狂った勇者が望んだこと

夕露

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第一章 召還

51. 「許してやんない」

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おそらく地面の下だろう真っ暗な空間のなかをただただ落ちていく。それはかなりの恐怖だった。いつ地面にぶつかるかわからないし、いつ攻撃を受けるか分からない。
なにせ魔法が効かない。
落下が止まれと願って確かに魔力を使っているのに魔法としては使えない。思い出すのはトナミ街で願いをかけた矢が人買いに当たらなかったときのことだ。相手のほうがかける魔法が上手だったから私の魔法が効かなかった。ゾッとする。
一応、来るだろう衝撃に備えて私とセルリオに守りの魔法をかけているけれどそれも効果があるのか分からない。

「大丈夫っ……。大丈夫だよ」

耳元を駆け抜ける風にセルリオの声が聞こえた。知らず手に力を入れていたらしい。握りしめていたセルリオの服を放しかけて、だけどまた握る。
セルリオだって混乱してるはずなのに、私より年下のはずなのに、なんでセルリオはこうやって他人の心配ができるんだろう。
背中にまわるセルリオの手に安心する。大丈夫。きっと大丈夫……。
言い聞かせてようやく気持ちを切り替えることができたときだった。肌に感じていた空気がひどくひんやりとしたものに変わった。ついで真黒な空間に僅かな色味が出る。黒、こげ茶、群青、青、水色──本当に、ここは地面の下らしい。見えた光景にまた手に力が入る。


ここは鍾乳洞だ。


青く光る地底湖に照らされて長い年月を経てできただろう鍾乳管が見える。あれはなんだろう。地底湖だけじゃなく、ところどころに黄色や白色、緑色の光る点々が見える。
どうしよう、魔法が効かない。
私たちの真下にあるのは地底湖だった。一部の場所は水が透き通っていて水底までよく見える。あそこは底が浅いんじゃないだろうか。透明すぎて深いか浅いかまるで分らない。かといってほとんど黒に近い群青色になっている水面に落ちるのも怖い。
この世界に来てからずっと頼りだった魔法が使えなくて、私は情けないぐらいパニック状態だった。でも、


「大丈夫」


耳元で聞こえた声が私の思考を埋めてなにも考えなくてもよくなった。顔をセルリオの胸におさえつけられてなにも見えなくなる。
でも今度は不安は沸かなかった。
血と汗の匂いが鼻をついたけれど嫌な感じもしない。ただ、落ち着いた。魔法が効かないならもうどうしようもない。どうしようもないんだったら悩んでもしょうがないんだ。大丈夫。
身体にまわされたセルリオの手に力が入る──衝撃に備えた。

「ぅえ゛!……ゲホッ。セル、セルリオッ!」

幸いなことに地底湖は深かった。守りの魔法が効いたのかダメージもない。だけどセルリオがいなくなった。
水中に落ちたときだって感じていたセルリオの存在が、急に、消えた。
──ここにもなにか魔物がいるかもしれない。
この世界に来て一番の恐怖だった。
どうやら私は地底湖でも暗い場所のほうにおちたらしい。セルリオを見つけようと潜って目を開けてもなにも見えない。慌てて見晴らしのいい色の変わる場所に移動した。
セルリオ。
不安が胸を焼いて怖くてたまらなかった。こんなときに死んだ魔物が脳裏を過る。死んじゃいない。死ぬはずがない。あんな一瞬に……っ!
誰かが、誰かがなにかしたんだ。


……かえせ。どこだ。


地底湖は気持ち悪いぐらい暗い場所と透明な場所で綺麗に分かれていた。忌々しいほど大きな地底湖でいまいる場所から地面までかなり離れている。地面からセルリオを探す前に、もう一度潜ってセルリオを探した。水中で見える暗い場所の境界線は煙のように群青色の水を轟かせている。
セルリオ。
『ごめん。……本当に、ごめん』
暗い場所を眺めていたら、セルリオの声が聞こえた気がした。
トナミ街で初めて人を殺したときだった。セルリオは泣いていて……そういえばなんでセルリオは私を見て謝ったんだろう。
──身体を水底に落とす。
ああ、面倒だ。こんな水消えてしてしまえばいい。……そうだ、それがいい。身体にまとわりついて邪魔してくるし、セルリオを隠してしまうんだから。
地底湖の水をすべて消す。
とたんに青い光も一緒に消えて辺りを照らすのは点々とした黄色や白色、緑色の光だけになった。
願い通り水が消えた地底湖は見晴らしがいい。地底湖は場所によって深さがさまざまだったらしく、ときどき落とし穴のように暗くて深い穴が見えた。
だけど肝心のセルリオがいなかった。
消しきれなかった小さな水溜まりに私の髪から伝った水滴が落ちて波紋をつくる。


「セルリオ」


呼んでみても姿が見えない。
でも、大丈夫だ。呼べばいいんだから。セルリオにつけていた転移の文様を空中に描く。魔力を流し込んだ。だけどなにかが邪魔してくるせいでセルリオがこない。
……なら、セルリオがこれるまで魔力を流すまでだ。

「セルリオ」

でもどうすればいいか分かってるのに時間が経つにつれて怖さが増してきて、暗い、暗い感情が身体を支配していく。

もし本当に死んでいたら?

……考えるだけで手が震えてくる。
目を閉じて、魔力を注ぎこんで、ただただ待つ。それは凄く長い時間だった。縁起が悪いぐらい、いままであったことが頭の中をぐるぐるまわる。
セルリオは最初距離があったとはいえ丁寧な態度だった。それがホーリットの件で徐々に話すようになって、ハース含めて同じ班になってからはよくつるんだ。くだらない話をした。武器や怪我が怖いって情けなく笑いながら全身鎧だったくせに、トナミ街での任務を機に鎧を脱いで最前列で戦うようになった。
大丈夫だよと笑いながら返り血を拭う姿と、普段の雰囲気が不思議なぐらい同じで凄いと思ったんだ。


ああくそ、止めてくれ。


魔物の声が聞こえる。音の強弱も分からなくなるぐらいの声が泣くように叫ぶようにあちらこちらから聞こえる。
鍾乳洞のはずなのに風が吹いてザワザワなにか集まってくる音が聞こえた。

「早く来いっ!セルリオ!!」
「サクッ!」

たまらず叫んで、それから目の前から聞こえた叫びに目を開ける。
セルリオがいた。

「ああ、よかった!サクどこに行ってたのっ」

伸びてきた手が私の頭を触って肩を触って、ケガはないかと心配そうに見てくる。薄暗いけれどセルリオの顔はよく見えた。見慣れた顔だからよけいだ。眉が下がって情けない顔。
どうやらセルリオもどこかで私を探していたらしい。
糞が。どこのどいつだ。こんな最悪な魔法をかけやがって。ここに落としたサバッドか。ならアイツラ殺してやる。
セルリオが現れた瞬間、背後に感じていた魔物も姿を消した。魔法で探してみてもなにもひっかからない。お陰でこの感情のやりばがなくてただ腹が立った。

「サク……?」

セルリオが握りしめていた私の手を両手でとってゆっくり解いていく。開かれた掌は爪の跡が残っていた。セルリオの指がその跡を撫でて、俯く。
そしてあのときのように、でも今回はほんの少しだけ額があたった。

「ごめん」

魔力がゆっくり流れてくる。暖かくて、優しい魔力だ。身体に流れるだけで気持ちが落ち着いて──瞬間フラついた足に、魔力を使いすぎていたことに気がつく。
──ああ、これは、駄目だ。
離れて顔をあげれば、さっきと変わらず心配そうな顔が見える。


──駄目だ。


胸が痛むのは気のせいじゃない。さっきまでセルリオを必死に探していたのも、セルリオが生きていたことにこんなに安心しているのも嘘じゃない。

「……ごめんね、サク。また僕は不安にさせたね」

こんな世界に無理やりつれてこられた。こんな世界のために生きるつもりなんてない。
なのにこんな、死んでほしくないって思う奴らがいる。
魔物だって、人だって殺してきた。
だから殺されることだって可能性としては十分にある。身近にいる奴らが、セルリオやハースだって、リーフやミリアだって死んでしまうかもしれない。
私だって死ぬかもしれない。
分かってた。分かってたことだろ?──なのにいまその怖さを痛感してる。
もう駄目だ。あの城から離れよう。

「サク」

同情のように感じる視線を消したくて、これ以上セルリオがなにか言ってしまうのを止めたくて、濡れてすっかり赤い血の見えなくなったセルリオの後ろ髪を掴む。
驚きと痛みで眉を寄せたセルリオに構わずそのまま口づけて魔力を奪った。
見開いた眼が状況を理解したあと瞬いて私を離そうと私の肩に手をおく。なのにディーゴを吹っ飛ばすほどの力を持つはずの手は迷子のように頼りない。
──ああほんと、だから駄目なんだ。
奪ってるはずの魔力はいつのまに交換になってる。絡む舌を離して、お互いの息を奪いながら顔を見あう。
性別を偽るひとつの手段として靴を加工して身長操作をしているためセルリオの視線はいつも少し下だ。でも最近セルリオは背が伸びたらしく視線はほぼ並んでいる。
──こんなはずじゃなかったのにな。


「許してやんない」


手を離して、呆然とするセルリオを置いて鍾乳洞を探索するため地底湖から出る。地上に戻る前にこの怪しげな場所はちょっと調べておきたい。
魔力も回復して精神状態も落ち着いた。もうすべきことも分かる。
大丈夫。
もう大丈夫だ。

「セルリオ、行くぞ」
「あ、っと……。うん」

戸惑って当然だけどもう聞かない。言わせてやらない。
セルリオが地底湖を出たところで消した地底湖の水を戻せば鍾乳洞が青く照らされた。ついさっきまで怖くてしょうがなかった場所が一気にただの綺麗で神秘的な場所に変わってることには、もう諦めた。





 
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