愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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【フランと過ごす時間】

68.似た人

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──フランさんと一緒に過して2週間、フランさんは意地悪なお兄ちゃんだというのが分かった。
部屋の本を片付けながら梓は深い溜息を吐く。なにせこの2週間トアに聞いたことをフランに尋ねても「内緒」とはぐらかされ、ルトにしているように自分の考えが合っているのか聞いてみるも微笑むだけで答えてはくれない。
──この調子だと聞き続けるのはよくないかもしれない。
梓は沸いてくる危機感に手を止めてしまう。どんなに心許せる人であってもフランは聖騎士でこの国の人間だ。無能の神子の状態で本心をさらけ出しすぎるのは良いことには繋がらないだろう。なにせ彼らは神子の情報を共有しているのだ。だから無能という判断もされた。
今ここで行き過ぎて見限られると問題だ。女として利用される可能性はシェントの魔法によってないはずだが、トアとの出来事を思い出せば断言するのも難しい。ウィドのように牢屋に入れられ一生そこで生きるはめになるかもしれない。他国に下げ渡されたとしても似たようなことが問題になる。ありえないが追放ということになったとしたら住む家もなく食料もないのだ。生きていくことは出来ないだろう。

──私はここを出たら生きていく頼りも力もない。

この世界の女性の行く末は記憶に新しい。それがこの世界の常識だと知っているのに迂闊に動きすぎるのは良くない。梓は逸る心をおさえて本を手に花の間に移動する。
『俺達よりも神子から話を聞いたほうがいいかもね』
現状を考えると確かに聖騎士より神子から情報を得たほうがいいのかもしれないが、どうなのだろう。神子は全員味方なんだろうか。恋愛が絡んだ今までのトラブルを思えば絶対味方とは思えない。お気に入りの聖騎士に今日あったことを無邪気に報告することもあるだろう。

──ルトさんも最初しか応えてくれなかったし……神子……誰に。

思い浮かぶのは白那だが白那は梓と同じ日に召喚されているし正直なところ期待は出来ない。それなら前髪事件以来怖がられている莉瀬を除けば八重か美海だ。しかし神子全員で集まった日、美海は他の神子を、麗巳に怯えているようだった。それなら八重が一番話してみたい相手だが、神子で一番力を持っているのは間違いなく麗巳だろうことを考えれば麗巳に聞いたほうが近道かもしれない。
『こんな世界に連れてきた奴らに気を遣う理由があって?』
麗巳はこの世界の人間に恨みを抱いている。それなら味方ともいえるのではないか。

──だけど麗巳さんも話すには怖い人だ。

言動が怖いということもそうだが何を考えているのか分からない。強い発言力があるようだし下手に機嫌を損ねてしまうのも怖い。だが何もしなければずっとこのままなのは確かで。


「あらこんにちは」
「こんにちは、麗巳さん」


だから梓はソファに腰かけお茶を飲む麗巳を見つけたとき微笑んで、本を返し終わったあとその傍まで近づいた。麗巳は今日も紫色のドレスを着ていてゴージャスだ。サテン生地のグローブにキラキラ輝く髪飾り、大きな扇子。そのひとつひとつがとても高そうだ。

「お茶、一緒にいいですか?」
「ええ勿論」

梓が向かいのソファに座った瞬間メイドが新しいカップに紅茶を淹れてくれる。それを感謝とともに受け取りながら梓は机に置かれた扇子を見た。

「それってもしかして美海さんの手作りですか?」
「ええそうよ。美海ったら私のために作ってくれたのよ。今度新しいドレスも作ってくれるのよ?」
「……そのドレスも美海さんが作られたんですか。うあ、はあー……本当に凄いですね」
「本当に。とてもじゃないけど真似できないわ」
「同感です」

微笑む麗巳の声はひどく優しいものだ。感心しきりで麗巳そっちのけでドレスを見ている梓に何か言うこともなく紅茶を飲む麗巳の動きは柔らかい。不健康な肉に目がいきがちだが麗巳は姿勢が良く目を引いた。
──麗巳さんって痩せたら凄く美人そう。
美海のときも思ったことだが偏見は良くないらしい。メイドに対する印象が強すぎて悪いイメージしかなかったが、麗巳のタブーに触れさえしなければ麗巳は良い人なのだろう。
タブー。この世界の人間。
考えてしまうのは麗巳がこの世界に来て過ごした15年に何があったのかということだ。


「何か聞きたいことでもあるのかしら?」
「あ……はは」
「前も言ったでしょう?あなたはイールと同じぐらいよく分かるわ」


微笑む麗巳が梓の返事を待っている。梓はひとつ息を吐くと顔を上げて麗巳を見た。

「私この世界に来て分からないことが沢山あるんです。考えても分からなくて、どうしても答えが知りたいんです」
「そう、でもあなたは分かるだけで満足するのかしら?知ってどうするの?帰れないことは分かっているでしょうに。前、教えてあげたでしょう」

帰れない。
まだその言葉に胸がズキリと痛んで、いや、もしかしたらと希望という反抗心が生まれる。けれどやはり麗巳は忠告してくれていたのだ。自分と似ていると言ったぐらいだから梓の思考を読み先に答えを教えてくれたのだろう。

──それなら麗巳さんが私と話してくれてる理由はなんだろう。

ふと気がついて梓はしばらく続きを話せなかった。麗巳の話しぶりから色々知っていることは間違いない。それをこの場で、この城の人間であるメイドがいる場で話してくれている。それでも問題はないのか、それほどの影響力を持っているということなのか。なんにせよなぜここで話を聞いてくれているのだ。
この現実を認めて生きていけるようにという好意からだろうか?それともただの世間話で意味はないのか。
──私なら何を知ってるんだろうって探る。
梓はカップを机に置いた。

「分かるだけで満足するかは分かりませんが知らないままでずっといるのは怖いんです。ただ知りたいっていうのもありますが自分のことなのに何も分かってないのが嫌なんです」
「分からなくても衣食住そろって贅沢も出来て好きなように生きられるじゃない。それで十分じゃないかしら」
「それよりも知りたいんです」
「それよりも、ねえ」

くつくつと笑う麗巳はよほどおかしかったのか終いにはお腹を押さえて大声を上げて笑った。楽しそうな声だ。それなのに花の間の温度が下がったように思う。メイドの存在は全く感じず梓は目の前で笑う麗巳を見るしか出来ない。


「そういうのは全部満たされているから言えるのよ。ははっ、可笑しいわ。ああほんとあなたは私と似ててイライラするわね」
「……麗巳さんも同じなら教えて下さい」
「ええいいわよ。知りたいのなら教えてあげるわ?でも慎重にね。紅茶はもう少ないわよ」


影のある微笑みに梓はごくりと息を飲む。麗巳は神子には優しいが、それでも先ほどのおかしさを見れば質問は選ばなければならないだろう。

「この世界に連れてこられたこと、私も恨んでいます。でもこの半年色々あって恨むに恨み切れなくなってきて──麗巳さんはこの15年、何があったんですか」
「……そうねえ、今ここに美海がいたら面白かったでしょうね」
「え?」
「よくそんな質問を私に出来たわね?」

たっぷりの沈黙のあと吐き出された言葉に肌が粟立つ。麗巳はゆっくりとした動作でカップを持ち上げじっと揺れる紅茶を眺めていた。

「15年。15年よ?私はずっとこの国に閉じ込められた。あなたはまだ旅行気分かしら?幸せね。家族も友人も……恋人も夢も……すべて奪われた。そんな奴らとずっと過ごさなきゃならない。いいように使われてずっとずっと私は夢を見るわ」

夢。
ドキリとする梓を麗巳は見据えて低い声を落とす。

「この世界に召喚されたときの絶望をずっと見続けるのよ。幸せだったのに私からすべて奪ってまだ足りないのよ。だからやり返すのは酷いかしら?ふふ、ふふふ。私の癇癪なんて可愛いものでしょう?」

麗巳がカップを壁に投げつけ紅茶が飛び散る。耳が痛くなるほどの沈黙のなか麗巳が「あら」と頬に手を当てて微笑んだ。

「驚かせちゃったかしら?ごめんなさいね。もう質問は終わり?」
「いえ……教えてくれてありがとうございます。あの、麗巳さんより前に来ていた神子はどうされてるんでしょうか」
「知らないわね。さっきも言ったけれどこの国から出たことがないのよ」
「ということは他国に下げ渡されたということでしょうか?」
「生憎となんでも知っている訳じゃないのよ?でも、そうねえ下げ渡される、ねえ。あなたにそんな話をしたのは誰かしら?」
「誰かに聞いた訳じゃありません。さっき麗巳さんより以前の神子がどうしているか聞いたとき麗巳さんがこの国から出たことがないと仰ったのでそうだと思ったんです」
「あらそう、普通は他の国に行けるのかと驚くものだと思ったわ。それとも?他の国に行った、嫁ぐ、連れていかれる、そんなふうに言うものじゃないかしら」
「恭しく語られる神子を持つ国が他国に神子を手放すとしたらそういうことなのかと思って」
「それならよかったわ」

麗巳は梓の嘘に気がついている。それが分かるから梓は分かりやすいと言われた自分の表情に意識がとられて嫌な汗をかいてしまった。

「神子を召喚する理由になった魔物は本当に存在するんでしょうか」
「ええいるわ」
「その魔物は麗巳さんがこの世界に来てからこの国を襲ってきたことはあったんですか?……想像できないんです。あまりにも普通にここで過ごしているので」
「あるわよ?あの日はとても楽しかったわ。聖騎士はどんどん死んだし城下町の奴らもメイドも、たっくさん死んだわ」
「え……」

──死んだ?
思いがけない話に梓は固まってしまう。そんな梓に麗巳は優しく微笑みかけながら立ち上がった。

「あらこれは初めて知った?素直に驚いて、本当に可愛いわ」

笑う麗巳が腕を動かしたことでその肉が揺れる。血色の悪い白い肌、真っ白な手──窮屈そうなグローブが梓の頭に伸びる。


「ふふ、やだ結構嬉しいものね。厭うものは触れない魔法だったかしら。光栄よ」


梓は呆然と自分の頭を撫でる麗巳を見上げる。
──私に触れてる、ということは麗巳さんは私にとって厭う対象じゃないってことだ。
それは分かるのに分かりたくないのは何故だろう。恐ろしいことを言う麗巳。なのにその言葉があの時もそうだったように同感してしまう。理解できる。それはつまりどれだけ聖騎士やメイドと仲良く出来ても腹の底は麗巳と一緒なのだ。素直に外へ出す麗巳と違って梓は内に抑え込んでいるだけということなのだろう。
──怖い。

「あの日っていうのは何があって……死んだって、本当に?」
「本当よ。12年と少し前ぐらいかしら?修復は終わったけれど今度城もよく見てみればいいわ。新しく直されているところは多い……なにをそんなに怖がっているの?私たちを脅かす奴らが減っただけの話よ」

本心だろう言葉は梓に恐怖を与えるだけだ。それは信じたくない事件が本当にここで起きたという証明に他ならない。
突然表れた死という言葉は梓のこれからをより不安なものにさせていく。これから?これから……。


「お話はまた今度にしましょうか」


離れていく手を見つけて梓は我に返るが、かといって頭は真っ白で質問が浮かばない。それでもこれで終わりには出来ないのだけははっきりとしていた。

「また、色々教えてくれませんか?」
「いいわよ?私もあなたがどうするのか興味があるもの。飽きさせないでくれると嬉しいわ」

取り上げた扇子を開いて目を細める麗巳は悪役という言葉がふさわしい雰囲気だ。けれどきっとそれだけじゃないのだろう。もしかしたら悪役という言葉はおかしいのかもしれない。


「ありがとうございます、あと、そのっ」
「……なにかしら?」
「一緒に走りませんか?」
「は?」


麗巳は言動こそ恐ろしいもののちゃんと会話をしてくれる。待ってくれる。忠告もしてくれた。善意だけのものではないのだろうが、梓はさきほど頭に触れた温もりを信じてみようと思った。梓自身が厭うものじゃないと判断したのだ。例え素直に認めたくない感情を持っている人だろうと、いや、だからこそ麗巳と話してみたいと思う。

「本当に、ここに美海がいたら面白かったでしょうね」
「ちょっと想像できます」
「一応なんでそんな誘いをしたのか聞いておこうかしら?」
「気になってしょうがないんです。運動しましょう、そしたら動きやすくなります」
「あなたやっぱり私と似てないわね。普通そんなこと親しくもないデブに言わないわよ。顰蹙ものだわ」

突然の誘いのうえ麗巳が言うように内容は随分失礼で常識を欠いていると思われてもしょうがないものだ。混乱した流れで言ってしまったが、つい言ってしまうほどには麗巳の不健康な身体が気になってしょうがなかったのも事実。

「気が向いたらね」

だから思わずといったように笑ったあと呟かれた言葉に梓は心底驚いた。
顔を上げたときにはもう麗巳は背中を向けていてその顔は見えない。けれど怒ってはいないのだろう。なぜなら梓以上に呆然とした様子でこちらを見てくるメイドを見つけたからだ。

しばらくの間メイドと梓は時が止まったように動かなかった。





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