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新しい風
ルチアの周囲には、これまで彼女が歩んできたどの人生にも存在しなかった、新しく力強い「風」が吹き始めていた。
かつて彼女が自室の片隅で、誰に認められることもなく、アルベルトへの恋心を紛らわせるために弄んでいた魔導の断片。
それが四度の死と再生を経て、今や国家の至宝とも呼ぶべき高度な術式へと昇華されていた。
彼女が「新型魔導ランプ」の特許を公開したのを皮切りに、ラザフォード公爵邸の門を叩く来客の顔ぶれは一変する。
かつてはアルベルトの政敵や社交界の権力者ばかりが訪れていたその場所に、今や王立魔導学院の若き俊才たちが、純粋な敬意と知的好奇心を携えて列をなしていたのだ。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ午後、公爵邸の中庭にある白亜の東屋。
そこはかつて、ルチアがアルベルトの帰りを何時間も待ち、冷え切った紅茶と共に孤独を噛み締めていた場所だった。
しかし現在の東屋は、熱気あふれる「研究室」へと変貌を遂げている。
大理石のテーブルの上には、優雅な茶器の代わりに、複雑な術式が書き込まれた羊皮紙や、青白く明滅する魔石の試作品が散乱していた。
「……信じられない。この第三並列回路の処理速度、既存の術式の三倍は出ていますよ。ルチア様、この干渉波をどうやって抑え込んだのですか?」
身を乗り出して問いかけたのは、王立魔導学院でも十年に一人の逸材と謳われるエリオット・アービングだった。
彼は伯爵家の嫡男でありながら、その端正な容姿に無頓着なほど魔導に傾倒している青年だ。
ルチアは、かつてアルベルトが「女の浅知恵」と切り捨てた知識を、一切の惜しみなく彼らに披露していた。
「簡単なことですわ、エリオット様。魔力を『流す』のではなく、『共鳴』させるのです。この術式を少し書き換えれば、負荷は分散されます。見ていてください」
ルチアが細い指先で空中にルーンを描くと、魔石が柔らかな光を放ち、安定した出力を維持し始めた。
その光は、彼女の自信に満ちた瞳を美しく彩る。
「素晴らしい……! ルチア様、これは革命的です。ぜひ、我が研究室の特別顧問としてお越しいただけませんか? 詳細を詰めたい項目が山ほどあるのです」
「光栄ですわ。でも、今は目の前のこの試作品を完成させるのが先決ですの。エリオット様もお手伝いいただけます?」
ルチアが鈴を転がすような声で笑う。
その笑顔には、かつてアルベルトの背中を追っていた時の悲壮感など微塵もない。
彼女は今、自分の足で立ち、自分の言葉で世界を動かしている。
その輝きは、アルベルトの記憶にある「慎ましく、影のように薄い婚約者」とは比較にならないほど、眩しく、強烈だった。
一方、執務室の窓辺には、その光景を苦々しく見下ろす一人の男がいた。
アルベルト・ド・ラザフォード公爵。
彼は手に持っていた羽ペンが折れんばかりの力で握られていることに、自分でも気づいていない。
階下から聞こえてくる、若い男たちの快活な笑い声。
そして、それに呼応するルチアの軽やかな声。
そのどれもが、彼の知らない彼女の側面を曝け出していた。
(あんな顔で笑う女だったのか。……私には一度も見せたことのない顔だ)
かつてのルチアは、彼の前では常に緊張し、嫌われないようにと言葉を選び、怯えたように微笑むだけだった。
彼はそれを「退屈な女だ」と断じ、愛することはないと告げた。
しかし、今、視界の先で他人の男たちと知的な対話を楽しみ、生き生きと瞳を輝かせている彼女は、どうしようもなく「魅力的」に見えた。
それが、彼を苛立たせた。
「……執務の邪魔だ。なぜあんな品のない男たちを、断りもなく邸内に上げる」
彼は自分自身に、そう言い訳をした。
彼女への関心ではない。
あくまで、公爵邸の規律と、自分自身の仕事の効率を守るための抗議だ。
そう自分に言い聞かせながらも、心臓の鼓動は奇妙に速まり、胸の奥で正体不明の焦燥感が渦巻いている。
ルチアが自分を愛するのを辞めてから、この屋敷の空気は変わった。
彼女が自分を見なくなったことで、アルベルトは初めて「見られていたこと」の全能感に気づかされたのだ。
自分を全肯定し、無償の愛を捧げていた存在が、突如として別のベクトルへエネルギーを注ぎ始めたことへの、耐え難い喪失感。
「おい、ルチア!」
彼は手に持っていたペンを机に叩きつけると、椅子を乱暴に引いて立ち上がった。
書類を整理する気にもなれず、彼は大股で、そしてどこか急ぐようにして、中庭の東屋へと向かった。
彼の背中を追いかけていたはずのルチア。
今度は彼が、彼女の背中を追う番が来たことなど、傲慢な公爵はまだ認めようとしていなかった。
だが、その足取りは確実に、彼女という未知の熱源へと引き寄せられていた。
かつて彼女が自室の片隅で、誰に認められることもなく、アルベルトへの恋心を紛らわせるために弄んでいた魔導の断片。
それが四度の死と再生を経て、今や国家の至宝とも呼ぶべき高度な術式へと昇華されていた。
彼女が「新型魔導ランプ」の特許を公開したのを皮切りに、ラザフォード公爵邸の門を叩く来客の顔ぶれは一変する。
かつてはアルベルトの政敵や社交界の権力者ばかりが訪れていたその場所に、今や王立魔導学院の若き俊才たちが、純粋な敬意と知的好奇心を携えて列をなしていたのだ。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ午後、公爵邸の中庭にある白亜の東屋。
そこはかつて、ルチアがアルベルトの帰りを何時間も待ち、冷え切った紅茶と共に孤独を噛み締めていた場所だった。
しかし現在の東屋は、熱気あふれる「研究室」へと変貌を遂げている。
大理石のテーブルの上には、優雅な茶器の代わりに、複雑な術式が書き込まれた羊皮紙や、青白く明滅する魔石の試作品が散乱していた。
「……信じられない。この第三並列回路の処理速度、既存の術式の三倍は出ていますよ。ルチア様、この干渉波をどうやって抑え込んだのですか?」
身を乗り出して問いかけたのは、王立魔導学院でも十年に一人の逸材と謳われるエリオット・アービングだった。
彼は伯爵家の嫡男でありながら、その端正な容姿に無頓着なほど魔導に傾倒している青年だ。
ルチアは、かつてアルベルトが「女の浅知恵」と切り捨てた知識を、一切の惜しみなく彼らに披露していた。
「簡単なことですわ、エリオット様。魔力を『流す』のではなく、『共鳴』させるのです。この術式を少し書き換えれば、負荷は分散されます。見ていてください」
ルチアが細い指先で空中にルーンを描くと、魔石が柔らかな光を放ち、安定した出力を維持し始めた。
その光は、彼女の自信に満ちた瞳を美しく彩る。
「素晴らしい……! ルチア様、これは革命的です。ぜひ、我が研究室の特別顧問としてお越しいただけませんか? 詳細を詰めたい項目が山ほどあるのです」
「光栄ですわ。でも、今は目の前のこの試作品を完成させるのが先決ですの。エリオット様もお手伝いいただけます?」
ルチアが鈴を転がすような声で笑う。
その笑顔には、かつてアルベルトの背中を追っていた時の悲壮感など微塵もない。
彼女は今、自分の足で立ち、自分の言葉で世界を動かしている。
その輝きは、アルベルトの記憶にある「慎ましく、影のように薄い婚約者」とは比較にならないほど、眩しく、強烈だった。
一方、執務室の窓辺には、その光景を苦々しく見下ろす一人の男がいた。
アルベルト・ド・ラザフォード公爵。
彼は手に持っていた羽ペンが折れんばかりの力で握られていることに、自分でも気づいていない。
階下から聞こえてくる、若い男たちの快活な笑い声。
そして、それに呼応するルチアの軽やかな声。
そのどれもが、彼の知らない彼女の側面を曝け出していた。
(あんな顔で笑う女だったのか。……私には一度も見せたことのない顔だ)
かつてのルチアは、彼の前では常に緊張し、嫌われないようにと言葉を選び、怯えたように微笑むだけだった。
彼はそれを「退屈な女だ」と断じ、愛することはないと告げた。
しかし、今、視界の先で他人の男たちと知的な対話を楽しみ、生き生きと瞳を輝かせている彼女は、どうしようもなく「魅力的」に見えた。
それが、彼を苛立たせた。
「……執務の邪魔だ。なぜあんな品のない男たちを、断りもなく邸内に上げる」
彼は自分自身に、そう言い訳をした。
彼女への関心ではない。
あくまで、公爵邸の規律と、自分自身の仕事の効率を守るための抗議だ。
そう自分に言い聞かせながらも、心臓の鼓動は奇妙に速まり、胸の奥で正体不明の焦燥感が渦巻いている。
ルチアが自分を愛するのを辞めてから、この屋敷の空気は変わった。
彼女が自分を見なくなったことで、アルベルトは初めて「見られていたこと」の全能感に気づかされたのだ。
自分を全肯定し、無償の愛を捧げていた存在が、突如として別のベクトルへエネルギーを注ぎ始めたことへの、耐え難い喪失感。
「おい、ルチア!」
彼は手に持っていたペンを机に叩きつけると、椅子を乱暴に引いて立ち上がった。
書類を整理する気にもなれず、彼は大股で、そしてどこか急ぐようにして、中庭の東屋へと向かった。
彼の背中を追いかけていたはずのルチア。
今度は彼が、彼女の背中を追う番が来たことなど、傲慢な公爵はまだ認めようとしていなかった。
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