9 / 15
冷ややかなナイフ
数日後、静寂を美徳としていたはずの公爵邸の玄関前が、かつてない喧騒に包まれた。
重厚な紋章が刻まれた大型の馬車が数台、中庭に横付けされている。
屈強な家臣たちが、一つ一つ慎重に、しかし手際よく巨大な木箱を運び出していく。
運び込まれる荷物の隙間からは、微かに魔力の残滓が揺らめき、邸内の空気をピリつかせていた。
それは、世界各地のオークションや秘密の蒐集家から、力と金に物を言わせて取り寄せられた、稀少な魔導書や見たこともない最高級の魔石の数々だった。
「ルチア、これを受け取れ。君の研究に役立つはずだ」
運び込まれた荷物の山を背に、アルベルトはルチアの前に立った。
その表情は、あたかも戦地から輝かしい戦利品を持ち帰った英雄のようだった。
わずかに顎を引き、自信に満ちた瞳で彼女を見下ろす。
彼にとって、これは単なる贈り物ではなかった。
失われつつある彼女の関心を引き戻し、再び自分という「絶対者」の傘下に彼女を繋ぎ止めるための、最高の手札であるはずだった。
ルチアは、かつてこの光景を夢見ていた。
四度目の人生、彼女は魔導の研究に行き詰まり、藁にも縋る思いで彼に請い願ったことがある。
『閣下、どうか……この禁書目録にある一冊だけで構いません。私の研究を完成させるために、公爵家の力をお貸しいただけないでしょうか』
あの時、私は膝をつき、涙を流して彼に縋った。
だが、その時のアルベルトは、手元の書類から視線すら上げず、鼻で笑ってこう言い放ったのだ。
『贅沢を言うな。女の遊びに投じる金も時間も、この家にはない。身の程をわきまえろ』
その言葉が、当時の私の心をどれほど深く切り裂いたか。
今のアルベルトは、そんな過去のことなど微塵も覚えていないのだろう。
彼は今、自分が寛大な婚約者であると確信している。
ルチアは、届けられた品々を一瞥した。
そこには、かつて喉から手が出るほど欲しかった『エリュシオンの失われた数式』の原典があり、伝説の火竜の心臓から抽出されたという真紅の魔石が転がっていた。
それらを確認した彼女は、ふっと短く、乾いた笑い声を漏らした。
「閣下、わざわざお心遣いをいただき、痛み入ります。……ですが、これらはもう、間に合っておりますの」
「……間に合っている? なぜだ」
アルベルトの顔から、自信の陰が差し始める。
彼は戸惑ったように、誇らしげに提示したはずの荷物の山を見やった。
「ルチア、冗談はやめろ。これらは市場には決して出回らない逸品ばかりだ。大陸を跨いで手配させたのだぞ。君のちっぽけな資産で手に入るようなものではないはずだ」
「ええ、その通りですわ。私一人の力では、これらを揃えるのは難しかったでしょう。……ですから、エリオット様にお願いしたのです」
「……何だと?」
「エリオット・アービング様が、彼の家系に代々伝わる私蔵ライブラリを、私のために解放してくださいました。原典はすでにすべて読了し、写本も作成済みです。魔石についても、王立学院の予算で最高品質のものが私の研究室に配備されていますわ。これ以上、私的なコレクションを増やす必要はございませんの」
「……!!」
アルベルトの顔が、屈辱と驚愕で歪んだ。
彼が全力を挙げて用意した「関心を引くためのカード」は、彼が「小僧」と侮蔑していた別の男の手によって、すでに無価値なガラクタへと変えられていたのだ。
「君は……あんな小僧の施しを受けるというのか。公爵家の婚約者が、他家の男に頭を下げてまで……!」
「『施し』ではありませんわ、閣下」
ルチアは、一歩も退かずに彼を見返した。
「これは『投資』です。アービング伯爵も、学院の理事たちも、私の才能を信じ、未来の利益のためにリソースを提供してくださっているのです。……彼らは、閣下のように私の研究を『女の遊び』と笑ったり、私の時間を『無駄』と断じて切り捨てたりする方々とは違うのです」
「っ……!」
ルチアは、かつて彼に言われた残酷な言葉を、一言一句違わずに、冷ややかなナイフにして彼の胸に突き立てた。
アルベルトは絶句した。
自分がかつて彼女に投げつけた言葉が、これほどまでに鋭利で、これほどまでに彼女の心を凍らせていたのか。
その自覚が、今さらになって彼を打ちのめす。
「もう結構ですわ。その荷物は、どうぞ適切な場所へお戻しください。……あ、もしよろしければ、それを必要としている他の研究者に寄付されてはいかがかしら? 閣下が仰る通り、これらは素晴らしい品々ですもの。無駄にするのは、それこそ『非効率』ですわ」
ルチアは完璧な礼を見せると、一度も振り返ることなく屋敷の中へと消えていった。
重厚な紋章が刻まれた大型の馬車が数台、中庭に横付けされている。
屈強な家臣たちが、一つ一つ慎重に、しかし手際よく巨大な木箱を運び出していく。
運び込まれる荷物の隙間からは、微かに魔力の残滓が揺らめき、邸内の空気をピリつかせていた。
それは、世界各地のオークションや秘密の蒐集家から、力と金に物を言わせて取り寄せられた、稀少な魔導書や見たこともない最高級の魔石の数々だった。
「ルチア、これを受け取れ。君の研究に役立つはずだ」
運び込まれた荷物の山を背に、アルベルトはルチアの前に立った。
その表情は、あたかも戦地から輝かしい戦利品を持ち帰った英雄のようだった。
わずかに顎を引き、自信に満ちた瞳で彼女を見下ろす。
彼にとって、これは単なる贈り物ではなかった。
失われつつある彼女の関心を引き戻し、再び自分という「絶対者」の傘下に彼女を繋ぎ止めるための、最高の手札であるはずだった。
ルチアは、かつてこの光景を夢見ていた。
四度目の人生、彼女は魔導の研究に行き詰まり、藁にも縋る思いで彼に請い願ったことがある。
『閣下、どうか……この禁書目録にある一冊だけで構いません。私の研究を完成させるために、公爵家の力をお貸しいただけないでしょうか』
あの時、私は膝をつき、涙を流して彼に縋った。
だが、その時のアルベルトは、手元の書類から視線すら上げず、鼻で笑ってこう言い放ったのだ。
『贅沢を言うな。女の遊びに投じる金も時間も、この家にはない。身の程をわきまえろ』
その言葉が、当時の私の心をどれほど深く切り裂いたか。
今のアルベルトは、そんな過去のことなど微塵も覚えていないのだろう。
彼は今、自分が寛大な婚約者であると確信している。
ルチアは、届けられた品々を一瞥した。
そこには、かつて喉から手が出るほど欲しかった『エリュシオンの失われた数式』の原典があり、伝説の火竜の心臓から抽出されたという真紅の魔石が転がっていた。
それらを確認した彼女は、ふっと短く、乾いた笑い声を漏らした。
「閣下、わざわざお心遣いをいただき、痛み入ります。……ですが、これらはもう、間に合っておりますの」
「……間に合っている? なぜだ」
アルベルトの顔から、自信の陰が差し始める。
彼は戸惑ったように、誇らしげに提示したはずの荷物の山を見やった。
「ルチア、冗談はやめろ。これらは市場には決して出回らない逸品ばかりだ。大陸を跨いで手配させたのだぞ。君のちっぽけな資産で手に入るようなものではないはずだ」
「ええ、その通りですわ。私一人の力では、これらを揃えるのは難しかったでしょう。……ですから、エリオット様にお願いしたのです」
「……何だと?」
「エリオット・アービング様が、彼の家系に代々伝わる私蔵ライブラリを、私のために解放してくださいました。原典はすでにすべて読了し、写本も作成済みです。魔石についても、王立学院の予算で最高品質のものが私の研究室に配備されていますわ。これ以上、私的なコレクションを増やす必要はございませんの」
「……!!」
アルベルトの顔が、屈辱と驚愕で歪んだ。
彼が全力を挙げて用意した「関心を引くためのカード」は、彼が「小僧」と侮蔑していた別の男の手によって、すでに無価値なガラクタへと変えられていたのだ。
「君は……あんな小僧の施しを受けるというのか。公爵家の婚約者が、他家の男に頭を下げてまで……!」
「『施し』ではありませんわ、閣下」
ルチアは、一歩も退かずに彼を見返した。
「これは『投資』です。アービング伯爵も、学院の理事たちも、私の才能を信じ、未来の利益のためにリソースを提供してくださっているのです。……彼らは、閣下のように私の研究を『女の遊び』と笑ったり、私の時間を『無駄』と断じて切り捨てたりする方々とは違うのです」
「っ……!」
ルチアは、かつて彼に言われた残酷な言葉を、一言一句違わずに、冷ややかなナイフにして彼の胸に突き立てた。
アルベルトは絶句した。
自分がかつて彼女に投げつけた言葉が、これほどまでに鋭利で、これほどまでに彼女の心を凍らせていたのか。
その自覚が、今さらになって彼を打ちのめす。
「もう結構ですわ。その荷物は、どうぞ適切な場所へお戻しください。……あ、もしよろしければ、それを必要としている他の研究者に寄付されてはいかがかしら? 閣下が仰る通り、これらは素晴らしい品々ですもの。無駄にするのは、それこそ『非効率』ですわ」
ルチアは完璧な礼を見せると、一度も振り返ることなく屋敷の中へと消えていった。
あなたにおすすめの小説
「お前との契約結婚は今日で終わりだ」と言った公爵が、離婚届の裏面を読んでいなかった件
歩人
ファンタジー
「この契約結婚は終わりだ。愛人を正妻にする」——フェリクス公爵は離婚届を叩きつけた。
契約結婚の書面を起草したのはクラーラだ。三年前、持参金の代わりに「事業の全権」を譲渡する条項を第十七条に入れた。フェリクスは最後まで読まなかった。
「ご署名ありがとうございます。では第十七条に基づき、公爵領の鉱山経営権、港湾管理権、穀物取引権は本日をもって私に移転いたします」
前世で企業法務を十二年やった女が、異世界の貴族に「契約書は最後まで読め」を教える。
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
白い結婚十年目、ようやく離縁できると思ったのに 〜冷酷公爵は今さら私を手放さない〜
なつめ
恋愛
十年前、家のために嫁いだ公爵家で、イゼルディナは結婚初夜に告げられた。
「この結婚は白い結婚だ。十年後、お前を離縁する」
愛されない妻として、公爵家のためだけに尽くした十年。
社交、屋敷、領地経営、赤字整理、人脈づくり。夫の隣には立てなくても、公爵家を支えたのは間違いなく彼女だった。
だからこそ、約束通りの離縁状に署名した時、彼女はようやく自由になれると思った。
けれど、冷酷なはずの夫セヴェリオンは、その離縁を認めない。
しかも今さら執着するように、優しく、激しく、取り戻すように迫ってくる。
遅すぎる。
そう突き放すイゼルディナだったが、やがて公爵家に巣食っていた悪意と、セヴェリオンが十年間ひた隠しにしていた真実が明らかになる。
これは、失った十年を「なかったこと」にはせず、
それでも自分の尊厳を取り戻した女が、最後は自分の意志で幸福を選び直す物語。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、家族も元婚約者もすべて失いました
あう
恋愛
「真実の愛を見つけた。君との婚約は破棄する」
王都の夜会でそう告げられたのは、公爵令嬢セリシア・ルヴァリエ。
隣に立っていたのは、かねてより彼女を陥れてきた義妹ミレイナだった。
継母は義妹を溺愛し、父は家の利益のために沈黙を貫く。
味方は誰一人いない――まさに四面楚歌。
だが、セリシアは涙を流さなかった。
「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
それは絶望ではなく、すべてを覆す反撃の始まりだった。
やがて明らかになる数々の真実。
裏切り者たちは自らの罪によって転落していき、セリシアは新たな出会いとともに、自らの人生を切り開いていく。
これは、誇り高き令嬢が四面楚歌から大逆転を果たし、裏切った者たちに救済なき断罪を下す物語。
そして最後に手にするのは――本当の愛と、揺るがぬ幸せ。
---
■キャッチコピー案(任意で使用可能)
「救済なし、後悔だけをあなたに。」
「すべてを奪ったつもりでしたか? 最後に失うのはあなた方です。」
「四面楚歌の令嬢による、華麗なる大逆転劇。」
「静かで、退屈な婚約者だった」と切り捨てられたので、最後くらい全部言って去ることにしました
桃我タロー
恋愛
「静かで、退屈な婚約者だった」
婚約破棄のその日、王太子は広間でそう言い捨てた。
三年間、失言を隠し、場を整え、黙って支えてきたのに。
どうやら私に必要だったのは婚約者ではなく、“便利な人”という役割だけだったらしい。
しかも隣には、つい三日前まで殿下の従兄に求婚していた令嬢まで立っていて――。
ならばもう、黙っている理由はない。
これは、最後まで笑って終わるつもりだった令嬢が、自分の声を取り戻す話。
最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜
腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。
「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。
エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。
離縁を望んだ私に、旦那様の執着が始まりました
なつめ
恋愛
四年続いた、形だけの結婚。
公爵夫人レヴェティアは、夫ゼルフェインから一度も愛を告げられず、ただ静かな屋敷の中で“都合のいい妻”として扱われてきた。
冷たい夫。
消えていく手紙。
義家からの軽視。
そして、公爵には昔から想う女がいるという噂。
もう十分だと悟った朝、レヴェティアは離縁状を差し出す。
これで終わるはずだった。自分がいなくなれば、夫はようやく望む人生を選べるはずだった。
けれど、その日から様子がおかしくなったのは、無関心だったはずの旦那様のほうだった。
食事の席で視線を外さない。
屋敷の移動先を勝手に潰す。
社交の場では手を離さない。
今さら知ったような顔で、彼女の四年間を奪った者たちを一人ずつ叩き潰していく。
「出ていくつもりなら、なぜ俺の知らない顔をそんなに増やした」
これは、終わらせるために差し出した離縁状から始まる、
遅すぎた恋と、寡黙な公爵の重すぎる執愛のやり直し婚。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。