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【第二十九話】運良く誰かが
しおりを挟む「そんなに理人と二人きりにさせたくないなら、僕を始末すればいい。君が強く願えば、運良く誰かが僕のことを消してくれるかもしれないよ」
白い湯気の立ち上げるマグカップに口を付け、一色は珈琲を嚥下する。天使のように微笑みに交えて吐かれた非道な台詞。金持ちなりの戯言なのかもしれないが、酒も入らないうちでは愛想笑いすら返せない。
言葉を返せずにいる樹を見下ろすと、一色は背を屈め、秘め事囁くように手を口元に当てる。
「別にわざわざ自分でしなくても、代わりに手を汚してくれる人なんてたくさんいるんだから」
「冗談はやめてください」
「あはっ、営業職なのにヌルいなあ。正攻法で欲しいものが手に入る世の中じゃないってことは、君もよく知ってるだろ? ああ、それとも自信がないのかな。僕が消えたとして、理人が君を選ぶとは限らないからね」
揶揄い混じりの発言はどこまでが本気なのだろう。人の不幸を嘲笑い、恣意的な考えを口にする。もちろん相手を選んでの所動なのだろうが、ここまで雑な扱いを受けたことがなく、樹は強い不快感を示した。
「……俺はあんたみたいに、なにもかも与えられて生きてきた人間じゃないんです。明日食べるもののために働いて、必死に生きてるんですよ。それは理人も同じです」
まだ世の中の仕組みを理解していなかった子供のころとは違う。大人になれば、社会からはみ出さないように上手く立ち回り、忙しない毎日の中で細やかな幸福を見つけなければならない。目障りな者がいようと、困難が立ちはだかろうと、それが人生だ。
逆に、ただ願うだけで邪魔者を排除できるような強運を持つ人物がいたとして、その人生は幸せなものであるのだろうか。困苦を味わうことなく、欲しいものはなんでも手に入れることができる。そんな甘やかされた生活は刺激がなく、きっと味気ない。
「苦労を知らないあんたに、俺たちの気持ちはわからない」
「ぷっ、あははっ! そうだね……ふふっ、その通りだと思う。他人の努力や苦労なんて知らなかったし興味もなかったよ、理人に会うまでは」
盛大に吹き出した一色は腹を抱え、目尻に涙を浮かべては肩を揺らす。
「言いたいことはそれだけかな、臨時の営業担当さん?」
「元宮です」
「名乗らなくていいよ、どうせ覚えないから」
ぐいっと目元を手で拭い、視線は冷えた温度で窓の向こうへと投げられた。変わり映えしない毎日。それも、たった一人の存在があるだけで大きく変化する。
今日はまだ三週目のため、白い部屋の日まであと一週間も待たなくてはならない。逸る気持ちに追い立てられるように沈み込む夕日を見つめ、一色は緩やかに目を細めた。
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