盾と、視界を妨げない程度の兜があれば十分だと思うんだけど」
「ああ、それでよろしければ、教団のものをお貸ししましょう」
神官が思いがけない提案をしてきた。
「願ってもないですが、なんでまたそこまで?」
「ハリントン様は最近、未発見の階層への入り口を見つけられましてね……継続的に情報の提供をお願いしていたのです。我々を含め、探索者は基本的に相互に助け合うのが建前なのでね。そういうわけで、あなた方にはぜひ捜索に成功していただきたい」
神官は左手にはめた地味な指輪に触れると、どこかへ連絡を送りはじめた。
(伝心の指輪か……)
今でも軍隊でごくまれに使われる、魔法の品だ。数個セットで作られることが多く、一日に二回まで三分間の間、どれだけ離れた場所とでも会話を交わすことができる。
ともあれ神官の言葉は、僕たちにある種の確信をもたらした。ジェイコブの最近の活動はこの聖堂できちんと共有されているのだ。
――ええ、そうです。お一人は熟練者ですから、あなただけで大丈夫でしょう。では、頼みましたよ――
通話を終えると、神官はこちらに向き直って微笑んだ。
「下に着いたら、下級神官のエリンハイドにお声をおかけください。あなた方に同行するよう、伝えておきましたから」
何から何まで世話になる形だ。僕たちは盾と兜を受け取って神官に礼を言うと、その足で聖堂の裏手へ向かった。
そこには帆船の甲板に据えられる巻き揚げ機に似た大掛かりな装置が据え付けられ、そこから太いロープが伸びていた。
ロープの先には馬車のキャビンに似た鉄製の箱があって、どうやらそれが、目の前の床に口を開けた巨大な斜坑の中へ出入りするようになっているらしい。
「なんだ、これ……」
手紙には、こんなことは書かれていなかった。多分紙数の都合だろうけれども。
「ああ。知らなかったのね。地上から『梯子』の一層目までは、ざっと1リー(※)。この索道で三十分かかるのよ」
「そんなに深く降りるのか……もしこの装置が壊れたら大変なことになるんじゃ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。探索が始まったころは、階段しかなかったらしいから」
垂直に降りるわけではないが、それでも相当な深さだ。まだ母上が存命のころ、物見遊山でロッツェルの灯台地下に降りたことがある。あの時は地上との行き来に徒歩でせいぜい五分くらいだった。だがあそこだって相当大きな遺跡なのだ。
案内係の下級神官に見送られてその鉄の箱に乗り込む。座席だけでも十人以上座れる長さがある大きなものだが、乗客は僕たち二人だけだった。メリメリ、ゴトゴトと気色の悪い軋み音を立てて乗り物が動き出し、しばらくすると窓の外は暗闇と時々視界を横切るランプの明かりだけになった。
僕とニーナはそれぞれ真向いの座席に座って顔を向き合わせていたが、不意に彼女が席を立ち、僕の横にきてそのまま腰を下ろした。
古びたクッションが沈み込んで、互いに寄りかかるような姿勢になりかける。僕は背筋と脇腹に力を込め、何とか重力に抗して彼女との距離を確保した。
「ところでね」
「うん?」
「あなたがここに来る前の、婚約だか婚約破棄だかの事情、もう少し聞かせてもらっていいかしら?」
「……詳しく聞いたって面白い話とは思えないんだけど」
「そりゃあなたにとってはそうでしょうね。でも、どうも気になるのよ」
そっと横目でニーナの顔をうかがう。瞳に宿る好奇心の輝きは傍目にも明らかだが、唇がきつく結ばれその片端をぐっと引きゆがめた表情が独特だ。どうも、単に下世話な興味だけではないらしい。
僕はため息をついた。一件のいきさつには、僕としてもどうも腑に落ちない部分がある。というか、まったくもって納得できていない。
だが、もしかしたら――
この美しく聡明で洞察力にあふれる自称『高級娼婦』――魔法の心得まである彼女なら、僕の身に起こったことの本当の意味を、解き明かしてくれるのではないだろうか?
(※)リー:この世界の長さの単位。地球におけるおよそ5キロメートル弱ほどに相当する。いわゆる『身体尺』に類するもので、その基準は「人間が一時間に歩けるおおよその距離」である。
ニーナはすでに登録済みだった。ジェイコブに同行したという三人の名前を書き留めていたが、彼らには特に際立った風聞はないという。
「すぐに向かった方がよさそうだけど……あなた、防具はもう少しそろえなくても大丈夫?」
僕は改めて自分のいでたちを見回した。厚手の革靴とコーデュロイの胴着、確かにお世辞にも重装備とは言えないが。
「学院では鎧をつけての訓練もやったけど、あまり動きが妨げられない方がいいな……」
実地の経験はないが、迷宮については一通りのことはすでに知っている。『梯子』は実のところそれほど直接的な敵意に満ちた場所ではない。
探索者の前途を阻み命を奪うのは、敵対的な動物や凶暴な魔物というよりも、主にその人知の理解を阻む構造と、位置を見失わせる性質の悪い罠だ。
注意深く立ち回れば、戦闘のほとんどは避けられる。ジェイコブの手紙にはそうあった。
「軽めの盾と、視界を妨げない程度の兜があれば十分だと思うんだけど」
「ああ、それでよろしければ、教団のものをお貸ししましょう」
神官が思いがけない提案をしてきた。
「願ってもないですが、なんでまたそこまで?」
「ハリントン様は最近、未発見の階層への入り口を見つけられましてね……継続的に情報の提供をお願いしていたのです。我々を含め、探索者は基本的に相互に助け合うのが建前なのでね。そういうわけで、あなた方にはぜひ捜索に成功していただきたい」
神官は左手にはめた地味な指輪に触れると、どこかへ連絡を送りはじめた。
(伝心の指輪か……)
今でも軍隊でごくまれに使われる、魔法の品だ。数個セットで作られることが多く、一日に二回まで三分間の間、どれだけ離れた場所とでも会話を交わすことができる。
ともあれ神官の言葉は、僕たちにある種の確信をもたらした。ジェイコブの最近の活動はこの聖堂できちんと共有されているのだ。
――ええ、そうです。お一人は熟練者ですから、あなただけで大丈夫でしょう。では、頼みましたよ――
通話を終えると、神官はこちらに向き直って微笑んだ。
「下に着いたら、下級神官のエリンハイドにお声をおかけください。あなた方に同行するよう、伝えておきましたから」
何から何まで世話になる形だ。僕たちは盾と兜を受け取って神官に礼を言うと、その足で聖堂の裏手へ向かった。
そこには帆船の甲板に据えられる巻き揚げ機に似た大掛かりな装置が据え付けられ、そこから太いロープが伸びていた。
ロープの先には馬車のキャビンに似た鉄製の箱があって、どうやらそれが、目の前の床に口を開けた巨大な斜坑の中へ出入りするようになっているらしい。
「なんだ、これ……」
手紙には、こんなことは書かれていなかった。多分紙数の都合だろうけれども。
「ああ。知らなかったのね。地上から『梯子』の一層目までは、ざっと1リー(※)。この索道で三十分かかるのよ」
「そんなに深く降りるのか……もしこの装置が壊れたら大変なことになるんじゃ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。探索が始まったころは、階段しかなかったらしいから」
垂直に降りるわけではないが、それでも相当な深さだ。まだ母上が存命のころ、物見遊山でロッツェルの灯台地下に降りたことがある。あの時は地上との行き来に徒歩でせいぜい五分くらいだった。だがあそこだって相当大きな遺跡なのだ。
案内係の下級神官に見送られてその鉄の箱に乗り込む。座席だけでも十人以上座れる長さがある大きなものだが、乗客は僕たち二人だけだった。メリメリ、ゴトゴトと気色の悪い軋み音を立てて乗り物が動き出し、しばらくすると窓の外は暗闇と時々視界を横切るランプの明かりだけになった。
僕とニーナはそれぞれ真向いの座席に座って顔を向き合わせていたが、不意に彼女が席を立ち、僕の横にきてそのまま腰を下ろした。
古びたクッションが沈み込んで、互いに寄りかかるような姿勢になりかける。僕は背筋と脇腹に力を込め、何とか重力に抗して彼女との距離を確保した。
「ところでね」
「うん?」
「あなたがここに来る前の、婚約だか婚約破棄だかの事情、もう少し聞かせてもらっていいかしら?」
「……詳しく聞いたって面白い話とは思えないんだけど」
「そりゃあなたにとってはそうでしょうね。でも、どうも気になるのよ」
そっと横目でニーナの顔をうかがう。瞳に宿る好奇心の輝きは傍目にも明らかだが、唇がきつく結ばれその片端をぐっと引きゆがめた表情が独特だ。どうも、単に下世話な興味だけではないらしい。
僕はため息をついた。一件のいきさつには、僕としてもどうも腑に落ちない部分がある。というか、まったくもって納得できていない。
だが、もしかしたら――
この美しく聡明で洞察力にあふれる自称『高級娼婦』――魔法の心得まである彼女なら、僕の身に起こったことの本当の意味を、解き明かしてくれるのではないだろうか?
(※)リー:この世界の長さの単位。地球におけるおよそ5キロメートル弱ほどに相当する。いわゆる『身体尺』に類するもので、その基準は「人間が一時間に歩けるおおよその距離」である。
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